A NEET’s Guide to the Parallel World: Healer, the Strongest Cheat?
317 - [This Edition of Forgetting]: Understanding
ビヨメントの丘にて、シャオーンよりアドルフの策略による嘘の見出しを見せられたゼファーは、怒りにかられ神国へ向かうことを決意する。
その際、カゲトラをも上回る存在がどこかに潜んでいると仮定したゼファーは、カリファをビヨメントに残すことにした。
だが自分たちが死に負け永遠に戻らない場合を考え、アダムスの禁術――三帰四業(さんきしごう)の一つである《忘却の彼方(オブリビオン)》を用いて、彼女の中にある自分たちに関する記憶を凍結させた。
ビヨメントを離れた二人が神国へ辿り着くのは、それから数日後のことであった。
その頃、アドルフはワインの都ルージュゲルトへ訪れていた。
ある人物と落ち合うためだ。
この国で最も格式高いホテルのロビーで待ち合わせをしていた彼の元へ現れたのは、背の低い屈強な男であった。
「待たせちまったか」
「いや。……楽しくやっているようだね」
それはいつかの名工、ゴルディムだ。
アドルフは彼に例の黒刀を渡した。
「律儀な人だ」
「そう見えなかったかい?」
アドルフから黒刀を受けるとゴルディムは懐(ふところ)にしまった。
「一度使ったら壊れてしまったよ」
「だろうな。続けて何度も使えたなら、そりゃ旦那、化け物だぜ」
「どういうことだい?」
「反魔法ってのは本来、防御や打ち消しに利用される概念だ。だがあんたからこれを頼まれて気づいたことがある。つまりこんな代物が繰り返し使えるってんなら、武器はこれだけでいい訳だ。この一本だけを作り続けりゃいい、これさえありゃもう魔術なんていらねえ。だがそうなる頃には人は滅んでるだろうよ。まあ、あくまで仮定の話だがな」
「君は恐ろしいことを言うね」
「旦那に言われてもなあ。だが理論上それは不可能だ」
「反魔法に理論なんてあるのかい?」
「そりゃあるに決まってんだろ。なんだ聞きてえのか?」
「勿体ぶるなよ」
「教えてやるよ。反魔法ってのはな、つまり反転だ」
「反転?」
「そう、反転。対象に反転という概念をぶつけて、有を無にするって理屈だ」
「有を無にする?……」
「想像つかねえか? 例えばここにグラスがあんだろう? つまりこれは状態的に有な訳だが、これをひっくり返して無にする。これが反魔法だ、分かるか?」
「うん、なんとなくだが分かって来たよ。だがなぜ化け物なんだい?」
「そりゃ旦那、簡単な話だ。そんな芸当を何度も何度も繰り返し使えたすれば、そいつは無敵だからだ。何故ならそいつには魔術が効かねえ」
「魔術が効かない?」
「そうさ、魔術は必然的に状態が有だからなあ。反転すると無になる。だが反魔法にも弱点はあってだなあ、無から有は生み出せねえんだ。何故なら対象がそもそもねえってことだからな。だから反魔法は唯一、蘇生ができねえ。死は無ってことなんだろうな」
「例えばそれは僕にも使えたりするのかい?」
「残念だがそれは無理だ」
「……確かに残念だね」
「あくびやしゃっくりを教えろって言われてもできねえだろ? 先天的なもんだからなあ、旦那の中に感覚がねえ以上は無理だ」
「確かに」
「反魔法ってのはそんな感じなんだよ。それが俺の限界だとも言えるが。俺には無理だ」
「だが理論があるんだろう、何故教えられないんだい?」
「理論というか、こりゃ自論だ。続けて使えないってのは、そうだなあ……あくびやしゃっくりってのは一々途切れんだろ? だがこれが隙間なく続くと、どうなると思う?」
「死ぬ?」
「そうだ、つまりその感覚に近い。反魔法ってのは、言い換えれば無の押し付けだ。短剣から付与が消えたってことは……旦那はこれを何かに使ったんだろう?」
「ああ」
「その時、どうなった?」
「……対象者の魔力が消え、彼は死んだ」
「だろ。つまりそれは、有の状態にあるものへ無が押し付けられ、成立したってことだ。だがそこで付与された無が消えねえと、一体どうなると思う?」
「……さあ、分からないなあ」
「もう魔力はねえんだ、なのにまだ無が押し付けてきやがる。それはもう、無と無の押し付け合いだ。だがそんなことがあっていいはずはねえ。それは理論上、不可能だからだ。存在してねえもん同士が押し付け合うなんて在り得ねえ。つまりその瞬間、明らかに在り得ねえことが起きてるってことなんだよ、分かるか? 完全に矛盾してんだよ。ねえもんが、有るかのように押し付け合いをしてんだ」
