「しかし、いい一撃だ」

男は、腹部の傷口を見下ろしながら、つぶやいた。ルクスは賞賛されて悪い気はしなかったものの、油断はしなかった。敵は武装召喚師だ。どんな奥の手を残しているのかわかったものではない。できるものならば、すぐにでも止めを刺すべきだった。

「ジナーヴィが殺されたのも納得できるというものだな」

「ジナーヴィは、あんたより余程凶悪だったぜ」

シグルドの声が聞こえて、ルクスは背後を一瞥した。勝利を確信したのか、シグルドもジンも無防備極まりなく近づいてきていた。敵の召喚武装は壊れた。致命的な一撃を受け、風を操ることはできない。そう判断したのだろうが。

「当然だろう」

男が、嗤う。

ルクスが言葉の意味を測りかねていると、男はゆっくりと立ち上がった。白金の鎧が光に包まれたかと思うと、無数の粒子に分解され、消える。異世界への送還。召喚武装が本来あるべき世界へと帰っていったのだ。無論、男の意思だ。彼は、敗北を認めたということだろう。ほかの召喚武装を呼び出すには、呪文を唱えなくてはならない。そんな素振りを見せれば、ルクスが首を刎ねるだけのことだ。彼に勝機はない。しかし、ルクスは、男の表情に余裕を見ていた。悪い予感がする。手の内のすべてを明かしていない男が、なにかを明らかにしようとしている、そんな空気。

「わたしにはまだやらなければならないことがある。せめて、ミレルバスの最期を看取りたかったが……仕方あるまい」

名残惜しそうに告げると、途端に男の体が崩れた。輪郭が歪んだかと思うと、瞬く間に崩壊していく。さっきまで生々しく流れていた血液も、手も足も頭も胴体も、砂のように崩れ去り、男が立っていた場所に積もった。その砂山の上に、小刀が突き刺さる。おそらく男が隠し持っていたものであり、それだけが実像を伴うものだったのだろう。

「こりゃあ……」

「やられましたね」

シグルドとジンが声を上げる中、ルクスは男の体を構築していた砂が風に流れていくのを見ていた。砂、ではないのかもしれない。砂のような粒子状の物体。この世のものでなかったとしても不思議ではない。小刀を拾う。

龍の装飾が施されたその小刀には、見覚えがあった。

「フェイ=ワイバーンの召喚武装……か」

フェイとは直接戦ったわけではないが、話によれば二刀一対の召喚武装であり、擬体を生み出す能力を持っているということだった。擬体と本体の区別をつけることは不可能で、ほとんど同時に殺さなければならないのだという。召喚武装の中でも特殊な部類の能力ではあるが、間違いなく強力な武器だ。

「つまり、あいつはずっと擬体だったってことか?」

「そういうことでしょうね。擬体に武装召喚術を行使させ、なおかつこちらを圧倒し続けた。やはり武装召喚師というのは、どうも、人間離れをしている気がします」

「まあ、人間離れしているのは間違いないっすね。ただ、それはあの男が、という意味だけど」

ルクスは手の中の小刀を弄びながら、自分になんの変化も起きないことを確認した。この召喚武装は、まだ別の武装召喚師の支配下にあるということだ。二刀一対の召喚武装。片割れを手にしただけでは、その恩恵を受けることはできないのだろう。そもそも、召喚者が生きているのならば、契約が優先されるのは当然の話ではあったが。

ルクスが子供の頃、父のグレイブストーンを手に持ったことがあったが、重すぎて持ちあげられなかったものだ。それは、グレイブストーンの主がまだ彼の父親であり、彼が使おうとすることにグレイブストーンが反発したからだった。

小刀は決して重くはないが、実用には耐えまい。ルクスを主として認識しないということは、切れ味も鈍っているに違いない。召喚武装の切れ味や威力というのは、召喚武装や召喚者の精神状態によって大きく変動するものだ。

