Another Life

surrogate war

翌日、朝まで降っていた雨は、晴天になり、ティオールでは競馬の国王杯が開催され、まさに天に祝福されている様であった。

初の最強の馬を決めるビックレースだからか、御前試合で使われたマイク設備が競馬場外にも設置され、多くの民衆がティオールに押し寄せ、ティオールの街は嬉しい悲鳴に包まれていたのである。

その中心地である、ティオール競馬場は、右回りの芝生のコースで、最大の見せ場であるゴール直前の直線距離が530メートルもあり、最終コーナーを抜けると200メートルの坂道が待ち受ける馬場であった。

当初は、2階建ての小さなスタンドであったのだが、思いもよらぬ人気に、改修工事が行われ、その姿は5階建ての宮殿の様な姿に変貌を遂げており、周囲は様々な遊興施設が建てられており、一種のテーマパークの様になっていたのである。

そして、3階までは自由席で一般に解放され、4階は指定席で、ドレスコードも指定されている。そして、5階は王族や貴族専用となっており、此方もドレスコードが指定されていた為に、やって来た左近は、バスティが用意した、燕尾服で家族を連れて出席していたのだが、憂鬱な政興も燕尾服姿で出席していたのであった。

「父ちゃん!馬だ、馬が走ってるよ!」

貴族達が左近の姿を見て、頭を下げる中で、佐吉はテンションが上がり、全面ガラス張りの向こう側で走る馬を見てテンションが上がり、顔を張り付けており、左近は少し恥ずかしそうに、貴族達に挨拶しながら、佐吉に言ったのである。

「ここは、競馬場なんだから、そりゃいるだろう。危ないから、ガラスに触るなよ」

左近に言われて、不満そうに一歩後ろに下がる佐吉に、「兄貴、怒られてやんの」と挑発する摩耶を見ながら、左近は配られているシャンパンを手にし、何処か憂鬱な政興に言ったのである。

「政興、未だ昨日の事で悩んでいるのか?」

「ええ……オノケリスに言われましたが、私が義兄上の弟を殺すのかと、やはり憂鬱になります……」

そう言った政興に、後ろに控えるシェムハザは、悲しそうな顔をしていると、左近はシャンパンを飲んで、政興に言ったのである。

「政興、覚えておけ。上に立つ者は、時には愛する者が相手でも、家臣や民を守る為に、討ち取らねばならん時がある。

それが、辛い話だが、それが人の上に立つ者の宿命だ。だが、殺れる時に殺らねば、その刃が自分……もしくは自分の大切な人を襲う事になり、後悔することになるぞ」

左近の言葉に、政興は頭では理解しているのだが、心がついていかず、憂鬱な顔のままでいると、左近は背中を叩いて言った。

「すぐに戦う訳じゃないんだ、その時までに、心を整理しておけば良い。今日は、オノケリスはパンドラに捕まって、居ないんだ、昔の様にシェムハザと楽しめ」

「そう……ですよね。よしシェムハザ、バスティから貰った軍資金を、増やしてオノケリスにプレゼントを買うぞ」

「ええ、このシェムハザに、全てお任せ下さりませ。先ずは、パドックと言う場所で、馬を直に見て吟味しましょう」

……え?俺、バスティから軍資金が貰えなかったんですけど……

思わぬ政興の言葉に、左近は呆然としながら、シェムハザを連れて、パドックに向かう政興の背中を見ていると、ドレス姿のアミリアが、左近に挨拶にやって来たのであった。

「これは陛下。本日は、ティオール競馬場に御越しいただき、ありがとう御座います……陛下?」

「ん?ああ、すまん、すまん。少し、家の中での待遇の違いを痛感していたんだ」

……普段の佐倉家の中での、陛下の地位って、飼い犬のマメ以下だと、前にエリスから聞いていたけど、たぶんそれだろうな。

原因を察し、苦笑いするアミリアに、左近は目頭を押さえていたのだが、ふと何かに気が付き、アミリアに質問したのであった。

「なぁアミリア。何だか、貴族達が殺気だっていないか?楽しむと言うよりは、戦の前の様な空気を感じるのだが……」

そう言った左近の目線の先には、殺気が含む様な目で、レースを見る貴族達がおり、アミリアは納得した様に答えたのである。

「そりゃそうですよ。ここに居る貴族達は、今日出場する馬の馬主ばかりです。

シーゼル王国の貴族は、誰もが仲が良い訳では無く、同じ派閥でも対立している者が多いんですよ。でも、足を引っ張る事や、陥れる事は、陛下が絶対に許さないし、発覚すれば爵位も失う。

そこで、対立する貴族が所有する馬を打ち負かす事ができれば、スッキリするでしょう?

