Another Life

The one who leaps

東暦6年4月9日金曜日早朝。クロエの朝は早い。

クロエは、平日ならば、どれだけ酒を飲んで帰って来ても、毎朝5時には、起きて風呂に入り、出勤の準備をして、空間転移で連合軍本部まで蘭達と出勤し、打ち合わせをして左近を迎えに行く。

世界が変わろうが、何処も似たような生活である。まぁこの世界の勇者は、空間転移があるおかげで、通勤ラッシュとは無縁の生活なのだが。

そんなクロエが、毎朝の日課である朝風呂に入り、住んでいるのが女性ばかりだからか、裸で部屋に入って来て、化粧台の前に座ると、鏡に映る自分のベッドの上に、誰かが座っているのが見えたのである。

しかもその者は、死神特有の喪服のスーツを着ており、髪は栗色のボブで、スーツの上からでも分かる胸で、女性だと言う事は理解できた。そう、ヴァルキュリアのスクルドである。

クロエは、驚きのあまり、一瞬声を出しそうになったのだが、何とか我慢して、然り気無くアイテム・ボックスから、死神の指輪を取り出そうとすると、足を組んでクロエを見ているスクルドが言ったのであった。

「無駄な事は、止めた方が良い。この世界と、向こうの世界の通路は、ランドグリーズによって破壊され、往来が出来なくなっているので、カイン様は、いくら呼んでも来れないぞ」

そんな……ならば、必中のついた剣で……

「その剣で刺し殺そうとするのも、止めた方が良いだろう。知っての通り、ヴァルキュリアは不死の者達だ、どの様な攻撃も意味が無い。

それならば、お前は空間転移で逃げようと考えるだろうが、それも止めておいた方が良いだろう。

最初は、ナッソーの佐倉家別邸だろうが、私に行き先を当てられた事で、次は意外性を考えての、アルム砦のパンドラの執務室。だがそれも、瞬間移動が使えて未来が見える私には、全くの無意味な事だ」

その言葉に、クロエは、最早どうしようも無いと思ったのか、交渉を選択する。

「その言い方ならば、何か私に言いたい事がある様ね」

クロエの言葉に、スクルドは立ち上がると、笑みを浮かべて言ったのである。

「さすがは、私の部下になる者だ。頭の回転が早く、上手く感情をコントロール出来ている。

先ずは、お前達のアイリス暗殺計画だが、このままでは、ラーズが実行する事により、東部連合とバストレラ王国だけでは無く、北方連合軍(ノースユナイテッド)との戦に発展してしまう事になる」

……どうして、その事を?

いや、そもそも、私がこいつの部下になると言う事は、私が死神になるってこと?

未来が見えるって言っていたし……この様子では、どうやら、この死神は、その未来を変えたい様ね。

「その言い方だと、その戦を回避させろって聞こえるのだけど?」

「正解だ。今、北方連合(ノースユナイテッド)と戦争になれば、必ずや東部連合は負けてしまい、佐倉殿と、お前は死んでしまう。

お前と佐倉殿が死ぬのは、ここでは都合が悪いんだよ……そこでだ、その戦争を回避する切っ掛けをお前に作ってもらう。

明日の朝、ポートシティに出発する時に、佐吉も見送りに来る。その時にお前は、篠山が今日は休みの事と、ベーグルを食べたいと、2つのキーワードを言えば良い」

「……それだけか?」

思わず拍子抜けするクロエに、スクルドは「そんな事も知らないのか」と言わんばかりに、鼻で笑い答えたのである。

「未来を変えるのは、手遅れになる前ならば、些細な切っ掛けで十分だ」

そのまるで見下した様な、スクルドの態度に、クロエはムスッとしながらも言ったのである。

「それで、そちらは何が望みなの?私を、今すぐにでも死神にするつもりなの?」

「死神は、お前の方から、死神にしてくれと頼んでくるので、そんな事はどうでも良い。それよりも私の望みは、佐倉殿に会う事だ。

明日の夜、サン・ルチアの馬車の倉庫で待っていると、佐倉殿に伝えてくれ。一人で来る様に、私が言っても、どうせ来るだろうから、お前とバスティアンの二人は、許可しよう」

だ、誰が、お前なんかに頼むか!

