「前方、街道沿いにて休憩中の軍隊を発見!」

前方からの報告によって緊張が生まれる中、並走する部下が口を開いた。

「ガンディア軍でしょうね」

「ああ。彼らもファブルネイアを目指すか」

グレイ=バルゼルグの軍勢が進むイクセン街道は、ファブルネイア砦へと至る道程なのだ。マルウェールから龍府を目指す経路はふたつある。ひとつは北側を走るファナン街道を辿り、リバイエン砦へと至る経路。もうひとつが、南側を進むイクセン街道を抜け、ファブルネイア砦に至る道筋だ。

マルウェールから龍府に向かう場合、どちらを進むべきか悩むところかもしれない。距離に大差はなく、戦略や戦術との兼ね合いによって選ぶ道が決まるに違いない。グレイ軍が南側のイクセン街道を選んだのは、ガロン砦からリバイエン砦を目指すのは合理的ではないからだ。龍府への直線上にイクセン街道があっただけであり、その結果、ガンディア軍と遭遇しただけのことだ。

もっとも、マルウェールを制圧したガンディアの軍勢がファブルネイア砦を目指すというのは、グレイが予想していた通りでもあった。ザルワーンに雪崩れ込んだガンディア軍が部隊を三つに分け、多方面作戦を展開したのは、ザルワーンの戦力の集中を恐れたからであろうし、ザルワーンの有り余る戦力によるガンディア領ログナーへの攻撃を防ぐ目的もあったのだろう。ザルワーンの各地に分散した戦力を各個撃破していけば、ザルワーンの戦力を減らせるどころか、ガンディア領への脅威も減るというものだ。

そうやって連戦連勝を重ねたガンディア軍ではあるが、戦力を分散したまま五方防護陣を突破し、龍府を攻撃するとは考えにくい。五方防護陣の突破を目前に戦力を集結させるだろう。集結させた戦力ならば、五方防護陣など簡単に突破できると考えているだろうし、その考えは間違いではない。

ザルワーンの戦力は、いまや大幅に減少している。総兵力一万八千を誇っていたのは、グレイ軍がザルワーンに所属していた、末期とでもいうべき時代のものだ。一万八千でも、最盛期より少なくなっているのだが、グレイが麾下の三千人を連れて離反したことで、さらに減り、一万五千程度になった。

そこへ、ガンディア軍が攻めこんできた。兵力を補充する間はなかったのだろう。開戦前夜、グレイの知る限りでは、ザルワーンの戦力に変化は見受けられなかった。各地に配備された龍鱗軍がガンディア軍によって蹴散らされていく中で、ザルワーンが取るべきだったのは、戦力の一極集中だったのかもしれない。一万程度の大軍勢を作り、ガンディアの軍勢を個別に撃破していけば、勝利は見えたはずだ。

しかし、ガロン砦から龍府を睨むグレイの存在がそれを許さなかった。一万以上の戦力を動かすということは、龍府の防衛が疎かにならざるを得ない。総兵力が一万五千なのだ。しかも、ナグラシアの龍鱗軍が敗北し、その一万五千も実数ではなくなっていた。各都市の全戦力を動員してもまだ足りない。国境防衛の戦力か、五方防護陣の人員を投入して、やっと一万近い軍勢を構築することができるのだ。

それだけの大軍勢が用意できれば、ガンディア軍を撃退するどころか、撃滅することだって出来たに違いない。しかし、それは諸刃の刃だ。国境防衛の戦力を用いれば、近隣諸国に付け入る隙を生むことになり、かといって五方防護陣の人員を投入すれば、ガロン砦から龍府までの直線を遮るものがなくなるのだ。ザルワーンほど、グレイ軍の強さを知っている国はない。ザルワーンの最強部隊の名をほしいままにしてきたのが、グレイの軍勢なのだ。