しかし、手元に置いておくのは、悪いことではない。どこかに捨て置けば、またしても擬体を作り出されるかもしれないからだ。敵の精神力が続く限り、擬体は何度でも作り直せるだろう。もっとも、ルクスが小刀を掴むことができたということは、擬体が失われた直後に復元することはできないということでもあるだろう。

かといって、再びあの男と戦う気にもなれず、彼は小刀を短剣の鞘に収めようとした。大きさ的には問題はないが、その状態で走り回ると、ふとした拍子に鞘から飛び出してしまいそうな危うさもあった。

「……ジナーヴィほどの嵐が起こせなかったのは、擬体だったからか」

「おそらく、ね」

小刀の召喚武装を維持しながら、擬体にも武装召喚術を行使させ、あまつさえ戦闘に参加させるという、およそルクスには考えつかないようなことを平然とやってのけるような相手だ。武装召喚師としてはジナーヴィ=ワイバーン以上と見ていいのではないか。

周囲の惨状を見る限り、あれが擬体でなければ、もっと多くの被害がもたらされていたことは明白だ。何十人、何百人の味方が地に伏している。そのほとんどが戦闘不能であり、この戦いが終わってもしばらくは安静にしなければならないような重傷者が多数。死者の数も少なくはない。征竜野で、この戦場がもっとも過酷だったのは、疑いようがない。

《蒼き風》の団員たちも死んだ。大いに死んだ。ルクスの部下のようにいつの間にか死んでいたものもいれば、ルクスが見ている前で風の刃に切り裂かれて死んだものもいた。竜巻に吹き飛ばされ、死んだものもいた。どれくらい死んだのだろう。

立っている団員は数えるほどしかいないようだが、それがすべてということもあるまい。それだけならば、《蒼き風》は傭兵団としてやっていけなくなる。

「それにしても、死んだなあ」

「また、集めなければなりませんね」

「すぐに集まるかねえ」

「人数を揃えるだけなら、問題はありませんが」

「……ま、それはおまえに任せるとして、だ」

難しいことはすべてジン任せ、というのがシグルドのやり方だったが、ジンもジンで、満更でもなさそうな顔をしていた。シグルドに頼られるのが嬉しいのだ。ルクスと同じだ。ジンも、シグルドに惚れて、惚れ込んでいるから、行動をともにしている。でなければ、こんな破滅型の男に付き従うはずもない。

破滅的でありながら、人間的な魅力にあふれているのが、シグルド=フォリアーという男だ。

彼のために死ねる人間だけが、《蒼き風》に集まっている。

戦場に漂う無数の光を眺めながら、ルクスは、ゆっくりと息を吐いた。戦いはまだ終わってはいない。しかし、《蒼き風》の役割は果たせただろう。契約分以上の働きをしたはずだ。敵武装召喚師の撃破だ。これ以上ない戦果といえる。

これで、《蒼き風》の契約延長は安泰だろう。

「勝ったな、ルクス」

「勝ったよ、団長」

シグルドに頭をがしがしと撫でられながら、彼は久々に満足感を覚えた。

「そろそろ、決着をつけるとしましょう」

そう言い出してきたのは、女のほうだった。

セーラ・ベルファーラ=ガラムといったか。ファーラの孫のセーラという意味の名前だが、ファーラなどという名前に聞き覚えはない。ザルワーンにおいては有名なのかもしれないが、ログナー生まれのウォルドには興味さえ抱けない。

ログナーに生まれ、ログナーで育ったウォルドだが、ログナーそのものにも特別な感情はないといっていよかった。ガンディアに破れ、国が消滅したときはさすがに悲しくなったものだが、それだけのことだ。親兄弟が元気にやっているだろうことは間違いなかったので、心配さえしなかった。

乾いているのだろう。

国への愛も、親への愛も、兄弟への愛も、乾ききっているのだろう。

武装召喚師になるための修練の日々が、傭兵としての日々が、そういった感情を忘れさせたのかもしれない。郷愁を覚えることはなく、寂しさもない。人間は元来、孤独であるという事実に直面し、認識している。

だからこそ、親の名を背負う彼女のような生き方は眩しく思えたし、叩き潰したくもなった。