先陣を切ったのはミーナだ。
「はい! 好きな芸術はどんな芸術ですか!」
「好きな芸術ですかのう……。そうですのう、美しい芸術が好きですじゃ」
「美しい芸術ですか?」
「そうですじゃ、美しい芸術ですじゃ。美しい芸術を見ると心が洗われるような気持ちになるのですじゃ」
「良いですね、私も美しい芸術見てみたいですねー」
同調するミーナ。しかしそんな彼女よりも、話を聞いていたネルの方が食い気味に反応していた。
「あのっ! アントニさん、美しい物を作るって、どういう気持ちなんですか?」
「おや、そこの青いお嬢さんは、ネル様じゃったかの?」
「はい! あの、私、ちょっと気になることがあって……。あ、気になるって恋とかじゃなくて、そのっ」
誰もそんなこと思ってないのに一人で慌てるネルは、いつも通りちょっとずれていた。
「そうですじゃな。美しい物を作るときの気持ちですかのう……」
「はい!」
顎に手をやり少しだけ考えたアントニは、ややあって答えた。
「たくさんありますが、その中でも一つ。生きているという再確認のような気がしますのう」
「再確認ですか?」
「そうですじゃな。……美しい物を作れば、それは自分の仕事の証明になりますじゃ。それに、美しい物に触れている間こそ生きた心地がするのですじゃ」
「生きた心地……」
「生きた心地ですじゃ。というよりはこのジジイが、あの感覚こそが生きるということなのだと思っとるだけですがのう」
「……あの感覚って、どんな感覚ですか?」
「難しいですのう。例えば命の始まりや終わりに立ち会うと敬虔な気持ちになる人がいますのじゃが、美に触れることもまた、命と同じような神秘が有ります故、敬虔な気持ちになるのですじゃ」
「敬虔、ですか……」
「そして、命の始まりや終わりに、おぞましさ、嫌悪感、怒り、悲しみを覚える人もおりますじゃ。美にもまた、それに似た感情を想起させるものがあるのですじゃ。
……その感情から察するに、美には命があるように思われてならないのですじゃ」
「……何だか、凄いです」
ため息を吐きながら、ネルは「美は尊いのですね……」と深く感じ入っていた。アントニはそんな彼女に「左様ですじゃ」と小さく頷いていた。
「私もいいかしら、アントニさん。貴方にお聞きしたいことがあるの」
「おや、確か貴方はヘティ様でしたかな。……どうぞお聞きくだされ」
「ええ。……貴方が譲れないもの、それをお聞きしたくて」
ヘティが手を挙げて、普通に質問したかと思うと、それだけでアントニとヘティは通じ合ってしまったようだった。
「譲れないもの、ですかのう」
「ふふ、ごめんなさいね。変な質問だったわ。……ちょっと気になっただけなの」
「……譲れないもの。このジジイにとっては、美しい作品ですじゃな。美しい作品だけは、譲りたくありませなんだ」
「……そう」
「その通りですじゃ。……愚かですじゃな」
「愚かじゃないと思うわ。私も貴方の気持ち、分かるもの」
一瞬だけ下に目線をやったヘティは、すぐに「譲れないと言えば、私もこの前、絵を描いてもらった時にゾンビみたいに真緑で描かれてしまって、つい怒っちゃったわ。女にとってこればかりは譲れないわ」と冗談めかしてくすくす笑っていた。
その後、質問はミーナが再び「じゃあ好きな食べ物!」と何でもない話へと誘導したことで、場の空気は和気あいあいとした物になった。
因みに、本当にどうでもいいことだが「私たちは肉炒めですねー」「ああ、あれは美味しかったわね」「確かに美味しい」「……肉も悪くないわ」「感動でした!」とうちの奴隷たちは肉食系女子が多いようであった。本当の意味の肉食系である。
アントニも興味を示していたので、今度タイミングを見計らってご馳走するのもいいと思った。
「じゃあ、他に質問あるやつはいないか? いないならもうお開きにしたいと思うんだが」
「うーん、いないみたいですねー」
「そうか。じゃあこの辺で」
この辺でいいだろう、と思った俺は、和やかな空気を残したまま解散させることにした。
「良い場所ですじゃな。皆が生き生きしておりますじゃ。さりとて、皆トシキ様の意見をよく聞いて行動しておりますじゃ。……奴隷というよりやや従業員のように扱われておるようですな」
「ええ。物珍しいかと思われます……奴隷商らしくないと言われておりますがね」
「いえいえ、とんでもありませんわい。最近色々と手を広げて精力的に活動なさっていると聞きますじゃ。商業としては成功なさっていると思いますじゃ」
「そうですかね」
夜、月と星を見ながらアントニと絵を描く。雲に隠れた月の美しさと言ったら、日本酒を飲みながら眺めたいと思うほどの奇麗さであった。
筆をなぞる。手元を火魔法を封じ込めたランタンで照らし、ついでに油を温めて豚毛の筆へと染み込ませて、絵の具を溶いて塗り重ねる。
俺は芸術スキルと鑑定スキルの示すままになぞり、夜景を完成させていた。自画自賛になるが、自分でも上手いと思った。夜景の雰囲気が良く出ているのだ。
一方でアントニのそれも非常に美しかった。
形はない。点で散りばめられた星、ボロ切れで質感を表現された灰色の雲、丸い月、形のわからないままに四角く黒くなぞられた街の建築物。
夜の空には藍が少しだけ混じっていて、地面が建物と繋がっており、しかしそれでも見たままの色を乗せて描かれた景色は、優しさを感じさせるように美しかった。
「この、黒い固まりは何ですじゃろうか。こんな建物がありましたかのう」
「それは繋がっているだけですよ。例えばこれとかは冒険者ギルド、塔の監獄(カルセル・トレ)、祭事堂、商人ギルド、領主館、という具合ですかね。私も自信はありませんが」
「なるほど、塔の監獄ですじゃったか。そういえば塔と言えばこう、手を縦に動かしたような気がしますわい。しかし細長くはないのですかのう?」
「あー、いえ、細長いとはつまりこういうものかと」
「……なるほど、これは細長いのですじゃな。言われてみれば細長いと言えばこんな形じゃったかもしれませんのう」
お恥ずかしい、と言いながら苦笑するアントニは、細長いという感覚に自信が持てないようだった。ぱっと細長い物を見たときに細長いという感想が出てこなくなり、しばらく考え込んで細長いのだと推論するような、そんなちぐはぐさが感じ取られた。
「……フォーヴィスム、でしたかのう」
「ええ。今は夜景や人物画を描いていますが、まだフォーヴィスムに取り組むまでの練習です。今は感じたままに眺めて色を乗せるだけでいきましょう」
「……例えば、この炎を描いてみたらいかがですじゃろうか」
アントニが指差す先は、踊るような炎。
「……良いですね、炎を描いてみましょう」