「ぶちのめす? それは俺様の台詞だろう?」

ベインは、嘲笑いながら突進してきた。猛然たる勢いの突撃は、周囲の兵士を跳ね飛ばしながらであり、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートの戦闘能力の凄まじさがうかがえるものだった。ドルカ軍兵士たちが悲鳴を上げる中、セツナはシーラが後ろに下がるのを見た。瞬間、地を蹴っている。ベインに向かうのではなく、落下予定地点へ飛ぶ。

「はっ、なんだよ、諦めたのかよ!」

ベインが叫びながらも進路を変更しないのがわかる。彼の目的は、セツナではない。シーラなのだ。セツナはついでに過ぎない。というよりも、セツナを排除しなければシーラに攻撃できないから、セツナを優先しただけのことなのだ。彼ら騎士団の目的を最優先にした動きは、見習わなければならないのかもしれない。だが。

「違えよ」

セツナは、ベインの言葉を否定した。着地とともに矛を構える。

「ぬおっ!?」

ベインの叫声は、彼がまたしても磁力によって移動させられたことの証明。そして、セツナの眼前まで飛んで来る。もの凄まじい勢いで引き寄せられてきたのは、その場にミリュウの刀の破片が埋め込まれていて、同じく刀の破片がベインの鎧の隙間に入り込んでいたからだ。セツナは、それを見逃さなかった。

「またかよ!?」

見事に落下したベインは、巨体を地に叩きつけられ、舞い上がる粉塵の中でうめいた。ミリュウの召喚武装の能力は、ベインほどの膂力があっても抵抗しようがないのだろう。強力極まりない能力であり、彼女が騎士団兵を平然と蹴散らすのも納得できた。そして、敵兵を蹴散らしながらもこちらの戦いに意識を向けられるミリュウの視野の広さに舌を巻く。が、感心している場合ではない。ミリュウが作ってくれた好機を逃すわけにはいかないのだ。

セツナは、ベインが起き上がろうとするよりも早く跳びかかった。

「安心しろ、これで終わりだ」

「あん?」

ベインが怪訝な顔をしたのが見えたのは、セツナが、起き上がろうとする彼の真上に到達していたからだ。そして、セツナは黒き矛を突き下ろした。黒き矛の切っ先がベインの胸当てを突き破り、胸の表皮を抉らんとしたまさにその瞬間、閃光が視界を白く染めた。二重の衝撃と激突音。ベインが両拳でもって矛の穂先を挟みこむようにしたのだ。そのまま極めて強固に固定され、引くことも押すこともままならない。ベインが獰猛な笑みを刻んだ。吼える。

「甘えんだよ!」

「どうだか」

セツナは、異様な態勢のまま、表情ひとつ変えなかった。焦らず、力を解放する。手甲に挟まれたままの漆黒の穂先が白く膨張したかに見えた直後、カオスブリンガーから光の奔流が放たれた。が、光はベインの胸を貫くことも焼くこともなかった。咄嗟に投げ出されたことで、黒き矛の光線はあらぬ方向に飛んでいってしまったのだ。そして、セツナ自身もあらぬ方向に投げ飛ばされている。空中で方向転換などできるはずもなく、自軍兵士たちが隊伍を組んでいる真っ直中へと落下する。叫ぶ。

「どけえっ!」

「ひいっ!?」

咄嗟に散開した兵士たちのちょうど真ん中の地面に激突するも、打ちどころが良かったのだろう。セツナは大した痛みも感じぬまま即座に起き上がり、兵士たちを一瞥した。

「すまん、邪魔したな!」

「い、いえ、とんでもないです!」

「こちらこそ、邪魔をしているみたいな……」

兵士たちが口々に返してくる言葉に反応している暇もない。前方、ベインは既に起き上がっている。胸甲こそ破壊できたものの、それだけのことだ。致命傷を与えることさえできていない。セツナは手を抜いたわけではない。本気で殺しに行っている。だというのに、ベインを殺せなかったのは、純粋に彼の実力故だ。すさまじい反応速度でこちらの攻撃を防ぎきったのだ。跳躍からの突きだけでなく、至近距離からの光線にも対応できている。

(強えな……)

