Armed Summoners - Black Spears and the Brave Men of the Other World

Episode One Thousand Eighty: Defeat for Victory (Previous)

敗北を、悟る。

デュラル・レイ=ワラルは、ワレリアの目前まで迫りながら、絶対的な敗北を突きつけられている現実を認め、目を細めた。悔しくはない。口惜しくはない。彼の戦術は、いまのいままで上手く機能していたのだ。敵軍が《獅子の尾》を始めとする少数だけを繰り出してきたことが功を奏したのだが、たとえ敵軍がワラルと同程度の数を用意したとしても、同じ結果に終わっただろう。両翼の部隊が戦場を横断し、ワレリアに直行するなどとは思うまい。そして、ワレリアへの到達に成功すれば、それでデュラルの目的の大半は達せられる。あとはワレリアを奪還するために全霊をかければいい。それだけでいい。取り戻せるかどうかは問題ではないのだ。

だが、この状況は、違う。

思い描いていた戦いとは、大きく異なっている。

ルシオンに支配され、なにもかもルシオンの色に染められたワラル人の魂の故郷は、目の前だ。目の前にあるのだ。にもかかわらず、近寄ることもできないままに終わることなど、あってはならない。

ましてや、本隊に食らいついているはずの黒き矛に進路を塞がれるなど、あるべきことではない。

黒き矛のセツナ。

なるほど、強く、恐ろしい相手だ。二千の将兵では足止めにもならなかったどころか、距離を引き離したこともすべて無駄になってしまった。まるで魔法だ。いや、魔法なのは間違いあるまい。武装召喚師という名の魔法使いたち。彼らさえいなければ、この度の戦いは上手くいっただろう。上手く出し抜き、ワレリアを取り戻すこともできただろう。

だが、そうはいかなくなってしまった。

進路を黒き矛率いる軍勢が塞いでいる。たった四十人あまり。しかし、だれもが返り血を浴び、凄惨な姿を見せつけており、その鬼気迫る様には、ワラルの精兵たちも息を呑んだ。デュラルでさえ、そうだ。死を死とも思わぬ狂気の世界の住人たる彼でさえ、《獅子の尾》を始めとする戦士たちの形相に息を潜めた。

「陛下」

不意に彼に馬を寄せてきたのは、ワラルの騎士のひとりだ。リュガウ・ザン=メノキア。ワラル王家に連なるメノキア家の出である彼は、デュラルへの忠誠心も厚い人物だった。デュラルが信頼する騎士のひとりでもある。

「なんだ?」

「血路はわたくしどもが開きます。陛下は、ワレリアの奪還を」

リュガウは、黒兜の下で、目を光らせた。彼の目が見据えるのは、ワラルの未来なのだろう。ワレリアの奪還がなり、ワラル人が悪しき夢から開放される未来を夢見ている。普段は青ざめた顔も、このときばかりは血色がよくなっている。興奮しているのだ。

死地を、前に。

「我らワラル人の悲願を」

「……わかった」

デュラルは、静かにうなずき、彼の考えを認めた。血路を開く、とは、つまり、彼と彼の部隊が敵陣に特攻するということだ。百人あまりが特攻したところでどうなる相手でもないが、しかし、なにもしないよりはましだ。そして、彼らが特攻すれば、他の部隊もそれに続くだろう。それは、混乱を呼ぶ。少なくとも、ガンディア軍の動きを制限できるのは間違いない。ガンディア軍の動きを制限することさえできれば、こちらにも勝機が生まれる。

敗北しながらも、勝つことができる。

「征け。そして思う存分に死ぬが良い」

「は。ありがたきお言葉。では」

馬上、リュガウと敬礼を交わす。今生の別れだが、悲しくはない。彼ほどの忠義者はほかにいないのだが、だからといって、彼の死を惜しいとは、思わない。むしろ、彼にとっては死は安らぎなのだ。いや、全ワラル人にとって、死ぬことのほうが救いだといったほうがいい。

だから、なにものも死を恐れない。ガンディア軍の迫力に押されることはあっても、絶対的な死という現実に直面し、恐怖に飲まれることなどありえないのだ。 

だれもが、死を待ち望んでいる。

「行くぞ!」

「おおーっ!」

リュガウが号令とともに馬を走らせると、彼の部下も後に続いた。百人あまりの騎馬が前方の敵陣へと疾駆する。それが開戦の合図と認識したのだろう。他の部隊もそれに続いた。ワレリア奪還部隊の半数ほど。つまり、千人あまりが敵陣へと殺到したのだ。

