無事、竜の穴から戻った僕たち。

そのまま神々の住まいまで戻ろうとしたが、途中、足が止まる。

テーブル・マウンテンの森で知り合いに出くわしてしまったのだ。

彼の名はマックス。

立派な雄鹿だ。

鹿たちを率いるリーダー的な立場の鹿であるが、なにか困った顔をしていた。

当然のように声を掛ける。

彼も大切な友人なのだ。

「どうしたの? マックス。浮かない顔をして」

「ああ、ウィルか。実はだな……」

暗い表情でマックスは話す。

なんでも自分の娘が病気に掛かってしまったというのだ。

この春に結婚したばかりだというのに病に倒れてしまったらしい。

「それは大変だ。あとでミリア母さんと相談してポーションを作るよ」

「それは有り難いが、様態が急変してな。悠長なことは言ってられなくなった。だから俺が今からやくそうを探しに行くんだ」

「それは大変だ。――ちなみにその薬草の名前は?」

「聖蘭草だ」

その名前を聞いた瞬間、僕は天を仰ぐ。

ミリア母さんの策士具合に呆れたのだ。

その様子を見てルナマリアが話しかけてくる。

「ウィル様、動物とお話できるのですか?」

「ああ、そうか、ルナマリアは動物語が分からないんだね」

「はい」

と、うなずくルナマリアにことの経緯を説明する。

彼女も僕と同様に驚く。

「まあ――、それは大変です。そしてミリア様はとても策士でいらっしゃる」

「そうだね。きっとこのことを知って僕に竜の穴まで行かせたんだ。たぶん、マックスに薬草の名前を教えたのもミリア母さんだ」

「となるとその鹿の娘を直せるのが聖蘭草だけというのも怪しいですね」

「ミリア母さんはポーション作りの天才だよ。たぶん、手持ちの薬草でも治せるはず」

「ここでウィル様が聖蘭草を渡すか、試しているのですね」

「たぶんね」

「ならばこのまま薬草を渡しましょう。きっとウィル様の心の優しさを試しているのです。手ぶらで帰っても許してくれましょう」

「それは無理だと思う。ミリア母さんはそういうところは厳しいし、そもそもそんな策略を使うということは僕を不合格にしたいはずなんだ」

「……たしかに。それではやくそうを渡さずに戻りますか?」

「…………」

僕はマックスという牡鹿を見る。

彼の目は憂いと悲しみに満ちていた。

そのような表情をしている友人を無視するのは難しい。

僕はリュックの中に入れた聖蘭草を取り出す。

それを握り絞めるが、最後の最後まで迷った。

これを渡すべきか否か。

僕は数秒ほど迷うと、聖蘭草を――

その頃、神々の住まいにて。

治癒の女神ミリアは嬉しそうにウィルの部屋を掃除をしている。

その姿を見て剣神ローニンは尋ねる。

「年頃の息子の部屋を掃除するなんて過保護じゃないか」

「なにを言っているの。ウィルはまだ14歳よ。子供よ」

「14歳と12ヶ月だよ。あと十日で大人だが」

「ならばあと十日、思いっきり甘やかさないと」

ミリアはるんるんとはたきを掛ける。

ローニンは吐息を漏らす。

「年頃の息子はベッドの下に女親に見られたくないものを隠すものだが」

「うちのウィルをあなたと一緒にしないでよ。ウィルはふしだらな子じゃありません」

「まあ、この山には本屋もないしな」

苦笑を漏らすと、ローニンは話題を転じさせた。

「そういえばもうすぐ正午だというのに余裕だな」

「余裕って?」

「ウィルが試練に打ち勝ってしまうというのに、慌ててないってことさ。試練に打ち勝てば、山を下りるんだぞ」

「ああ、そのことね。大丈夫、ウィルは試練に失敗するから」

「あの子を舐めるな。竜くらい余裕で払い除ける」

「そりゃあ、下位のドラゴンならばね。でも、レッサー・ドラゴンは倒せても、時間は倒せないわ。どんな勇者にも」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味よ。ウィルの帰り道に、聖蘭草を必要とする鹿を配置したの。優しいウィルのことだから、きっと採取した聖蘭草を上げてしまうでしょう」

「……おま、なんて狡猾なことを」

「なんとでもいいなさい。可愛いウィルのためよ」

「まあ、気持ちは分かるがな……。しかし、ウィルが聖蘭草を取りに戻ったらどうなる? たしか第10階層にもあるのだろう」

「あるわよ。でも、鹿と出会った森から竜の穴に戻るには数時間、さらに第10階層に到達するには数時間掛かるの。無理よ」

それはどうかな?

と反論したのは魔術の神ヴァンダルであった。

彼は哄笑を漏らしながら近づいてくる。

「なによ、その笑いは」

「いや、おぬしがウィルの実力を過小評価しているのに呆れてな。ウィルならば《飛翔》の魔法を使いこなし、ほんの数十分で竜の穴まで戻れるはず」

「……かもしれないわね。でも、第10階層まで到達することは無理。なぜならば第10階層は竜の巣になっていて、レッサー・ドラゴンが無数にいるから」

「レッド、ブルー、グリーン、多種多様なドラゴンが住んでいるらしいの。しかし、ウィルならばその中を突っ切って、聖蘭草を採取してくるかもしれんぞ」

「無理よ」

「ならば賭けるか?」

「いいわよ。なにを賭けるの?」

「そうじゃのう。ウィルが旅立つときに交わす最後の抱擁の権利」

「いいでしょう――といいたいところだけど、止めておきましょう」

「臆したか?」

「そうよ。というか、もう結果が判明しちゃった」

と言うとミリアはウィルの部屋にある鏡に映像を映す。

そこには笑顔で走ってくるウィルの姿が映っている。

両手には抱えきれないほどの聖蘭草を持っていた。

映像の場所を竜の山の第10階層に移す。

そこにはきょとんとした竜が何匹も映っていた。

皆、翼や身体が傷付いている。

つまり、ウィルは単身、第10階層を突っ切り、聖蘭草を採取してきたのだ。

それを見た剣神ローニンはつぶやく。

「……まったく、底が知れない子供だ。どこまで強くなるのやら」

「男子、三日会わずば刮目してみよ。もしもウィルが旅立ったら、どのような英雄になって帰ってくるか、想像も付かないな」

魔術の神ヴァンダルはそう漏らし、治癒の女神ミリアを見つめるが、彼女は不機嫌そうに「……ふんっ」と漏らした。

だが、ウィルが試練を乗り越えたことは認めているようだ。

「旅に出るのは認めるけど、ほんのちょっとだけよ。半年したらこの山に戻して、もう一生離さないんだから」

どうやらミリアは自分の負けを認め、旅立ちを許すようである。

旅立ち反対派の最強硬派が認めたことで、ウィルの旅立ちは決定するのだが、その後、成人までの最後の時間をどうやって過ごすかで揉めに揉めた。