……言わば、ティオールで開催される競馬は、貴族の代理戦争ってやつなんですよ」

そう言えば、サッカーのワールドカップも、そう言った側面があると聞いた事があるが……まぁ、ドンパチしないだけでも、良しとしておくか。

「でも馬主って、表だって出来ないだろう?」

「当初はスポンサーって形でしたが、アイリス様が出ちゃってから、有耶無耶になっちゃいましたよ。流石に、王妃様を処罰する事も出来ませんし、平等に取り扱う事で、妥協しました」

……ウチの嫁さんが原因で、本当に色々とスミマセン。

左近は心の中で、アミリアに何度も謝罪しながら質問する。

「そうは言っても、貴族達の妨害や、圧力によるイカサマは無かったのか?」

「ええ、ありましたよ。ですが、直接的な妨害は、その場で犯人を射殺していますし、警備と取り立ては、ハンザ商会に外注致しましたので、ヴィシュク中佐のおかげで、やった者に簡単にたどり着き、罰則金を取って、永久追放をしております。

中には、罰則金が支払えないからって、ハンザ商会の銀行に金を借りている貴族も居るそうですよ……まぁ、強制的に借りさせられているのでしょうが、此方は罰則金の3割が入ってくるので、問題はありませんし、事前に関係者には契約書を交わしておりますので、全て合法ですから」

……完全に、罰則金目当てで、血眼で捜査する、ママの姿が目に浮かぶ。そう言えば、この二人って、何処か似ているから、カチッとハマったら、良いコンビになるなぁ。

まぁ、イカサマをしようとして、借金まみれになった貴族は、自業自得としか言えんし、同情する事もないが、この様子ならば、アイリスに臆するとかは、大丈夫そうだな。

左近がそう思っていると、やって来たドレス姿の鶴が、既に酔っているのか、顔を赤めながら、挨拶に来たのであった。

「これは、陛下。陛下も、御自身の馬の応援ですか?」

「おう、鶴か。いや星影は、アイリスの持ち馬だし、俺は関係無いよ。

そう言えば、鶴の馬も出るのか?てか、酔っているだろう?」

「もちろんですよ。11レースの国王杯に出場する、デモンズシップは、我が鬼島家の馬ですので。

それとですが、まだまだ酔ってませんよ」

な、何だか、名前だけでも強そうだな。それに、ガッツリ酔っているがな!

「そ、そうか。今日は晴信は、海軍の仕事か?」

「いえ、騎手として参加しておりますよ。負けたら離縁だと言ったら、死ぬ気でここまで勝ち上がって来たので、今や立派な私のワンコです」

……すまん、晴信。仲人になった俺が言うのも何だが、鶴が女王様キャラだとは知らなかった。

しかも、ワンコ呼ばわりって……何だか、俺に似ていて、親近感を持てるぞ。

そう思う左近の後ろで、アミリアが水を持って来させるのを小声で指示しているのを聞きながら、左近はシャンパンを飲みながら鶴に言ったのである。

「まぁ、鶴の酒の強さは知っているので、問題ないのだが、会ったついでに、少し仕事の話をしようか」

左近に仕事の話だと言われ、鶴は水の入ったグラスを持ってきた使用人から水を受け取り、一気に飲むと、真剣な顔で答えたのである。

「聞きましょう」

「昨日の話だが、エンブルク王国とアントナム公国と、おそらく元セブンス連邦の商人が手を組んで、南部同盟が結成された。しかも、亜人連合の事も知っており、亜人連合が東部連合に攻め込み、お互いに潰しあっている所を、全てかっさらうみたいだ。

そして、この情報を確認した者が言うには、その場に天使と教団の長老が居て、既に2体の天使の他にも、長老の身体を使い、もう1体の天使を降臨させた様だ。この天使達は、今までの者と違い、かなり頭が働く様だな」