思わず反論しそうになったクロエであったが、一度深呼吸して質問する。

「何故、陛下に直接言いに行かない?わざわざ、私に話を通さなくても、直接会えば良いだろう」

「それは、無理だな。いきなり会えば、佐倉殿は、ラーズに相談し、裏で動くだろう。

だが、おまえがこの事を話せば、佐倉殿は、誰にも言わないだろう」

……つまりは、誰かに言えば、私を殺すと、暗に陛下を脅迫していると言う事か。この私が、人質にされるとは……

そう思ったクロエは、悔しさからか、唇を噛みしめて答える。

「分かった、伝えておこう」

「伝えるのは、ポートシティに到着してから、夕食時に二人になった時だ。アイリス暗殺の事は、言わなくて良いからな」

そう言ったスクルドは、姿を消すと、クロエは悔しさからか、化粧台の隣に置かれていた、大きなぬいぐるみを、ベッドに投げ付けて、怒りをぬいぐるみにぶつけていたのであった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

そして翌日の4月10日土曜日。スクルドの予言通りに、バスティ以外は、フードに面貌と、フル装備の姿で、早朝から左近達がアイリス達に見送られて、ポートシティに旅立とうとした時であった、クロエはスクルドの言葉を実行したのである。

「そう言えば。唯は今日、休みなんですね」

そのクロエの言葉に、左近は笑顔で質問したのである。

「そうだが、どうかしたのか?」

「いえ、ベーグルでも買って行こうかと思いましたので」

「何だよ、クロエもラナと同じで、食い意地が出てきたのか。んじゃサクッとギルドに行ってから、市場でも行こうか」

そう言って、笑顔で言った左近であったが、アイリスに抱かれている佐吉は、「ちょっと待て」と左近の後頭部を殴るラナを見ながら、何かを思い付いた顔になっていたのである。

