Amaku Yasashii Sekai de Ikiru ni wa
Chapter 199
――傭兵四人組と共にパニーア商会の歓待を受けてから数時間後。
ポリオ達や傭兵四人組との夕食を終えて宿に戻った俺とリヒターさんとユリアは、本日得た情報を改めて整理していた。
「上手くことが運びそうでよかったですね、ドイル様」
「ええ」
二つのベッドに小さめ椅子が二脚備え付けられた円形のサイドテーブルでほぼいっぱいな宿屋の一室。その中で俺とリヒターさんは俺が使用しているベッドに、ユリアは椅子に腰かけ向き合っている。
「傭兵達もドイル様のことが気になっている様子でした。あの様子ならパニーア商会が駄目でも、傭兵達の噂を聞きつけた上層部が動く可能性は高いでしょう」
「そうですね。不安要素はありますが、思ったよりは良い出会いだったかもしれません」
そんな会話を交わす俺とリヒターさんに、ユリアがふふっと上機嫌な笑みを零す。
「どうでしょう? ドイル様とリヒター殿の懸念を除いてもあの商会は中々闇が深そうですよ?」
キオノスに進められるがまま結構な量の酒を呑んでいたユリアはほろ酔い気分なのか、机に頬杖をつきながらクスクスと楽しそうに笑い意味深な言葉を口にする。その愉しげな様子に眉をしかめながら俺はユリアにその言葉の意味を問うた。
「……どういうことだ? というか、呑みすぎだぞ。ユリア」
「御馳走を二つも前にして味見もせず我慢したのだから仕方ありません。あのパニーア商会のメランという男とキオノスという青年の心の内は負の感情が一杯で、とっても美味しそうでした。あれだけの魔道具に囲まれていれば少しくらい味見してもバレないのではと思いましたが、ドイル様とのお約束があったのでお酒で我慢したんですよ?」
不満気な表情を浮べつつ「偉いでしょ?」とのたまうユリアは、まごうことなき酔っ払いである。魔王の末裔でも酒で酔うのかと呆れながらも、俺は彼女達の情報としてその醜態を記憶に刻む。とその時、脳裏にある疑問が過った。
「魔力を動かしている気配はないから放っておいたんだが、繋げなくても負の感情の有無がわかるのか?」
彼女達は食事の時、獲物に魔力の根のようなものを伸ばす。木々が地面から水を吸い上げるような感覚らしく、根の太さや同時に繋げる本数は個人の資質によって変わるそうだ。ちなみに負の感情の種類によって味が違うそうで、ユリアは嫉妬が好みらしい。
そんな豆知識を思い出しつつどうなんだと視線で返事を促せば、彼女は首を縦に大きく振って答えた。
「もちろん。ドイル様達だってツヤツヤな肉塊を目にしたら美味しそうだなと本能的に思うでしょう? それと同じような感覚です。まぁ、どんな感情を抱いているのかは食べてみないとわかりませんが……」
そう言って期待の籠った眼差しを寄越すユリアに、俺は少しばかり逡巡する。
彼女達の性質上、見ただけで負の感情を見抜けるというのは正直盲点だった。目の良い亜人と鉢合わせてユリアの正体が露見すれば面倒なことになると思い、買い取り所などに行く際はリヒターさんと共に留守番してもらっていたが、場合によって連れて行った方がいいかもしれない。かなりおおまかにではあるが、ユリアがいれば悪意の有無がわかるということだからな。誰に向けてのものかわからずとも、面倒事を避けるには大変役に立つだろう。
そして今回のような場合、メランとキオノスの抱く感情の種類が判明すれば、パニーア商会の内情や裏を調べる際の指標になるかもしれない。むやみやたらと情報を集めなくて済む分、時間の短縮になるだろう。
ただしユリアの能力は性能のいい魔道具で防げることがわかっている。商人として成功している彼らが精神防御系の魔道具を身に着けている可能性は高く、俺達といる時に反応したとなれば間違いなくひと悶着あるだろう。
「機会があれば、だな。利は確かにあるが露見した時の危険性が高い」
「味見なら一瞬で終わりますよ?」
「三人が身に着けていた宝飾品のいくつかは魔道具だ。どんな効果を持っているわからぬうちは止めておけ」
名残り惜しそうに食い下がるユリアにポリオ達が着けていた宝飾品を思い出しながら告げれば、彼女は目を丸くして驚く。
「え。本当ですか? 魔石の気配なんてまったく感じませんでしたよ?」
「己の魔力で発動させる仕組みなのだろう。さすがにどんな効果なのかまではわからなかったが、微かに魔力が残っていた。あれは恐らく職人が陣を刻んだ時のものだ」
魔力の感知はできても、鑑定のスキルを持たぬ俺では詳しいことはわからない。そうでなくても、相手がスキル感知系のスキルを持っていたら、探ったことがバレて不快感を抱かれるだろう。
