たっぷり沈黙した後で、やがてジェームズ王は厳しく告げた。

「ある一つの点において、私はお主を処罰しなくてはならない。密かに隣国に通じて王国の機密を流すことは、民を危険にさらすことだ。

我らが第一に守らねばならぬのは、ハイルランドに住まう民だ。我が国を我が国たらしめるのは、王でも枢密院でも、まして伝統や秩序でもない。民が根付く場所に、ハイルランドはあるのだ」

だが、と王は言葉を切って、アーモンド色の瞳をかなしげに細めた。

「お主に不安を抱かせ、隣国に通じるほどに追い詰めたのは、ひとえに私が至らなかったためであるな。不安を打ち明け、ともに手を取り合って乗り越えようとお主に決意させるくらいに、私を信頼してはもらえなかった」

「……陛下、そのような」

「私とお主は、もっと早くに腹を割って語り合うべきであったの」

狼狽して首を振るロイドを遮って、ジェームズ王はロイドの手を取った。それから、アリシアを自分のそばに来るようにと呼んだ。

「皆、よく聞いてほしい」

緊張した面持ちで隣にたったアリシアに小さく笑いかけてから、父王は枢密院に向けて語りかけた。

「ロイドの言うように、時代は変わりつつある。我が国をとりまく環境は様変わりし、いかに歴史の長い我が国であろうと、その潮流に抗い続けることはできない。時には、新しき流れへと身を任せる必要も出てくるであろう」

「陛下。つまりそれは、いずれハイルランドも隣国のように改革を進めるということでありましょうか?」

「左様。それが民にとって必要なことと判断すれば、ただちに取り掛かる所存である」

おずおずと尋ねられた質問に、王ははっきりとうなずいた。これには、さすがのナイゼルですら驚いた。筆頭補佐官として王の思いはもちろん知らされていたが、こうした公の場で、将来的な改革の可能性についてジェームズ王が明言するのは初めてのことだった。

案の定、大広間に集う者たちは動揺した様子を見せた。ある公爵は興奮のために顔を赤くして立ち上がりかけ、ある侯爵は絶望して天を仰いだ。

「だが、」

混乱する貴族たちを押しとどめて、ジェームズ王が声を張った。父王はアーモンド色の瞳に貴族たちを順番に映して、最後にアリシアのことも見つめた。

「改革は押し付けるものでも、押し付けられるものでもない。シアもよく覚えておきなさい。どれほど素晴らしい改革であろうと、民の心が追い付かないままに進めたならば、いつか国は崩壊へと向かうだろう」

「は、はい」

「市井に暮らす人々と同じに、ここにいる皆も大切な民である。その民を不当に蔑ろにしようとする者が現れた時、チェスター家は抗い、民を守る。たとえ隣国の王子を王と仰ぐことになっても同じじゃ。我らチェスター家には、その責務があるのだ」

どきりと心臓が高鳴って、アリシアは空色の目を大きく見開いて父を見上げた。ジェームズ王がいったことはまさしく、恋に溺れた前世のアリシアが放棄した責務であったからだ。だからこそ王女は、王の言葉を深くふかく胸に刻み込んだ。

緊張した面持ちでうなずいた王女に微笑みかえしてから、ジェームズ王は宣言した。

「ここにいる者らに誓う。我らは、変化することを決して押し付けぬ。だが、もしも改革の必要性を確信したならば、友人としてお主らに協力を求めよう」

「―――その時、枢密院がうなずく保証はありませんぞ?」

「かまわぬ」

枢密院の重鎮らしく念を押したロイドに、ジェームズ王は穏やかな笑みを浮かべた。

「意見をぶつけ時に対立を深めながら、ハイルランドは最良の道を選び取ってきた。我らはお主らをぎりぎりまで説得するし、お主らも率直な意見を返してくれればいい。

真に民に必要だと思うからこそ、我らは全身全霊でお主らをうなずかせるため向き合うつもりじゃ。最後まで意見が相いれなかったときは、――――王が求める改革がハイルランドの民に即したものではなかったということじゃ。

だから、不満をぶつけてくれても良い。不安があれば吐き出せばよい。それでもかまわぬゆえ、今一度、私を信じてついてきてはもらえないだろうか」

「陛下……」

枢密院に向けて頭を下げた現王に、うろたえたのは貴族たちの方だった。

ジェームズ王はこう見えて、かなりの策士だ。公明正大な人物であり、王の権威を振りかざして頭ごなしに命ずることをしないのは疑うべくもないが、今のように手の内すべてをさらけ出すようなことは絶対にしなかった。

だからこそ、王の真摯な呼びかけは、貴族たちの心を揺り動かした。サザーランド家当主の裏切りという異例の事態を受けて、ばらばらになりかけている枢密院の心を束ねようとしていることを、痛いほどに彼らに伝えた。

やがて、貴族たちは一人、また一人と立ち上がり、王に敬意を示して頭を垂れた。

彼らの胸にわだかまる不安は千差万別で、ちょっとしたきっかけで瓦解してしまうような脆い団結であったかもしれない。

それでも、王の言葉に答えて立ち上がった広間の人々を見て、アリシアは目頭が熱くなった。危なげで脆く、弱い団結であろうと、彼らと自分たちとは同志なのだ。この団結は、新しい未来を築くための小さな一歩となるであろう。

「やはり、あなたは甘いですな」

小さく鼻で笑って、ロイドは眉をしかめた。

「そんな悠長なことを言っていたら、すぐにでもハイルランドはエアルダールに飲み込まれてしまう。気高きその理想も、信念も、圧倒的な力の前ではなんの意味がありましょう? サザーランドの当主としては、そう言いざるを得ません」

「なるほど、耳に痛いことを言いおる」

「ですが……。臣下としては、あなたを主君と仰ぐことができて良かった」

ぽつりと零れ落ちた言葉が合図となった。ナイゼル筆頭補佐官が外に控えていた近衛騎士団を招き入れ、サザーランド家当主ロイドは素直に騎士たちに従った。

「父上!」

思わずといった様子で、騎士たちに連れていかれようとする父の背中をリディが呼び止めた。父の罪を暴きたいとアリシアに嘆願するところを一部始終みていた騎士ロバートは、リディのためにわずかに時間を作ってやることを許した。

足を止めて振り返った父に、しかし、リディはぐるぐると複雑に渦巻く感情が邪魔をして言葉を発することができない。せわしなく瞳を揺らして困惑するリディに、やがてロイドは父親の顔で小さく笑った。

「すまなかった。そして……、よくやったな」

父の言葉に、リディはぐっと言葉を詰まらせ、目じりに涙をにじませた。

サザーランド家と親交が深いファッジ・ホブスだけは、二人のやり取りの意味を正しく理解した。幼い時のリディは覚えたものごとを父に喜び勇んで披露してみせた。するとロイドは息子にだけ向ける笑みを浮かべ、今と同じ言葉でリディをねぎらったのだ。

視界をゆがませる涙を必死にぬぐいながら、目に焼き付けるようにリディはじっとロイドの背中を見送った。やがて騎士団に囲まれたサザーランド家当主の姿は外へと消えて、広間の扉が静かに閉じられたのであった。