「そう? わたしはあなたのようなのが一番気にいらないわ」

ファリアの足が光竜僧を蹴った。反動を利用するかのように、彼女の体が後方に飛んでいく。クルードは、一足飛びに追いかけた。だが、彼女との距離は開く一方だ。身体能力はファリアのほうが上。クルードは認識を改めた。

「逃げの一手だな」

「そうね」

ファリアはようやく止まった。笑みは消えている。オーロラストームをこちらに向けていた。結晶体が盛大に燐光を放つ。クルードははっと頭上を仰いだ。無数の雷が、雨のように降り注いでくる。だが、光化すれば問題はないのだ。クルードは光球化すると、雷撃の雨の中を飛翔した。ファリアが極大の雷撃を放ってくるが、光球には触れることさえできない。突き抜け、上空へと消えていく。

「惜しかったな。もう少し注意を引きつけておくべきだった」

クルードは、ファリアの頭上から声をかけた。光球化していても声を発することができるのは不思議で、奇妙なものだった。

「まったくその通りね」

ファリアは、うんざりとしたように息を吐いた。彼女としては、会心の攻撃だったに違いない。彼女が天に向かって放った雷光が、上空で無数に分裂し、雨の如く降り注いできたのだ。クルードの反応が遅れていれば、多少は痛撃となったかもしれない。が、一発でも触れた瞬間に光化するのだから、どのみち致命傷には成り得ない。

彼女に勝ち目はない。

厳然たる事実を抱きながら、クルードは空中で実体化した。自由落下の最中に槍の切っ先をオーロラストームに向け、光弾を連射する。即座に光化。ファリアも雷撃を放ってきている。彼女の雷撃は、クルードを大きく逸れていった。光竜僧の光弾が、彼女の弓に直撃したのだ。複数の光弾が翼に着弾したらしく、無数の結晶体が剥がれ落ちていったのが彼の目にも見えていた。

クルードは、ファリアが愕然とした表情を浮かべたことに満足を覚えると、彼女の前方に舞い降りた。実体化し、槍の穂先を敵に向ける。ファリアはすぐに狼狽を隠したが、表情に焦りが見て取れた。やはり、あの結晶体はオーロラストームの生命線だったのだ。雷光を発生させるために必要な装置であり、破壊されるわけにはいかないのだろう。

「降参したらどうだ? ミリュウはどういうかわからんが、武装召喚師が仲間に加わってくれるならこれほど頼もしいことはないんだが」

とはいったものの、彼女が素直に聞き入れると思ったわけではない。クルードとしては、ファリアとのこの意味のない消耗戦を早く切り上げたいだけだ。相手の攻撃はすべて無力化できるのだが、こちらが決定的な一撃を加えるのも難しかった。攻撃しようにも、実体化した瞬間を狙い撃たれるのだから再び光化して避けるしかない。

さっき光弾が撃てたのは、彼女がわずかでも油断していたからだろう。狙いさえ定めておけば、そうそう実体化するはずがないと踏んでいたのだ。それは失態だろう。そのせいで彼女はオーロラストームを破壊されてしまった。もっとも、そのおかげでクルードの勝機は増えたに違いないのだが。

「あなたたちの仲間に? 冗談じゃないわ」

ファリアは鼻で笑った。最初からわかっていたことではあるが、強気な女だ。嫌いではない。ミリュウと似ているのかもしれない、と彼は考えを改めることにした。しかし、ミリュウとは相容れないだろう。そんな予感もある。

「勝ち目はないぞ?」

「そうね。でもそれは最初からでしょう?」

「それもそうだな」

今度はクルードが笑った。そういえばそうだ。彼女は、最初から勝ち目のない戦をしている。光化することですべての攻撃を無力化し、なおかつ遠距離からの攻撃手段を持つ敵と戦っているのだ。普通なら絶望してもおかしくはないのだが、彼女にそのような兆候は見えない。ならばその心をへし折ろうと、オーロラストームの結晶体を砕いたのだが、どうやらそれでも彼女は諦めていないらしい。