……ルツェの父や祖父ならば気取られぬように鑑定する術を持っていそうだけどな。
目がいいと評判のヘンドラ商会の面々を思い浮かべそんなことを考える。まぁ、いない者のスキルに想いを馳せても仕方ない。
「まぁ、ラファールやアルヴィオーネが戻ってきたら、どんな陣が刻まれた魔道具なのか見てもらおう。精霊である彼女達ならば見つからずに近づけるし、万が一、調べていることが発覚しても誤魔化しがきく」
「……わかりました」
残念そうに頷いたユリアは食べられないとわかってやる気をなくしたのか、もしくは酔いが回って限界なのか、そのまま机に突っ伏した。
そんな彼女の様子にリヒターさんと顔を見合わせて苦笑する。しかしそれもつかの間、おもむろに表情を引き締めたリヒターさんが口を開いたことで、部屋の空気が再び真剣みを帯びる。
「ドイル様が仰っていたエルフの少女の件ですが、いかようにするおつもりですか? いくらこの地が亜人達との境にあるとはいえ、エルフが姿を見せることは珍しい」
「ええ。わかっています」
リヒターさんの指摘に頷く。恐らく俺の顔は大変渋い表情を浮べていることだろう。
彼の言葉通り、フォルトレイス内であってもエルフという種族は珍しい。元来エルフとは、長命で魔力が多く、ほとんどのことを自分達でこなすことができる。そのため、どこかの森の中にある自分達の住処の中で自給自足の生活をしており、外に出て来ることがほとんどない種族だ。フォルトレイスで過ごし今日で十七日目だが、その間にみたエルフは昼間の少女を合わせて三人ほどである。
「とりあえず、パニーア商会について探ります。珍しいですがエルフの傭兵がまったくいないというわけではないので、彼女は雇われの身ということもありえる。もし、エルフの里と揉めているなら商会を調べる最中で判明するでしょう。それまでは言質も物証も与えず、取引もしないつもりです。ただ……」
今後の予定を告げた俺は、一抹の疑念を口にしようかどうか迷う。そんな俺の胸中を見透かしたのか、リヒターさんが今まさに言おうとしていた名を上げた。
「マリスとゼノスですか?」
「ええ。ユリアの予想ではハンデルかアグリクルトかフォルトレイスのいずれかにいると思われます。エルフの里が動くような事件が起こっているならば、彼らが暗躍している可能性は高い」
俺の言葉に深く頷いたリヒターさんは真剣な眼差しで告げる。
「盗賊団の方も怪しいかと。あの剣筋は明らかに素人ではありませんでしたし、彼らからは軍独特の規律正しさを感じました。どこかの国が人知れず崩壊し身を落としたのか、戦を仕掛けようとしているのか。彼らの真意は調べてみなければわかりませんが」
「たまたま襲われたのか、パニーア商会だから襲われたのかも調べた方がいいですね」
リヒターさんの言葉にそう返したところで、俺はふと傭兵達の会話を思い出した。
『全員獣人ってことは、こいつらが最近噂の盗賊団か』
『だと思います。どうします?』
『噂が本当なら、積み荷は諦めた方がいいだろうな』
『やっぱり……。あー、もう! 折角今晩は美味いもんが食えると思ったのに!』
隊長のカネルと曲刀を背負った青年ヒューゴは、軽い口調でそんな会話を交わしながらも迫る盗賊達から目を離すことなく、落ち着いた様子でそれぞれの得物を抜いていた。
「……そういえば、カネル殿は盗賊達が全員獣人だと知るや否や『こいつらが最近噂の盗賊団か』と口にしていました。そしてそれをヒューゴ殿が肯定して……」
「! 本当ですか?」
「ええ。カネル殿達の口ぶりを思い出すに、あの盗賊団についてなにか知っていたのかも。だから彼らは荷馬車をそうそうに諦め、商人達の居る荷馬車の側から動かなかった」
出会い頭にカネルとヒューゴが交わしていた会話を思い出しつつ、リヒターさんに告げると同時に、己の視野の狭さを自覚し舌打ちを零す。
「すみません。もっと早く彼らの言葉を思い出していればあの場で聞けたのに……」
「いえ。カネル殿達が知っていたというのなら話は早い。明日、カネル殿や彼らと親しくしている者達に話を伺ってきます。先程の席でドイル様の身分に感づいた以上、突然会いに行っても向こうは無下にはできないでしょう」
「だといいんですが……とりあえず明日の狩りは休みにして、各自情報収集ということでいいですか?」
「はい」
とりあえず今後の方針が決まり、リヒターさんと明日の予定を確認していたその時、バンッと窓が開き少し強めの風が髪を弄び、俺は反射的に目を閉じた。
「な、なに!?」