「父上」

「者共が血路を開く。我らは、ワレリアに直行する」

「はい」

「後のことは、そなたに任せる」

「はい」

エリザは、うなずき、それ以上、なにもいってはこなかった。彼女には、すべてを伝えた。ワラルの戦士としての戦闘技術、ワラルの王としての覚悟、立ち居振る舞い。ワラルの在り方。ワラルとはなんなのか。なにもかも、彼女に教えた。エリザはデュラルの期待以上に育った。デュラルの最高傑作といっても過言ではない。彼女は、ワラル最強の武人となったが、彼女がその武を披露することはないかもしれない。

その必要もなく、ワレリアの奪還はなりうる。

「続け」

「はい」

デュラルは、エリザや供回りの返事を待たずして、馬を飛ばした。リュガウたちが時間を稼いでくれている間に、なんとしてもワレリアに到達しなければならない。話し込んでいる時間も、命令を下している時間もなかった。敵はたった四十人。しかし、その敵の中には、たったひとりで一万の皇魔を殺し尽くしたという戦鬼がいる。千人では時間稼ぎにしかなりえない。

だからデュラルは、馬の腹を蹴り、疾駆させた。前方ではすでに乱戦が始まり、血煙が上がっている。残る千の手勢を率いて、進路を大きく迂回する。街道から外れ、草原の中を突き進む。前方、純白の翼が舞った。天使のような男が、進路を塞ぐ。

「しからば!」

供回りのひとりが、叫んだ。そして、馬を走らせ、天使に向かって突っ込んでいく。天使は怯まない。一対の翼を広げたかと思うと、虚空に叩きつけて突風を起こす。突撃した兵は、なにを思ったか馬から飛び降り、突風の中を突っ切って、天使へと肉薄した。馬は吹き飛ばされ悲鳴を上げたが、兵は、天使の男に迫っている。兵は、武装召喚師なのだ。彼が鎧の上から纏う黒の長衣がその召喚武装だった。突風をものともしないのは、召喚武装の能力のおかげにほかならない。

武装召喚師には、武装召喚師をぶつけるしかないのだ。

武装召喚師同士が激闘を繰り広げる後方をさらに迂回して、ワレリアを目指す。小川が見えた。水を蹴るように迫ってくる一団がある。

「ここから先は、このシドニア戦技隊が進ませねえ!」

召喚武装を手にした黒髪の剣士と、その部下らしい一団が進路を塞いだ。シドニア戦技隊。聞いたこともない名前だったが、シドニアという名称から、彼らこそシドニア傭兵団の残党なのだということがわかる。シドニア傭兵団をまとめていたラングリード・ザン=シドニアは、アバードの内乱で死んだというが、何人かは生き残り、アバードの騒乱に際し、ガンディアに吸収されたのだ。

「ここはわたくしどもにお任せを」

といって突撃したのは、またしても供回りのひとりだ。彼もまた武装召喚師だった。召喚武装の使い手に対しても、武装召喚師をぶつけるほかないのだ。でなければ、その圧倒的な力の前に屈するしかない。

彼は馬ごと黒髪の剣士に突っ込むと、剣士の斬撃を誘った。だが、反応したのは、剣士ではない。赤い髭の巨漢は放った矢が、馬の胴を射抜き、棹立ちにさせた。しかし、それで慌てふためく武装召喚師ではない。馬から飛び降りた彼は、手にした水晶球を天に掲げた。水晶球が光を放ったかと思うと、彼とまったく同じ姿をした幻像が十数人、出現する。いや、それは幻像などではない。実体を持ち、現実に干渉する力を持った実像なのだ。

「はっ、おもしれえ召喚武装もあったもんだな!」

「面白いだけではっ!」

「ねえってか!?」

武装召喚師の叫びに、シドニアの剣士が犬歯をむき出しにして狂暴な笑みを浮かべた。幾多の死線を潜り抜けてきた強者のみが持つ獰猛な笑み。そんな相手に対し、一切怯まないのがワラル人であり、ワラルの武装召喚師だ。そして、分身の武装召喚師は、たったひとりでシドニア傭兵団に当たろうというのだ。分身という戦力があるとはいえ、たったひとりだ。歴戦の猛者たちを相手に戦い抜けるものかどうか。

