Armed Summoners - Black Spears and the Brave Men of the Other World
The End of Lesson One Thousand Fifty-Two (After)
「なにをいっている……!」
イセルドが叫ぶ中、セイルは、リセルグらしき男が発した言葉の意味を理解するのに苦労しなければならなかった。頭が、軽く混乱している。セリスが自害したということは、わかる。リセルグの言葉を信じれば、そういうことになる。そして、セリスの人柄ならば、みずから命を絶ったとしても、不思議とは言い切れない。思い込みの激しいひとだった。
しかし、生きているリセルグが己の死を語るというのは、奇妙な話だった。死んだ後生き返ったというわけもない。
「わたしがわたしのことを知らないはずがなかろう?」
「シーザー=ガンラーン!」
「シーザー?」
イセルドの叫んだ名を、反芻する。
それがリセルグと同じ姿をした人物の名前らしい。
「殿下、騙されてはなりませぬぞ。その男は、陛下の影武者に過ぎませぬ。陛下は、亡くなられた。わたしの目の前で!」
イセルドの叫び声には、焦りがあった。なにを焦っているのかはわからないものの、彼がいっていることは理解できた。リセルグに影武者がいることは、知っている。知っているが、ここまでそっくりだとは思っても見なかった。瓜二つといっていい。まるで血を分けた兄弟のように似ていた。いや、血を分けた兄弟がイセルドなのだが、イセルド以上に酷似していた。リセルグとシーザーが向かい合わせになれば、その間に鏡があると錯覚するのではないかというほどに、似ている。
だから、だろう。
セイルは、妙な安心感を覚えた。父がいるという錯覚が、安心感となるのだろうが。
リセルグが、イセルドを見やりながら、告げる。
「そうだな……そなたは、わたしを見殺しにした」
「見殺し……? 叔父上が?」
「そうだ。あのものは、わたしが死ぬのを、ただ見ていた。あの場にいただれもかれも、彼の支配下にあり、手当さえしようとはしなかった。なぜかは、わかるか?」
「馬鹿な……! なにをいっている!」
「なぜ……?」
イセルドの叫び声を黙殺したつもりはない。しかし、結果的には、そうなった。セイルはいま、イセルドよりも、リセルグの影に信用を置いてしまっている。なぜか。簡単なことだ。リセルグとまったく同じ姿、同じ態度、同じ言葉で話す人物を信用しないわけにはいかないからだ。
「イセルドには、わたしが邪魔だった。わたしを亡き者にする機会を待っていた。わたしが死に、そなたの王位継承がすみやかに行われることを望んだのだ」
「なにゆえ……?」
セイルの疑問は、リセルグの言葉によって、すみやかに解消される。それは、セイルの望んでもいない現実だったのだが。
「彼は、そなたの父親だからだ」
「ぼくの……父親……?」
衝撃が、セイルの意識を貫いた。思考が麻痺する。なにもかも、真っ白になる。一瞬。一瞬だったが、永遠に近い一瞬だった。
「そうだ。そなたは、わたしとセリスの子ではない。そなたは、イセルドとセリスの子。わたしには子種がなかった。だから、イセルドに頼み、セリスとの間に子を設けさせた」
「そんな……そんなこと……」
「そうだな?」
「なぜ、だ」
イセルドが、やっとのおもいで口を開く。その声は、どこか、慟哭に似ていた。
「なぜ、おまえがそれを知っている?」
「わたしは、わたしだ。何十年もの昔、リセルグ・レイ=アバードの影となって以来、わたしはわたしとあらゆる情報を共有した。でなければ、わたしには、なれぬ」
「……本当なのですか?」
セイルが震えながら問うと、イセルドは、視線を逸らした。それは、認めているも同義だった。そもそも、イセルドのリセルグへの問い自体、リセルグの発言を認めているようなものだ。つまり、セイルの体には、王家の血が流れてはいるものの、リセルグ由来ではなく、イセルド由来だということだ。衝撃が、強い。目眩がする。これまで生きてきたすべてを否定され、新たな情報で上書きされたような、そんな感覚。
「だが、そのことでそなたの王位継承権が揺らぐことはない。イセルドもまた、王家の人間だ。直系のな。だから、わたしはわたしではなく、イセルドに頼んだのだがな」