その様子をクロエは心配そうに見ていると、頭を押さえながらも左近は、空間転移を開いて、茶々に言ったのである。

「んじゃ、そろそろ行ってくるわ。後の事を頼むよ、茶々」

「御武運、お祈りしております」

そう言って、頭を下げる茶々の声に、左近は少し違和感を感じながらも、邸宅に残るアイリス達に手を振り、ポートシティに向かって行ったのであった。

左近達が、ポートシティに向かったのを確認した茶々は、頭を上げて笑顔でアイリスに言ったのである。

「ねぇ、アイリス。ちょっと話があるのだけど……二人になれない?」

その茶々の申し出に、アイリスは何だろうかと思いながらも、佐吉を降ろして、藤次郎を抱いているベアトリスに言ったのである。

「ベアトリス。佐吉と藤次郎を、お願い」

アイリスに言われて、佐吉の手を取ろうとしたベアトリスであったのだが、佐吉はスルリとかわして、使用人の寮に向かって走りながら言ったのである。

「ちょっと、唯姉の所に行ってくる!」

そう言って走り去る佐吉を見て、ベアトリスが苦笑いしていると、アイリスは仕方がないなぁと、ベアトリスに言ったのである。

「しょうがない、藤次郎だけでも、お願いね」

「はい、王妃様」

そう言って了承したベアトリスと藤次郎に、軽く手を振るアイリスは、茶々について、森の庭園に向かって行ったのであった。

数々の花が咲く庭園を抜け、森の庭園に少し入った所で、アイリスは茶々の左手に、いつの間にか刀が握られているのに気が付く。

だが、まさか自分を斬る事は無いだろうと言う安心感からか、道場に行くのかとアイリスは勘違いしており、待ちきれない様に、茶々に言ったのであった。

「ねぇ、いい加減何処に行くのかだけでも、言ってくれない?空間転移で移動すれば、すぐじゃない」

そのアイリスの言葉に、茶々はピタリと足を止めて言ったのであった。

「人も居ないし、この辺りで良いかな……ねぇ、アイリス。ルタイ皇国で清興様と、喧嘩したって聞いたのだけど」

「ああ、それね。清興ったら酷いんだよ。佐吉やクラウがいるのに、略奪や虐殺なんてやちゃったから、教育に良くないって、佐吉とクラウを連れて帰ったの。

国王と言うのは、権威や威厳があって平民が従うものなのに、そんな事をやったら、誰も従わないわよ」

そう言って悪びれずに話すアイリスに、茶々は分からない様に、いつでも刀を直ぐに抜ける様にして言ったのであった。

「1つ聞きたい事があるのだけど……貴女は佐吉を、国王にしようと思っているの?」

そう言って振り返った茶々の目は、完全に殺気を放っており、ここでアイリスは漸く、茶々が手にしている刀は、自分を斬る為に持っている事に気が付いたのであった。

間合いは完全に、茶々の剣の間合いであり、アイリスが後ろにジリジリと下がると、茶々もジリジリと間合いから逃がさない様に、一定の距離を離さない。

そんな静かな攻防が繰り広げられている中で、アイリスは茶々の動きから目が離せずにいると、心を決めたかのように、そのスカートの下で、膝を僅かに曲げて、後ろにジャンプする体勢で答えたのである。

「摩利は、未だ幼いじゃない。摩利に何かあれば、佐吉が清興の跡を継いでも不思議じゃ無いわ!」

その瞬間であった、茶々は居合い抜きで、アイリスに斬りつけるのだが、アイリスはそのまま後ろにジャンプしてかわす。だがアイリスのジャンプは、何者かに当たり、刀の斬撃はかわせたのだが、途中で止まったのである。

驚くアイリスが、ゆっくりと後ろを振り返ると、テレサが立っており、「バストレラ王国の……」とアイリスが言った瞬間、強烈な左のボディーブローが、アイリスの腹部に突き刺さったのであった。

腹から空気が一気に抜けて、その場に踞り、声も出せないアイリスの頭の上で、テレサが茶々に言ったのである。

「茶々様、殺すのは、私がやると決まっていたではありませんか。急に予定を変えられたら……私まで斬られる所でしたよ」

「あら、御免なさい。でもロッシーニさんって死神だし、不死身だから大丈夫でしょう?」

その茶々の言葉に、テレサが死神とは知らなかったアイリスは、驚いていると、テレサは困った顔で茶々に質問する。

「痛みは、あるのですよ……一応ですが。それよりも、アイリス王妃様を本当に殺しても、良いのですね?」

そのテレサの問いに、答えようとする茶々であったのだが、アイリスが殴られた腹を押さえて、言ったのである。

「何で、私を殺そうとするの!この事は、清興は知っているの?」

「清興様は、何も知らないわ。なので、私が殺したと分からない様に、ロッシーニさんが、貴女を殴り殺すのよ。

これは、子供達や国を守る為なの。貴女が居る事で、清興様が引退した後には、国が滅びる事になる。

佐倉の家を……島の家を守る為なら、私は鬼でも悪魔にでもなるわ」

茶々の言葉を聞いたアイリスは、顔を真っ青にして言った。

「何で!?どうして私が、国を滅ぼすのよ!」

そのアイリスの叫びに、茶々のは冷たい目になり、無表情で答えた。

「佐吉を国王にするのは、あってはいけない事なのよ。佐吉や藤次郎は、帝国人である、貴女の血を受け継いでいる。

それは、元ザルツ王国の民が、ほとんどのシーゼル王国では、長い間戦争していた帝国が血が、自分達の王家になるなんて、死んでも認められないでしょう。そうなれば、大規模な反乱が起きるわ」

「そんなの、清興は何とも思って居ないし!あの人は、相手が誰でも平等に扱い、帝国人だから、王国人だからと気にもしないわ!」

「清興様はね……でも、貴族や民は違う。だから、それを防ぐ為に、スターク大公は、自分の血を受け継ぐ摩利を、次の国王にしてくれと、清興様に言ったのよ。

それにね、どうして貴族や民が、清興様に大人しく、反発も無く従っていると思うの?それは、清興様が恐れられる存在だからよ。

皇国の時代に、反乱を起こしたイザナ村が、どうなったのか、それは誰も知っている。清興様が、平気で皆殺しをすると言うもの、貴族や民の心に刻まれている。

その恐怖と、自分達に利があるから、貴族や民は清興様に大人しく従っているのよ。

権威?威厳?そんなものは、数代後の世代で言う事で、建国した世代が生きている時には、全く必要ないの。最低でも清興様の孫の代まで必要なのは、反乱を起こすと、どうなるか分からない恐怖と言うムチと、此方についていた方が、豊かになると言うアメよ。

そして、国が滅びる原因の多くは、跡継ぎの問題よ。国王が跡継ぎを決めても、納得しない他の妻が、自分の息子を国王にと動き、それが派閥を作り、内乱が始まる……貴女が考えているのは、それの切っ掛けになる事なのよ」