「もし仮に、そんなことが起きたらどうなると言うだい?」
「起きねえよ、不可能だ」
「仮定の話だ」
「そりゃ旦那、この世界丸ごと消えちまってもおかしくねえだろうなあ。もうすべてがぐちゃぐちゃになっちまうんじゃねえか! こう、ぐちゃぐちゃっとよお!」
アドルフは静かに席を立った。
そしてゴルディムの肩に手をぽんと乗せ、優しく告げた。
「――達者でな」
そう言い残しアドルフはロビーを後にした。
一人虚しくロビーに残されたゴルディムは呟く――。
「なんだよ……」
アドルフは、彼の話を理解しなかった。
※
アドルフが神国に戻り数日が経過した丁度その頃――。
二人は風変りした神国へと辿り着いていた。
「どうなってやがる……」
「これは……」
人が一人もいない。
かつてのショッピング街や観光エリアすべてに人の気配がない。
街を通り抜ける寂しげな風音が聞こえるだけだ。
あれほど賑わっていた町が、数日でゴーストタウンと化している。
二人は言葉を失いながら街へ入った。
二人はアダムスの巨像の前へと辿り着く。
だがそこから見える景色は、依然として代わり映えのしないものだ。
人の姿が見えないこと以外は。
「ゼファーよ、これをどう思う?」
「分からない……こっちには情報がないんだ」
二人とってそれは妙であった。
当時の情報収集ツール――バノーム通信には、はっきりとカゲトラが磔にされた写真が掲載されていた。
それは世間においても大ニュースのはずであり、記事となってから日も浅い。
だというのに国に人の気配がない。
二人は答えの出ないまま、神国で最も象徴的な修道院へと向かった。
やがて修道院の前に辿り着いた二人は、自分たちと同じくして神国へ戻って来たのであろうアドルフと出くわした。
「アドルフ!」
「ゼファー!……シャオーン! あれ、カリファは?」
「カリファはビヨメントに残してきた」
「そう、なんだ……」
気の弱い自分を演じるアドルフ。
ゼファーは彼の心に気づかない。
「それで、何があったの? 二人も記事を見て来たんでしょ?」
「ああ、その通りだ。だが俺たちにも分からない」
「だがカゲトラが処刑されたなど、到底信じられる話ではない。奴を拘束するなど、大陸中の魔法使いを全員をかき集めてもできることではない」
「そうだよね、カゲトラが殺されるはずないよね……」
アドルフは終始、苦い笑みを作っていた。
「とにかく中に入ろう。何か嫌な予感がする」
一同は修道院の中へ入った。
そして院内でもっとも広く大きな空間――祭祀場の扉を開き、中の様子を目にした二人は、その異様な光景に目を疑った。
「これは……」
部屋の端へ無理やり押し固められた長椅子の類。
祭壇の前に横たわる白い髪の女性と、彼女をいたわるナースチェンカ。
そして二人の傍に立つグィネヴィア。
「グィネヴィア殿が、二人?……」
シャオーンは目を細めた。
「グィネヴィア、これはどういうことだ、カゲトラはどこに?……彼女は一体……」
その情報量の多さにゼファーは戸惑った。
グィネヴィアが二人いることに加え、倒れている見知らぬ女性が一人。
もちろんゼファーはナースチェンカにではなく、グィネヴィアに話しかけている。
「一体、誰がこんなことを……」
シャオーンがそう言葉を漏らした時だ。
「彼です!」
ナースチェンカが二人の背後にいるアドルフを指差した。
だが遅かった。
その瞬間、ゼファーをアドルフの刃が襲った――。
「がはっ!――」
ゼファーの胸元を背後から鋭利な白い突起物が貫いた。
「ゼファー!」
気づいたシャオーンは蛇剣キリギリスを抜いた。
だがその直後、アドルフの蹴りが彼のあばらを粉砕した。
「ぐわっ!」
シャオーンは飛ばされ壁に激突し倒れた。
「アドルフ、お前……」
ゼファーは苦痛に耐えていた。
貫いた何かは既に消え、そこには大きな風穴が空いていた。
「ゼファー、彼女はグィネヴィアではなく、ナースチェンカというんだ。そしてこっちが本当のグィネヴィア、彼女の姉だよ。カゲトラに恋をしたナースチェンカは、実はこの国の風習で生贄として捧げられる予定だったんだ。だから死後、姉にカゲトラを託す想いで姉の名を名乗ったんだ。なんとも感動的な話だよね、そう思わない?」