リセルグは、ぼそりと告げた。彼の言い回しは、混乱を招きかねない。いや、セイルの頭のなかは、すでに混乱しているといっても過言ではなかった。信じがたい話が、混乱を生んだ。そして、混乱は、彼らの発言ひとつひとつに加速していく。止めようがない。頭が回る。吐き気がする。なにを信じていいのか、わからない。
「わたしならば、セリスを追い詰めることもなかったのかもしれない。だが、わたしでは駄目だった。わたしには、王家の血と、別の血が混じっている」
「……そういうことか。それで合点がいったよ。おまえという打って付けの存在がいながら、わたしに白羽の矢が立った理由が、ようやくわかった。おまえでは、王家の血を汚すことになりかねない。兄上の考えそうなことだ」
イセルドは、吐き捨てるようにいった。イセルドには、リセルグの考えが理解できないらしかった。いや、セイルにも、理解できない。なぜ、自分が生まれたのか。なぜ、自分が生まれる必要があったのか。そんなことまで考えてしまう。
「……ぼくは、叔父上の子……」
セリスと、イセルドの子。
尊敬し、目標としていた人物が父でもなんでもなかったという事実は、あまりに、重い。気が狂いそうになる。いや、すでに狂っているのかもしれない。狂っていて、なにもかも見失っているのかもしれない。
夜が迫る。
夜の闇が頭上を覆い始めている。
その闇が空を覆うよりもずっと早く、セイルの心が影に沈んでいく。落ちていくのを止められない。自分はいったいなにもので、なんのために生まれ、なんのために生きているのか。王位を継承するためだけに生まれたというのか。
シーラから王位継承権を取り上げるためだけに。
苦痛が、セイルの胸を突いた。
「……殿下。殿下は、殿下です。王子殿下。アバードの王位継承者。それ以上でも、それ以下でもない」
イセルドが、声を励ましていってきた。
「でも……」
理解はできる。だが、納得できるかというと、また、別の話だ。
考えれば考えるほど、自分の存在についての疑問が生じる。疑問は混乱を生み、思考を掻き乱す。なにが正しくて、なにが間違っているのか。なにを信じ、なにを疑えばいいのか。なにを受け入れ、なにを拒絶すればいいのか。
わからない。
「現実を――」
見ろ、というつもりだったのだろうが。
リセルグが、イセルドの言葉を奪った。
「現実を、見給え」
「なに?」
イセルドが怪訝な表情を浮かべる傍らで、セイルたちを取り囲む兵士たちが密かに動きだしていた。王都の南門へと向き直り、陣形を整える。兵士たちの反応は、まるで敵との戦闘に備えるそれであり、南方から迫り来る軍靴の音が、セイルに警鐘を鳴らした。敵が、近づいてきているのだ。
王都南方に目をやれば、夕闇を携行用の魔晶灯の光が引き裂いていた。
「はいはーい、バンドールのみなさ~ん、ガンディア軍ログナー方面軍第四軍団、ドルカ軍が登場しましたよー!」
あっけらかんとした声が、南方から聞こえてくる。闇に翻る軍旗が、魔晶灯によって照らしだされた。獅子の軍旗。ガンディア軍。
「なんなんだ、その自己紹介は」
「いや、こうでもしないと、目立てないと思って」
「目立つ必要なんてあるのか?」
「あるよー。目立たないと、論功行賞でだね」
「なるほど」
「納得するんだ?」
話し声が聞こえたのは、王都が廃墟とかしていたからであり、静寂に包まれていたからでもあるだろう。騒ぎが起きたのは、その直後のことだ。セイルたちを遠目に見ていた王都市民が、ガンディア軍の王都への侵攻に反応したのだ。皆が、一斉に悲鳴を上げながら逃げ始めたものだから、静寂は一瞬にして失われ、破壊的なまでの騒音に包まれた。
「あー、一般市民の皆さーん、安心してくださーい。ガンディア軍は、一般人に手を出したりはしませんよー!」
「立ち向かってくるのなら、話は別だがな」
「それはそうよね」
ガンディア軍の将兵たちがなにかをいっているが、そんなもので収まる騒動ではない。完全に寝耳に水と言っても過言ではなかった。王都は完全に壊滅しているのだ。一般人が身を隠す場所などはなく、戦闘が始まれば、どうなるものかわかったものではない。戦闘要員ではない人々が逃げ場所を求めて走り回るのは当然であっただろうし、アバード軍の兵士たちも、ガンディア軍の到来には、想定外だといわんばかりの表情を見せていた。