「そんな、大袈裟な……」

そう言ったアイリスであったが、茶々はアイリスに刀を向けて言ったのである。

「この国はね、今までのザルツ王国とは違い、東部連合の様々な人種が住む国家なの。その中で、貴女はどう思っていようが、その様な考えでいれば、佐吉を利用されて子供達が殺し合う、内乱が始まってしまう。

……どうやら、本当に分かってもらえない様ね。ロッシーニさん、アイリスを押さえ付けて。せめて私の手で、殺してあげるから」

その茶々の言葉に真っ青になるアイリスを、テレサが押さえ付ける。アイリスは抵抗するのだが、尋常では無い力で。ピクリとも動かない。

茶々は、八相の構えを取り、刀をアイリスの首に振り下ろそうとした時であった、唯と鬼ごっこでもしているのだろうか、佐吉の笑い声が耳に入り、決心が鈍ったのか、茶々が動きを止める。

その佐吉の楽しそうな笑い声は、アイリスの耳にも入り、そのまま地面を向いたまま、涙を流して茶々に言ったのであった。

「ねぇ、茶々……本当に私が死ぬ事で、佐吉や藤次郎は、助けてくれるの?」

「助けるかどうかは、あの子達の将来の行動にもよるわ。でもね、私が佐吉と藤次郎は、摩利を守り国を守る、立派な人物に育てるつもりよ」

その茶々の言葉にアイリスは、「ありがとう」と言って諦めたのか、抵抗もせずに、ただ下を向いて涙を流していると、茶々は悲しそうな顔をして、刀を振り下ろしたのだが、その刃は、首の手前で止まっていたのであった。

来ると思っていた刃が止まり、未だ生きている事に、アイリスは不思議そうに茶々を見上げると、茶々は今にも泣きそうな顔をし、刀を納めて言ったのである。

「今回だけは、殺さないでいてあげる……でもね、その佐吉や藤次郎を、国王にしようと言う考えは、捨てなさい。次に、その様な考えを持てば……佐吉や藤次郎も殺すから」

そう言って、佐吉の笑い声が聞こえる方向と反対方向に歩き出すと、テレサも慌てて茶々を追い掛けたのであった。

「茶々様。本当に殺さなくても良かったので?」

そう言って、後ろで泣き崩れるアイリスの姿を、チラリと見ながら質問するテレサに茶々は、悲しそうな顔で答えたのである。

「あんな、佐吉の楽しそうな声が聞こえる中で、アイリスを殺せる訳が無いじゃない。そこまで私は、鬼になりきれないわよ。

もしも次にアイリスが、そんな素振りを見せたら……何とかするわ」

「分かりました……ですが、私が必要な時は、遠慮無く言ってください。佐倉家を助けるのが、フェデリカの望みですので」

「ありがとう。フェデリカにも、私から御礼の書状を書いておくから」

そう言った茶々であったのだが、気まずさからか、耳に入る佐吉の声から逃げる様に、その場から去って行き、アイリスが空間転移で消えた事に気が付かなかったのであった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

時は少し遡り、空間転移でポートシティにやって来た左近達の目の前には、軍船は未だに戻って来ていなかったのだが、壮大な軍港が広がっていた。その光景に、厳包とミラは目を輝かせていたのだが、左近には異変とも言うべき変化に、気が付いていたのであった。

普段ならば、早朝のこの時間のポートシティは、漁に出る漁師達の笑い声が響き、仕事を求める冒険者達の声が聞こえる賑やかな時間帯なのだが、その声がほとんど聞こえないのである。

軍人達が、ルタイ皇国に出兵していて、ほとんどいなかったとしても、この光景は異常であり、ポートシティの事を知らない信綱でさえも、その異変を感じていたのであった。

「ねぇ、清興。これってかなり異常だよね?」

閑散とした港を見てラナが言うと、左近は暫く考えて答えたのである。

「そろそろ動き出す冒険者の数が、異様に少ない。いくら冒険者が、ナッソーに集まっているとしても、ポートシティを拠点にしている冒険者は、そこそこ居たはずだ。

それに民の顔にも、不安が顔に出ている……こりゃ、魔物の集団が近付いている話が、外に漏洩したって事だろうな。とにかく、ギルドに行ってみようか。

おい、厳包にミラ。海を見ていたい気持ちは分かるが、ギルドに行くぞ!」

そう言った左近は、そのまま海沿いを歩いて行き、冒険者ギルドに向かったのであった。

海沿いに在る、一等地に建ち、三階建てのギルド会館の大きな扉を、左近が開けると、中はまるで、お通夜の様に静まり返っており、飲食が出来るテーブルには、冒険者が座っていたのだが、その表情は暗く、絶望に包まれていたのであった。

