(模擬演武……模擬演武ねえ)

ファリアは、術師局本部を出ると、王宮区画を後にして、まっすぐ《獅子の尾》隊舎に向かった。移動には馬車を用いている。《獅子の尾》印の馬車は、基本的には隊舎と王宮区画を往復するためだけに使われた。小さな馬車だが、車体には《獅子の尾》の隊章が描かれ、隊旗も掲げられている。

《獅子の尾》の隊章とは、銀獅子の横顔の円周を黒い尾が囲っているという意匠のものであり、隊旗もそれである。銀獅子はガンディアの象徴であり、黒い尾は、隊名である《獅子の尾》と隊長の武器にして二つ名である黒き矛とかけているのだ。わかりやすく、よく出来た隊章ということもあって、セツナも気に入っていた。

馬車に乗っての移動中、ファリアはずっと模擬演武について考えていた。模擬演武を行うという発想は、悪くはない。これから武装召喚師を目指そうという生徒たちの前で、武装召喚術がいかなるものかを知らしめるという意味でも、大きな効果が見込めるだろう。しかし、どのようにすればよりよい演武となるのかは、まだ未知数だ。

《獅子の尾》による演武。《獅子の尾》所属の四人の武装召喚師による演武だ。どういう風に組み立てれば、面白い演武となるのか、想像するだけで頭が痛くなる。《獅子の尾》の武装召喚師のうち、演武向きといえるのはルウファとミリュウくらいではないだろうか。ルウファのシルフィードフェザーはその美しさもあって見栄えもあるし、なにより、空を飛ぶというただそれだけのことで演武になりうる。ミリュウのラヴァーソウルもそうだ。複雑怪奇な磁力刀は、軽く振り回すだけでそれが通常の武器とは異なるものだということが明らかであり、演武としても使いやすい。

オーロラストームは、どうか。見た目としては、これほどわかりやすい召喚武装もない。雷光の帯を放つだけで十分すぎるほどに武装召喚師の強力さがわかるだろう。が、演武としては、どう使うべきなのか。

カオスブリンガーも、演武に組み込むには難しい召喚武装かもしれない。カオスブリンガーが圧倒的な力を持っていることは、周知の事実だ。四大天侍のマリク=マジクをして驚嘆させたほどだし、これまでの実績、戦果を鑑みれば、カオスブリンガーに秘められた力がどれほどのものなのか、想像できるというものだ。もっとも、想像以上の力を内包していたとしてもなんら不思議ではないし、ニーウェ・ラアム=アルスールの召喚武装エッジオブサーストを取り込むことで、カオスブリンガーは完全な状態になるということだが。

いずれにせよ、それほどの力をもった召喚武装を模擬演武に使用できるかということについては、慎重に検討しなければならなかった。実戦ではなく、模擬演武だ。セツナも無茶はしないだろうし、事前にどのように演武をするのか取り決めておけば、問題はないと思うのだが、一方で強大な力を持つ召喚武装の取り扱いには最新の注意を払うべきだし、検討の末、セツナの模擬演武への参加は取りやめとする可能性もあった。武装召喚師の力を見せつけるための模擬演武で召喚武装の恐怖を植え付けるような事故を起こしてはならないのだ。もちろん、召喚武装が如何に強力で、凶悪なのかを身を持って知っておくことは大事ではあるのだが、武装召喚術の基礎知識さえも持っていないようなひとたちにいきなりするようなことではないだろう。

そんなことを考えている内に、ファリアを乗せた馬車が《獅子の尾》隊舎の正門前に辿り着いた。正門前には、都市警備隊の隊員が二名、周囲を警戒しており、馬車から下りたファリアに敬礼してきた。ファリアは笑顔で敬礼を返し、正門をくぐり抜ける。

「セツナ様ほか皆様、裏庭におられるようですよ」

「あら、そうなの? わざわざありがとう」

ファリアは、隊員に笑顔を返し、手荷物を抱えたまま裏庭に向かった。セツナの傷口がある程度塞がり、自由に動けるようになったということで、厳戒態勢は解かれているのだが、都市警備隊による警備はまだ解除されていなかった。