「カゲトラは……」
ゼファーは痛みに耐えながら、ダンジョンの渦より半身の杖を取り出した。
そして傷口にに対し魔術を講じた。
「――《忘却の彼方(オブリビオン)》」
ゼファーの傷は治らない。
だが彼は血を吐きながらも平然と立ってみせた。
「痛みを忘れたのか……ふっ、どうせ最初から痛みなんて分かっていないだろうに」
「どういうことだ、アドルフ……カゲトラをどこへやった?」
「殺したよ」
「……は?」
「だから殺したって」
ゼファーが疑問を浮かべている後方で、瓦礫から立ち上がるシャオーン。
「お主に殺れるはずがない。なぜなら」
「だから殺ったんだって、シャオーン! ほら!」
アドルフは祭壇へ向けて手を広げた。
すると上空から祭壇の台へ向けて、カゲトラの真新しい体が下りてくる。
「ほらね、僕は彼を殺したんだ!」
「…………カゲトラ!」
ゼファーは呼びかけた。
「無駄だって!……死んでるってそう言ってるだろ!」
状況を理解したゼファーの表情は、徐々にアドルフへの怒りと疑問へ変わる。
「なぜお前が……」
「驚いたかい、ゼファー? まあ、そうだよね、弟を殺されたんだ。無理もない」
「ごふっ……」
『我が身!』
半身――マクスウェルはゼファーの身を案じた。
だがゼファーには死期が近づいていた。
「大、丈夫だ……まだ、耐えられる」
「彼を殺すのは意外と簡単だったよ、手間はかかったけどね。反魔法を使ったんだ」
「……そういうことか。だからカゲトラを」
「ああ、僕でもやれたよ。厳密には彼を殺したのはそこにいる彼女だけどね」
グィネヴィアは目を背ける。
「……彼女を利用したのか」
「優しいなあ……ゼファー、君は優しいよ。その優しさを親友である僕にも向けてほしかった……」
「何故、カゲトラを殺した」
「君がいけないんだよ……君は僕からすべてを奪った。カゲトラを失って、どんな気分だい?」
「……」
「君は最初……僕からカリファを奪ったんだ」
「何の話だ?」
「あの日……ビヨメントを出発する前日、君はカリファへ想い告げた。僕は不幸なことに、その瞬間を見てしまった……そして、君たちが両想いであることを知った」
「……」
「僕にとって彼女は初恋だった……だけど、それも君が相手なら許せた。君は僕にとってたった一人の親友だったから」
「ごふっ……」
「だけど君はまた裏切った。僕からカリファを奪っておきながら、僕を捨てシャオーンを選んだんだ」
「何を言っているんだ?」
「君が悪いんだ、僕を裏切るから!」
アドルフの叫びが祭祀場に響いた。
彼は肩で呼吸するほどに激昂した。
「カゲトラを失い、どう思った?」
「……」
「ゼファー、それが痛みだ! 痛いって感情なんだよ! だけど君は痛みを理解しない! 利己的な感情を優先して僕からなんでも奪うんだ! 僕にはもう、母さんも父さんもいないのに!」
「だから、お前は……」
「君が冒険に出かけるなんて言わなければ、今頃ビヨメントのみんなは、父さんと母さんは無事だったかもしれない。それか僕はみんなと一緒に死ねていたかもしれない……こんな痛い思いをすることもなかったかもしれない」
「利己的なのは貴様だ、アドルフ」
シャオーンだった。
彼は蛇剣の刃先を向け、アドルフに一歩一歩近づく。
「貴様にゼファーを裏切り者などと呼ぶ資格はない。裏切ったのは貴様だ」
「やめろ、シャオーン……」
『彼は深淵に呑まれています。もう手遅れなほどに……』
半身マクスウェルの言葉に、シャオーンは目を細めアドルフを見つめた。
「呑まれただと!?」
「ごちゃごちゃうるさい杖だ」
『認めたくはありませんが、彼は深淵に呑まれたことで多大な力を得たのです。今や我が身をも凌(しの)ぐほどに』
「……そうか。あのとき言っていたのは、アドルフことだったのか」
ダンジョンで初めてマクスウェルに出会った際の出来事だ。
マクスウェルは名指しはしなかったが、ゼファーではない誰かを指し「呑まれてはいけない」と諭した。
それがアドルフであったのだと、ゼファーは今になって気づいた。
『我が身では彼の深淵を感知することはできません』
だからゼファーはアドルフに気づくことができなかったのだ。
「忘却の半身マクスウェル……」
アドルフはゼファーの杖を睨み、自身の杖を取り出した。
「そして僕の、嫉妬の半身レヴィア……僕はレヴィーを理解し、自分を理解し、そして《妬み水》を発現した。だがゼファー、君は忘却しかを手に入れられなかった。何故だか分かるかい?」
