Chronicles of The Hardships of Komachi in The Sengoku Era
Mid August, one thousand five hundred and sixty-eight
八月十五日、信長は義昭の下を訪ね(たずね)、岐阜へ帰国する旨を告げた。
翌日、信長は義昭から表書きに「御父 織田弾正忠殿」と書かれた感謝状を受け取っている。
同時に足利家の紋章である『桐紋』と『引両筋』を受け取る。
義昭の引き立てに謝意を表するとともに、彼は『京治安維持警ら隊』の五千人と、明智光秀を筆頭にした数名の武将たち、彼らを護衛する兵士を京に配置させ、残りを引き連れて岐阜を目指した。
道中、浅井長政の居城である小谷城で会談に一日費やすものの、四日後の八月一九日に織田軍は岐阜へ到着する。
そこで上洛軍の為に結成された織田軍は解散され、各々自分の家への帰路につく。
「つかれたー」
静子は慶次と才蔵、長可を連れて我が家に到着する。甲冑や弓、バックパックの中身などを片付けると、一同は温泉につかって身体を癒す。
一ヶ月近くまともに風呂が入れなかった為に体は酷く汚れていた。ムクロジの粉末で体の隅々まで洗い終えると、軽く湯に浸かるだけに留めて風呂からあがる。
それから田畑の様子を確認する。村人や彩に任せていたとはいえ、やはり自分の目で確認しなければ落ち着かない静子だった。
スイカを適当に収穫した後、草の蔓で編んだ網に入れて川に浸けて冷やす。
「お帰りなさいませ、静子様。お出迎え出来ず申し訳ありません」
帰宅した時にはいなかった彩が、荷物を抱えて姿を現す。
「お、お帰りー。どっか出かけていたの?」
「濃姫様とおね様とおまつ様にスイカを届けてまいりました」
「……妙に数が少ないと思ったら、あの人たちが食べていたんだ……」
畑を見た時にスイカの数が蒔いた種に比べて少ない事に疑問を感じていた静子だが、その違和感は気のせいではなかった。
スイカは実の付いた上の巻きひげが、付け根まで完全に濃茶に変色したら収穫して良い、と教えたせいか、と若干後悔した彼女だった。
「濃姫様もそうですが、特におまつ様がスイカを大変お気に召されておりました。我が家でも栽培したい、と申されておりまして、これは手土産だそうです」
そう言って彩は、まつからの贈り物である小袖、本や絵巻物を静子に見せる。
「……別にお土産なんていらないのだけどね。来年、栽培する量を増やせば良いだけだし。あ、でもお館様、それから徳川様や本多様に贈るから、厳選できるだけの数は残しておいてね」
「その点はきちんと考慮しております。それから先ほど早馬が着きました。明日、お館様、森様や柴田様などの武将の方々、そして茶丸様がこちらに参られます」
「何で一度に来るの……」
「温泉に入る為にございます」
その一言で納得した静子だった。今や信長と彼の側近は、入浴を当たり前のように受け入れている。
普段は静子を嫌っている柴田や佐々も、温泉開発の手柄だけは彼女を手放しで褒めたぐらいだ。
特に信長は風呂いす、片手桶、湯桶、ムクロジの粉末と灰を入れた木箱、洗体ブラシ(ほぼたわしに近い)という五点セットを常備していた。
最近は城でも設置可能で簡単に使える風呂を考案しろ、という無茶な命令を岡部に出した信長だった。
この事で岡部が頭を痛めているのは言うまでもない。
(はは……また忙しくなりそう……)
気の休まらない日が続く、その事に静子は重い溜息を吐いた。
翌日、静子の村に到着した信長は早速入浴をする。頭髪や体を洗い、湯船につかって疲れをとる。
それらが終わると風呂から上がり、ある程度の休息を取ってから側近を全員集合させた。
「可成、堺について報告を聞こうか」
「はっ! 堺衆に関しては後一歩という所でございます。今井殿の決死の嘆願と、久治郎を使った調略が功を奏しております」
それは信長が畿内の人事を行ったり、義昭に付き合ったりしていた時に、配下に命じていた事の結果を確認するためだ。
彼らが活動している間、信長は自身を客引きの囮に使い周囲の視線を一身に集めたのだ。