前庭を横切り、敷地内をぐるりを回る。日が傾き始めており、気温も下がりつつあった。随分と肌寒くなってきている。季節の移り変わりを肌で実感しながら、目でも、季節の変化を感じた。隊舎の敷地内に植わった草木が秋の色彩に染まりつつあるからだ。

「なにやってるの?」

ファリアが憮然としたのは、裏庭で取っ組み合いをしているミリュウとセツナを目撃したからで、セツナが助けを求めるように天に手を伸ばし、ミリュウがセツナの逃すまいと背後から羽交い締めにしているという光景が、あまりにも不思議だったからだ。

「た、たすけ……」

「ないでね!」

「はあ?」

息苦しそうなセツナとそんな彼を羽交い締めにすることに必死なミリュウの様子に、困惑する。らしくないことこの上ない。ミリュウがセツナに直接的に手を上げるようなことなど、これまでなかったからだ。なにがあったのかと視線を巡らせると、裏庭の真ん中でミリュウに組み伏せられているセツナがいて、そんなふたりを見ているレムがいる。レムは、草庭に座り込んでいた。なにやら茫然としている様子で、それもまた奇異に映った。普段の彼女ならば、ミリュウがセツナにちょっかいを出そうとするのを食い止めるか、ミリュウの行動に乗ってみせるはずだ。傍観するというのは、彼女らしい行動ではない。

さらに視線を巡らせると、手入れされた裏庭の一角の物置が見え、花壇があり、いくつかの広葉樹が紅い葉を広げているのが視界を彩る。そして、隊舎の壁際に佇むウルクと、彼女の手の中でくつろいでいる様子のラグナの姿が目に止まった。隣にはエリナとニーウェがいる。

ファリアはウルクに歩み寄りながら、ラグナに尋ねた。話を聞くならば、ウルクよりもラグナのほうがいいという判断だった。

「なんなの? あれ」

「ミリュウがなにやら怒っておるようなのじゃ」

「それはなんとなくわかるけど、なんで?」

「さあのう」

ラグナが長い首を傾げた。ミリュウが怒る理由など、そうあるものではない。ミリュウは基本的に感情的な人間だが、その怒りの源泉というのはそこまで多くはないのだ。そのうちのひとつは、セツナに関することで、セツナを傷つけるもの、セツナを利用しようとするもの、セツナを馬鹿にしたり見下したりするものには容赦なかった。もっとも、そのことでセツナの立場が悪くなるようなこともできないため、彼女が他人に怒りをぶつけることはほとんどなかった。セツナ自身にも、だ。セツナに嫌われたくないというのがミリュウの行動原理のひとつであるらしく、彼女は常にセツナに嫌われまいとしていた。だから、ミリュウがいまセツナを組み伏せているというのがよくわからないのだ。彼女らしくない。

そのとき、不意にレムが立ち上がり、こちらに近づいてきた。その向こうで、ミリュウはいまだにセツナを羽交い締めにしていたが、どこか嬉しそうな表情をしているように見えるのは、気のせいではあるまい。セツナに触れることができて嬉しいのだろう。セツナには気の毒なことだが。

「わたくしにもなにがなにやら」

レムは、ファリアの目の前まで来ると、困ったような笑みを浮かべた。本当になにもわかっていないのか、わかっていて黙っているのか。レムがこういう状況を楽しむ性格の持ち主であることを理解している以上、想像のしようがなかった。すると、ウルクが口を開く。

「レムがミリュウを怒らせたはずですが」

「そうなの?」

「さあ……?」

レムは、ぼんやりとしていた。その目がわずかに開かれたとき、ファリアははっとした。

「レム、あなた……」

「はい、なんでしょう?」

「その目……」

「目?」

レムがきょとんとしたのは、ファリアの発言が予想外のものだったからに違いなかった。

「なんじゃなんじゃ?」

「なにがあったのですか?」

「なになに、どうしたの?」

ラグナとウルク、エリナが興味津々といった様子で食いついてくるが、ファリアにはそれどころの話ではなかった。レムの目を、食い入るように見ていた。

「わたくしの目が、どうかされたのですか?」

レムが少し恥ずかしそうにしたのは、ファリアが熱心に見つめているからだろう。彼女の瞳にファリアの顔が写り込んでいる。真剣な表情。そうなるのも当然だった。ファリアは、告げた。

