A Wish to Grab Happiness

Episode 465: We Begin the Assault

十中八九が罠だと分かっている。獅子の口に自分から足を入れるようなもの。

そう分かっていながらも、時にそれをせねばならない時が人間にはある。即ち、追い込まれ足元に火がついた時だ。藁にも縋りたい気分と言う事だろう。

ガルーアマリア裏門前。予備兵と守備兵の一部を割いて編成された強襲部隊は、その足元の熱さに耐えかねて集められた者達だった。

総勢が二百名。予備兵、ガルーアマリアの志願兵すら集めたというのだから、とうとう後は無かった。

カリア率いる正面軍はにらみ合いを続けており、こちらの援軍には回せない。回した瞬間に敵が正面首元に食らいつけば、それで全てが終わるからだ。詰まり裏門側は手勢の兵で全てを補わねばならなかった。

紋章教兵バーナードは波打つ刃を軽く布で磨きながら、ただ突撃の合図を待つ。騒音が耳に鳴り響く度、目を細めた。

危険因子として予備兵に回されていた自分が使われる以上、よほど事態が深刻なのだとわかる。

きっとここにいる二百名は、全員が死ぬだろう。敵陣に強襲をかけるとはつまりそういう事だった。被害を負ってでも敵の首を傷つける為のもの。帰り道は用意されていない。

そこに少年兵や老兵、貧民窟の住人と思われる人間らまでいるのだから、バーナードは堪らなかった。長剣を思わず強く握りしめる。

バーナードの胸中は最高に複雑だ。英雄を憎悪する心はあり、されどサレイニオが手を尽くしたガルーアマリアという都市に愛着はある。よもや紋章教徒以外の手に渡す事等想像もできなかった。

ならば、心はどうあれ戦うしかない。しかし、本当にこれで良いのかという考えは尽きなかった。はて、サレイニオならばどうしただろうか。バーナードの胸中では先ほどからその問いかけが繰り返し行われていた。

答えの出ぬ問答の果てに、大きく鐘が鳴る。誰かの心臓の音が、ひと際強く耳朶を打った気がした。

「――前以外見るなよ! 突、撃ッ!」

一呼吸の後にそれは来た。唐突に、それでいて必然的に。

最初に飛び出したのは少年兵で、それに続いたのがバーナードだった。騎乗していた隊長格が蹄を鳴らす。誰もが声を出した。声を張り上げねば、二百という数で延々と続きそうな戦場に足は踏み出せない。

接敵は思ったよりもずっと直ぐ。陣を崩していた敵兵は、あっさりと強襲部隊の突撃を受け入れた。久方ぶりに敵兵の血が迸り、地面を濡らす。

最初に衝突したのは三十名ほどの小部隊だった。小休止に入っている間の先遣隊かそれとも見張り部隊か。その正体が判明する前に彼らは壊滅した。

後を失ったという焦燥が、ある意味で強襲部隊に勢いをつけさせていた。味方は歯を食いしばりながら声をあげ、一時的な勝利を謳う。そのまま勢いを殺さぬよう、次の突撃を開始した。

敵陣全体は動揺したようにうねっているが、未だ陣形は整い切っていない。今ならば、本陣にすら食い込める。

そのように見えた。けれどバーナードは眉を顰める。走りながらも眼がぐるりと周囲を見渡す。一度兵を率いた経験がある故か、戦場だというのに彼はやけに冷静だった。

そして確信する。やはり罠だ。バーナードは波打つ刃を振るいながら心でそう呟いた。

敵兵は一見ざわついているように見えるが、その割りには旗の動きが機敏だった。部隊が整然とした動きをしており、指揮官の声が行き届いている証拠だ。

奥へ、奥へと誘われている。緩やかに敵兵が後退をしているのは、恐らくこちらを決して逃げさぬ為。勇んで飛び込んだ強襲部隊を全滅させ、守備隊の士気を削ぐためだろう。

そう思いながらバーナードは何も言わず、また踵を返す事もなかった。自分たちがもう止まれない事を自覚していた。

戦役とはそういうものだ。その結果今度こそ絶命するというのならそれも悪くはない。バーナードはそんな風に考えていた。

――ゴ、ォオオッ!