夜が迫っている。まさか、この時間帯に攻め込んでくるとは、だれも思っていなかったらしい。セイルも、想像さえしていなかった。
「これは……」
「聞いてのとおり、ガンディア軍だ」
「馬鹿な!」
「我々は、負けたのだ」
「馬鹿なことを!」
イセルドが喚き散らす様を見やりながら、セイルは、なにかが急速に冷めていくのを感じていた。リセルグの影武者が、静かに告げる。
「現実を見よ」
「ふざけるな! もう少しだったのだぞ!」
イセルドは、ただ、声を上げる。強く、激しく、叫んでいる。その叫び声は、大騒動の王都の中でも一際烈しい。
「もう少しで、アバードはセイル王子殿下のものになるところだったのだぞ! 軍はなにをしていたのだ! 騎士団は!?」
「えーと、そこで吼えてるのはどちらさまか存じ上げませんが、アバード軍も騎士団も九尾の狐との戦いに熱中していたんですよねえ」
イセルドの疑問に応えたのは、ガンディアの軍人だった。どこか軽薄そうな喋り方ではあったが、嘘を言っているとはとても思えなかった。
「なんだと!?」
「あの巨大獣が現れてからというもの、ガンディアもシャルルムもアバードも騎士団も、全軍協力体制を取りましてね」
ガンディア軍人の話は、驚きに満ち、興味深くもあった。敵対していた四つの軍勢が協力体制を取るなど、到底考えられることではなかった。しかし、巨大な化け物と戦うとなれば、そうなるものなのかもしれない。王宮と王都を破壊し尽くした化け物が、アバード軍に協力するはずもないのだ。
そして、気づく。
それはつまり、あの巨大獣はアバードのみならず、ベノアガルド、シャルルム、ガンディアとも敵対したということだ。
巨大獣の正体は、シーラだと、イセルドはいっていた。イセルドは、シーラが化け物になる瞬間をみた、といっていたのだ。シーラは、リセルグとセリスを殺したたけで飽きたらず、王宮と王都までも破壊した、と。
イセルドの話が真実ならば、シーラは、ガンディア軍に協力するはずだった。巨大獣となったまま、ガンディア軍に協力すれば、ガンディアは完全な勝利を手にすることができたことだろう。しかし、どうやらそうではない。つまり、ガンディア軍が巨大獣と敵対したということは、シーラがガンディア軍に身を売ったわけではないということだ。
「そうでもしなければ、巨大獣とは戦えなかったんですが、おかげでバンドールはがら空き。ガンディアとしては、兵を差し向けない手はないでしょう? まあ、卑怯な手は百も承知ですがね、勝利のために手段を選ばないのが我が国ですから」
「それって褒めてます?」
「褒めてるよー。エインくんのおかげで、王都制圧が俺の手柄になったんだから」
「制圧……だと?」
「ええ、まあ、王都バンドールは本時刻をもって、ガンディアの支配下に入りました、ってことで」
「そんなもの、受け入れられるか!」
イセルドは、叫び、周囲を見た。兵士たちをけしかける。
「なにをしている! 迎え撃て! 撃退せよ!」
イセルドの命令に対し、兵士たちは渋々、従った。彼の支配下にある兵士たちだ。どのような命令であれ、従わざるを得ない。死ねといわれれば死ぬしかないのだ。それが兵というものであり、なればこそ、上に立つものがしっかりしなければならないのだが。
セイルは、失望の中で、イセルドを見ていた。
「はあ……この戦力差がわからないかなあ」
軽薄な軍人が、呆れてものもいえない、とでもいうように、つぶやいた。戦力差については、セイルにはよくわからない。しかし、バンドールに残された戦力では、ガンディア軍に勝てないことは、わかる。ガンディアは、数多の国々を倒してきた強国だ。強力な武装召喚師を多数有している。勝てるとは思えない。
兵士たちが果敢にも――いや、無謀にもガンディア軍に向かっていく。
セイルはなぜか、そう思った。そして、それが正しい認識なのだということを即座に思い知る。ガンディア軍の異形の戦士――おそらく武装召喚師だろう――が、イセルド配下の近衛兵たちを瞬く間に打ちのめしていったのだ。蹂躙といっていい。
「現実を受け入れよ、イセルド」
「シーザー、貴様!」
「そなたは罪を償わねばならぬ」
「なにを……!」
「わたしを撃ったのは、そなたの弓銃の矢。そなたは、わたしを亡き者にしようとしたのだ。その罪、万死に値する」