畿内の人事や、京の治安回復、朝廷への嘆願などを行えば、周りは無視する事など出来ず、嫌でも信長の動向を確認せざるを得ない。
実際、信長の裏に隠れて活動していた彼らに注意を払った人間は一人もいない。
「サル、観音寺城付近の様子は」
「現在も六角の手下どもが、鼠のようにちょろちょろとしております。ですが数ヶ月もあれば全て鎮圧してご覧に入れましょう」
「あの地域は交通の要衝だ。是非とも掌握せねばならん」
「ご期待に添えるよう尽力致します」
「丹羽、近江の商人連合の方はどうだ」
「特に反対はなく、我々に協力するとの事です。ただ、美濃から京までの基幹街道整備については慎重論が多いとの事です。おそらく北近江を支配する浅井家の様子を窺っているのかと」
「ふむ……一定間隔ごとに宿場を用意し、基幹街道を使う人間はそこに宿泊させるようにするのはどうだ。さすれば美濃に到着する間、金が近江に落ちる。商人は道義に反しない限り利益を最優先する。金が落ちる事で奴らの欲を刺激すれば、首を縦にふりやすかろう」
「御意、その方向で再度交渉してみます」
三河、尾張、美濃、近江、京の間に基幹街道を構築し陸上交通路とする。そして街道を利用する者の目安として、一キロ毎にキロポストならぬ一粁塚を設置する。
更に旅の標準装備をした人間が一日で歩ける距離毎に宿屋を用意する。宿屋は荷物等を保管出来る厳重な倉を併せ持つようにし、商売人が売り物を安心して運べるような対策を取る。
それが信長の考える商街道構築計画だ。信長は現在の物々交換による経済から、貨幣を使った経済に変更したいと常々思っていた。
悪貨やコピー品をある程度の量があれば、正規の貨幣に交換する政策を取ったりもした。だがやはり商人と売り物の流動性を高める事が、貨幣経済を促進する上で最適だと彼は考えた。
勿論、堺やその他商業地域が溜め込んでいる富を、各地に放出させる狙いもある。
「静子、京で集めた職人はどうした」
「はい。家族含めて三〇〇余人の職人たちは、全て岐阜や主要な街に分配しました。ただ料理人が一〇名ほどいたのですが、濃姫様が試験を行うと言って連れて行きました……」
「……まぁ良い、料理人ならさほど影響もないだろう。奴の事は放置しておけ」
「了解しました」
静子が担った役割は京で燻っている腕の良い職人を集める事だ。
治安の悪さから材料の入手が困難、または入手出来ても高額をふっかけられる、組合も結成当初の目的を忘れ、自分たちの利権を守るため以外に動こうとしない。
そんな京の現状に嘆き、不貞腐れている職人たちに「岐阜で腕を磨き、京の職人たちを見返す気はないか」という話を持ちかけた。
職人の幅は鍛冶職人に限らず、機織職人や木工職人など幅広く集めた。中には京に拘る人間もいたが、大半は信長の持ちかける話に興味を示した。
最終的に家族含めて三〇〇人、技術者は多岐に亘るが一〇〇名以上が集った。そんな彼らをある程度纏めて岐阜にこっそり送り続けていたのだ。
一度に三〇〇人を移動させたわけではないので、一〇〇人以上の技術者が岐阜に移住した事を知るものは少ない。
「尾張にいる静子の技術街と競い合わせ、尾張・美濃に新しい文化を築き上げる。前に言っていた醸造街についても許可しよう」
「ありがとうございます」
静子の返事に信長は満足気に頷くと、全員を見渡してからこう言った。
「これより先、大きくなった我が軍を効率的に動かすため、軍の構造を変える。各自、心して聞くが良い」
その言葉に武将たちの顔が変わる。軍の構造を変更する、という事は自分の進退を左右する重要事項であるからだ。
「まずわしが動かす第一軍と第二軍。可成が筆頭の第三軍。明智が筆頭の第四軍。丹羽が筆頭の第五軍。滝川が筆頭の第六軍。計六つの軍だ」
信長は今までの中央集権化・絶対服従型から、権限委譲型に徐々に変更していく考えだ。
これは反織田派が軍行動を起こすのではなく、ゲリラ的な活動を行っている事への対策だ。
刻一刻と状況が変化する環境に、毎回中央の自分たちに問い合わせていては対応が遅れる。
何でも自分で決めていた時代の信長を知っていれば、まさに驚嘆すべき事である。
