Alice Tale in Phantasmagoria
procrastination
「んぁ……は」
喘ぐような艶めかしい声は自分からなのだと、ぼんやりと理解した。
えずくようにだらしなく舌を出して犬のように四つん這いになっている。
それしかできない。
逃げることも戦うことも考えられない。
身体が火照ってどうしようもない。
「うっふふふ、あはっ! いいわぁアリス。もっと……もっと自分をさらけ出しなさい! そして媚びるの、この私にね!」
目の前に持ってきた椅子に座って、カルメルは俺を見下ろしていた。
恍惚とした顔で、光彩のない病んだ目で。
「あぁ……あつぃ……」
服を握りしめる。
本当に、全部脱ぎたい。
頭に霞がかかったように、うまく思考をまとめられない。
「ベッドで愛し合う前に、忠誠を誓ってもらおうかしら? ねえアリス、足を舐めなさい」
足を組んだ素足を俺の目の前にぶら下げて、カルメルが嘲笑している。
……こんにゃろう。
「誰が……あなたなんかに」
「……」
すぅっとカルメルの目が据わる。
「あ――かはっ!!」
突然動いたかと思うと、首を絞めつけられた。
「ねえアリス? アリス? 立場をよぉく考えてみてくれない? あなたはもう籠の鳥なの、どうしようもないの。私にかしずくしかないの、理解して?」
「あ……が……かふっ! ごほっ!」
意識がブラックアウトしかけたところで打ち捨てられた。
「まあいいわ。じゃあちょっと面白いものを見せてあげる。こっちに来なさいアリス」
と言われても立てない俺の足を引きずってカルメルは歩き始めた。
……力はそれなりにある。
行き止りの壁かと思われた場所で何か操作すると、それは跳ね上げ戸になって開いた。
隠し扉……奥は暗闇に包まれているが地下につながっているようだ。
「あはっ、さ、行きましょう?」
「!? ま、まって――」
懇願むなしく、俺は階段を引きずられながら地下に降ろされた。
◇■◇■◇
暗い地下室に魔鉱石のぼんやりした光が広がっている。
1部屋分くらいの広さがあるそこに、奇妙な植物が植えられていた。
木の幹は無く、大きな蔓が絡み合って一つの大樹になっている、そんな風に見える植物だ。
ただしその蔓はタコのようにうねっており、植物というよりはグロテスクな生物だ。
「どお? アリス?」
髪を掴まれて持ち上げられる。
「……」
「だめよアリス、まだちゃんと正気を保っていないと」
正直気力が尽きかけている。
ボロボロだ。
リジェネレイトローブのおかげでダメージは癒されていたが、それもさっきはぎ取られた。
今は下に着ていたスリップドレスのみ。
「あは、そそるわね……」
粘つくような視線で全身を見られるとさすがに鳥肌が立つ。
しかも薬のせいでやはり身体もおかしい……
気を紛らわせるように植物に意識を向ける。
「……これは……?」
「名前はまだないけど……そうね。マザー。マザープラントってところかしら?」
禍々しい見た目のこれが、お母さん?
冗談じゃないでしょうよ……
「エルフは出生率が低くていけないわ。寿命が永いせいでのんびり屋な人が多いのも問題ね。私はひっそりと森で静かに暮らすなんてつまらないの」
気持ちは分かるが、それならそれでティルみたいに旅でもすれば……
いやそうか、エルフは外ではどんな目に合うのか分からない。
希少種ならではの弊害だ。
危険は多い。
ティルは圧倒的に強いからな……自分の身は自分で守るというやつだ。
「だからもっと強い力が必要だと思ったの。世界と戦えるような力がね」
ぼんやりした頭でカルメルのいう事を聞く。
しかし……いろいろツライ。
俺の様子を流し見てカルメルが微笑んだ。
「はぅっ!」
突然カルメルに……胸を掴まれて驚いて声が出た。
……他意はない。
「これにね、餌を与えてあげるの。そうするとエルフの出生率の改善なんてあっという間よ。どんどん子供が生まれるようになるわ」
「……クローン」
言わんとすることが理解できた。
明らかにまっとうな物だとは思えないので、おそらくそういう事だろう。
「数は力だもの。ヒューマン共が大きい顔をしていられるのも今のうちだわ」
「……どうして、一括りに嫌いだってなるんですか」
やっぱりこいつも差別主義者か。