セツナは、黒き矛を握り直すとともに、ベインに向かって駈け出した。

ベインは、ただひとり、立っている。ガンディア兵の真っ直中に、平然と突っ立っているのだ。兵士のほとんどが遠巻きに包囲するだけで、彼に攻撃を試みようともしない。そんなことを試みれば最後、無残な肉塊に変わり果てるということがわかりきっている。肉塊に変わり果てた兵士の死体がいくつか、彼の足元に転がっているのだ。セツナが投げ飛ばされている間に殺されたのだろう。

そしてベインは、こちらを見てはいない。彼が見ているのはシーラであり、セツナなど眼中にはないのだ。セツナが攻撃をしたから反撃をしているだけ。シーラを守っているから、排除しようとしているだけ。セツナがシーラから離れたのなら、相手にする必要ももない。

(その上冷静だ)

ベインは怪力だけが取り柄の男ではない。常に状況を把握し、冷静に判断できている。だから、セツナの攻撃にも対応でき、光線の発射にも反応できたのだ。油断のならない相手だということはわかりきっていたし、十三騎士の実力は、闘技場で見せたものがすべてではないということも理解していたつもりなのだが。

(まだまだ甘く見ていたってことか)

ベインとシーラの距離は離れている上、その間には多数の兵士がいる。しかもシーラの周囲には、黒獣隊をはじめ、元アバードの兵士たちが多い。彼らは、肉壁となってシーラを守ろうとするに違いなく、シーラの身の安全だけを考えれば、多少なりとも安心してもいいのではないか。

(いや)

セツナは即座に頭を振って、胸中で前言を撤回した。ベインが本気を出せば、どれだけ通常人がよってたかったところでなんの意味もないことくらい、これまでの戦いでわかっている。無駄に命が散るだけのことだ。ベインは、セツナが抑えなくてはならない。

強敵の制圧は、黒き矛の役割なのだ。

地を蹴り、加速する。

兵士たちの頭上を超えて、動き出したベインに殺到する。ベインがこちらを見た。嗤った。拳が光熱を発しながら、うなりを上げる。咄嗟に振り下ろした矛の切っ先とベインの拳が激突し、爆発が起きた。力の爆発。衝撃波に吹き飛ばされ、ベインとの間合いが開くのがわかるも、どうすることもできない。ベインも吹き飛んでいる。巨躯でも踏ん張れないほどの衝撃波が発生したということだ。着地とともにベインとの間合いを詰めるべく駆け出そうとしたとき、セツナは、視界を灼く紫電に足を止めた。

紫電の帯が、辛くも転倒を逃れたベインへと殺到し、着弾と同時に爆発を起こした。オーロラストームの雷撃。

「ちぃっ!」

爆煙の中から聞こえる舌打ちによって、ベインの無事が知れた。常人ならば致命傷間違いなしの一撃だったはずだが。

「セツナ!」

厳しい声が、セツナの耳に突き刺さった。

「目的を忘れない!」

「あ、ああ……!」

ファリアの叱咤がセツナの頭を殴りつけるかのように響き、彼ははっとした。瞬時に把握して、その場から飛び離れる。雷撃の帯が連続してベインに襲いかかり、直撃とともに爆発を起こす。普通ならこれで終わるはずなのだが、爆煙の中で蠢く気配は、ベインが生きていることを示していた。

(そうだった……!)

セツナは、己の目的を再認識した。目の前の戦いよりも、目的の達成こそ優先するべきなのだ。ベインのように。

「御主人様!」

レムの声が聞こえたかと思うと、黒馬に跨ったメイドが、颯爽と視界に飛び込んできた。自軍兵士をかき分けながら爆走してくるそのさまは、まさに暴走といっても過言ではなかったが、目的を果たす上で移動用の馬ほど重要なものもない。セツナは、レムが伸ばした手を掴み、彼女の細身からは考えられないほどの膂力で引っ張りあげられると、鞍に座るなり、彼女から手綱を受け取った。

「手間を掛けさせたな」

「いえいえ、これくらいお安い御用でございます。では、わたくしはファリア様の援護に」

「ああ、頼む」

「頼まれましてございます」

レムがふわりと馬の上から飛び降りた。悠然とした跳躍は、優雅としか言いようがなく、絵になった。状況が状況であれば見とれるのも悪くはなかったが、なにぶん、そのような余裕はない。セツナは、左手で手綱を捌きながら、視線を巡らせた。混沌とした戦場だが、シーラの姿はすぐにみつかるはずだった。と。

