「オリアス=リヴァイア……それが擬似召喚魔法の使い手なのね?」

ファリア=バルディッシュが尋ねたのは、四大天侍の長であるシヴィル=ソードウィンに対してだ。ファリア=バルディッシュは老人ではあるが、戦場に立っているだけはあるのか、若々しさにあふれている女性だった。青みがかった髪とエメラルドグリーンの瞳が、ファリア・ベルファリア=アスラリアによく似ている。彼女の祖母なのだから似ていても不思議ではないし、むしろ似ていないほうがおかしいのかもしれない。

つまるところ、ファリアは母方の容姿を色濃く受け継いでいるということになるのだろう。

ファリア=バルディッシュが身に纏う白の長衣は召喚武装であるといい、常時召喚しているということから彼女の武装召喚師としての力量が窺えるというものだろう。召喚を維持するということは、それだけで精神を消耗するものなのだ。消耗をいかにして抑えるかが武装召喚師としての腕の見せどころであり、そればかりは感覚で身につける以外になく、他人から教わることのできない技術であるらしい。

セツナの黒き矛の維持費用も、最初に比べれば少なくなっているようだった。ザルワーンでの経験が大いに役立っている。守護龍との一日以上に渡る対峙は、セツナに精神力の限界を突きつけ、維持費の捻出方法を無意識に理解したようだ。それでも空間転移の多用は負担となったし、強力な能力の連発が多大な負担となることに違いはない。

つぎの戦いを考えれば、出来る限り消耗を抑えるようにしなければならない。

セツナがいるのは、ウェイドリッド砦の北塔、その屋上だ。覚めたような青空の下、降り注ぐ陽光だけが暖かい。地上十数メートルの塔の天辺。吹き抜ける風は、突き刺さるほどに冷たいのだ。

そんな冷気の中、連合軍の武装召喚師が顔を揃えていた。とはいえ、全員ではない。主戦力に分類される武装召喚師だけが、リョハンの戦女神ファリア=バルディッシュに名指しで呼ばれたのだ。連合軍に随行している武装召喚師全員を集めるには、塔の天辺は手狭だろう。

「おそらく。ザルワーンに守護竜を召喚したのは、オリアン=リバイエンと名乗る人物であり、その正体が現在魔王軍総司令オリアス=リヴァイアだということは明らかになっています。オリアン=リバイエンは、ザルワーンの五砦を召喚の術式に利用したようですし、同じ方法でリネンダールを消滅させたと考えるのが妥当でしょう」

シヴィル=ソードウィンが、淀みなく回答する。理知的な語り口が、彼の人格の一端を表している。二メートル近い巨躯は、ただそれだけで迫力があった。

「リヴァイア……リヴァイアね。なるほど……少し読めてきたわね」

「なにがなるほどなんですか。なにひとりで納得してるんですか。ぼくらにもわかるように説明してくださいよファリア様」

意味深長につぶやいたファリア=バルディッシュに向かってまくし立てたのは、マリク=マジクという少年武装召喚師だ。この場にいる武装召喚師の中で間違いなく最年少である彼は、齢十五で四大天侍に抜擢された天才であるらしく、ザルワーン方面での戦いでもっとも多くの皇魔を殺した人物であった。セツナがクルセルクの三都市で倒した皇魔の数とどちらが多いのかわからないのは、どちらも正確な数が判明していないからだ。

黒き矛に匹敵しうる唯一の戦力だというのだが、彼の戦いを直接目で見ていないセツナにはわからないことだった。それに敵ではないのだ。頼もしい味方に敵対心を抱く必要もない。

「敬語を使えばいいというものでもないよ、マリク=マジク」

「がっつきすぎだっての。まったく」

「ほほほ……元気で可愛らしくて、よいじゃないですか」

「良くないですう」

ニュウ=ディーが、マリクの頬を左右に引っ張りながらいった。二十代半ばくらいの女性だ。白と青を基調とした衣服が彼女の豊かな胸を強調しており、一部男性武装召喚師の視線を釘付けにしていた。ファリアと知り合いらしく、この場に到着するなり抱きついていたのが印象的だった。

ファリアの知り合いはもうひとりいて、カート=タリスマという剃髪の男がファリアに会釈をしていた。ファリアとカートは同門(つまりアスラリア教室出身)であり、古いつきあいではあるらしい。もっとも、カートは寡黙なのか、ファリアと言葉をかわす様子も見せなかったが。

