冬も、終わりが見え始めている。

相変わらず寒い日々が続いているものの、二月の頭に比べればかなり過ごしやすくなってきていることは疑うべくもなく、日中、厚着でいると汗をかくことが多くなってきていた。気温が、少しずつ上がってきているのだ。

太陽は眩しく、陽光を跳ね返す白雲も目に痛いほどだった。滲んだような青空は相変わらずで、空を游ぐ鳥達の姿を見ると、心に平穏を感じるほどのゆとりが、彼女の胸に生まれていた。

二月十二日。

戦いは終わった。

彼女たちの役割は、完全に終了したといっていい。契約上、彼女たちは、魔王軍の皇魔を撃滅することだけしか許されていない。人間同士の戦いには関与しないのが、リョハンの意志だった。人間同士、国同士の争いを否定するのではなく、リョハンというあまりに強大過ぎる力が関与したことで、均衡を破壊するのを極端に恐れているのだ。もっとも、小国家群の均衡は、とっくに壊れているというのは、今回の戦争でよくわかったのだが。

だからといって、リョハンが力を貸すのはまた別の話だろう。リョハンほどの力があれば、どれほどの小国であっても、瞬く間に大国、強国に上り詰めることができる。

戦女神と四大天侍の力は、それほどまでに強大だ。そして、それだけの力がなければ、魔王との戦いに人間が勝利することはできなかったかもしれない。少なくとも、頼れるのが黒き矛の少年だけでは、連合軍が力尽きたのは火を見るより明らかだ。

皇魔の討伐だけでもリョハンを頼るという連合軍の判断は、正しかったということだ。

果たして、魔王は軍を引き、魔王配下の皇魔は本来あるべき場所に戻っていった。本来の住処に戻っていったのだ。皇魔の巣も滅ぼすべきだったが、契約外のことまでする必要はない。その上、四大天侍たちは消耗しきっている。これ以上の消耗は、命にかかわるだろう。

幸いにも、連合軍の戦争も一区切りがついた。

戦女神と四大天侍たちは役割を果たせたのだ。

しかし、リョハンからきた全員が生き残ったわけではない。

奈落の底まで続くような大穴を見下ろしながら考えるのは、彼のことだ。クオール=イーゼン。護山会議直属の武装召喚師にして、レイヴンズフェザーという至極便利な召喚武装の使い手である彼は、戦女神と四大天侍をリョハンからガンディアまで連れて行くという役目を帯びていた。また、リョハンに連れて帰るのも彼の役割だった。

その彼が戦死した。

リネンダールに出現した巨鬼を討つため、彼が犠牲となった。そうしなければならなかった。そうしなければ、連合軍は各方面で勝利を得ることすら難しかっただろう。ほかに方法はなかった。あるとすれば、セツナをぶつけるか、ファリア=バルディッシュをぶつけるか、マリク=マジクをぶつけるかの違いしかない。いずれにしてもクオールはいかなければならなかった。そして、いった以上、死ななければならなかったのだ。

「見つからないなあ」 

マリク=マジクが途方に暮れたようにいった。リョハンが誇る天才児に負傷は見当たらない。が、相当消耗していることが彼の言動から窺えた。普段の不遜さが鳴りを潜め、甘えたような言動が目立っている。ニュウ=ディーにつかず離れず行動しているのも、その証拠だ。

「ちゃんと探しなさいよ」

「探してるよお」

「召喚武装でも使いますか」

シヴィル=ソードウィンが事も無げにいったが、皆、そう簡単に召喚できるような状況にはなかった。シヴィル自身は、消耗もそうだが、満身創痍といった有様であり、本来ならばゼノキス要塞の仮設病院にでも籠もっているべきなのだ。シヴィルは、リネン平原での戦闘で負傷したという。ローブゴールドは攻撃も防御も行える強力な召喚武装だが、相手のリュウフブスが用いた召喚武装がその性能を圧倒したという。ローブゴールドの防御を突き抜けるほどの力には、シヴィルも死にそうになったようだ。

しかし、クオールの痕跡を探しに行こうというマリクの提案に真っ先に乗ったのがシヴィルだった。クオールは、四大天侍でもなければ、四大天侍とは関わりの薄い部署にいる。だが、クオールほどの人材は、どこにいようとも四大天侍の興味を引くものだった。護山会議が許していれば、彼が四大天侍の末席に加わっていた可能性もあったのだ。

と。

「……武装召喚」

カート=タリスマが術式の末尾を唱えると、爆発的な光とともに大斧が出現した。女神が刻印された戦斧は、彼が愛用する召喚武装であり、名をホワイトブレイズといった。サマラ樹林の戦いにおいて、敵軍指揮官を討ち取るお膳立てをした召喚武装として知られている。四大天侍の召喚武装の中では地味な召喚武装といえるのだが、派手さと能力は必ずしも比例するものではない。

「わお」

「さすがです」

マリクとシヴィルが感嘆の声を上げたのは、カートの行動の速さと術式の見事さだけでなく、四大天侍一ともいわれる頑強さもあるだろう。彼も、連戦で消耗しているはずだった。しかし、カートの仏頂面に疲労の影さえ見えない。疲れているのかどうかさえわからないほどの無表情ぶりは、カート=タリスマの真骨頂ともいえるのかもしれない。

