Another World Transfer in Game Character

Lesson 75: The Haunted Deacon

振り向いた先には――

青白い顔があった。

空虚な暗黒を宿す眼窩に、同様の口。

真っ赤な舌がデロリと垂れて、そこだけが青と黒の視界の中で、特別異彩を放つ。

ボロボロの執事服から伸びた、干からびた腕がボクの肩に置かれている。

「ぴゃ……!?」

奇妙な声が我知らず漏れて、すとんと足の力が抜ける。

そのまま垂直に腰を落として、その場にへたり込んだ。

「出――て……行けええぇぇぇ……」

地の底から響くような、おどろおどろしい声。

けっして大きくはなく、だが確実に鼓膜を震わせる、低音。

その空気の振動が伝わったかの様に、ボクの体も震え始める。

――そういえば、ホラー映画とか苦手だったっけ?

遠くなりそうな意識の端で、そんな事を思い出した。

ゾンビ系のシューティングゲームとか、足音すら怖かった。

そんなボクが幽霊を斬るとか、なんて無謀なことを考えていたんだろう?

ミッドガルズ・オンラインの2Dにデフォルメされたアンデッドとは違う、本物の幽霊。

どことなく、まだゲーム感覚で物を考えていた事を後悔する。

干からびた腕が、ゆっくりと首元へ伸び、冷たい手の感触を感じた。

そこでボクの理性は限界を迎える。

「きゃあああぁぁぁぁぁぁああああああ!!」

「お、お姉ちゃん!?」

一際甲高い悲鳴を上げて、わたわたと這いずって離れようとする。

それを見て、硬直していたアリューシャも再起動した。

「お姉ちゃんから、離れろ! 【セラフィック・レイ】!」

パキンと澄んだ音を立てて、アリューシャの持つブルークリスタルが砕け散る。

【セラフィック・レイ】と言うスキルは、大司祭の持つ聖属性の攻撃魔法だ。

単体対象で触媒が必要とは言え、その攻撃力は大魔導師のそれに匹敵する威力がある。

つまり、彼女の切り札だ。

難点は直上からの撃ち下ろしを指定するため、密集状態では当てにくい事だろうか。

「ぬおぉぅ!?」

オッサン臭い声を上げて、幽霊がコミカルな動きで魔法を避ける。

意外とフットワークがいい。

「この、このぉ! 避けるなぁ!」

アリューシャは意地になって【セラフィック・レイ】を連打している。

その度にズドン、ドスンとぶっといレーザーが天井付近から撃ち落され、絨毯に焼け焦げを作った。

ついでにボクの傍にも落ちてきた。

「ひえぇぇ」

「おわわわ! こりゃキサマ、あの子を止めんかい!」

「気安く声を掛けんな!?」

合計十発近いレーザーを撃ち放ち、それでも当たらないと見るとアリューシャは長期詠唱に入った。

これは【エクソシズム】の魔法だ。

聖域を展開し、その内部の悪魔やアンデッドに大ダメージを与えるスキル。総合的なダメージならば【セラフィック・レイ】すら超える。

ただし、詠唱時間は全クラスのスキル中で、もっとも長い。

「待て! 待て待て待て! ワシはおぬし等を害するつもりは無いのじゃあ!?」

「散々脅かしておいて、どの口が言うか!」

「出て行ってもらえれば、それでいいのじゃ。この屋敷を守るのがわしの役目じゃからして」

そう言えば背後を取られていたのだから、攻撃する気があれば好き放題できたはずだ。

それなのにコイツは脅かすだけに留めていた。

意外と悪い幽霊ではないかも知れない。

「アリューシャ、ストップ」

「んぅ、いいの?」

ボクの静止の言葉に、複雑怪奇な魔法陣を描いていた光が雨散霧消する。

そのときになって斧を持ったセンリさんが、ようやく駆けつけてきた。

「ちょっと、一体なんの騒ぎよ――って、誰!?」