鐘の音によって始まった強襲部隊の突撃は、獣の咆哮を合図に終わりを告げた。

魔術獣兵が陣の隙間を縫って現れ、先ほどまで散り散りになっていた敵部隊らが上手く重ね合わさってバーナードら強襲部隊を包囲し始める。

四方八方何処を見ても陣を整えた敵部隊ばかり。もはや突撃をすればそのまま死ぬのが素人にもわかる。

実に上手かった。敵指揮官は人の弱味を見て取る事を得意とするのだ。そうして弱目に落ち込んだ人間が何をするのかをよく分かっている。

周囲を取り囲む魔術獣兵、魔術装甲兵の類は優美ではなく勇壮だった。覚悟を決めたはずの強襲兵が、その唾をのむ程度には。

『魔術も使えぬ未開の民が、よくも思い上がり門を出たものですわね』

聞き覚えるのある女の声だった。数度裏門全体に投降の声を投げかけた敵指揮官だろう。だが今、声には僅かばかりあった柔らかみが消え失せ、人を嘲弄する為の声色に変じていた。

『ですが、ここでもう終わりです。潔く、文明を前に圧死なさい言葉を喋る猿共』

人を見下し慣れた声をしていた。強襲兵の誰もがその顔を険しくしていく。しかし下手に背を向けるような真似をすれば確実に死ぬだろう。

だから歯噛みしながら次善の策を考えるべく、死雪を踏みしめるより他はない。

取り囲んだ側であるボルヴァート兵はそう考えていた。それが追い込まれた者の通常の思考だ。

だが強襲兵の多くは、そのような事を一かけらも頭に入れはしなかった。ただどうやって敵指揮官を殺すかを考えていた。

ボルヴァート兵にとって不幸だった事が一つあるとすれば。この二百兵の多くは、時に味方であれ敵であれ、一度戦場で一人の男に出会ってしまっていた。

きっとあの男ならば、この場で諦めるような真似はしまい。確実に、笑ってさぁ奴を殺しに行こうとそう言うのだ。大半の兵がこの窮地に至って同じ男の事を思い浮かべていたのは偶然ではないだろう。

何せ紋章教兵を絶体絶命のこの戦場へ連れてきたのはあの男だ。紋章教兵は、彼に突き動かされ死すら覚悟して此処へと来た。彼がいなければ、紋章教兵の多くは此処にいない。

バーナードは思わず鼻を鳴らした。そして前を見る少年兵に向かって言った。周囲の兵らは追い詰められていながら、妙に生々しい戦意を有していた。

「行きますか、少年」

「はい。怖いっすけど」

少年兵も、老兵も、志願兵も不思議と見る先は同じだった。未だ馬上にあった味方の隊長格が、笑うような調子で言う。

「真っすぐに突っ込む! 死ぬときは一番最初に死んでやる! 全員、俺が死んでから死ね!」

誰かが何処かで言ったような言葉。同時、二百の兵の群れは敵本陣、真正面に突撃を開始した。

それは、ボルヴァート兵らにとって今日初めての奇襲突撃だった。取り囲まれて背を見せるでも、わざと作った層の薄い場所へ突撃するでもなく、ただ前へと突き進むような真似を通常の軍は行わない。

戦場特有の狂的な突撃だった。だがある意味それが彼らを延命させたと言って良い。

埒外の行動に、ボルヴァート軍の対応が一瞬の躊躇を生む。各部隊指揮官の声が初めて不揃いとなった。陣を整えた兵が数歩の足踏みをする。

その結果が、強襲部隊の突撃の成功だった。無事彼らは真正面から敵兵と噛み合い、十数名が当然に死んだ。敵も味方も、相応に被害を吐き出していく。

白兵戦とはそういうものだった。だがそれでも、兵が戦意を剥きだしに前進を続けるのであれば、背を見せ逃げるより遥かに兵は長く生存する。

だから、彼らは生き残った。

ボルヴァートと紋章教、互いの兵が歯を食いしばったその瞬間に。砂嵐は、来た。