時が経つのは早く、気が付けば既にオアシス芸術展覧会『サロン・ド・オアシス』まで後僅かとなった。

『サロン・ド・オアシス』というのは、年に一度開かれる、貴族アルベール伯爵による芸術の展覧会である。オアシス街に住む人々が自由に芸術を出展し、審査に合格した物が展覧会への展示を認められるのだ。

蚤の市、領主誕生祭に開かれる芸術展覧会とは異なり、「アルベール伯爵の個展」という形式ではなく「オアシス街が公認した展示」という意味合いがあるのだ。

当然規模も大きくなり、集まる作品の種類も複数に渡る。写実派、バロック、ロココ、印象派、そして今の若手が精力的に挑戦しているフォーヴィスムとキュビズム。それぞれがひしめいて自己主張している。

万物が芸術たる、というのはアルベール伯爵の娘、ベリェッサ嬢の言葉だ。その言葉を体現したとおり、サロン・ド・オアシスは芸術の多様性に富んでいた。

交易の場オアシス街の芸術を育てようというのが、アルベール伯爵の意図である。

交易の地オアシス街は、ともすれば特産品というものが少ない。豊かな農資源や鉄資源があるわけでもなく、伝統工芸品で利益を出そうにもそれ一つのみに頼るのは危うい。

文化に新しい価値を付随させる。そのために、芸術をこのオアシス街で発展させる。

アルベール伯爵の狙いは、その意味では成功しつつあった。

サロン・ド・オアシスの特徴として、芸術作品の方向性があまりアカデミズムに囚われていない、というものがある。

アカデミズムというのは、王都「白い街」にある芸術アカデミアの影響を強く受けた芸術だ。アカデミアの芸術は今のところロココ調(優美で曲線を多用する)の芸術を至上としており、かつてのアントニの作品がまさに規範とされている世界であった。

オアシス街はそうではない。

ロココ調の芸術も受け付けるが、同時により革新的な芸術も受け入れようとするのだ。

芸術の世界は今まさに、革命的な変化を迎えていた。

オアシス街は積極的に新しい芸術を切り開いている。キュビズムが港の街で産まれたのならば、フォーヴィスムはこのオアシス街だ。

オアシス街に元々あったアラベスク芸術が、象徴主義的な芸術を押し進めた結果、フォーヴィスムに行き着いたのだ。

この新しい芸術、キュビズムとフォーヴィスムは、アカデミズムに窮屈さ、退屈さを感じていた若い芸術家を中心に熱狂的に指示された。

そしてその激動の最中、サロン・ド・オアシスはアルベール伯爵の意図をもって開かれようとしていた。

「さて、運び込む作品はこれで全てですね」

「そうですじゃな」

サロン・ド・オアシスに向け、俺はアントニの作品を会場まで運び込み、係員に絵を預けた。

枚数にして五枚、審査に通らなかったものを含めると合計八枚の絵をアントニは描いたのだった。

一人なのに五枚もの絵を認められるというのは、芸術家アントニが、サロン・ド・オアシスにいかに高く評価されているか、という期待の裏返しである。

(まあ、既にアントニの作品は大々的に飾られることが決定されていたわけだが)

既に、とあるカルテルがアルベール伯爵とロスマンゴールド商館で取り決められている。芸術一家ペーリ家の長男ヤコーポも、芸術評を一筆入れることになっている。

俺の仕事は、ロスマンゴールド商館が抱える画商たちに対して、アントニの大量の描き掛けの作品を片手に、彼がいかに素晴らしい画家なのかをアピールすることだけであった。

(端から見てもアントニの芸術は美しい。そして、アントニの芸術は成功しかしない。……完璧なはずだ)

俺がそう思案に耽っていると、後ろから「あ、トシキ君!」声をかけられた。

「ああ、こんにちは伯爵令嬢。本日も服装が良くお似合いで、美しくいらっしゃいますね」

「よせよ、照れるじゃないか」

令嬢ベリェッサは、口角を上げてにやにやとしていた。分かりやすい。鑑定スキルによるといつもより服装がちょっと高価で、オーダーメイドの逸品だったので、きっと服に力を入れているに違いないと服を誉めたらこれである。

アントニもまた「おお、これはこれはお嬢様」と頭を下げていた。形が分からない彼でもベリェッサ嬢のことは声で分かるらしい。

「この度はお嬢様には、ご足労をおかけしましたわい」

「いやいや、構わないさ」

二人の間で短くやりとりが交わされる。俺はそのやりとりの意味を理解しあぐねた。

踏み入るべきか、と思ったが、令嬢ベリェッサは貴族だ、根掘り葉掘り聞くのは失礼に当たる。

などと思っていると向こうの方から教えてくれた。

「ねえトシキ君。アントニのもう一個の作品も見て欲しいんだ」

「もう一個の作品ですか」

「そう。君に隠れてこっそり描いていた作品があるんだよ。こっちのアトリエに隠してあるよ」

「……そのような作品があるのですか」

「出展するよ」

ベリェッサの瞳に火がともったような気がした。何故急にそんな視線が投げかけられたのだろうか、と考えて今更になって気付いた。

ベリェッサは。

アントニに美術の世界に戻って欲しいと願った人物だ。アルベール伯爵やロスマンゴールド氏が俺にアントニの復帰を依頼する前に、誰よりもアントニの芸術界復帰を願った人であった。

アントニの描きたい芸術を誰より深く理解している人物だ。アントニと語り合い、同じ美を愛するものとして深くお互いを分かり合っているのであった。

そして、アントニの未完成のフォーヴィスムを「絵が死んでいる」と評し、完成に近付く「炎の絵」を見て絶句した人物だ。あの時は、アントニの「悲しいことに」という発言で流されてしまったが、あの時ベリェッサは間違いなく炎の絵に感動していた。

ベリェッサには資格があった。

「出展、ですか」

「そう。アントニと僕の合作さ。僕には我が儘を言う資格があるはずだよ」

「合作の出展ですか……。アルベール伯爵の許可は頂いておりますか?」

「勿論さ。……ちょっと強引にね」

笑うベリェッサ。そう言えば、ベリェッサの芸術Lv.が2から3に上がっている。

これは粘土細工などを共にしたことによる経験値獲得だけではなく、影でこっそりと絵画を描いていたということだろうか。

「ね、アントニ?」

「……そうですじゃな」

アントニを見れば、彼は何とも言えない不思議な笑みを浮かべていた。自嘲か、感傷か。いずれにしても彼は、ベリェッサが出展することを止めるつもりはないようだった。

「アントニさん……?」

「トシキ様。このジジイの我が儘ですじゃ。……たった一枚、このお嬢様のために描いた絵を出展させて欲しいのですじゃ」

「そうですか……」

「出来れば報告したかったのですじゃが……お嬢様が黙っておくようにと仰いましてな。伯爵様も一枚だけなら構わんと仰ったので、このようになった次第ですじゃ」

「……」

芸術家アントニと美狂いベリェッサ。示し合わせたように頷く二人は「ただの戯れですじゃ」「ただの戯れさ」とだけ述べていた。

やがて、展示会当日になった。

予定通りアントニの絵画は最も良い場所に飾られるだろう。最も目立ち、展覧会場のデザインとのバランスまで考慮してもらえる最上の位置だ。

そして、アントニの絵は、そこに飾られても負けないぐらいに美しい仕上がりであった。