「大召喚師様が寛容すぎるのです。我々は四大天侍。戦女神の使徒であり、リョハンの守護。それでは、他のものに示しがつきません」

「厳格なのもいいけれど、それで話の腰を折られても困るわね」

と、ミリュウがシヴィルを睨んだのは、彼女には聞き捨てならない言葉があったからだろう。セツナの腰に回っていた彼女の手が、いつの間にか離れていた。

「ミリュウ……!」

「ファリアのお祖母さん、オリアス=リヴァイアについてなにを知っているの?」

「あなたがミリュウちゃんね。ファリアちゃんと仲良くしてくれているそうね。話には聞いているわ」

ミリュウの刃のように鋭い言葉も、大召喚師は、飄々とした態度でかわしてみせた。

「ファリアとは仲良いけど、いまは関係ないわよ。あたしが聞きたいのは、オリアス=リヴァイアのことよ」

「どうして?」

「オリアス=リヴァイアはあたしの父親だから、知っておかなくちゃならないのよ」

「あら、そうだったのね。それなら全部教えてあげたいけれど、知っていることなんてほんのわずかよ」

「それでもいい。教えてください」

「わかったわ。でも、それは後でね。いまはアレとどう戦うべきか考える事のほうが先決でしょう」

ファリア=バルディッシュは、北の方角を指し示して、話題の転換を図った。ウェイドリッド砦の北には、リネンダールがあった。擬似召喚魔法の犠牲となって消滅した都市には、いまは天を衝くほどに巨大な鬼が君臨している。もちろん、ウェイドリッドから目視できるわけもない。だが、この場にいる武装召喚師は巨鬼の存在を知っていたし、その対策を練るために集められたということも知っている。

主力級の武装召喚師ばかり呼び集められたのは、巨鬼と戦うには、並大抵の戦力ではどうすることもできないことが判明しているからだ。近距離の敵には鉄拳を振り下ろして周囲の地形ごと圧砕し、超長距離射程の砲撃で遠距離の敵にも対応することができる。

ザルワーンの守護龍よりも恐るべき存在かもしれない。

ミリュウがセツナを一瞥した。その瞳には、父親のことについて問い質したいという想いと、別の感情が入り混じっていた。

「わかったわよ。でも、あとでちゃんと教えてよね」

「ええ。約束よ、ミリュウちゃん」

大召喚師は、ミリュウの口の悪さに対しても、笑みをたたえた表情を一切崩さなかった。それも顔面に張り付いたような笑みではないのだ。心からの笑顔に見える。ミリュウの荒んだ心さえも包んでしまうのではないかと思えるような表情に対して、ミリュウは憮然とした顔になった。

「……なんか調子狂うわ」

「お祖母様に対抗しようだなんて無駄な努力よ」

ファリアがどことなく勝ち誇っているような表情なのは、きっと気のせいだろう。

「さて、話を戻しましょう。連合軍が纏めた情報によれば、リネンダールに召喚された存在はとてつもなく巨大で、都市まるごと飲み込むほどの大きさを誇るそうよ」

「とてつもなく巨大な的ってわけね。狙いやすそー」

「あれだけ巨大だと、どんな下手な狙撃手でも当てられるだろうな」

そういって腕組みしたのは、シーラ・レーウェ=アバードだ。召喚武装の使い手であり、連合軍主戦力のひとりである彼女も、当然、この場に呼ばれていた。ルクス=ヴェインも呼ばれているし、ルシオンの武装召喚師も参加している。

《獅子の尾》からは、医療班のふたりを除く四人が呼ばれていた。武装召喚師ではないレムは、この場に参加する資格が無いとして、階下で会議の終了を待っている。なによりも護衛任務を優先する彼女も、さすがにリョハンの戦女神を敵に回すことはできなかったらしい。

「が、射程距離に近づけるかどうかは別問題だ」

シーラがいうには、巨鬼の射程距離は尋常ではないのだ。リネンダールから遠く離れた場所に作った陣地にまで砲撃が届き、アバード混成軍は大打撃を受けたという。

「そこは、覚悟を決めてどうにかするとか」

「覚悟でなんとかなるものかよ」

ルウファの適当な言葉に対し、シーラは悪態をついただけだった。ルウファはおっかなそうな顔をしたが、ファリアの半眼にはさらに顔をこわばらせた。

「でしゃばるものじゃないっすね……」

(覚悟を決める……か)