デュラルは、彼に援軍を差し向けなかった。迷いさえない。躊躇うことなく、三度迂回し、シドニア傭兵団の射程から離れ、ひたすらにワレリアへと突き進む。ワラル人の悲願を叶えることこそ、彼と、彼に付き従う四千の将兵の願いなのだ。だれひとり、その想いを見失ってはいないし、だからこそ、彼のために死ねるのだ。

彼もまた、死ねる。

目的のためにならば、命を投げ捨てることなど難しいことではない。

この悪しき夢のような現実を終わらせることができるのなら、それだけで死の恐怖も消えてなくなる。

小川を越えた先にまたしても壁が立ちはだかる。今度は女戦士の部隊だった。黒鎧に身を包んだ戦士たち。噂に聞く黒獣隊とやらだろう。セツナが龍府で創設した近衛部隊。その実力は未知数だが、先の戦いでほとんど傷を負っていないところを見ると、腕が立つのは間違いない。なにより、アバードの獣姫シーラが隊長を務めているのだ。

獣姫は、召喚武装を用いる。

「抜かせねえっ!」

荒々しい女の咆哮に、彼の供回りが奔る。武装召喚師と近衛兵たち。彼らもまた、ワラル人の悲願を叶えるために命を投げ捨てる覚悟がある。その決意のままに、黒獣隊へと殺到した。血路を開かんとしたのだ。

「どけえっ!」

黒獣隊の女の斧槍が閃き、彼女に飛びかかった武装召喚師は胴を払われ、真っ二つになった。血飛沫と臓物が散り、敵が勢いづく。だが、デュラルは止まらない。止まりようがない。それは相手も同じだ。武装召喚師を切り捨てた返す刀で近衛兵を切り倒し、勢いそのままに、デュラルに迫ってくる。赤く濡れた黒兜の下で、白い髪が揺れるのが見えた。白髪の獣姫。振るうはハートオブビースト――。

「どうか、ワレリアを」

声が聞こえて、デュラルは、自分が宙に浮いているのだと気づいた。どうやら馬から吹き飛ばされたようだった。どうやったのかはわからない。おそらく召喚武装だろう。ワラルの武装召喚師たちは、一癖も二癖もある召喚武装を用いた。

気づいたときには、彼は空中で体勢を整えて落下に備えている。無意識の反射。長年の鍛錬が染み込ませたものが、彼の意識を落下の衝撃から護ったのだ。振り向かない。立ち上がり、ただ前を目指す。馬は失ったが、視界は開けた。前方、すでにワレリアの正門は目の前にあった。

後方で激しい戦いが起こっていることを認識するが、立ち止まることも、振り返ることもしない。そんなことをしている場合ではない。足が持つ限り、体力がある限り、走るのだ。ただひたすらに駆ける。体の節々が痛みを訴えているが、黙殺する。落下の衝撃を殺しきることなど、常人である彼には不可能なのだ。だが、ある程度は軽減できる。それだけで十分だった。それだけで、戦える。それだけで、走ることができる。

正門は目前。当然、門は閉ざされている。強固なもんだ。門扉を破壊し、突破することなど、常人には無理な相談だった。攻城兵器を用意しているわけでもない。用意していたとして、たったひとりで使えるものでもない。だが、彼は進む。とにかく前に進み、ワレリアの門に一歩でもも近づく。近づけば近づくほど、彼の勝利は近づくのだ。

ワレリアの奪還。

それは、ハルンドールと名付けられた都市を制圧することでは、ない。

不意に、空気が震えた。耳障りで不快な音が、重圧とともに耳を鳴らす。つぎの瞬間、歪んだ視界が是正されるとともに黒い戦士が現れる。血にまみれた漆黒の鎧兜を纏い、禍々しいばかりの異形の矛を手にした人物。セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド。

ハルーン平原の戦場からここまできたのと同じ方法だろう。召喚武装である黒き矛の能力。黒き矛のセツナが最強最悪の武装召喚師たる所以のひとつでもあるのだろう。彼は、その力を用いて、クルセルクの地を数多の皇魔の骸で埋め尽くしたという。

「残念だったな」

彼は、そんな風にいってきた。