といって、リセルグの姿をした男は、手に持っていたらしい弓銃をイセルドに向かって放り投げた。夕闇の中、弓銃に刻印された王家の紋章がわずかに輝いて見えた。魔晶灯の光を反射したらしい。
「なにを馬鹿な……! わたしはただ、兄上を楽にしてやっただけではないか!」
「楽に……?」
「そもそも兄上に致命傷を負わせたのは、義姉上ではないか! 義姉上があのようなことをしなければ、兄上は、血を流し尽くすことなどなかった……!」
「つまり、シーラがやったのではない、ということだな?」
「っ……!?」
「叔父上……?」
セイルは、ただ、愕然とした。わけがわからない。なにを信じればいいのか。なにを疑えばいいのか。現実とはどこにあって、なにを見れば自分を失わずに済むのか。世界が揺れている気がする。激しく揺れて、視界が定まらない。混乱は洪水のように頭の中を席巻する。理不尽に、乱暴に、頭の中を掻き乱す。
セイルの混乱が収まらないまま、事態は進行する。時は止まってくれない。ただひたすらに進んでいく。それが、彼の苦悩を加速させ、深刻化させるのだから、どうしようもない。呼吸が辛い。空気を求めて、ひらすらにあえぐ。
「それが……どうしたというのだ?」
「開き直るか」
「開き直る? 違うな。わたしはわたしの思うままに、正しいことをしただけだ」
イセルドは、胸を張った。そこに嘘も偽りも見えない。彼は、本当に自分が正しいと想っている。正しいと想い、ここにいる。セイルの前で、傲然と、立っている。
「アバードの安定のためには、シーラは不要だったのだ。シーラさえいなければ、あの子さえおとなしくしてくれていれば、アバードはこのようなことにはならなかった。シーラさえ……!」
「違う」
イセルドと対峙する影武者の姿は、もはやリセルグ本人としか思えなかった。似ているのは、容姿だけではない。声も、立ち居振る舞いも、なにもかも、リセルグそのものだった。
「シーラが生まれたことが、誤りではない。シーラを男児として育てようとしたことこそが過ちであり、その過ちが現状を作り上げた最大の原因なのだ」
「過ちだと……?」
イセルドが憤怒に目を燃え上がらせる。イセルドがここまで苛烈な形相を見せたことは、セイルの記憶にはなかった。彼は温和で、いつだって笑顔を絶やさないような人物だったのだ。それが、なぜここまで怒り狂うようなことになるのか。
セイルには、イセルドが別人のように思えてならなかった。
まるで悪い夢を見ているような気さえしてくる。
この夕闇に沈む廃墟も、すべて悪夢の産物なのではないか。内乱以降のすべてが悪い夢で、目が覚めればシーラの凱旋が待っているのではないか――そんなセイルの希望は、イセルドの叫び声によって、断たれた。
「わたしたちの苦しみも、懊悩も、すべて過ちだったというのか!」
「そうだ。間違っていなければ、苦しむこともなかった。違うか?」
「違う……違う、違う違う……! 認められるか。認められるものか。過ちだと。わたしの苦悩はどうなる。わたしたちの苦痛は、どうなる……!」
「そなたがいかに苦しんだからといって、わたしとセリスの死をシーラに被らせていい理由にはならない」
「国のためだ! アバードの!」
「国のためならばなにをしてもいいというのならば、そなたこそ死ぬべきだ」
リセルグが剣を抜いた。リセルグだけではない。リセルグの供回りの兵士たちも武器を抜き連ねた。イセルドが狼狽えたのは、彼の周りには近衛兵がいなかったから、などではあるまいが。
「なにを……!」
「そして、わたしも死のう」
「馬鹿げたことを」
「わたしたちの存在そのものが、この国を腐らせたのだ。なれば、みずから絶ち、浄化する」
「は……!」
「王都がガンディアの手に落ちたのだ。もはや、どうすることもできまい。覚悟を決めよ」
「覚悟だと?」
イセルドが、鼻で笑う。そして、彼は腰に帯びていた剣を抜いた。イセルドも、王族の嗜みとして、剣の使い方は学んでいるはずだ。若いころは戦場にでたこともある。それが王族の務め。アバード王家の人間に生まれたものの務めなのだ。
シーラのように、率先して戦場に立つのが、アバード王族の役割だった。
「覚悟など、とうに決めている。でなければ、兄を討とうなどとは思わんよ」
「然らば」