エルフが先なのか、ヒューマンが先なのか……負の連鎖だとは思うけど。
「だぁってぇ? 嫌いなものは嫌いなんだもの。理由、いる?」
「――っ」
強く身体を弄られて……何とか声を押し殺した。
「あはっ……本当はね、アリス? あなたをこれの餌にしようと思ってたの。これ、人を養分にするから。でも気が変わったの。勿体ないわ。アリス、あなたは私の玩具になりなさい」
「――触るな!!」
なけなしの力で抵抗してカルメルの拘束から逃れる。
力が入らず膝が崩れ落ちるので、ほとんど意味をなさないが……
「……まだ躾が足りてないようね」
「――ひっ」
その冷たい声に、不覚にも悲鳴が出てしまった。
先ほど痛めつけられた記憶が否応なく身体を震わせる。
『カルメル様! 脱走されました』
カルメルが持っていた魔鉱石から、そんな声が届いた。
興を削がれたカルメルが舌打ちしながら魔石を取り出した。
「……どういうこと? やはりティルベル様は一筋縄ではいかなかった?」
『い、いえ……氷雪の魔女殿は寝ておりましたが……その、紅い娘が』
「紅い……魔族の?」
『魔法を……使っております!』
「……馬鹿を言わないで」
『本当なのです! あの娘だけが魔法を……! きゃっ――』
轟音と共に、通信が途切れた。
「……どういうこと」
「魔封じの法具を中和する方法……なんてものが歴史の中にはあったのかもしれませんね」
かなり遠距離だから封印解除は難しいかと思ったけど……!
「…………あはっ、あはははっ! 魔族の娘か。戦力としては面白いわ」
カルメルは暗く嗤った。
「アリスには私の子を産ませる……あの魔族の娘には――餌になってもらいましょうか? あはっ!」
◇■◇■◇
――side:エクレア――
「どきなさい! ぶっ飛ばすわよ!」
既に招かれた家の囲みは突破して、森の道を走っている。
「もうぶっ飛ばしてるけどな……」
「うっさいわねシオン。立ち塞がるものは薙ぎ倒す、常識よ!」
「そうだったかねぇ」
その間次々とファイアの小規模な爆発で立ちふさがってくるエルフたちを吹き飛ばす。
お互いに魔力が使えない状況というのは諸刃の剣。
あっちも戦力は激減してるって訳ね。
ましてエルフは非力で魔力に特化してることが多い種族だし。
「で、それは大丈夫なのか?」
シオンが右目を覗き見てくる。
正直痛いくらいの魔力に溢れている『魔眼』。
「ふんっ。大気のマナを遮ってくれてるから、逆に絶好調なくらいよ」
この魔眼のやっかいなところは、自前で魔力生成してしまうところだ。
だから普段は内と外の両方から過剰に魔力を注がれてしまい……オーバーヒートする。
「ったくあのバカ。いきなり魔眼の解放なんて……こっちにも心の準備があるっての!」
「ふふ、その割にアリスが危ないって一番に駆け出したじゃないのさ」
「し、仕方ないでしょ! あの子魔法が使えないと雑魚いんだから!!」
ほんと、人に心配ばっかりかけるんだから!!
事情は締め上げたエルフから聞いている。
簡単に口を割るところを見ると、あのいけ好かないエルフのお嬢さんはそれほど忠誠心を持たれてる訳じゃないみたいね。
「それよりシオンは大丈夫なの?」
「正直キツイね。この森、法具で魔法が制限されてるのとは別にやっぱり魔力を持たない人間は脱力するみたいだ。今も半分も力が出ない」
となるとシオンの力は実質1程度、速さもおそらく半減ってところかしら?
ソルトって人の方も同じみたいね。
視線を向けると険しい顔で追随する黒ずくめの男が目に入った。
やっぱり灰の森は厄介だわ。
「お師匠さんはどうなってるのよ?」
「なんだか古い知り合いに用があるって、出て行ったけど?」
「ふらふらするところは良く似てるわね! ほんとに母子なんじゃないの……」
「ははっ、ま、違和感はないね」
ま、いいわ。
それよりアリスよ。
あの子……ああいう下心ある視線ってのに慣れてなさすぎなのよ!
あんなに綺麗で女の子らしいのに、ほんと隙だらけっていうか……
「……シオンはどうしてアリスを一人で行かせたのよ」
半眼でシオンを睨みつける。
あの時止めたのはシオンだから。
「アリスなら友達になるかもしれないと思って」
「なるわけないでしょっ!」
時と場合を考えなさいよ!
ほんとシオンも勝負師なところがあって困るわね!