神将セロス=オード率いる龍眼軍など、グレイたちの相手にもならない。それはミレルバスもセロスも理解していることだろう。だから、戦力の一極集中という手段を取ることができなかった。その中でもなんとかしようとしたのだろう。ミレルバスは魔龍窟から引き上げた武装召喚師たちに地位と戦力を与えていたが、それをガンディア軍迎撃に当てたようだ。武装次第では一騎当千といわれる武装召喚師だ。上手くやれば、ガンディア軍を撃退できたかもしれない。だが、ミレルバスの実の息子ジナーヴィは、彼が率いた数千の戦力ともどもガンディア軍に敗れ去った。武装召喚師はジナーヴィひとりではないし、グレイはすべての戦闘の結果を知っているわけではないが、ザルワーンはもはや挽回のできない状況にまで追い込まれていると見るべきだろう。

ナグラシア、バハンダール、ゼオル、マルウェール――既に四つの都市が陥落しているのだ。しかも、旧メリスオール領はグレイ軍の支配下にあったといってもいい。国土の半数近くが、敵の手に落ちている。しかも、敵は首都へと迫りつつある。この状況からどうやって挽回するというのか。

(できまい)

グレイは、ミレルバスの苦悩を思ったが、同情する余地はないとも思っていた。すべては彼が招いた事態だ。彼がグレイを裏切らず、メリスオールの王家臣民を丁重に扱ってくれていれば、こんなことにはならなかったのだ。グレイはザルワーンから離反せず、ガンディア軍の侵攻を跳ね除けるために全力を尽くしたに違いない。その折には、ザルワーン最強部隊の名に恥じない戦いをしてみせただろうが。

(詮無きことだ)

彼は頭を振って、前方に意識を集中した。鉛色の空の下、街道は遥か先にまで続いている。ザルワーンの原野に敷かれた街道の道幅は広く、程よく整備されている。皇魔によって荒らされた後もなければ、戦禍の痕もない。一般市民も安心して行き来できるのだろうが、グレイ軍の離反に続き、ガンディア軍の侵攻という事態に直面したいまとなっては、町の外を出歩く人間は極めて少ない。戦災を恐れて国外に逃げ出す人々もいないではないようだが、それも稀だろう。外国に伝手があるのならば話は別だが、そうあるものでもあるまい。

グレイの軍勢は、彼を含めた全員がブフマッツに騎乗し、進軍していた。約三千名が皇魔ブフマッツを駆り、ザルワーンの黒い大地を駆け抜けているのだ。馬蹄を轟かせ、大地を揺らし、土煙を上げながら、首都龍府を目指している。遠方から見れば、大量の騎馬兵が行軍しているようにしか思えないかもしれない。皇魔ブフマッツは、一見すると装甲を纏った馬のような姿をしているのだ。鋼鉄の体毛は装甲のようであり、立派な四肢に長い首は、馬のそれと同じだ。尾や鬣が青白く燃えているが、遠目からではわからないだろう。

きっと、ガンディア軍の物見がこちらを目撃しても、騎馬による集団移動としか思えないに違いない。まさか、皇魔を軍馬として扱うなど、だれが想像できよう。そもそもグレイが思いついたことではないのだ。ユベルによる提案であり、グレイがそれを受け入れたのは、戯れに近いのかもしれない。

前方、イクセン街道が緩やかな曲線を描いており、直線上に森が見え、その森を囲うようにしてガンディア軍の部隊が展開している。グレイ軍の行軍を察知したのか、それ以前から警戒にあたっていたのか。大層な陣容だった。地に突き立てられた無数の大盾が防壁のように並んでおり、そのすぐ後ろに無数の兵士が潜んでいるのだろう。遠目に見てわかるのはその程度だが、森の周囲に立ち並んだ天幕が、ガンディア軍がどのような状態にあったのかを教えてくれている。