六軍の役割は明確に別れている。
直接的な戦闘力より、政治や軍事の頭脳を担う人間で構成する第一軍。
織田軍の中から選りすぐりの精鋭で構成する主力の第二軍。
森可成を御名代とし、その下に複数の軍団長で構成する第三軍。
京の治安維持、将軍家の身辺警護の人間で構成する第四軍。
あらゆる戦闘支援や後方支援など、兵站の全てを担う人間で構成する第五軍。
情報収集などの諜報活動、協力者の獲得、他国の情報操作などの謀略活動等、織田軍の情報機関の人間で構成する第六軍。
第三軍のみ特殊で、軍団長単位で戦が出来るように構成される。
これにより信長が戦場に不在でも、軍団長単位で組織立った戦闘が可能となる。
「今すぐに慣れろとは言わん。少なくとも伊勢を平定するまでは、今のままであろう。しかし伊勢を平定すれば、今より敵が増えるのは間違いない。それに対応するには、こちらも軍の構成が、今のままでは不都合だ」
そこで信長は考えた。考えた結果が、いつでも戦が行える常備軍を、各方面へ派遣する事だ。
こうすれば万が一、信長が動けない状況でも対応出来る。互いに共通の目標を認識し、ある程度権限を委譲すれば良い。
更に具体的な内容を指示せず、何をどうするかを各自で考えさせれば間者対策にもなる。
具体的な内容がなければ、相手は対策を検討すら出来ないのだから。
「可成は暫くわしと行動を共にせよ。わしが何を考えているか、時間をかけてでも知ってもらうぞ」
「はっ」
「明智が担うは京の守護じゃ。丹羽、貴様には後方支援軍を担ってもらう」
「承知仕りました」
「滝川、貴様には情報機関を担ってもらう。詳しい内容は後日話すが、責任重大なのは前もって宣言しておく」
「はっ」
全員の返事に信長は満足そうに頷いた。
信長や森可成、竹中半兵衛や静子が会合を行っている頃、岐阜にいる濃姫は静子が集めた料理人十人に対してある試験を行っていた。
内容は『京らしい料理を、こちらが用意する材料で作れ』である。最初は楽勝だと思っていた料理人たちだが材料を見た瞬間、その甘い考えは一瞬で吹き飛んだ。
材料の九割が見たことも聞いたこともない食材なのだ。薩摩芋や玉ねぎなどの生野菜、干し野菜に干し海老に干し魚などの干物、調味料は塩と味噌と黒砂糖と醤油などが置かれていた。
調理器具も同じく見たことも聞いたこともないものばかりだ。流石に料理人たちは濃姫に苦情を言う。
しかし彼女は芯の通った声でこう言った。
「試しもせず最初から無理と言う嘘吐きなど殿は興味を持たぬ。この程度の試験すら出来ぬなら、荷物を纏めて早々に京へ帰るが良かろう。殿が求めているのは『京の料理人』ではない。『新しい世界を切り開ける料理人』なのだからな」
濃姫の考えは間違ってはいない。信長は京の料理と岐阜や尾張の料理を融合させ、新しい料理文化を構築する事を考えている。
何も料理に限った話ではなく、他の文化も京と融合させて新しい文化を作り上げていく予定だ。
故に「京の料理」に拘る人材は不要だった。求める人材は伝統を維持しつつ新しい文化を作り上げていく人材だ。
その思惑に気付かず料理人たちは怒って帰ってしまう。残った料理人は一人、そして彼の手伝いらしき二名の男だった。
しかし濃姫は満足気な笑みを浮かべて料理人を見る。
「期待しておるぞ」
それだけ言うと彼女は料理人たちの前から立ち去る。濃姫が立ち去って暫くした頃、ようやく人心地ついた料理人が、後頭部をかきつつボソリと呟いた。
「織田の殿様の奥さんはきっつい性格だって聞いていたけど……想像以上にきつい性格だなぁ」
「しかし五郎(ごろう)さん。あの人の言っている事は、正論だと私は思います」
「わーってるよ、おっさん。帰っていった連中は、結局京の料理人という矜持が捨てられなかったのだろうな」
三人の中で一番若い五郎(ごろう)と呼ばれた男は軽いため息を吐く。
京ではどんなに新しい料理を創作しようとも、「伝統ではない」という一言で切り捨てられていった。
だから皆、京から抜け出し、岐阜で新しい世界を切り開こうと考えている、と五郎は先ほどまで考えていた。