疑問系で問いかけつつも炎属性を宿した斧で斬りかかる。

この辺り、彼女の方が精神的に強いかも知れない。

「ぬぉわ!? いきなり斬りつけるとか物騒な娘じゃ」

「いきなり湧いて出るあなたの方が物騒です。センリさん、会話ができそうなので、少し話を聞きましょう」

「え? ええ、ユミルがそう言うなら別にいいけど……大丈夫なの?」

「敵意はあったけど悪意は無さそうでしたし、きっと大丈夫でしょう」

「そうじゃなくて、あなたが」

床にへたり込んだままのボクを見て、そう問いかける。

その視線はボクの下半身に向かっていた。ボクのネグリジェの股間部分は、しっとりと生暖かくなっている。

あの瞬間、ボクはそれ程の恐怖を感じたのだ。

「…………アナタはなにも見なかった、いいね?」

「え、でも――」

「いいね?」

「……はい」

女性の方が膀胱の距離とかの影響で色々あるとか言う話を聞いたことがあるし、これは到って仕方の無い生理現象なのだ。

そんなかつて無いほどの強い意思を込めた視線に、センリさんは肯定の意思を返す。

これほど強く言葉を発したのは、オーク戦以来だ。

「とにかくアリューシャを連れて、部屋へ。そこの幽霊が変な事したら、すかさず滅殺でお願いします」

「せんわ!」

「任せて、お姉ちゃん!」

「おぬしも引き受けるな!?」

「いい、お爺ちゃん? 襲って来たらコロス。逃げたらコロス。変な事してもコロスから」

「おぬし等、この子にどんな教育をしとるんじゃ……」

さすが対アンデッド最終兵器の大司教職。

不死者にはとても厳しい。

そんな感想を抱きながら、ボクはこそこそと服を洗いに向かったのだった。

幽霊を見張りながら交代で身支度を整える。

幽霊のオッサンも、大司教職が見張ってるとあっては迂闊に逃げることもできない。

最悪、この屋敷全体を巻き込んで【エクソシズム】を掛ければ逃げようが無いのだ。

もちろん【エクソシズム】の魔法の範囲はそれ程広くないが、何度かに分けて使用すれば、全体をフォローできる。

彼としても、どうあがいても勝てない相手ならば、交渉のテーブルに着く方が有益なのだ。

「まずは自己紹介からしましょうか。ボクはユミル。こっちの子がアリューシャ」

「よろしくねー」

「私はセンリよ。錬金術師をやってるわ」

「ワシはイゴールと申す。この館の執事長を任されておる」

胸を張って宣言する半骸骨執事。

その肋骨をへし折ってあげたい。心臓撃ちで。

彼の話す事情は、エミリーさんから聞いたものとほぼ同じだった。

かつての主に管理を任されたが故に、他の入居者を許すことができず、来る者を脅して追い出し続けていたのだ。

「でも管理って言ってもさぁ、出来て無いじゃない? 庭とか草ぼーぼーだし」

「でもセイコとウララがいるから、すぐ無くなっちゃうよ!」

「あの子達は大食漢だからねぇ」

「仕方ないのである。我は物理的な干渉はあまりできぬゆえ」

そのくせ、ボクの肩に手を置いたりはできるんだな。

無駄にホラー映画な演出をしてくれたおかげであの失態……ムカムカしてきたぞ。

「夜間に限り、多少物に触れることはできるのだが、それも限度があるのじゃよ」

「その『多少』をボクを脅すことに利用しないでいただきたい」

「そこはほれ、ワシの職務ゆえ」

「【狂化(バーサーク)】すんぞ、ジジイ」

どうもこの爺さん、脅かすのに成功したボクを、なめてかかっているのかも知れない。

この屋敷の主人は今はボクなのだ。この状況はよろしくない。

だが、先にアリューシャの方が動いた。

「お姉ちゃんをバカにすると……焼くよ?」

「ひいぃ!?」

爺さんの内部カーストではアリューシャが堂々の一位に輝いているようだった。

それなら、まぁいいか?