カートは、無言のまま、召喚武装の能力を発揮したようだった。とはいえ、攻撃用の能力を駆使するわけではなく、召喚武装を手にしたことによる副作用とでもいうべき五感強化を活用するのだ。召喚武装を手にした人間は、通常時からは考えられないほど研ぎ澄まされた感覚を得る。視覚、聴覚、嗅覚……あらゆる感覚が増大する武装召喚師の戦いが常人についていけないものになるのは当然なのだ。そして、皇魔の武装召喚師が強力なのも必然だった。人間と皇魔では、基準となる能力に差がある。その差が、召喚武装によってさらに開くのだ。

それでも戦い抜けたのは、ニュウたち四大天侍が上手であったからであり、皇魔の武装召喚師たちが稚拙だったからにほかならない。

魔王軍の皇魔が武装召喚術を学んだのは、少なくともザルワーン戦争終結以降のことであり、多く見積もっても四ヶ月程度の期間しかない。その短期間で武装召喚術を使いこなせるようになるというのは、人間ではありえないことであり、皇魔の素養がいかに優れているかがわかる。天才児ことマリク=マジクでも、そのような真似はできないだろう。

しかし、数ヶ月は数ヶ月だ。十年以上武装召喚術の研鑽と練磨を続けてきた四大天侍と練度の差が生まれるのは当たり前のことだ。

それでも勝って当然とはいえない戦いだったという事実には、苦い表情をするしかない。

「向こうだ」

カートが指し示したのは、大穴を挟んだ向こう側の森の中であり、ニュウたちは顔を見合わせて、肩を竦めた。まったく関係のない場所を探していたのだ。見つかるはずもない。

が、それもこれも仕方のない事だった。

クオールの痕跡を探そうというマリクの提案自体、あてのないものだった。クオールは、セツナをリネンダールの巨鬼の元に運ぶために飛翔し、遥か上空で光に包まれて消えた。その直前、クオールは役割を果たすために、セツナを投下している。セツナは、クオールの最期を確認したわけではない。しかし、彼を巨鬼の元に送り届けたレイヴンズフェザーの羽が力を失ったという発言は、クオールが意識を失った事実を示している。そして、超上空で意識を失うということは、巨鬼の攻撃を耐え凌いでいたとしても、落下死は免れ得ないということだ。

考えれば考えるほど、彼が死んだという現実を認識させられた。

提案したマリクは、クオールの生存を信じているわけではない。ただ、彼が生きていた証が残っているのではないか、というのだ。クオールはレイヴンズフェザーという類まれな召喚武装を愛用していたが、それ以外にも能力を増幅するための召喚武装を用いていた。

それが残っているかもしれない。

巨鬼の攻撃で破壊されたとしても、その破片は残るはずだ。

他人に無関心なマリクがクオールのことになると少し感情的になるのが、不思議だった。マリクにとってクオールは特別なのだろう。そう思うよりほかなかった。

マリクの提案には、ファリア=バルディッシュも諸手を上げて賛成してくれた。魔王が引き上げ、軍を解散した以上、リョハンの武装召喚師に出番はない。その上、すぐさまリョハンに戻る必要もない。時間はあった。大ファリアは、連合軍首脳陣とともにクルセールに赴くため、クオールの痕跡捜索には付き合えなかったが、気持ちは同じだった。

だから、なんとしてでもクオールの痕跡を探しださなければならなかった。

ゼノキス要塞からリネン平原の戦場跡地を南に通過し、リネンダールに辿り着いたのが今朝だった。それから半日近く、大穴の北側を捜索していたことになる。

カートの示した大穴の向こう側に到着するまで、数時間かかった。夕焼けが東の空を染め上げ、冷気が世界を支配し始める頃合。

ニュウたちは、先導するカートの背を追い続けて、ようやく目的地に至った。

リネンダール南方の小さな森の中だった。巨鬼の光弾が降り注いだのだろう。木々が薙ぎ倒され、無数の破壊跡が森の景観を壊し尽くしていた。森を住処にしている動物たちには迷惑以外のなにものでもなかったはずだ。

草木を掻き分け、森の中を進んでいく。

「こっちだ」

カートの言葉はいつだって簡潔だ。ほとんど喋らない彼が二度も言葉を発しただけ、今日は貴重な日かもしれない。そう考えてしまうほどに寡黙な人物だった。なにを考えているのかはわからないが、仲間思いなのは、その行動からもわかるだろう。

彼は、消耗をおして、武装召喚術を行使している。

そうするうちにカートが立ち止まり、視線でなにかを示した。マリクが真っ先に駆け寄り、彼の視線の先に屈みこむ。

「あった……! あったよ! クオールの!」

彼が喜び勇んで掲げたのは、銀細工の腕輪のように見えた。確かにクオールがよく身に着けていた記憶がある。ただの腕輪ではなく、召喚武装だということまでは知らなかったが。

「それが、クオールの召喚武装?」

「そうだよ。これで、飛距離を伸ばすんだっていってた。ずっと前だから、クオールも覚えていなかったかも」

「ずっと前……」

「うん。ずっと前。ぼくがもっと子供の頃のお話」

マリクは、想い出を心にしまうように、その腕輪を大切そうに抱えた。傷だらけの腕輪は、もはや召喚武装として機能することはなさそうだった。