左近が入って来た事に、誰もが左近達に注目すると、明らかにクラスが低く、金を持っていない冒険者のグループが話を始める。

「おい、あれってナイト・ウォーカーじゃねぇのか?」

「ああ、そうだよ。人数は変わっているが、ナイト・ウォーカーの奴等が、ポートシティに帰って来たんだよ」

「まぁ、いくら命知らずの奴等でも、あの話を聞いたら、他の奴等同様、ポートシティから逃げ出すだろうよ」

そう言って、再び落ち込む冒険者を見ながら左近は、受け付けに進み、受付のツインテールのドワーフの女の子に、左近が話し掛けたのである。

「ようタチアナ、久し振りだな。ギルド長のロアンは居るか?」

左近の登場に、タチアナは助かったとの安堵感からか、目に涙を浮かべ答える。

「お待ちしておりましたよぉ。ご案内致しますので、此方にどうぞ」

そう言ってタチアナは、左近達を三階の一番奥にある、ギルド長の部屋に案内したのであった。

豪華で重量感のある扉を、タチアナは小さな身体で何とか開けると、中には大きなリザードマンであるロアンが座っており、ロアンは立ち上がると、応接様のソファーに座る様に促して、言ったのである。

「お待ちしておりました、陛下。此方に……足りない席は、椅子を運び入れますので」

そう言われて左近がソファーに座ると、テーブルを囲む様に、幾つもの椅子が、並べられ、ソファーに座りきれないバスティ達が座る。

そして、全員が座ったのを見たロアンは、テーブルに大きなポートシティ近郊の地図を広げて、説明を始めたのであった。

「本部からの命令は、ナッソーに近付いている魔物の集団は偽情報で、本当は、このポートシティに向かっている。

陛下達が、ナイト・ウォーカーを復活させて、救援に向かうので、儲けを度外視したクエストを発注して欲しいとの事でしたので、さしでがましいとは思いますが、此方も冒険者を使って、情報収集しておりました。

今の集団の位置は、ポートシティから1日と言った距離の、この森で、このまま真っ直ぐにポートシティに向かっております」

そうか。だから、情報が出回り、誰の表情も暗く、金の持っている者は、ポートシティから逃げ出したので、人も少なかったのか。

そう思いながらも頷く左近に、ロアンは説明を続ける。

「どうやら、その噂が、鬼島の奥方様にも伝わった様で、このクエストのスポンサーにもなって頂ける事になりましたので、報酬はポートシティの街を守りきれば、100万シリングと言うのは如何でしょう?」

バスティとミラは除いて、ちょうど10人だから、1人あたり一千万円の報酬ですかい!

でも愛殿に金を出させるってのは、流石に国王としてマズイ気がする……しかし、百万シリングかぁ……

威厳と責任を取るか、金で心を売るかか……

そう考え、悩んだ左近の結果は予想通りであった。

「問題ないだろう。その依頼を引き受けた」

不本意だが、これも全て小遣いが少ないのが、ダメなんだ。背に腹はかえられん。

そう思いながら、周囲の驚きの目から逃げる様に、目線を反らせて、出された果実水に口をつける左近であったが、ロアンは笑顔で言ったのであった。

「良かったぁ、流石にあの魔物の数と種類でしたので、断られると思っておりましたので。これで、ポートシティは助かりましたよ」

「まぁ、安心してくれ……ん?あの数と種類?」

「え?陛下の方も、情報を持っておられたのでは?私は、ナッソーの方は偽情報で、本当は此方に向かっていると情報を手に入れたのは、陛下とギルドマスターから伺っておりましたが」