セツナは、握っていた拳を解くと、手のひらを見おろした。汗が滲んでいる。

『カインは重要な戦力だ。ガンディア軍の中でも彼ほど自由に動かせる駒もいない。つまり、遊撃だな。《獅子の尾》が隊でこなす役割を、彼はただひとりで請け負っている。もちろん、戦果は君たちと比べられるものではないが』

レオンガンドの言葉を思い出してしまったのは、彼の覚悟が、セツナの心に重くのしかかっているからかもしれない。

『正直いって、カインを失うのは痛い。できるならば、彼を死なせたくないのが本音だ』

国民の想いを裏切り、感情を踏みにじってまで得た戦力だ。しかも、カインは他の戦力よりも機能している。失うのを惜しく感じるのは当然のことだ。セツナも感情としてはカインを認めることはできないものの、彼が有能で優秀な武装召喚師であることは否定しない。ガンディアにとって必要な戦力であることも理解している。

だが、レオンガンドが殺せと命じれば、彼を殺すだろう。

それがセツナの役割だ。

『しかし、ナーレスは躊躇はしないだろう。この戦争に打ち勝つには、魔王を封じるしかない。カインひとりの命で何千、何万の命が救われるのだ。これ以上の選択肢はない。わたしもそれは理解しているし、ナーレスの決定を覆すつもりもない』

『だが、それはあくまでも最終手段だ。ウルの異能を使うのも、カインの命を奪うのも、ほかの手段が通じなかった場合の保険に過ぎない』

それはそうだろう、と思った。カインが重要な戦力なのは、ナーレスだって認識しているところだろう。そのような戦力を捨てる前提で策を組むとは考え難い。もちろん、それはセツナのような常人の考えだったし、軍師が常識にとらわれるとも思えないが。

『わたしはね、セツナ。君に感謝しているのだよ』

唐突な話題の転換に、セツナは面食らった。

レオンガンドの目が、透明に澄み渡っていた。焼け落ちたカランの街で、最初に出逢ったときのことを想い出したのはそのせいだろう。レオンガンドほど綺麗な顔立ちの男は、見たことがなかった。

『君がいたから、ガンディアは急激な成長を遂げることができた。君と黒き矛があったればこそ、ガンディアはログナーを下し、ザルワーンを倒せたのだ。君がいなければ、ガンディアはいまだログナーと領土争いをしている最中だったかもしれないし、ザルワーンの協力を得たログナーに押し潰されていたかもしれない。ナーレスの工作が明らかになれば、ザルワーンが南進に傾くのは当然の道理だ。当時のガンディアでは、ザルワーンの圧倒的な物量を押し留められるわけがない』

レオンガンドに賞賛されて悪い気はしないのだが、それ以上にこそばゆいと思う気持ちのほうが強かった。そして、レオンガンドの言葉が、セツナを持ち上げるためだけの空虚なものではないことは、その声の響きでわかる。勘違いかもしれない。気のせいかもしれない。しかし、信じるに足る力が、そこにはあったのだ。

『君に逢えてよかった。君がいてくれて、本当に良かった。君がガンディアに留まってくれて。ガンディアのために力を振るってくれて。ガンディアの矛として戦ってくれて、良かった』

レオンガンドが発する言葉のひとつひとつが、セツナの心に響き、染みこんでいく。この世界に召喚されてから、初めてセツナを必要としてくれたのがレオンガンドだった。アズマリアはセツナを突き放し、その当時のファリアはセツナを必要としていたわけではなかった。レオンガンドだけが、セツナを欲した。

もちろん、それは黒き矛あっての需要だ。

セツナと黒き矛――いや、カオスブリンガーの使い手としてのセツナが必要だったのだ。それはいまも変わらないだろう。セツナが黒き矛を呼び出せなくなれば、それだけでセツナの価値は激減する。レオンガンドは同じ言葉を投げかけてくれるだろうが、心に響く音色は変わるはずだ。

黒き矛。

半身。

いまや黒き矛は、セツナにとってなくてはならないものだ。

『君は、これからもガンディアのために戦ってくれるだろうか?』

レオンガンドの声の調子が変わったのは、懸念を表明するためだったのかもしれない。

『たとえば、ガンディアの支配者がわたしではなくなったとしても、君はその矛をガンディアの敵に向けてくれるだろうか?』

いつだってそれだけが心配なのだ、とレオンガンドは告げてきた。