「それは、てっきり南部同盟が攻めてくるものだと考えていたので、此方としても、計画を修正しなくてはなりませんね。しかしながら、教団は天使の手に落ちたと見て宜しいでしょうか?」

「そう考えるべきだろうな。むしろ、天使の狙いも、教団を手に入れる為だった可能性が高い。

準備の時間が増えたが、敵は予想よりも強大になったと考える方が良いだろう」

「了解しました。三好元帥閣下も、馬主ですので、この後で来られるでしょうから、私の方から御伝えします」

「ああ、頼むよ」

そう言った左近に、鶴は頭を下げて、既に職場モードの顔になって、その部屋から一時退席したのであった。

行動が早いな。一旦、情報局に行くのだろう。

そう思う左近に、アミリアは真剣な顔で言ったのである。

「しかし、そうなりますと、南からの侵攻しか考えてなかったので、西側の警戒も必要になってきますね」

アミリアの懸念も理解できる。当初は、南部同盟が南から進攻してくるルートを想定していて、このティオールで迎え撃ち、一気に反撃するつもりだったが、西から攻めてくる亜人連合になると話は別だ。

南のルートは、制海権は東部連合にあるので、海からの進攻は考えられん。しかもルッシェの樹海があるので、進攻ルートは限られており、東部連合を攻めるのならば、このティオールにぶつかるのは、間違いない。

だが西側から来る、亜人連合は、内海沿いに進軍しているとはいえ、いつ北上してナブリッヒ公国に攻めるかも知れないし、そのまま西に進軍し、聖導騎士団の本拠地に攻めるかも知れないし、ティオールになるかも知れない。そして、考えにくいが、ナブリッヒ公国を少し入ってセレニティ帝国に入る可能性だってある。

とにかく大陸は広く、南の進軍ルートとは違い、国境線も長いので、進軍ルートが今の段階では、何とも言えないのだ。

「そうだな、ここ以外にも、様々な方向から攻めると言う選択肢もあるからな。まぁ、今はどのルートになるか考えるのは止めて、楽しむとしようか」

「そうですね。そうだ、遊戯施設で、子供限定でポニーに乗れるイベントをやっているんですよ。宜しければ、そちらにご案内しましょうか?」

ポニーって、あの小さい馬だよなぁ。まぁ子供向けには、ちょうど良いかも知れないが、一般市民が並んでいるのに、そこに割り込むのはなぁ。

そう思いながら、どうするか悩んでいる左近の気持ちが分かるのか、アミリアは何かを思い出して提案したのであった。

「でしたら、競馬場の厩舎の方に見学に行きますか?パドックで陛下が姿を見せると、パニックになるので」

「なるほど、それならば、民に迷惑がかからないな。セシリー、ちょっと厩舎に行ってくるから、チビ助達を頼むわ」

「良いよぉ。アイリスに宜しくねぇ」

そう言ったセシリーに、笑顔で手を振る左近は、アミリアの案内で、レース前の厩舎に向かったのであった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

アミリアの案内で、地下に張り巡らされている、従業員専用の通路を使い、人目に触れない様に移動した左近は、レースを控える馬達が入る厩舎にやって来たのであった。

いたって普通の厩舎であったのだが、その中で入っている馬達に、左近の目と耳は、集中していたのであった。

【おいおい、何だか偉そうな奴が来たぞ】

【彼奴、確かこの国の王様だぞ!】

【何だよ、王様のわりには、間抜けな顔をしてやがるな】

【ギャハハ!本当に、人間の中でも、一番間抜けな面だ!】

……コイツら、本気で馬刺しにしてやろうか。ウチの青葉が、本当に良い子でよかったよ……こんなのだったら、ガチで殺しているわ。

そう思いながら歩く左近に、アミリアは笑顔で言ったのである。

「陛下が来た事を、馬も分かっているのでしょうか。こんなにも楽しそうにしているのは、初めてです」

「そ、そうか……」

確実に、俺の悪口で盛り上がっているだけなんだが……俺、このスキル、要らねぇ。

そう思いながら進む左近に、アミリアは1つの前で立ち止まり、頭を下げて紹介したのであった。

「此方が、本日国王杯に出場する馬の厩舎になります」

アミリアの紹介で、中に入る左近に、他の厩舎の馬とは違うのが一瞬で分かった。他の厩舎は、主に左近への悪口で盛り上がっているのだが、この厩舎の馬達は、自分の出番まで、静かに待っていたのである。