そう言ったロアンと左近の間で、変な沈黙が流れ、嫌な空気が部屋を包む。その中で、ロアンは一度咳払いをして、話し出したのであった。

「オッホン……これは、一度情報の擦り合わせを、やった方が良いと思うのですが」

ロアンの提案に、左近は天眼を開きながら、頷き答える。

「同意だ。此方は魔物の集団が、ポートシティに向かっていると……ちょっと待て、何だよ、この数は?」

そう言って手を止めた左近の天眼の映像には、前回確認した時よりも、百多い約五百の魔物の集団が、森の中を進んでおり、更には森の木々を倒して進んでいる巨大なエントまで、確認できたのであった。

その左近のリアクションに、クロエ達に緊張が走ると、ロアンはタチアナに合図を出して、書類を受け取り話し出したのであった。

「どうやら、陛下には、我々の想像もできない様なスキルを、お持ちの様ですね。ですが、冒険者に調査の依頼を出して得た、我々の情報をお教え致します。

魔物の総数は、およそ五百。その内訳は、歩兵の様なレッドキャップが200。弓兵の様なレッドキャップが100。ダイアウルフに乗った騎兵の様なゴブリンライダーが、100。

この合計400が中核ですが、その装備は、武器ももちろんですが、何処から手に入れたのか、鎧や盾を装備しており、ダイアウルフ迄、鎧を装備しております。

これだけでも、異常なのはお分かりと思いますが、残る100の内訳が異常なのです。

ミノタウロスが30、サイクロプスが10、トロールが7、アラクネー10、グレンデルが3、エントが3、スキュラが2、アイアンゴーレムが1で、残るはストーンゴーレムです」

「何よそれ……まるで軍隊じゃない。それに別々の種族の魔物が、一緒に行動するってあり得ないわよ」

思わず呟いたセシリーの言葉に、魔物を知る左近達は頷いていたのだが、大陸の魔物を見た事が無い信綱達が、今一理解できないでおり、バスティは何かを考えていたのであった。

「それに、初めて聞いた名前もあるのだが、アラクネーとグレンデルとスキュラって何だよ」

左近の質問に、ロアンはタチアナに合図を出し、幾つもの紙を受け取り、テーブルに並べると、その紙には、魔物の絵が描かれていたのである。

「実は、冒険者の中に、絵師の職業を持つ者がいて、その者が偵察した時に描いた絵です。

先ずは、アラクネーですが、亜人のアラクネーと姿は似ており、下半身が巨大な蜘蛛で、上半身は人間ですが、その目は赤く、牙や角も生えており、理性がありません。

次にグレンデルですが、赤い鬣がびっしりと生えて、尻尾があり、3メートル近くある巨人で、身体は硬く、主食は人間です。

そして、スキュラですが、上半身は美しい女性で、腹から下は6つの巨大な犬の頭に、足は12本あります。

そして、絵を見て頂くと分かる様に、全員が鎧を着て、武器まで持っており、こんな事は今までの文献にも乗っていない出来事ですよ」

アラクネーが、亜人でいるって言うのにビックリだが、これは絶対に統率している者が居るだろう。

そう思う左近の視界に、紙に描かれた絵を見て、何かを考えるバスティが入ると、左近がバスティに質問した。

「バスティ、何かあるのか?」

その左近の質問に、バスティは顎に手を当てたまま答える。

「あると言いますか……先ずは、この魔物達の装備品は、このサイクロプスが作った物でしょうね。おそらくは、何処かの鉱山を襲撃して、そこの鉱石で作ったのでしょう。

サイクロプスとは、狂暴ですが、鍛冶仕事も出来ると、文献にも書かれておりましたので。

ここで、一度整理しておきたいのですが、皆様が魔物と仰る生き物の正体は、悪魔なのです。持ち主のいなくなったシリングに、悪魔が取り付き、魔物となります。

ですが、召喚されずに、地獄から出れる悪魔は、下級悪魔のみで、中級以上は、召喚されずには地獄からは出れません。そして下級悪魔は本能で動いているだけですので、中級以上の悪魔の命令には従います……まぁ中級以上は、頭が良いので、悪魔自身の意志で動きますが」

「へぇ、あんた、悪魔に詳しいって事は、悪魔召喚士(デビル・サモナー)だったのかよ。じゃあ、この魔物の軍は、中級以上の悪魔が指揮していると言うのかい?」

そう言って、興味深そうに質問したロアンにバスティは頷き答える。

「佐倉家の執事たる者は、どの様な事でも、陛下の御希望に応えねばなりませんので、この様な事は既に存じ上げておりますよ。

ですが、ギルド長様が仰る様に、この魔物の軍は、中級以上の悪魔が率いているのでしょう。ですが、どうして、このポートシティに向かっているのか……目的がさっぱりと……」