「あたしは!?」

どこからともなく声が聞こえたかと思えば、ミリュウが黒馬と並走していた。黒馬が全速力で走っているわけではないのもあるが、ミリュウがかなりの速度で走っていることも大きい。

「なにが?」

「あたしに一言!」

(そういうことか) 

セツナは、納得して、彼女に笑顔を見せた。

「さっきは助かったよ!」

「やっぱり? うふふ……!」

ミリュウが満面の笑みを浮かべながら黒馬から離れるのを見届けると、セツナはすぐさまシーラを探した。ミリュウはただ、セツナに声をかけて欲しかっただけなのだろう。戦場でいうことではないにせよ、シーゼル以来、構ってあげられなかったこともある。本当は彼女のために時間を割きたかったが、状況が許さなかった。シーラから目を離すことなどできない。

それは、いまも同じはずだ。

シーラの姿はすぐに見つかった。白の鎧兜はよく目立つのだ。もちろん、無事だったが、彼女は彼女で戦っている最中だった。ハートオブビーストを振り回して、騎士団兵をつぎつぎと打ち取っているらしい。さすがは獣姫といったところだが、彼女の表情は浮かない。これまでのように戦闘を楽しんでいる余裕はないということだ。

セツナは、黒馬でもってシーラに駆け寄りながら、彼女の目の前の敵を矛の一突きで殺した。頭を兜ごと貫かれた敵兵は、断末魔をあげることもなく息絶え、地に崩れ落ちる。

「セツナか!」

シーラがこちらを振り向いたのを見て、セツナは黒馬の足を止めさせ、彼女に左手を差し出した。

「乗れ!」

「あ……ああ!」

シーラは少し戸惑ったものの、即座にこちらの考えを理解したのだろう――セツナの手を掴んだ。セツナは彼女を馬上に引き上げ、後ろに乗せた。

「このまま敵陣を突破する。相手にするのは向かってくる敵だけでいい」

「作戦通り、か」

「そういうことだ」

セツナは、小さくうなずきながら、シーラがセツナの肩に手を置くのを感じた。馬の腹を蹴る。黒馬が嘶き、猛烈に突進を始めた。

敵中突破策は、エイン=ラジャールが示した戦術のひとつだった。

ベノアガルド騎士団のうち、シド、ベイン、ロウファという十三騎士の三名こそが厄介だということは、セツナが散々説明している。ベインの破壊的な力も然ることながら、ロウファの光の矢は、威力も射程も強烈だ。唯一、シドの力は未知数だが、ベインやロウファと同じく警戒に値する人物であることは疑いようがない。

そして、彼らが闘技場では力を抑えていたということも伝えている。セツナがこの目で見たことや、シーラ、エスクたちの話を総合すれば、そうなる。シーラ以外の人間を殺さないということは、そういうことだ。

全力を出せる状況になればどうなるのか。

想像できるものではないが、少なくとも、面白い事態にはなるまい。

ベインやシドが、ロウファの光の矢のような広範囲攻撃を行う可能性も低くはない。いや、たとえ広範囲攻撃を持っていなくとも、だ。

敵陣深くまで誘い込めば、おいそれと全力攻撃を繰り出すことはできなくなるだろう、というのがエインの狙いだった。

騎士団の狙い――少なくともシドたち三人の目標は、シーラだ。シーラの殺害を最優先にしていることは、闘技場での発言からわかっている。アバード王妃セリスの依頼でシーラを殺害を請け負ったらしい彼らは、シーラを殺すことだけに意識を向けている。ほかのなにごとよりも、シーラを優先しているのだ。

であれば、セツナがシーラを連れて敵中を走ればどうなるか。

彼らはシーラを殺すために敵中まで追いかけてくるはずだ。それこそ狙いだった。敵陣の中を突き進むということは、茨の道を進むも同じだが、自陣内で三騎士の猛攻にさらされるよりは遥かにましだろうという判断がなされた。なにより、三騎士の全力攻撃を封殺することができるのだ。

彼ら騎士が味方を巻き込むような攻撃をするとは考えにくい。