それは、例えるならば、戦の突撃前の妙な緊張感と似ており、殺気さえも感じられたのであった。

ほう、流石にここまで勝ち上がって来た馬は違うな。

そう思いながらも、馬達を見ている左近は、他の馬とは違う体つきに気が付いたのであった。

コイツら、何てシャープで引き締まった体つきをしているんだよ。この日に合わせて来たって感じだな。

まさに、切れ味抜群のカミソリの様な感じだ……って、コイツは鉈…いや、鈍器って感じだな。

そう思う左近の目の前には、ミリアの馬であるヒルトリアが、その傷だらけの巨体で、左近をジッと見ていたのである。

「……ヒストリアか。この間のエンブルク王国での戦闘では、先陣の戦いは見事だったぞ」

【……当然だ。俺以外に先陣を走れるのは、青葉姉さんだけだ】

コイツ、良い奴だ。そう言えば、昔から青葉にはなついていたよなぁ。

そう思いながらも、左近は振り返り、アミリアに言ったのである。

「なぁ、アミリア。今日の優勝した馬は、種馬として優秀な馬を多く残していく事になるだろうな」

その瞬間、多くの馬の耳が、ピクリと動いたのを左近は見逃さなかった。

フッフッフッ、やはり食い付いたか。こいつらは、星影のケツを見たくて、後ろを走っていただけなんだろう。

それで星影は、必死に牡馬から逃げていただけと俺は見た。人間に例えるならば、自分の尻を見ながら、十数人のむさ苦しい男が追い掛けて来たら、若くて可愛い女の子の星影は、死ぬ気で逃げるだろう。

だが、この種馬の話をここですれば、尻を見ながら走るだけか、ハーレムで毎日いろんな女の子とヤれる生活か、どちらかを選べと言われたら、誰もが後者を選ぶ。俺だって、こんな事を言われたら、死ぬ気で走って、ケツに目もくれない。

そう思いながらも、左近にアミリアは笑顔で答えたのである。

「勿論です。国王杯の優勝馬ならば、誰もが子供がほしいでしょう。

馬主の貴族達も、種付け料で儲けられますし……馬の腰がもつのかが、心配ですけどね」

【おおお!やってやるぞ!】

【バカ野郎、俺がハーレムに行くんだ!】

【誰が行かせるかよ。ハーレムに行くのは、俺だ!】

……童貞パワーだな。冷静に考えたら、童貞に優勝すれば、ハーレムに連れていってやるって言ったら、普段以上の力を発揮するだろう……星影は別だろうが。

そう思いながらも、チラリと星影を見ると、何処か不安そうな顔をしており、左近は、これでアイリスの勝率が下がったと確信していたのだが、ふとヒストリアに目を向けると、あまりにも興味が無さそうにしていたのであった。

……まぁ、ヒストリアは顔にも出ないし、よく分からんな。

そう思いながらも、左近は馬を吟味して、再び展望席に戻って行ったのであった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

そして昼過ぎ、いよいよ国王杯の11レースが始まろうとしていた。多くの人が、パドックに集まり、馬の状態を確認し、やがて白馬の先導で、地下通路を通り、コースに入場する為に、移動している中で、ヒストリアに乗って、最後尾をゆっくりと進むミリアは、小声でヒストリアに言ったのである。

「なぁ、ヒストリア。この大きな舞台に立てて、私は本当に感謝している。

お前は、本当に傭兵時代からの、最高の相棒だよ。これが終わったら、私は退役し、お前を王家の牧場に入れてもらえる様に頼むつもりだ」

まさかのミリアの言葉に、ヒストリアは、その足を止めて、何を言っているんだと言わんばかりに、ミリアを見ると、ミリアは震える手を見詰めて言ったのである。

「最近さ、歳を取ったからか、いつ死ぬかも知れないって思うようになって、怖いんだよ。私みたいなのが、そう思う様になったら、引退の時だ……すまない、もう決めた事なんだ」

ミリアの言葉に、何処か納得できない様な顔のヒストリアは、そのままゆっくりと歩みを進めて、コースに入って行ったのであった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「おお!母ちゃんだ!頑張れー!」