次の瞬間、何かを思い付いた様に、バスティの目が大きく開くと、バスティは手帳の様な物を開いて確認すると、左近に説明する。

「確か、ポートシティには、ダンジョンが在り、魔石の採掘をやっておりましたよね。

アスクレー商会の魔石の運送量は、運送が始まった時から、僅かしか上昇しておりません。これはつまり、採掘量がほぼ同じ。

陛下からは、このポートシティの冒険者は、魔石採掘のクエストが出てから、コンスタントに稼げるとして、増えたのですが、魔物の被害は無いと聞いております。

以上の事から、このダンジョンは、もしかしてボスが不在となり、成長が止まってしまったのでは、無いでしょうか?

そして、その中級悪魔の目的は、そのダンジョンの不在となっているボスの代わりになり、魔王になる事なのでは?」

確かに、バスティの話には、筋が通っている。通ってはいるのだが、完全に金に目が眩んで、やってもぉたぁ!

こんなの、冒険者がどうとか言うより、完全に軍の管轄だろう!でも、このままならば、魔物の集団が到着するのは明日の午前中……完全に部隊の移動は不可能だ。それに、冒険者を復活させたってスータク大公にバレたら、数時間の説教が確定してしまう。

だからと言って、口の固いパンドラは、王都とアルム砦の建築中だし…口が固いか……シャーリィ、ジョゼット、イーライの副団長三人衆なら、俺の教え子だし、口は固いだろう。

流石に聖龍騎士団は、動かしたら目立つ。後は、バッシュの所と、源太の所なのだが、源太の所は装備品も行き渡っていないし、バッシュの所は、ナッソーを落ち着かせるので無理だし……リュネは、下手すりゃ、スターク大公にチクる可能性がある。

でも、3つの騎士団で十分か。相手は、5百って情報だしな。

「多分だが、バスティの推理は当たりだろう。蘭、すまんがシャーリィと、ジョゼットと、イーライの三人に、口が固い兵を連れて、ポートシティのギルド会館前に、明日の朝までに集合する様に伝えてくれ。

連れてくる兵力は、各騎士団は100名迄で、内容は拠点防衛だと」

「了解しました」

そう言った蘭は、すぐに連絡を入れていると、ロアンはホッとした様に左近に感謝したのであった。

「陛下、軍を動かして頂き、本当に有難う御座います」

「良いって。それにこれは、万が一の事を考えてだからな。

魔物は、一匹でも街に入れると、大惨事になってしまう。どうせ前線で戦うのは、俺達だし。

バスティ、邸宅の宝物庫から、眠っている武具をありったけ持ってこい。どうやら、スキルの必中が無ければ、攻撃が入らない奴も居る様だしな。

それと、ディアとクマも連れてこい。彼奴等の、魔獣使い(ビーストテイマー)の職業が役に立つ。

街の北の、海岸に建つサンル・チアって宿で集合だ」

「かしこまりました」

そう言って頭を下げて了承するバスティに、左近は笑顔を向けると、膝を叩いて立ち上がり、言ったのである。

「報酬は、いつもの様に、ナイト・ウォーカー内での山分けで、ドロップアイテムは、話し合いで決める。

兵庫、どれと戦いたいのか、順位をつけて決めておけよ。戦場でバラバラに布陣されたら、希望の獲物と戦うのは不可能だからな。

さて、久し振りの魔物相手の戦いだ。しっかりと戦い、ガッポリと稼ごうではないか、皆の衆」

『おう!』

そう言って気合いの入った左近達は、部屋を出て行ったのであった。

ギルド会館の出口に向かいながら、兵庫はロアンからもらった魔物の絵を見ながら、どれと戦うか真剣に悩んでおり、厳包はミラに報酬が入ったら、何か買ってもらおうと、おねだりされている中で、一番後ろを歩いていた左近に、クロエが話しかけて来たのであった。

「ねぇ清興。少し話があるのだけど、二人になれない?」

「良いけど……」

そう言った左近の足がピタリと止まると、その視線の先には、アイリスが立っていたのである。だが、その顔は、何処か思い詰めた顔になっており、これは何かあったなと感じた左近は、クロエに「夕食の時に抜け出して聞こう」と言うと、そのままアイリスの前に行き、話し掛けたのである。