結晶体の大半を失ったオーロラストームは、退治される寸前の怪鳥が骨だけの翼を広げているように見えた。少なからず残った結晶体が燐光を放っているが、完全であったときと比べると、あまりに弱々しい光に見えた。そして放たれた雷光は、光化するまでもなく、光竜僧の一振りで粉砕できた。

紫電が視界を彩る中、クルードは前進した。もはや彼女の矢は脅威ではない。いや、最初から、脅威などではなかった。恐怖などどこにもない。油断をしているわけでもなく、事実なのだ。負ける要素は皆無だ。

「往生際の悪いことだ」

「こんなところで死ぬわけにはいかないもの」

「だったら降ればいい。悪いようにはしないぞ」

彼女のような実力者が仲間になってくれれば、ミリュウも喜んではくれるだろう。馬が合うかはわからないし、性格的には反発しそうなところではあるが、彼女の実力を認めないようなことはありえないだろう。そして、現在のザルワーンの登用方針は出自を問わない実力主義ということであり、ファリアが投降してくれば、即座に採用されるのではないか。彼女の武装召喚師としての実力はクルードも認めるところだ。才能があり、実戦経験も豊富そうだ。戦闘における機転も利く。部下や同僚に迎えるには十分すぎる人材だった。

もっとも、彼女の表情を見る限り、投降してくるような気配は微塵もなかったが。

「降れば、わたしはわたしでいられなくなるわ」

「くだらん意地だ」

「そんなくだらないもののためにひとは死ぬのよ」

覚悟を決めた女のまなざしに、クルードは、目を細めた。苛烈なまでの決意を秘めた彼女の瞳は、夏の烈日を思い出させた。未来を受け入れている、そんな目。勝てないことを悟り、負けることを受け入れ、なおかつ絶望だけはしていない。だが、そこに希望はないのだ。

クルードは、そういう目をしたものの最期を幾度となく見届けてきた。彼らは一様に最後まで抗い、そして、呆気なく死んだ。

「君が、な」

クルードは、地を蹴った。槍を振りかぶる。ファリアは、弓をこちらに向けたまま、微動だにしない。逃げようとも、矢を放とうともしなかった。無駄なことだと理解している。生存時間を引き伸ばすだけの無意味な行動だと、ようやく思い知ったのだ。彼はそこに彼女の潔さを見出すとともに、残念だとも思った。そこまでの潔さがあってなぜ、降伏することができないのか。降伏すれば新しい未来が開けるというのに。

距離は瞬く間に縮まる。ファリアの決然としたまなざしに変化はない。勇ましく、気高い表情だ。状況が許せば、じっと見惚れていたに違いない。だが、いまはそんなことを考えている場合でもない。彼女の体は、既に槍の間合いに入っている。

「残念だよ」

「わたしも、残念よ」

光竜僧がファリアの脇腹に突き刺さった瞬間、クルードの全身を強烈な電流が駆け抜けた。意識が一瞬真っ白になる。まさに電熱の嵐が巻き起こっているのだと理解したのは、数瞬間後のことであり、即座に光化できなかったのは思考が麻痺していたからだ。

凄まじい痛みの中で、彼は絶叫を上げている自分に気づいていた。いや、悲鳴を上げているのは自分だけではない。ファリア=ベルファリアも、咆哮するように声を上げていた。

クルードは、ようやく、彼女の覚悟の意味がわかったのだ。

ファリアは、彼を道連れにするつもりだったのだ。

クルードは舌を巻く思いで光化して、雷撃の嵐から抜け出す。激痛を抱えながら、間合いを取った。余裕に浸りすぎたのが、手痛い反撃を食らった原因だろう。もっと慎重に行動するべきだった。光竜僧は遠距離攻撃が可能なのだ。わざわざ槍で突き殺す必要はなかった。遠距離からなぶるように攻撃していけば、なにごともなく制圧できたはずなのだ。

(迂闊な……)

実体化したクルードは、自分の愚かさに顔を歪めた。全身に痛みが疼いている。体中の血液が沸騰するかのような電撃に焼かれ、衣服もぼろぼろになっていた。呼吸が乱れ、思考も正常ではない。目眩がする。熱を感じ、彼は左手で腹に触れた。鎧で覆われていない部分に、傷口があった。生暖かい液体があふれている。

血だ。