佐吉の声援の先には、出走ゲートとは反対側にある入り口から、コースに入り、観客席の前を疾走するアイリスの姿があったのである。

入場してきた馬が、大声援の中で気持ち良さそうに駆け抜ける姿に、左近は満足そうに見下ろしており、その隣には、シーゼル王国の公爵が、クリスティーナ以外、集合していたのであった。

しかし、公爵家全員が馬主だったとは……流石にクリスティーナは、アミリアの関係で来ていないが、これは本気で代理戦争になっているよなぁ。

そう思う左近に、未だに迷っている政興の姿が目に入る。

「何だよ、未だ迷っているのかよ。早く決めないと、締め切りになっちまうぞ」

「いや、でも……負けすぎて、何が良いのか分からなくなりまして……」

そう言って未だに悩む政興に、シェムハザが声をかけたのであった。

「若、全ては筋肉が語っております。私は、このヒストリアが良いと思いますぞ」

「ええ!?ヒストリアって、一番馬の年齢も高くて、人気も16番目じゃないか……本当に大丈夫かよ」

そう言って心配する政興に、清信が声をかけたのであった。

「王子。ここは、我が三好家自慢の、セントリバーが宜しいかと。陛下には申し訳ないが、初代優勝は三好家がいただきますので」

「ハハハ、三好閣下のセントリバーは、3番人気でしょう?

王子、我が鬼島家のデモンズシップならば、ここまで全勝で、人気も2番人気。確実に優勝しますので、資金を増やせるでしょう」

「いやいや、王子。我が松永家の信貴が……」

「王子、我がロック家の……」

そう言って押し寄せる公爵達に、政興は思いっきり引いていると、セシリーが左近に質問したのであった。

「そう言えば、貴方は何を買ったのよ」

「そ、そりゃ、アイリスの星影に決まっているだろう」

……言えねぇ。確実に当てにいこうと思って、オッズを見てから、鶴の所の馬を買ったなんて。

大体1,1倍って何だよ!2番人気の鶴の馬で4,2倍なんだぞ。星影に賭けても、小遣いが増やせねぇよ!ならば、次に当たりそうな鶴の馬にするしか、道はねぇだろう。

心の中では、そう思いながらも笑顔でいると、ラナが左近の腕に抱き着いて、顔を近付けてジッと目を見ると、左近の言うなよと言う無言の圧力が通じたのか、笑顔で言ったのである。

「まぁ、そう言う事にしてやろう。シェムハザは、どうしてミリアの馬が良いと思ったの?……筋肉は抜きで」

いきなり質問されたシェムハザであったのだが、シェムハザはコースを見て答えたのである。

「そうですね、昨晩から降り続けた雨で、コースの状態は最悪です。特に内側は、今までのレースで少しでも内側に入り、距離を短くしようとしておりましたので、芝生は剥がれて、悪路になっております。

今回のレースは、そう言った場所を避けようとするでしょうが、あの馬は戦場で戦ってきたのが、一目で分かるほどの筋肉です。戦場では、悪路だからとか、そんなのは関係無いでしょう……その中で、常に先陣を走っていたと聞けば、自ずと答えは出てくるかと」

もっともなシェムハザの言葉に、左近までもが納得していると、ラナは笑顔で政興に質問したのであった。

「んじゃ、政興はどう思う?」

「確かに、シェムハザの言葉はもっともだ……分かりました、ここはシェムハザの言う通りに買ってみましょう。それに、もう一人の父親の言葉だ、信じねば、島の男ではありません」

「若……」

そう言って涙で目を潤ませるシェムハザを連れて、政興は馬券を買いに向かうと、ラナが少し苦笑いして左近に言ったのである。

「シェムハザさん……あの体格で、涙もろいのは、今でも慣れないわぁ」

「確かになぁ。でも、シェムハザだからこそ、政興は本当に素晴らしい男に育ってくれた……今度、佐吉の守役にしてやろうかな」

「いやぁ、あれはもう、手遅れでしょう」

「だよなぁ」

そう言った左近とラナは、ガラスに触るなと言われていたのに、再び張り付いて、アイリス以外の馬に負けろと、念を送っている佐吉を見ていたのであった。

暫くして、締め切りを報せる鐘の音が鳴り響くと、入場通路近くに用意された場所で、王立音楽院の者達がファンファーレを奏で、観客達は盛り上がり、ゴール前の左近達は、最終コーナー近くに用意された、出走ゲートに注目する。そして、ファンファーレが鳴り終わると、順番にゲートに入っていき、最後の鶴の馬が入った時だった、カシャンと言う鉄の音と共に、ゲートが一斉に開かれ、各馬が飛び出したのだが、ヒストリアだけは、ゲートで立ち上がり、慌てたミリアが何とか抑え込んで、走り出したのであった。