リセルグが告げると、彼の供回りが動いた。ひとり、ふたりとイセルドに斬りかかったが、イセルドの剣が閃き、三人目まではイセルドによって切り倒された。四人目がイセルドの剣を受け止めた瞬間、リセルグの剣がイセルドの腹を貫き、イセルドが即座に剣を翻してリセルグを斬りつける。騒然となる。いまさらのように、悲鳴が上がる。だれかが叫び、ふたりに駆け寄る。
セイルも、叫んでいる。
「叔父上……! 父上!」
イセルドとリセルグの体が地に崩れ落ちる。イセルドの剣が空中に踊り、落下して乾いた音を立てた。イセルドが、こちらを見た。口から血を吐いていた。なぜか、笑っている。なぜ、笑っていられるのかは、分からない。どこか満足気な表情。セイルにはなにも理解できない。
「セイル……どうかお健やかに」
イセルドのか細い声が聞こえたのは、セイルがすぐさま駆け寄ったからだ。しかし、その声が最期となった。今際の際。掛ける言葉もなかった。イセルドは、絶命した。
リセルグには、まだ息があった。近衛兵たちが彼の容体を見ている。表情は、芳しくない。セイルが彼の顔を覗き見ると、リセルグとまったく同じ顔の別人が、いた。
「殿下、お父上のこと、どうか、お恨みくださるな……なにもかも、仕方なきことゆえ……」
「わかっている……わかっている。恨むことなんて、ない」
そして、死ぬ必要もない――とは、いえなかった。いったところで、遅すぎた。致命傷のように見えた。兵士たちが駆け寄ったときには、すでに事切れていた。いや、間に合ったところで、手の施しようがなかったのかもしれない。無言で首を横に振る兵士たちの様子を眺めながら、セイルは、茫然とした。
混乱は、収まらない。
だが、なにもかもを失ってしまったかのような喪失感の中で、静寂を感じた。
衆目が、この悲劇を見ている。
王宮近衛とアバード軍の千人あまりと、王都市民。そして、王都の占拠を始めたガンディア軍の将兵たち。皆が、リセルグの影武者とイセルドの死を見取り、多くが、瞑目した。イセルドはやはり王族だけあって、それなりに慕われてもいた。特に王都のひとびとにとっては慣れ親しんだ王族のひとりでもある。
シーザー=ガンラーンと呼ばれた影武者も、リセルグと変わらぬ容姿から、リセルグ本人であると錯覚するものもいたようだ。
波紋が、広がっている。
セイルは、その波紋の中心で、呆然とした。
「殿下……お気を確かに」
声をかけてきたのは、侍従長だ。声が震えているのは、ここに至るまでの経緯によるものだろう。王宮と王都の崩壊、国王と王妃の死、そして、イセルドと影武者の死。色々なことが起きすぎた。冷静さが売りの侍従長が冷静さを見失うほどだ。
「案ずるな」
セイルは、侍従長を手だけで制した。
「わたしは、泣かぬ」
約束がある。
シーラとの約束。
簡単には、泣かないと約束した。泣けば、約束をやぶることになる。約束を破れば、シーラに合わせる顔がなくなる。
なにもかも終わったのだ。
シーラと会うことができるかもしれない。そんなとき、約束を破ったなどということになれば、自分に誇りを持てなくなる。気高き獣姫と対面するのならば、誇りを持っていたい、と彼は想うのだ。
もちろん、そんなことにばかり意識を向けているわけではないが、いまは、そうでも思っていなければ、泣いてしまいそうだった。
悲しいことが起きすぎた。
なにもかも失ってしまった。
尊敬する父に愛する母、敬愛する叔父に、父の影武者。王都も王宮も破壊されつくし、国も、いまにも奪い尽くされようとしている。もはや、彼に残っているものはない。そう思える。それでも。
「このようなことでは、泣かぬ。泣いてはならぬ。それが王位継承者たるもの故……泣かぬ」
セイルは、それだけをいって、イセルドとシーザーの亡骸が運ばれていくのを見届けた。
王位継承者。
その役割もじきに終わる。
それも理解している。
王都がガンディア軍によって制圧された以上、そうならざるをえない。アバード・ベノアガルドの軍勢は、ガンディアに出し抜かれ、完膚なきまでに敗北したといってもいい。
敗者は勝者に従うしかない。
それがこの乱世の倣い。
セイルは、ガンディア軍の将兵たちが王都の制圧を推し進めるの感じながら、天を仰いだ。
星が輝き始めている。
だが、闇の空には、アバードを象徴するふたつの星は見えなかった。
まるでこの国の行く末を示しているかのようだった。