「悪かったよ、先の事は読めないし。ある程度アリスの事は認めてるから、心配だけどね」
だから自由にさせてるって事か。
……それじゃエクレアが束縛してるみたいじゃないの!
顔が熱くなるのが分かった。
シオンがそれを見て小さく微笑んだ。
……余計恥ずかしい。
「! また来た……っ」
現状シオンもソルトも戦力的には厳しい。
ならこのエクレアがやるしかないでしょ。
魔眼から魔力を引き出して魔法を組み上げる。
その際に特別な式も入れて――
「食らいなさい、ファイア!」
狭いけもの道に立ちふさがるエルフの住民をあまり怪我をさせないように吹き飛ばす。
あんたたちに恨みなんてないし。
そうこうしている内にアリスが招かれた家に到着した。
さすがに飛び込むような真似はせず、戸口からそっと中を伺った。
「……ねえ、堂々とあの女がお茶をしているように見えるんだけど?」
「ま、そう見えるね」
優雅に一人でお茶を楽しんでいる。
ただしアリスの姿は見えない……
「罠……?」
「どうかな、どっちにしろ――」
「四の五の言っても埒があかん――」
「あ……」
シオンとソルトが揃って扉を蹴破った。
まったく……どっちが頭に血が上ってるんだか。
遅れて部屋に踏み込んだ。
「今晩は、野蛮人の方々」
「アリスはどこだ?」
白々しい挨拶を無視してシオンが辺りを見渡した。
それにカルメルとかいう女は露骨に溜息をついて見せる。
「やはりヒューマンという種族はダメですね。生理的に無理です」
「それは悪かったね、で、アリスは?」
シオンが得物に手をかけた。
……今の力で千本桜を振るえるのかしら?
「早く言え。今のままでも貴様を切り裂くくらい造作ない」
ソルトが双剣を抜いて切っ先を向けた。
こいつって……アリスの事好きよね、どう考えても。
「あはっ、いいでしょう。そういえば、あなたたちのご用件は3時転職の為の遺跡のボス、でしたわね?」
「……それがどうしたのよ?」
不吉な物言いに警戒する。
「面倒なので、今ここで戦わせてさしあげます」
カルメルが指を鳴らしたと思うと、地鳴りがした。
振り向くと、たった今まで何もなかった屋外の広場に転送陣が煌めいて――中から魔物が現れた。
――トロール・キング LV99
「――またぞろ……デカブツね!」
森の木々よりも大きく醜悪な魔物が咆哮を上げた。
筋骨隆々というよりは脂肪で盛り上がったような身体つき、皮膚は緑色、目玉は一つ。
動きは鈍そうだけど力はある、明らかに。
耐久力もありそうだし今の二人には……ここはエクレアしかいないわよね。
「こっちは引き受けたから、アリスの事お願い!」
「……分かった!」
シオンが頷いてくれる。
それなりにエクレアの事も認めて貰えてるのかな?
ちょっと嬉しい……
「あはっ、私あなたの事も欲しかったの。ちょうど良かったわ、紅の魔族さん? ――ああ、アリスならそこの隠し扉から下に降りた部屋にいるわ? どうぞご確認を」
あっさり白状するカルメル。
……ほんっと、こいついけ好かない女ね。
「あの子が無事じゃないようなら、あたしはあなたを切るよ、カルメルさん」
「まあ怖い。野蛮ね」
肩をすくめてシオンとソルトは隠し部屋から地下に入って行った。
その間トロールは唸り声はあげながらも、襲いかかってはこない。
「どうしたのよ、家を壊されては困るって訳?」
「あはっ、少しあなたとお話ししたかったのよう。薄汚い魔族さん」
「……まったくこれだから選民思想のエルフは」
言いながら自分の家族も大差ないかと自嘲してしまう。
「見ればあなた、なかなか好みの顔をしてるわ。アリスの次くらいにね。あなたが私にかしずくなら、この場は収めてあげても良いわよ?」
「冗談、あんたなんかに頭を垂れたら最強の弟子の名が泣くわよ」
「最強……?」
胡乱げな顔をするカルメル。
そう、最強といえば当然アリスのお師匠さんの顔を思い浮かべるでしょうけど。
「炎は至高! 世界で唯一が魔炎の弟子、エクレア・サクラメント――行くわよ!」
堂々と名乗り上げると気分は爽快だった。
自然と口角が吊り上り、牙が顔を出したのが分かる。
上等よ、いっちょやってやるわ!
未だ様子見を決め込むトロールにこっちから飛び込んでいく――