だが結局、連中はどこに行っても不満を言うだけの人間だった。その事すら気付けなかった事に、五郎は自分の人を見る目のなさに呆れた。
「私は『おっさん』じゃなくて『みつお』です。何時になったら名前を覚えてくれるのですか」
不満を口にしながらも本気で嫌ではないのか、みつおと言う名の男は苦笑しながら頬をかく。
「……言い争っても意味はなかろう。あの婦人の言葉を信……織田の殿様が重要視しているならば、帰った九人に未来はないだろうな」
「そうだな、足満(あしみつ)さんの言う通りだ。考えたって仕方ない、なるようになるさ」
五郎はそう言うと食材を机の上に並べ始める。彼にとって目の前の食材はまさに未知との遭遇だった。
どんな味がするのか、どんな料理に合うのか全く見当がつかない。しかし五郎の顔に不安はない。
むしろ未知との遭遇を楽しんでいるようにも見えた。
「(五郎さん、やっぱり料理人ですね。普通、あれだけ知らない食材が並ぶと、言い様のない恐怖が湧くと思いますよ?)」
足満の横にこっそり移動したみつおが、彼にだけ聞こえる声量でそう呟いた。
「(我々にとっては馴染みが深い食材だが)」
「(と、言うとやはり足満さんの探し人は、信長の所にいるという事ですか?)」
みつおの言葉に足満は小さく頷く。
気難しい顔をした彼は一度目をつむり、再び開くと同時に優しい声でこう呟いた。
「(あれを見て確信した。やはり彼女はこの織田家のどこかにいる)」
三者三様、様々な思惑があるもののまずは濃姫の試験をクリアしなくてはならない。
『京らしい料理を、こちらが用意する材料で作れ』、という内容から岐阜の食材を使って京料理を作れという事はすぐに分かった。
問題は『京らしい料理』に該当するものは何か、という点である。
「京らしい料理というと塩ですね。だけど塩だけでは駄目です。岐阜や尾張は、確か味噌が有名だったと思います」
「おっさん、そう言う所は詳しいな。だけど俺は味噌料理なんて作った事がないしなぁ……そもそも味噌の味が京にあるものと違い過ぎる」
「みつおです。それと多分、こちらの醤油を使わないといけないと思います」
「そうだな……味噌料理と醤油料理の二品。これらで京らしい和の料理が正解だと思う。醤油料理は私が担当しよう」
「足満さん、何を作る気ですか?」
「和チャーハンだ。幸い干し海老や干し野菜があるし、フライパンもあるから問題なかろう」
足満の言葉に首を傾げる五郎だが、ともかく一品を作ってくれるならありがたいと思った。
正直な話、彼は料理人だがみつおと足満に比べて経験が圧倒的に少ない。
「ま、まぁよろしく頼むよ。俺はどうしようかな……この際だから三人で一品ずつ作るか?」
「ふむ……悪くない案ですね。その路線で料理を作りましょう。私は野菜と鶏肉の味噌炒めを作ります。五郎さんは京の料理をお願いします」
「え? それだと問題じゃないか?」
「京らしいという話ですが、まず比較対象がなくてはいけません。だから京の料理、味噌料理、醤油料理を並べましょう」
「ほぅほぅ、おっさん意外と考えているんだな」
「おっさんではなくみつおです」
そんなコントをしつつ三人は各々の料理を作り上げていく。
やがて全員料理が完成間近、という所で突然濃姫が調理場にやってきた。先ほどと変わらず、内心の見えない笑みを見せる。
「そろそろ頃合いかと思うてな。どの様な料理が出来上がるか見学に来た……ふむ、干し海老の醤油炒め飯、野菜と鶏肉の味噌炒め、そして京の料理か。なるほど、比較対象が必要だから京の料理を一品作っておるという事か」
濃姫の言葉に三人は驚きを隠せなかった。一目見て三人がそれぞれ作っている料理を言い当てたのだから無理もない。
そして三人の様子を楽しげな笑みで見ていた濃姫は、扇子で口元を隠しながら言葉を続ける。
「別に驚くほどのことは無いじゃろう。そもそも料理素材はこちらが用意した物じゃ、まあ本職では無いゆえ素材の組み合わせからおおよその狙いに見当をつけただけじゃ、妾が言い当てたからと言って失格にはせぬ。早う旨い料理を持って参れ」