暗闇の中、酔いつぶれて机に懐いていたユリアが飛び起きたのを感じ取ると同時に、見知った気配が二つ部屋の中に満ちていることに気が付く。
肌に感じる馴染み深い気配になにが起こったのか理解したところで、吹き抜ける風に舞い上がる銀髪を片手で押さえつつ薄く目を開ければ、思ったとおりラファールとアルヴィオーネの姿が見えた。
「――お帰り。ラファール、アルヴィオーネ」
彼女達の気分の高揚を窺わせる荒っぽい帰還に苦笑しながら出迎えの言葉を送れば、二人の顔に笑みが浮かぶ。
『『ただいま! 愛しい子(ご主人様)』』
そして元気いっぱいな精霊達の声が部屋の中に響いた。
『あのね、これ愛しい子にお土産。この地に住む精霊達から貰ったの』
嬉しそうな笑みを浮べたラファールがそう言いながら俺の手に乗せたのは、クルミ大の魔石だった。緑に青、赤や黄と色とりどりなそれらは、ジャラジャラという音共にたしかな存在感を俺の手の上で放つ。
……これだけで一財産になるな。
精霊の住処で長い長い年月をかけて育ったのだろう。宝石など比べ物にならないほどの透明感と輝きを放つ魔石は恐ろしいほどの魔力を秘めていた。
これだけ純度の高い魔力が詰まった魔石だ。セルリー様辺りに渡せばとんでもない威力の魔道具が出来上がるし、市場に出せば様々な諍いを生む。脳裏に浮かんだ想像に戦慄するが、チラリと目の前にいるラファールは優しい眼差しでニコニコと笑っている。
『綺麗でしょう?』
若干扱いに困る代物であるが、柔らかな声で尋ねる彼女にとっては綺麗な花が咲いていたから見せたくて摘んできたくらいの感覚なのだ。そんな彼女なりの優しさを無下にすることなど、俺にはできない。
「ああ。すごく綺麗だ。ありがとう」
喜んでほしいという気持ちが滲み出ているラファールの言葉に頷きながら礼を述べれば、彼女はますます嬉しそうに笑う。
『よかった!』
『よかったわね、ラファール』
『ええ』
喜ぶラファールに会話が一段落するのを待っていたアルヴィオーネは仕方ないわねといった表情を浮べながらそう相槌を打ったあと、俺へと目を向けた。
『それで、ご主人様。私達がいない間に問題はなかった?』
存外面倒見がいい彼女らしい第一声に若干のくすぐったさを感じながら、俺は今日一日の出来事を思い出す。
「あったような、なかったような、という感じだな」
『それは結局どっちなの?』
はっきりしない返事に少し苛立ったのかそう答えを急かしてくるアルヴィオーネは、心配してくれているのだろう。そんな彼女に気が付かれないよう小さく笑いながら明日の予定を思い浮かべた俺は、二人の力を借りるため口を開く。
「そうだな。アルヴィオーネ達の力を借りなければいけない事態はなかったが、協力してもらいたいことができたんだ。悪いが明日からは俺に付き合ってもらえないか?」
『最初からそう言いなさいよ』
「悪い」
『まぁいいわ。この辺りの精霊達には会って来たし、水脈も確認したし。そろそろここの観光したかったのよね』
照れ隠しなのかそんなことを言うアルヴィオーネに今度は隠すことなく笑みを浮べれば、ユリアとリヒターさんに声をかけるために器に入ったラファールが振り返った。
「なぁに? 明日は一緒に王都を見て回るの?」
「調べたいことがあるんだ。手伝ってくれないか?」
「もちろん!」
どこかウキウキとした顔で問いかけてくるラファールにもそう尋ねれば、迷いなく軽快な声が返ってくる。そんな彼女に礼を述べ、リヒターさんとユリアへと顔を向ければ、わかっているといった表情で二人は頷いた。
「では、俺とユリアは盗賊団について調べてきますね」
「お願いします。ユリアは目を付けられないよう気を付けるようにな」
「承知しておりますわ」
そんなこんなで明日の話がまとまったところで開け放たれた窓の外を見れば、細い三日月が落ち始めていた。
「――ドイル様。明日に備えてそろそろ寝ましょうか?」
「そうですね」
リヒターさんの提案に頷きながら俺は窓を閉めるべく立ち上がり、窓枠に手をかける。そうして見えたのは、石造りの家々とそこに眠る人々を守る堅牢な城壁、その外に広がる平原と所々で揺らめく焚火の光。平原で野営している人たちの奥をまっすぐ進めば、自然豊かなアグリクルトがあり、その先は多くの人と物で溢れかえる商業国家ハンデル、そこを抜けると岩山に囲まれたエーデルシュタイン、山々を越えた先にはマジェスタがある。
ここへ来るまでに出会った沢山の人と美しい景色の数々、そして生まれ育った地やを想いながら俺はそっと窓を閉じる。
そうして寝る準備をするためにリヒターさん達へ振り向いたのだった。