A Wish to Grab Happiness
Episode 529: The Ownership Struggle
それは偶然だったのか、それとも意図的な誘導だったのかは分からない。けれど銀縁群青ヴァレリィ=ブライトネスが最後の魔性の首を刎ねた時、その男はすぐ背後にいた。
常日頃は獰猛な獣のような存在感を発している癖に、戦場においては妙に気配を殺す事に長けている、奇妙な男だった。
男は朱槍に両手を這わせて、潰走した魔性の群れを睨みつけ言った。
「よぉ、ブライトネス。丁度良かった」
「白々しい。騎士ならば率直に物を言え」
ヴァレリィに視線を向けながら、ガルラス=ガルガンティアは苦笑の色を肩に見せる。
白々しい、というのはまさに言葉の通り。ヴァレリィにしろガルラスにしろ、聖女に任じられた守護者であり軍の指揮官だ。
数個規模の群れの掃討に過ぎないとは言え、好き勝手に持ち場を離れられる身分ではない。
詰まり、ガルラスが態々此処にいるという事は、何かしら思惑あってという事。ヴァレリィは思わず不機嫌そうに唇を尖らせた。
心から物を言えば、ヴァレリィはガルラスと馬が合わない。
ヴァレリィが常に国家の盾であり剣であろうとするのに反し、ガルラスは何処か軽薄に感じられた。とてもではないが、何かに忠義忠節を尽くすという性質ではない。聖堂騎士なぞという役柄を望んだのが不思議に思われる。
ガルラスはヴァレリィの胸中を置き去りに、外套をはためかせ犬歯を見せて口を開いた。
「お前はあの二人の事を、どう思う。いいや、守護者だの英雄だのって言う事自体かねぇ」
やはり、ガルラスは騎士らしくないとヴァレリィは思った。騎士たるならば、より事実だけを明確に話すべきだろう。彼の言葉は奇妙に婉曲的だ。
「――どうも思いはしない。魔が潰え、旧教が滅び去るのであればそれでいい。貴殿は違うのか、ガルガンティア」
「悪い事にな、俺はお前ほど真摯に物を考えられねぇのさ。何かにつけて裏があるんじゃねぇかと勘繰っちまう……あの二人が、まともな人間に見えるかブライトネス。俺は見えねぇ。それ所か、ずっと魔性に近く見えるぜ」
あの二人というのが、誰の事を指し示すのかはヴァレリィにも察せられた。
即ちヴァレリィらと共に守護者に任じられた、使徒ジルイール=ハーノと、聖堂騎士ヘルト=スタンレー。
選んだ基準はこそ聖女と神のみが知るのだろうが。正直、両者の得体が知れないと言うのは、ヴァレリィから見てもそうだった。
ジルイールは元々はただの修道女でしかなかった女だ。魔術師の家系でも、軍事に関わりがある人間でも無かった。
だというのに、聖女に見いだされ使徒に任じられてからは、まるで別人のようにその異能を発し始めた。
そう、本当に別人のように。ヘルト=スタンレーにおいても、似たような話を幾つかヴァレリィは耳にしていた。
無論、類まれなる信仰の結果だと言われてしまえば何も返す事は出来ないのだが。奇妙で、不気味である事に違いはない。
ガルラスは更に言葉を付け加えた。
「過程と結論、より大事なのは過程だと俺は思ってる。間違った過程からは間違った結果しか得られねぇ」
「――ガルガンティア。そこまでにしておくと良い。見て見ぬふりはしてやる」
魔術鎧を身に纏いながら、ヴァレリィはガルラスを一瞥して言った。彼は唇を結びながら、ヴァレリィの頬を見る。
「随分つれねぇな。お前がそんなに信仰心が篤いとは知らなかったぜ。むしろ、国家への忠誠心が一番だと思ってたんだがよぉ」
ヴァレリィは、思わず魔術鎧の隙間からその眼を丸くした。よもや此の男から、そのような正当な評価が得られているとは思っていなかったからだ。こんな、獣のような男から。
だから、ヴァレリィは口を滑らせるようにして言った。魔術鎧から、大きな瞳が見えていた。
「ガルガンティア。確かに、何か間違いが起きているのかもしれない。それを、私達はみすみす見逃してしまっているのかもしれない」
けれど、と、ヴァレリィは唇を動かした。
「――だがどんな間違いがあったとしても。旧教徒どもがのさばっているのは、何よりも、致命的に間違っている」
奴らがいなければ、世はもっと穏やかだった。
奴らがいなければ、世はもっと幸福だった。
奴らがいなければ――盟友たるリチャードは己の隣にいたに違いない。
奴らがいたからこそ、今は全て最悪だ。狂的なまでに、憎悪を凝縮したような声でもって、ヴァレリィは言った。瞳は、その言葉以上に彼女の胸中を物語っていた。
◇◆◇◆
ガーライスト、紋章教連合軍が大天幕。重苦しい空気が張り詰める中、ぽつり、ぽつりと言葉が零れ落ちて行く。
「良いよ。詰まりエルフと、敵対がしたいわけだね。本当に、嫌になるね」
エルフの女王、フィン=エルディスの透き通るような声が天幕を突き抜けた。瞬間、誰もの表情が軋み、その背筋には冷たい汗が這って行く。