「まぁ、それはともかく……ここらで妥協点を探しましょうか?」

「妥協だと? お館様から任されたこの屋敷、部外者の立ち入る隙なぞ存在せんわ!」

「じゃ、駆除しちゃうね。お姉ちゃん」

「待て! それはちょっと待て!?」

アリューシャ、冒険者式交渉術にすっかり馴染んじゃって……いや、そうじゃなく。

この幽霊、いい性格はしているけど、どこか憎めない。

そもそも、彼としては職務を忠実に果たしているだけなのである。ならば妥協点は模索できるはずだ。

「ふむ、そこで提案です。この屋敷の権利はめでたくボクが購入しましたが、それを認めることは出来ない?」

「できぬ」

「だけどアナタでは屋敷の手入れが出来ませんよ。植物の力を馬鹿にしてはいけない。石にすら根を張るのだから、この屋敷の外壁なんてあっという間です」

「うぬぬ……」

屋敷の外周は蔦で覆われて、見るからに幽霊屋敷然としていた。

このまま放置すれば、いずれ根が外壁を抉り、崩れ、廃屋と化していたことだろう。

「ここでボク達が住むなら、それらの植物を排除して差し上げます。さらにこちらのセンリさんはクリエイト系のスキル満載。屋敷の整備にバッチリです」

「つまり、屋敷の清掃人として住まわせろという訳か?」

「そこまで卑下する訳じゃないですよ。でもここにボク達が住むことは、そちらにも利益があると言うことを示しただけです」

スレイプニールのセイコとウララがいれば、庭の雑草はあっという間に無くなるだろう。

スラちゃんがいれば、館を覆う蔦も数日で食べつくしてくれる。

センリさんがいれば、壊れた部位を修復してくれる。

ボクとアリューシャは、まぁ……オマケ?

「空き家となれば、不埒な考えを起こしたものが住み着くかもしれません。ボク達がいればそういった輩も追い出して見せます」

でかい空き家と言うのは、しっかりと管理するものがいなければ悪人が住み付いて根城にしたりする事がある。

と、漫画とかではよくある設定だ。

僕達が住み付けばそういう事態に対する予防になるだろう。

だがその提案に、イゴールさんは不服そうな表情を浮かべた。半分骨だけど。

「おぬしがかぁ?」

「その疑惑に満ちた表情はムカつくな! こう見えても、剣の腕はこの街でもトップクラスだからね!」

あまりにも疑惑の表情を見せるので、キングベヒモスの死骸を庭に取り出して実力をアピールして見せた。

「こ、これほどの魔獣をおぬしが倒したと言うのか……!?」

「どうよ、すげーっしょ?」

「ね、お姉ちゃんは凄いの」

巨大なベヒモスの死骸を見、ボクが倒したと聞いて驚愕するイゴールさん。

ダメ押しとばかりに、スティックとファイアダガーを軽く振り回してみせる。

その剣閃は素人の目には止まらぬほどに、疾く鋭い。

「うぬぅ……おぬしがいれば、これ以上の不埒者は寄って来ぬと言うのなら……譲歩しよう」

彼としても、庭や屋敷の手入れは頭を悩ませていた問題だし、ボクらがそれを解決してくれると言うのなら、これは妥協点になりうるだろう。

だけど、彼の中で下がりきったカーストを上げておく為に、さらにダメを押すのも悪く無いかな。

「まぁ、どうしてもダメだって言うなら、構いません。別の屋敷を買えばいいだけです。ボクらは他に選択肢があるのですから」

「うぬ?」

「だけど、次に来る貴族が、先代並みの人格者と言う可能性は……どうなんでしょうね?」

「ぐ……先代様より優れた方なぞ、存在せん」

「さらにボク以外の別の平民が来るかもしれませんよ? しかもアリューシャより腕の立つ神官を連れて」

もっとも今のアリューシャは七歳にして高レベルという、まさにチート主人公みたいな存在だ。

それを超える神官なんて、おそらく存在しないだろうけど。

「物事には妥協が必要ですよ?」

「判った、判った! おぬしらを歓迎する。だがワシもこの館を預かる身じゃ」

「わかってます。一緒に暮らしましょう。館の管理をお任せしても?」

「望む所じゃな」

こうしてボクらは、有能な執事憑きの館に引っ越すことになったのだ。