終始余裕のある、そして心の底が見えぬ笑みを浮かべている濃姫は、三人にそれだけ告げると背を向けて調理場を後にした。
三人は彼女が去った出口を見つめたまま、暫く場に硬直して体を動かす事が出来なかった。
その後、彼らは料理を濃姫に認められ、織田家の料理人としての地位を獲得した。
しかし信長の料理人、ではなく濃姫専属の料理人としての地位だが。
九月中旬、前作の作物を全て収穫し終え、土地休めを行う畑以外に後作の作物を植えていく。
収穫したと言ってもひまわり、スイカ、オクラ、ジャガイモ、白花豆は種を増やすために食用に回す事は出来ない。
幸いにもジャガイモに関しては、中間地で栽培するなら九月植え付けの十二月上旬収穫も可能だ。連作障害の関係で三年は間隔を空ける必要があるため、レンガでプランターを作り冬に栽培が可能か試験を行う。
うまくいけば春は畑で、冬はレンガプランターの二回収穫が可能となる。
ジャガイモは薩摩芋と同様にビタミンCが豊富、かつ火と水で失われにくい作物だ。他にもビタミンB1、B2、B6、カリウムが豊富で、長期間の保存も可能な冬の保存食だ。
うまく量産化できれば薩摩芋同様、緊急時の非常食として活用出来る。
惜しむらくはナス科の植物に分類されるジャガイモは緑色の部分に人体に有害なソラニンが多く、薩摩芋のように葉や茎を食用にする事が出来ない。
米の収穫にも取り掛かった。ともほなみ系列は一反(10a)当たり六俵、ななし米は一反(10a)当たり八俵だった。
それぞれ2ha分植えた為、最終的にともほなみ系列は112俵、ななし米は145俵だった。どちらも有機栽培でありながら、農薬を使った米と同等の収穫量を目標に開発された米だが、予想以上の採れ高に静子自身も驚きを隠せなかった。
収穫量は他と比べるべくもなく良いが、二つの米は一つ重大な問題を抱えていた。
それは食感が従来の米と違い過ぎる点だ。戦国時代の米は主に赤米(大唐米)と黒米だ。
赤米は奈良時代から米の主役だがかなり質が悪く、炊きたてでも粘着性は殆どない。黒米に至っては塩を入れて煮たという記述が残っている事から、味の方は推して知るべしである。
数百年以上もの間、食味に研究を重ねてきた成果の米を信長が受け入れるか、それはまさに神のみぞ知るであった。
一種の賭けだが静子はやる以外の選択肢はなかった。万が一、受け入れて貰えた事を考慮して準備にとりかかる。
まず二種類の米からランダムに一俵ずつ取り出す。残りは全て籾種とし、別々の蔵に保管する。
そして取り出した米俵を脱穀し玄米にする。そして玄米を半分はそのまま、残り半分を精米する。
この玄米と白米をそれぞれ炊き上げ、塩だけの握り飯を作り信長に食してもらう。
どの形が気に入るかは、実際に信長が食すまで不明だ。全てを気に入る可能性があるが、反対に全てを気に入らない可能性もある。
保険として配下たちの分の握り飯も作っておく。信長が気に入らなくとも、森可成や丹羽などが気に入れば、場合によっては栽培を続けられる可能性があるからだ。
久々に胃痛を抱えながら静子は信長に謁見する。
「本日はお館様に味見をして頂きたく参りました」
「ほぅ、味見か。一体何を味見して欲しいのじゃ?」
「米でございます」
そう言うと静子は入り口に控えている才蔵に目配せする。才蔵は入り口のふすまを小さく開け、近侍の者へ合図を送る。
膳を持った小姓が入ってくると、彼らはそれを信長や配下の前に置く。
「握り飯か」
盆の上には握り飯が乗った皿が六つあった。それぞれの皿の下に番号が書かれた紙が挟まれていた。
「今回の米は赤米や黒米と系統が違う為、食感や味に大きな違いがあります。ですから量産を行う前に、皆様に味見して頂く必要があると考えました」
「よかろう、皆も食すが良い」
そこからは暫く無言だった。
予想通りともほなみ系列と名無し米の握り飯を食べた時、皆の顔色が変わる。
それが良い方向なのか、悪い方向なのか静子には分からなかった。
全ての握り飯を食べ終えた信長は、静子でもはっきり分かるほど重い溜息を吐いた。
好みに合わなかったか、と静子の背筋に嫌な汗が流れる。
「静子、貴様は本当に困った奴だ」