「おい、何て顔をしているんだよ……少し、二人で話そうか?」

その左近の言葉に、静かに頷くアイリス。左近はセシリーに、後を頼むよと合図を出して、二人でそのまま堤防に向かったのであった。

誰もいない波止場の先端に、左近とアイリスはやって来ると、左近は天眼で周囲をチェックし、誰もいないのを確認すると、その先端に座り、足を投げ出して、アイリスに隣に座る様に合図を出しながら言ったのである。

「一体、何があった?」

その左近の質問に、考えをまとめているのか、隣に座り、ただ下を向いているアイリスは、静かに語りだしたのであった。

「…今日、茶々に言われたの……「貴女の考えでは、国を滅ぼす事になる」って」

また、茶々の奴め、ド直球で言ったものだなぁ。今日、出発する時に感じた違和感は、これだったのか。

「それで、茶々の言うアイリスの考えって、何だよ?」

その左近の質問に、茶々との出来事がトラウマになったのか、アイリスは左近も、自分の考えを聞けば、自分を殺すのでは無いかと、少し不安になりながらも、覚悟を決めて、ゆっくりと語り出したのであった。

「私は、王家には威厳や権威が必要だと思っている。本当は、佐吉や藤次郎を戦に行かせたくは無いの。

だって、二人が死ぬ事になるかも知れないし、誰かを殺すのも、考えたく無い。それに、虐殺とかやって、恐れられるのは、国王に必要無いと思っている。だって、帝国の前皇帝陛下も、そうだったから。

そして、摩利に何かあれば、佐吉を国王にって考えているの……それが、茶々は国を滅ぼす事になるって……」

あぁ、確かにこの考えでは、完全に貴族に利用されるな。茶々の言う事も、もっともだ……しかし、アイリスの性格では、正論を言われても、受け付けないだろうな。

そして、アイリスのこの不安そうな顔は……こいつは、茶々に脅されたな。また、茶々も無茶をするよ。

だが、フォローも必要か。

「では聞くが、アイリスは王国を前の帝国の様に、誰もが誰かを陥れようとする、伏魔殿の様にしたいのか?」

その左近の言葉に、アイリスはただ首を振ると左近は話を続ける。

「俺だって、そんな国は嫌だよ。今の皇帝である、ラニス陛下も、そんな帝国は嫌だと、大改革を行い、結果多くの血が流れている。

それに、前皇帝の時も、ルイスは動いてなかったが、宰相がルイスを皇帝にしようと、皇太子の兄達を次々と暗殺していたじゃないか。あのルタイ人の后妃が、望んだのかは知らないが、王国も同じように、アイリスの考えを知った貴族が、俺はもちろんの事だが、摩利や摩耶を暗殺する可能性だってある。

この王国はな、様々な国の出身者が貴族になっている……その中には帝国人もな。それは簡単に、派閥を作られやすい環境なんだよ。

母親として、佐吉や藤次郎が可愛いと言うのは分かる。だからこそ、そんな考えを持っていれば、貴族達に知らて、子供達が殺し合う、最悪な結果となる可能性が、高くなるんだ。

アイリスは、摩利や摩耶を殺したいのか?」

その左近の言葉に、泣きながら首を振るアイリスに、左近は優しく肩を抱き締め、海を見ながら言ったのである。

「アイリスの考えは、平和な世の中ならば、正しいだろう。でもな、この戦乱が続く世の中では、それはより多くの血を流し、苦しめる結果となってしまう。

俺達の子孫が将来、平和に末永く暮らしていける様に、俺達は我慢しなければならない。今、自分のワガママを通すと、自分の孫達に、そのツケを回す事になる……すまないが、分かってくれ」

「じゃあ、佐吉は将来国王には……」

「すまんが、なれない。国王にしてしまうと、元ザルツ王国系の貴族や民の反乱が、起きてしまう」

その左近の言葉に、アイリスは、ただ涙を流して静かに泣いており、左近は何も言わずに、ただアイリスに寄り添っていたのであった。

この事がきっかけとなったのか、左近は国内の引き締めを行うと同時に、後継者の問題を議会で承認する形にし、王妃等の意見が入らない様な枠組みを作ったのであった。