「何の話だ」
「それすらまだ知らないのか。最も強い欲が半身となり生まれるんだよ。彼等は本体である僕らに欲を知らせ、気づかせてくれる。そして、ただ一つしかない候補者特有の力を創造させる。それが僕の場合は《妬み水》であり、君の場合は《忘却の彼方(オブリビオン)》という魔術だ。だがそれはアダムスの魔術であって君の深淵ではない。では何故、深淵はそれを君の欲だと認定したのか……答えは簡単だ。君が過去を忘れたいからさ」
「……」
「それが君の本質だからだよ。過去は人を惑わす。でもそれを永久的に葬り去ることのできる魔術があるんだと、それを知った君は、そんなものを自身の最も強い欲としてしまったんだ。それは深淵を得て以降、ほら、はっきりと半身に現れただろう? そういうことだよ」
「……違う」
「君は分かっているんだ。……本当は冒険になんか出るべきじゃなかったと――」
「――違う!」
「――違わないさ!」
二人の声が空中に散った。
「違わないんだよ、ゼファー……だって、それがこの状況を形作っているんだから。みんな君のせいだ。これは君が始めたことの結末だ」
『……我が身?』
マクスウェルの案じる声が聞こえ、ゼファーは地についていた膝を持ち上げ立ち上がる。
「……後悔してないとは言わない。したさ……何度も、何度も。……どれだけ復興を続けても、かつてのビヨメントは戻ってこない。それか冒険に深入りせず、途中で戻れば良かったんじゃないかと、そうも思った。だが最初から冒険になんか出ていなかれば良かったとも思った。アドルフ、お前の言う通りだ……」
アドルフは片方の口元をニヤつかせた。
「俺が巻き込んだ……」
『我が身、それは違います』
「違うもんか」
『彼はあなたの心を読んでいるのです。我が身の中にある、最も深く暗い感情を読み利用しているのです。誰でも後悔や、気にする必要もなく気にしている問題があります、誰でもです。それが彼には見えるのです』
「…………それが深淵の力か」
『深淵に呑まれた愚者の力です。我が身にもその内、その感覚は分かるでしょう。ですが相手が愚者では意味はありません。心を失くし、人格の歪んでしまった彼らには、もはや取り入る隙はありません』
「ごふっ!」
『我が身!――』
「鬱陶しい杖だ」
ゼファーの血が時間と共に外部へ流れる。
痛みの概念を消し去っても肉体は機能しており、死を遅らせることはできない。
「愚者だと? まるで僕が敗者であるような物言いだな……負けたのは君だよ、ゼファー。もうこの時間にも飽きた。君が死ぬのを待っていられるほど、僕はもう君を信じてはいない。待ち望んだ結果、僕は両親を失い、親友を失った。お別れだ、ゼファー……」
アドルフはゼファーへ手をかざした。
「親友なんて必要ないってことが分かったよ」
「……アドルフ」
ゼファーの意識が少しずつ遠ざかっていく。
彼はなんとか繋ぎとめようとアドルフを睨む。
「――待って!」
その時、二人の間にナースチェンカが割り込んだ。
「…………親友との別れに水を差すつもりか、殺すよ?」
「間違っているのはあなたの方です!」
ナースチェンカは臆さなかった。
「ナースチェンカ!」
だがグィネヴィアは無謀な行動に出た妹を心配した。
「カゲトラ様は…………最後まで、あなたのことを恨んではいませんでした」
「……」
「私には分かります」
「……なんて、なんて当てにならない言葉なんだ。君よりも僕の方が、ずっと長いあいだ彼と一緒にいたんだ。彼は意味も分からず無念を抱えて死んだ。それが真実だ」
「いいえ! カゲトラ様は……アドルフ様を…助けてやってくれと、そう言って亡くなられました」
ナースチェンカは涙ながらに答える。
「……へえ、そうなんだ。とにかく邪魔だ、どけよ」
「どきません!……もう、誰も殺させません!」
ナースチェンカの姿が一瞬、アドルフにはカゲトラとダブって見えた。
彼女の信念を見たのだ。
それは生前のゲトラの背中にも見えていたものだった。
「ナースチェンカ、やめなさい!」
グィネヴィアは必死に妹へ説く。
だがナースチェンカの足は一歩も引かない。
だがアドルフの意志は、もはや誰にも変えることができなかった。
「……ゼファー、また君の過ちが増えるね。あとで忘却で消すといいよ」
「待て、アドルフ!」
直後、ナースチェンカの心臓部分をアドルフの妬み水が貫いた。