「お、お口にあいませんでしたか?」
「逆だ馬鹿者。貴様のせいで今までの飯が、泥水で炊いた練り物にしか思えなくなったわ」
「あ、はい……」
周囲を一瞥すると、森可成などの配下も米を好意的に受け取っていた。
勿論、白米か玄米かで好みが分かれていたが、誰の皿にも赤米の握り飯が残っている所を見るに、現代の米は戦国時代の人間にも受け入れられた。
大量生産の道が開けたことに安堵した静子はほっと胸を撫で下ろす。
「どちらの米も旨い。来年以降、どちらも量産に励むように」
「はい。あの、一番の米は尾張の環境でしか栽培が成功しない米でして……恐らく三番、四番の米の方は大量生産が可能かと思われます」
「ふむ……ならば仕方ない。貴様と各村で一番の米生産に励め。数字で言うのも面倒だな、一番の方は尾張米、三番は岐阜米と名付けよう」
(それはあり……か? でもともほなみ系列って名前だと長いしねぇ)
静子も米の名前に拘りはないのと、名無しの方は漢字の読み方が分からない。信長がつけた名前なら、今後名前で要らぬ混乱を招く事もないだろう。
名前の事を言うのは余計な事と静子は考えなおし、彼がつけた名前を使う事にした。
「了解しました。来年以降、尾張米と岐阜米の生産に励みます」
来年もまた忙しくなる、そう思った静子だった。
同じく九月中旬、静子は養鶏(なかでも採卵)の為に用意していた土地を整備し直した。
鶏は既に近隣一帯にまで飼育が広がっており、広大な飼育場を維持する必要が薄いからだ。
そこで静子は鶏から家鴨(アヒル)の飼育に切り替える事にした。
家鴨は平安時代に飼育された記録があるほど、古くから日本に伝来している。更に雑食性で基本的に何でも食べる。
産卵から30日弱でヒナが孵化し、ヒナが卵を産むようになるのは五ヶ月から六ヶ月、繁殖が可能になる性成熟は雌で生後六ヶ月から七ヶ月ほどだ。
つまり一年で新しい世代が産卵可能になるのだ。ただし欠点として家鴨は鶏より孵化率が低く、飼育すると抱卵しない個体になりやすい。
食肉にするのに六ヶ月程度なのも魅力だが、何と言っても最大の魅力は羽毛だ。
三十羽ほどでダウンジャケット一着、百五十羽ほどで羽毛布団が一つ出来る。極寒地での作業服に用いられたダウンフェザーを使わない手はない。
整備し終えると早速、静子は出入りの商人たちに家鴨の調達を依頼する。
だがこの時、静子は要求する数を伝え忘れるというミスをした為、商人から予定外の量を購入する羽目となった。
静子としては三十羽から四十羽ほどを考えていたが、実際はゆうに二百羽を超え、更に鵞鳥(ガチョウ)まで混じっていた。
家鴨と鵞鳥は見た目が似ている上に、戦国時代はきちんとした分類がされていない。混じっていても不思議ではない事を、静子はすっかり忘れていた
結局、急きょ鵞鳥用の飼育場を設置し、入荷した家鴨の中から病弱そうな個体を間引きした。
鵞鳥は十八匹、家鴨は優良健康体五十匹までとした。残りの家鴨は羽毛を剥ぎ取り、肉は周囲へお裾分けしたり、ヴィットマンたちの胃袋に収まったりした。
その途中ある事を思い出した静子は、また出入りの商人に仕入れを依頼した。
それはそばの実の殻(そばがら)だ。正真正銘、そばがらはゴミ扱いなので、今度こそ静子の意図が理解出来ない商人たちは困惑した。
一体何に使うのか想像すら出来なかったが、結構な金で買い取ってくれるので沢山仕入れて静子へ売った。
集まったそばがらを選別すると、静子はそれらを天日干しする。十分に天日干しが終えた所で枕に詰める。
低価格、かつお手軽に出来るそばがら枕だ。
そばがら枕の歴史を紐解くと、奈良時代に最高級の枕として正倉院に保管される程であった。
コストパフォーマンスに優れているが、使うたびにそばがらが潰れて粉が出る欠点がある。
また水洗いが出来ない為、中身は半年から一年に一度取り替える必要がある。
それでも枕カバーと、そばがらを詰める丈夫な布があれば、当時良く使われていた丸太枕とは比ぶべくもない。
そばがらを天日干ししている間に羽毛を集める。
かなりの数の羽毛が溜まったので、静子はそれらを加工して防寒着を四着作った。