「昼食中に邪魔をしてしまったようだな」

グレイが笑うと、部下たちも笑みをこぼしたようだ。

グレイ軍の目標は龍府であり、前哨戦としてのファブルネイア砦である。たとえガンディア軍が進路上にいたとしても、衝突は避けただろう。かつてザルワーン最強と謳われた軍勢とはいえ、無駄な消耗は避けたかった。

グレイは、わずかな消耗さえ嫌い、ガンディア軍が五方防護陣に取りついている間に龍府へと直行するという手も考えていたのだ。だが、ガンディア軍がそう上手く思い通りに動いてくれるとは限らない。もちろん、彼らも龍府を目指しているのは間違いなく、いずれ五方防護陣のいずれかを攻撃するだろうが、それがいつになるのかは皆目見当もつかなかった。それに、ガンディア軍の攻撃に合わせて龍府に突撃するとなると、ガロン砦で待機しているというわけにはいかなくなる。五方防護陣の近くに軍を潜め、機会を窺い続けなければならないのだ。糧食が尽きるかもしれない。士気が下がるのは目に見えている。分の悪い賭けにほかならない。

同じ、分の悪い賭けならば、自分たちの力だけで突撃するほうがましだ。どうせ、死ぬのだ。死ぬための場所を龍府に見出しただけのことだ。目的は勝利ではない。グレイの軍勢が最低限の糧食しか携行していないのも、目的が目的だからだ。長期戦などまったく考慮していない。龍府に辿り着く、ただそれだけのための兵糧しか用意していなかった。

「彼らには悪いことをしてしまいましたな」

「マルウェールでの戦いから三日、ですか。疲れも残っているでしょうに」

「ガンディアとしては、少しでも早くこの戦争を終わらせたいんだろうよ。なにせ、ガンディアは主戦力のほとんどをこの戦場に投入したというじゃないか。いくらルシオンやミオンが後ろに控えているとはいえ、いつまでも国を空っぽにしておくわけにはいくまいよ」

「そりゃあそうですけどね」

「それにしても、思い切ったことをしたものですな」

部隊長のひとりが、あきれるような顔をした。

「まったくだ」

グレイは部隊長の言葉を肯定しながらも、ふと、街道沿いの森に展開するガンディア軍の陣容を見たくなった。苦笑する。

(悪い癖だな)

ガロン砦滞在中に入手した情報によれば、マルウェールを制圧したガンディア軍は総勢三千名程度の戦力を保有しているという。マルウェールに駐屯していた第五龍鱗軍の兵数は千人。真正面からぶつかり合えば、ガンディア軍が勝利するのは目に見えている。しかし、マルウェールはこの時代の都市の例に漏れず、堅固な城壁に囲われた都市であり、要塞としても機能するのだ。マルウェールに籠もり、援軍を待ちながら戦えば、もっと持ち堪えることができたはずだ。ましてや、一日も持たずに落とされるなどということはなかったはずだ。

だが、現実にガンディア軍はマルウェールを半日足らずで制圧してしまっている。

マルウェールの龍鱗軍と戦うためにいったいどのような策を用いたのか、グレイは気になって仕方がなかったものの、戦闘前後の詳細が判明することはなかった。少なくとも、グレイが調べさせた範囲ではわからずじまいだったのだ。ガロン砦とマルウェールは近いとはいえ、本格的に情報を集めるには時間がかかりすぎた。

ひとつわかったことがあるとすれば、ガンディア軍とマルウェールの龍鱗軍が戦ったのは、マルウェールの市街地だということだ。つまり、ガンディア軍はマルウェールの強固な城壁や城門を突破する事ができたのだろう。そして、市街戦で勝利をもぎ取った。戦力差を考えれば、当然の結果なのだが、そのためには、両軍が正面からぶつかり合うという状況を作り出さなければならないのだ。並大抵の策ではない。