「ドカ遅れかよ!」

思わず叫んだ左近の隣で、「嘘だろう」と言って頭を抱える政興。

大きく離されたミリアと違い、スタートを綺麗に決めたアイリスは、いつもの様に、先頭に立って、ペースをコントロールし、観客席の前を、大声援の中、疾走したのであった。

先頭にアイリスが立つのを分かっていたのか、鶴達の馬は、アイリスをピッタリとマークしており、いつ仕掛けるかを、虎視眈々と狙っていたのである。

その為か、集団はアイリスを先頭に、団子状態になっており、コーナーを曲がり向正面に到達した時には、ミリアは、集団の後方に追い付いていたのであった。

『おお!』

出遅れた事で、圧倒的に遅れている様に見えたミリアが、集団に追い付いた事で、観客や貴族達も驚きの声をあげていたのだが、左近はその原因を理解していたのであった。

「陛下は、どうしてなのか分かるので?」

そう言った清信に、左近は笑みを浮かべて答える。

「ああ、ミリアが追い付いたのは、簡単な事だよ。誰もがアイリスが先頭に立つのを知っているので、先頭を譲り、警戒しながら、何処で仕掛けるかを狙っているから、全体のスピード遅くなる。

それに加えて、シェムハザが言った様に、内側の馬場が荒れていて、誰も避ける様に、外を回って走っている。

だが、ミリアは荒れた内側を通り、通常より少し速い速度で走っている為に、簡単に追い付いたんだよ。まさに、常に戦場で先陣を駆け抜けてきたヒストリアだからこそだな」

左近の説明に、誰もがなるほどと言う顔をしていると、左近はジッと向正面を見て言ったのである。

「確かに、スローペースだと、逃げの戦法は有利だろう。だが、あの様に距離が詰まった団子状態では、差しや追い込みと言う、最後の直線で爆発させる戦法が有利だ……これでは、アイリスが逃げ切れない可能性がある」

「つまり、どちらに転ぶか分からない状態ですか?」

「ああ、そうだな。あの駆け引き……どちらが先に動くのか楽しみだな」

清信に答えた左近は、自分がそこに出たかったのか、楽しそうにコースを見ていると、アイリスの星影がギアを1段階上げ、集団がその動きに対応出来た者と、出来ていない者が明確に現れ、集団は長細くなったのである。

完全に油断していたな。アイリスめ、この一瞬を狙っていたのか……ん?

アイリスの動きに感心する左近であったのだが、その中ほどに走るミリアを発見したのである。

おお!もう、そこまできたのか。でも、これじゃ、最後の体力が残らないだろうな。

そう思いながらも、左近が見ていると、コーナーの中程になった所で、ミリアが外に膨れた集団とは違い、スッポリと空いた、荒れた馬場の内側を通り、スパートをかけたのであった。

「バカか彼奴は!そんな所からじゃ、ゴールまで持たないぞ!」

そう思う左近であったのだが、かなり早い位置でスパートをかけたミリアが、コーナーを抜けた所でアイリスに、ほぼ追い付くと、ミリアの存在に気が付いたアイリスは、そこからスパートをかけたのであった。

「アイリス、早すぎる!ミリアに釣られたな!」

自分の馬券の事は、完全に頭から消えており、思わず叫ぶと、他の公爵達は勝ったと、笑みを浮かべていたのであったのだが、その予想は覆される事になる。

コーナーを抜けた所で、更にスピードを爆発させたアイリスは、高低差2メートルある坂を駆け上がっていき、ミリアを振り切ろうとするのだが、何とかミリアが食らい付き、離れない。

そして、登りきった所で、やはりスパートをかけるのが早すぎたからか、目に見える様にそのスピードが落ち、ミリアに捕まり抜かれたのであった。

嘘でしょと言うアイリスの顔が、観客席からも見え、後方からスパートをかけた馬群に、消えて行ったのであった。

だが、ミリアの騎乗するヒストリアは、その速度は落ちずに、後方からのスパートをかけた者達との距離は縮まらずに、そのまま圧倒的な強さを見せて、ゴールしたのであった。

その王者の様な強さに、勝ち負けは関係無く、誰もがその勝利に歓声をあげていると、政興は拳を握り締めて叫んだのである。

「よっしゃあ!取ったぁ!161倍だぁ!」

……え?