これは全て絹布で作られている。更に防寒性を上げる為に絹が複雑に編みこまれており、中はダウンフェザーという現代のコートに匹敵する防寒着だ。
量産出来れば雪の中でも行軍が可能になるが、絹とダウンフェザーの消費量が馬鹿にならないため、よくて信長や彼の側近までぐらいしか用意出来ないだろう。
「流石に大量の絹糸を使用しただけはある。ぬっくぬくだぁ」
コートというよりマントに近い防寒着を纏った静子は、秋の寒さを微塵も感じていなかった。
中世西洋でマントと言えば権威の象徴だったが、静子は見栄えよりも機能性を重視したため、マントにしては地味だった。
無論、その分性能は比類なき物に仕上がった。
「静っちの作るものは、奇妙な物が多いが便利でもあるねぇ」
派手な柄のマントを羽織る慶次が、煙管を上下に動かしながら言葉を口にする。
タバコは入っていないようで、煙管からは煙が全く出ていなかった。
「寒さなど気合で耐えられる。が、この羽織は悪くない」
考えられる限りのものを詰め込んだ柄の長可は、鼻息も荒く威勢の良い事を言い放つがしっかりマントは着込んでいた。
「気合で何とかなるなら、静子様は寒さ対策をされないであろう。ならば、人の体は気の持ち様だけでは耐えられないという事だ」
愛宕権現(あたごごんげん)が描かれたマントを羽織る才蔵は、長可の言葉に冷静に突っ込む。
四人の姿は異様だった。
地味だが高級感漂うマントを羽織った静子。傾奇者にしか見えない派手な柄のマントを羽織った慶次。
雑多にして混沌を体現したかのような摩訶不思議な柄のマントを羽織った長可。愛宕権現が描かれたマントを羽織った才蔵。
見慣れない格好の為に人々は四人を傾奇者だと思い込んだ。
「さて、お館様はなんの用で呼んだのかな」
彼の用事がまさに今着用しているマントだという事に彼女が気付いたのは、それから暫くしての事だった。
十月に入る前、静子は落花生の収穫にとりかかる。基本的に長く保存出来る乾燥落花生として収穫する。
落花生は地中に豆部分が結実する一風変わった作物である。地上部分は不要だが収穫や天日干しに都合が良いのでまとめて収穫する。[*1]
根ごと掘り返した落花生は泥を洗い流し、数本を束にして結び竹竿に根を上にして掛ける。この状態で二週間程度天日干しにする。
乾燥工程終了の判断は莢を振って中の豆が殻にぶつかるカラカラという音がすれば良い。
ここまでくれば豆以外の部分は不要となるため株から莢を切り離す。ここまでくると皆さまになじみ深い殻付き落花生の状態になる。
更に笊などに広げて数日天日干しを行えば乾燥落花生の出来上がりとなる。
天日干しした落花生はカビが生えることこそあるものの一年以上の保存に耐える。カビが生えた場合は水洗いし、再び天日干しすればまた食べることができる。
なお生産者だけの特権だが、採りたての落花生は泥を落として塩茹ですれば食べる事が可能だ。
しかしこの調理法は落花生が生の野菜状態になっている時しか食べられない。裏を返せば、落花生は乾燥させなければ日持ちしない作物なのだ。
一株あたり二十から三十莢(およそ70~100g)ほど、全体の数は六千七百莢ほどだが半分近くは来年の種にするため、食用可能な量は三千莢ほどになる。
しかし落花生は子ども(奇妙丸や長可)には好評だったが、大人(信長や森可成など)には不評だった。
彼らは油分が多い食べ物に慣れていないせいだと静子は予想した。
余談だが日本で最初に落花生を栽培したのは神奈川県大磯町の農家、渡辺慶次郎であるとされている。
彼は1871年(明治四年)に横浜の親戚から落花生の種を貰い受け、試しに自分の畑で栽培した。
落花生の地下結実性を知らず収穫の際に一悶着あるのだが割愛する。彼はこの作物を販路に乗せるため奔走するが望んだ結果は中々得られない。
幾度の挫折にも諦めず1877年(明治十年)に駄菓子屋へ売り込んだところ大反響があり、経済栽培の見通しが立ったとされている。
九月から十二月上旬まで収穫する作物は多岐に亘る。
手間を短縮するため、収穫した作物は現物を送らず目録を作成して信長に提出する。