そんなことを考えているうちに、グレイたちはガンディア軍の陣地の脇を通り抜けていく。こちらの様子に驚いているのが見て取れたが、それは、皇魔に騎乗していることがわかったからだろう。あるいは、何千もの皇魔が接近してきたと思ったら、その上に人間が乗っていたことに気づき、愕然としたのかもしれない。どちらにしても、驚いて当然だ。人間と皇魔。反発しあう存在なのだ。特にお馬は人類の天敵と呼ばれ、人間と見れば襲いかかる習性があると信じられている。グレイもそう信じていたほどだ。皇魔が人間を背に乗せて走るなど、だれが想像できるだろう。

そして、グレイに唖然とするガンディア軍の様子を眺めている暇はない。手綱を握る手に力をこめ、ともすればガンディアの陣地に飛び込もうとするブフマッツを制御しなければならなかった。ブフマッツは、グレイたちに慣れたとはいえ、やはり皇魔としての本質から逃れられないのか、ガンディア軍の休憩地点が目視できるようになった辺りから鼻息が荒くなっていた。しかし、幸いにもグレイたちの命令を無視することはなかった。

もしブフマッツが命令を聞き入れず、ガンディア軍に突撃していたら、厄介なことになっていただろう。大規模な戦闘に発展していたかもしれない。もちろん、グレイ軍としてはガンディア軍と戦う意志はなく、たとえ戦闘になったとしても即座に停戦を申し入れただろうが、ガンディア側がこちらの申し出を受け入れるかどうかは別の話だ。戦闘が長引き、無意味に戦力を消耗するなど、考えたくもないことだ。

グレイは胸を撫で下ろしながら、ガンディア軍を一瞥した。森を中心に展開するガンディアの戦力は、二千から二千五百といったところだろうか。三千人のこちらよりは間違いなく少ないのがわかる。落とした都市の守備にも戦力を割かなければならないのがガンディアの辛いところだろう。その点、グレイ軍は気楽だった。護るべきものはすべて奪われ尽くしたのだ。メリス・エリスにもガロン砦にも、護るべきひとびとはいなかった。

滞在中、彼らの世話をしてくれたのは名を偽ったジベルの人間であり、メリスオールの国民はひとりとして生き残ってはいなかった。

だれひとりとして。

グレイは、進路に意識を集中させた。ガンディア軍の陣容に興味を惹かれるものはなかった。名のある将士の姿は見受けられなかった。街道を駆け抜ける間の僅かな時間では、陣地の様子を窺うことしかできなかったというのもある。それに、高名な将士が前線に出てくるはずもない。デイオン=ホークロウ将軍のような大物ならば、なおさらだ。

デイオン=ホークロウ。ガンディア軍を支える古参武将のひとりであり、ガンディア軍の再編において右眼将軍に並ぶ左眼将軍の位を授けられたらしい。らしいというのも、グレイは、ガンディアの内情について詳しくは知らないからだ。ザルワーンを見限らず、将軍として中枢に関わっていれば、ガンディアに関する情報も自然と耳に入ってきたのだろうが、ガロン砦を拠点としてからというもの、諸外国の情報はほとんど手に入らなかった。もっとも、それで困るようなことはなにひとつなかった。グレイとしては、ザルワーンの国内情勢さえわかっていればよく、ザルワーンの内情について知らせてくれる人間は山のようにいた。ザルワーンの現状に不満を持つひとびとが、グレイの離反を応援してくれていたのだ。

もちろん、グレイはそういったひとびとの期待に応えようとは思わなかった。彼らが望むのは、ザルワーンの現状の打開であり、ザルワーンという国は存続させてしかるべきだという考えなのだ。そこがグレイたちとは大きく異る。グレイは、いっそ、この国を滅ぼしたいとさえ思っていた。しかし、戦力的には不可能だということもわかりきっている。

だからといって、このまま意味もなく時が流れていくのを由とは思わない。

「能(よ)く死のう」

グレイが告げると、周囲で喚声が上がり、それは全軍に伝播していった。

ガンディア軍を驚かせてしまったかもしれない。

彼はふと、そんなことを思った。