「なぁ、政興。幾ら賭けたんだ?」

「それが、バスティに貰った資金も少なくなっており、500シリングしか、賭けておりませんでした。ですので、8万5百シリングになっちゃいましたよ」

8万5百シリング……8百5万円かよ。何で単勝しか無いのに、万馬券になるんだよ!俺の小遣いが……

思わずガックリと肩を落とす左近に、佐吉がションボリした顔で言ったのである。

「母ちゃん、負けちゃったね……」

「そうだな。まぁ、これが勝負の世界だ」

本当は、鶴の馬に俺は賭けていたって事は、口が裂けても言えないよなぁ。

そう思う左近に、アミリアが話し掛けて来たのである。

「陛下、そろそろ式典の方に……」

「ああ、分かった」

あまりここに居たら、アイリスに賭けていなかった事がバレると思ったのか、左近が逃げる様に、アミリアの案内でウイナーズサークルに向かったのであった。

この日、開催された第一回の国王杯は、誰も予想していなかった、ミリアが騎乗するヒストリアが優勝し、大波乱で幕を閉じたのであった。

優勝レイと呼ばれる、馬の首にかけられる飾りは、シーゼル王国の国旗の様なカラーリングになっており、かなり恥ずかしそうにしているミリアの胸には、国王杯優勝の証である、金の星が、左近の手により取り付けられ、割れんばかりの拍手で、観客からも称賛されていたのである。

その拍手で、漸く自分が優勝した事が実感できたのか、ミリアの目には涙が浮かんでおり、観客に応える様に手を振るミリアは、左近に小声で言ったのである。

「陛下……私は、今まで近い内に退役し、ヒストリアを王家の牧場に、入れてもらおうと思っていました」

ミリアの言葉に、左近はチラリとヒストリアを見ると、何処か悲しそうな目をしており、左近は笑顔で観客を見ながら、質問したのであった。

「今は、どうだ?」

「分かりません……何だか、ヒストリアにバカな事を言うなと、このレースで言われた様な気がしまして……」

なるほどね。ヒストリアの悲しそうな目は、これが原因だったのか。

「気がしたんじゃなくて、そうなんだろう。ヒストリアは、未だ戦場で暴れ足りないんだよ」

「……でも、戦場が怖くなってしまったんですよ。兵士としては、終わりです」

深刻な顔でそう言ったミリアに、左近は頭が悪いなと言いたそうな顔で、ミリアに言ったのである。

「お前なぁ、戦が怖いのは当然だ。怖くない奴なんか、俺は求めていない……そんなのは、生きているとは言わないからな。

俺が求めているのは、恐怖に鈍い者か、それ以上に勇気を持つ者だ。俺は、ミリアにはそれがあると思っているぞ」

「陛下も戦が怖いので?」

「当然だろう。作戦を考えても、何かやり残した事があるのか、何か見落としが無いのか、いつも不安でたまらないし、先陣で戦うのは怖いさ。

でもな、俺はそれ以上に、守りたいものがあるし、勝利の美酒の味を知っているからな……人は何か理由があった方が、戦いやすいし、勇気が持てるってもんだ」

「いやいや、陛下が怖がっているって、絶対に嘘ですって。楽しんでいるとしか思えないですよ」

「ミリア、俺をサイコパスか何かだと思っているだろう。本当の俺は、繊細で、傷付きやすいんだよ」

「それこそ、本当にあり得ませんって……でも、守るものか……そうですね、少し考えてみます」

そう言ったミリアに、こいつは辞めないだろうと左近は感じており、ミリアは退役する事は無かったのであった。

この日、本命であったアイリスはと言うと、7着まで落ちてゴールしており、この日からシーゼル王国の競馬は、貴族の代理戦争と言う側面を持つようになり、盛り上がりを見せるのであった。