その後、信長を通じて御用商人に売却、加工して指定の蔵へ運搬、そのまま指定の木製サイロへ運搬などの指示書が届けられる。
これに従って作物は処理されていく。この時、やはり単位の統一が必要と信長は感じたのか、静子へMKS単位系の採用を伝える書類が届く。
書類に従って静子は技術街の職人に該当工具の生産を指示する。実際に使う道具と練習用の二セットが完成する度に、工具類を信長指定の場所へ運搬した。
手際良く処理していた静子だが、綿花だけ予想外の問題が出た。
綿花は乾燥や種抜きなどの処理を終えると、一旦信長が指定する場所へ運搬する話になっている。
質の良いものを税として納めた後の残りが静子や作業担当の村人たちの取り分となる。加工法を知らない村人たちは綿花を信長へ売り払うが、布団などの加工法を知っている静子は早速子どもサイズの布団を生産しようと考えた。
しかしその前に、信長から布団の生産を禁止する朱印状が届けられる。布団は下賜品にする為、静子に布団を生産されると困る、と書かれていた。
わざわざ朱印状で命じなくとも一言で済んだのでは、と静子は信長に突っ込みたい気持ちになった。
朱印状での命令なら仕方ない、と思うことにした静子はマスクやハンカチ類の生産に切り替える。
ゴム類がない為、マスクは首の後で結うタイプのものだった。
ハンカチが出来る事で『トイレの後は手を洗いましょう』が実行出来る。だが小物が増えるという事は、洗濯物が増えるという事を意味していた。
今後、防寒着など衣類や小物の種類が増える毎に、奥方の洗濯に関する負荷が上がるだろう。
回避する為には洗濯機を作るのがベストだが、プロペラを回すモーターがない上に電気がない。
結局、手回しのような小型洗濯機から始めるしかなかった。しかし小型でも完成すれば、冷たい川の水に耐えつつ洗濯板で洗う必要がなくなる。洗剤に関してはムクロジの粉末がある。
最悪の場合、雑菌の繁殖を防ぐためにお湯に三十分ほど漬け込んでおけば、洗濯物の雑菌は消滅する。
クランクや木ねじなど、開発に必要となる技術は多岐に亘るが、完成すれば洗濯の集中化が可能になる。
動力部が特殊な為、こればかりは設計図を書いて丸投げは不可能だ。静子が技術街に出向き、開発者を集めて説明を交えつつ会議を何度も開く必要があった。
「今日も静子はおらんのかえ?」
その事が不満な人、濃姫は今日もご機嫌斜めなご様子で彩に静子の動向を尋ねる。
「はい……今日も早朝からお出かけになられ、お戻りについては夕刻になるかと」
「せっかく料理人の自慢をしに来たのに、静子がおらんのでは話しにならんではないか」
「は、はぁ……」
そもそも先触れなく突然来訪するからでは、と思った彩だが決して突っ込まず曖昧な笑顔を浮かべて対応する。
「殿も殿で何かやっておるから相手をしてくれぬ。おねとまつで暇を潰そうにも、静子がおらんのでは今ひとつ面白みにかける」
「そうですね」
今日も愚痴を聞かされる日になるのか、とうんざりしつつも彩は適当に相槌を打つ。
しかし昼を過ぎた頃、伝令の兵士が静子帰還の報を持ってきた。いつもは日が沈む頃に帰ってくるのに珍しい、と思いつつ彩は濃姫に静子が帰ってくる旨を伝える。
「おお、今日は良き日じゃ。妾が待ちかねておるゆえ、早う帰るよう伝えよ」
「い、一応五百名の兵士を連れていますので、時間はそれなりにかかると思います」
上洛後、色々と理由をつけて静子に五百名の兵士がつけられる事となった。
他の兵士たちと違い土木建築に携わったり、親が土木建築技師だったりと強さより技術力を重視して集められている。
現状は技術力や作業速度が低いが、将来的には即席で橋を建築出来たり、陣や塹壕を短時間で作り上げたり、プレハブ小屋のような簡素な建物を建築出来る現代で言う工兵部隊にしようと考えていた。
その為の第一歩として集団生活をさせ、更に食生活の改善を行っている。
「問題ない。妾も料理人を連れてきておらんからのぅ。伝令を出して連れてくるよう言付けを頼むぞ」
「はい」
余計な騒動にならなければ良いが、と願わずにはいられない彩だった。