エルディスの声色は、決して冗談を語るようなものではなかった。
それに一番に反応したのは、聖女マティア。
「それは誤解ですフィン=エルディス。決して我らは敵意を持っているわけでは……」
場を宥めつけようとする極めて冷静な声。だがそれに乗じるようにして、二番目に反応したものがいた。
「いいえ聖女マティア。誤解ではないじゃない。禍根は決して後回しにすべきじゃないわ。彼はボルヴァートの使者でも、エルフの騎士でもなく、ガーライスト王国に属する者。そうでしょう?」
「――はい。紋章教の英雄です、王女」
応じたマティアの声に、今度はフィロスの白眼がつりあがり片眼鏡が傾いた。緊迫した空気が誰もの肺を重くし、痺れすら起こさせる。
その場は水が溢れかけた容器に近しかった。後僅かでも何かが注ぎ込まれれば、境界を超え、全てが致命的なまでに崩壊する。
ただ、誰もが後一歩――いいや半歩を踏み越える事を僅かな理性でもって押しとどめているに過ぎない。そんな風に見えた。
三つもの勢力の指導者が揃い踏むと、こうも酷い事になるわけだ。空気が弾けてしまいそうな天幕の中で、俺は救いを見出すようにリチャードの爺さんに視線を向けた。
爺さんは片手で頬杖を突きながら、俺と視線を合わせる。どうやら俺の意志が通じたようだ。爺さんは無言のまま雄弁に、目線で物を語った。
――お前が、早く纏めろ。
ぶん投げやがった。
嘘だろう。俺がこんな、煮焦がした鍋みたいな状況を纏めなきゃあならないのか。それは何時もアンの奴の仕事だったはずなのだが。周囲を見渡しても彼女の姿が見えない。
畜生。何時も飯や酒を奢ってやっていたのにこんな時に限って姿を眩ます。きっと王都でほくそ笑んでいるに違いない。あいつはそういう女だ。
「……今はそんな事を話している場合じゃあないだろう。ボルヴァート朝は連合軍が敵か味方かで戦々恐々だ。早く使者に応じてくれ」
「そうだねルーギス。所詮は、そんな事だ。君が一言、僕の騎士だと明言してくれれば良い」
エルディスの幻影が、面白いように話をひっくり返して俺に笑顔を向けた。その笑顔から奇妙な怒気を感じるのは気の所為だろうか。どうやら、俺を逃がしてくれる気はないらしい。
まぁ、そう言えば気が済むのなら安い気もするのだが。俺が口を開く瞬間に、マティアが言葉を食いちぎった。
「いいえ。彼が紋章教の英雄である事はもはや内外に示されている事。契約も果たされている以上、無用な混乱を生むことは避けるべきでしょう」
契約とは何の話だろう。
記憶を辿ってみたが、紋章教と何かしらの契約を交わした記憶がまるでない。だがマティアが態々言葉に出す以上、何か意味がないとも思えなかった。
再び天幕の中が痺れそうな緊迫に凍り付きた頃合いで、ようやく一人の将官が声を漏らした。誰もが耐え兼ねていた空気の中、何とか軍議の場に戻そうとしていたようだった。
「されど王女殿下。此れは好機にございます。ボルヴァート朝が混乱の坩堝にあるのであれば、真に包囲占領を成す事も可能。ボルヴァート朝は都市国家群へ進攻した身であればこそ、大義も成ります。今後、魔性と戦う上での後顧の憂いも無くなりましょう」
将官が、熱気を込めながらも落ち着き払った声でそう言った。言葉一つで何かに引き戻されたように、全員の顔つきが鋭利さと熱を取り戻す。一瞬、フィアラートがその黒瞳を揺らしたようだった。
将官の言葉は、正当なものに聞こえた。確かにボルヴァート朝は魔性に突き動かされたとはいえ、進攻行為を行った身だ。
その点への反攻行為として首都を攻め落とせば、万全の態勢で今後魔性共に対抗する事が出来る。一見すれば素晴らしい。間違っちゃあいないんだろう。
此の軍の司令官であるフィロスが、黒色の軍服に身を包みながら唇に指を当てた。王女には将官の言葉が一考の価値があるように思えたらしい。
「――ルーギス。お前の意見が聞きたいわ。お前は私に王冠を被せてくれるんでしょう。私の栄光の為に、言いなさい」
フィロスの言葉に、思わず頬を拉げさせて目線を細めた。
それは勿論、俺が言った言葉ではあるのだが、もう少しこの場に相応しい言葉選びがあったのではないだろうか。
フィロスの所為で周囲からの視線が刺々しいものに変貌した気配があった。奥歯を数度鳴らしてから、声を整えて口を開く。
「――そうだな。もう人類同士で戦役をしてる暇はない。どうしてもするって言うのなら、ボルヴァート側に付いてでも止めるな」
フィロスは俺の言葉に頷き、言った。
「ではそうしましょう。方針は決まったわ。ボルヴァートの使者を迎えるように」
フィロスの言葉に応じ、将官や兵らが忙しなく動き出した当たりで、ふと、思った。
もしかすると今、俺はフィロスの手によって壮大に責任を背負わされたのではないだろうか。
傍らで、カリアが大仰にため息を吐く音が聞こえた。