「紅くなってるわよ」

そう、レムの特徴的な闇色の瞳が、紅く染まっていたのだ。深い闇を想起させる黒ではなく、鮮血を連想させる真紅に。

「紅く?」

「まるでセツナの目みたい……」

小首を傾げ、瞬きする少女の目を見つめながら、その虹彩の深く鮮やかな赤さがセツナのそれとそっくりなことに気づいて、はっとする。

「御主人様と同じ?」

「どういうことだ?」

「どういうことじゃ?」

「どういうことですか」

「お兄ちゃんと同じ?」

「わたしにわかるわけないでしょ」

「レムばっかりずるーい!」

突如として叫び声が聞こえて、ファリアはそちらを向いた。ミリュウがセツナを締めあげたまま、こちらを睨んできていた。

「あたしもセツナに愛されたい!」

愛されたいといいながらセツナを組み伏せているミリュウを見やり、ファリアは軽くため息を浮かべた。仕方なしに口を開く。

「愛されてるでしょ」

「え!?」

ミリュウは、ファリアの言葉が予想外だったのだろう。はっとして、セツナの体に絡めていた両腕を解き、両手で己の顔を包み込む。よく見ると、彼女の顔面が真っ赤になっていた。いつものことだ。ミリュウの中の初な部分が表面化したのだ。その結果、ミリュウの拘束を解かれたセツナの体は重力に引かれるようにして落下、地面に激突した。

「うげ」

踏み潰された蛙のような声を発したセツナに駆け寄るのはエリナとニーウェ、そしてウルクであり、ミリュウは、両手で顔を覆っていた。なにかに怒り狂っていた女はいなくなり、純情にも程がある少女が出現している。

「そ、そうかな……」

「そうよ。セツナはあなたを愛しているわ」

ファリアは言い切りながら、なぜ自分がそんなことをいわなければならないのだろうと思わないではなかった。一方で、セツナを解放するためならば仕方がなかったとも考える。セツナのためがミリュウのためになるなら、それもいいのかもしれない。

「愛し……」

ファリアの言葉を反芻したミリュウは、そのまま固まった。思考停止に陥ったのだ。これでしばらくは黙ってくれるだろう。セツナは、ミリュウ唯一最大の弱点だった。セツナの名を出した瞬間、彼女は少女に戻ってしまう。百戦錬磨の武装召喚師ではなく、恋に恋い焦がれる幼い少女に。

「だいじょうぶですか? セツナ」

「だいじょうぶ? お兄ちゃん」

「無事のようじゃな、セツナ」

「し、死ぬかと思った……」

セツナが激しく呼吸しているところを見ると、ミリュウの羽交い締めは相当きつかったようだ。もちろん、本気ではないだろうし、ミリュウも手加減はしていたことだろう。それでも、セツナは病み上がりなのだ。マリアからは訓練を再開してもいいというお墨付きをもらったものの、だからといっていきなり激しい運動をしていいわけもない。

ミリュウにはあとで説教をするべきだろうが、それはセツナからさせるべきなのか、ファリアがするべきなのかは悩むところだった。

「良かったわね、生きていて」

ファリアは、セツナが呼吸を整えるのを待ってから、声をかけた。

「あ、ああ……助かったよ。ありがとう」

「いいのよ。でも、なんでミリュウに殺されかけてたの?」

「レムが変なこというからだろ」

セツナがレムを恨みがましく睨みつけた。

「レムが? あ、そうよ、レムよ」

「そうだよ、レムだよ。って、レムがどうかしたのか?」

「レムの目が、ね」

「レムの目?」

セツナがきょとんとしたのは、ミリュウに組み伏せられていてファリアたちの会話が頭に入ってこなかったからだろう。

「本当でございますね」

レムが手鏡を覗き込みながら、いった。目をぱちくりさせ、虹彩の色が変化したことを確認している。

「御主人様とおそろいでございます」

そういうと、彼女は、心底嬉しそうに笑った。

その笑顔の屈託の無さは、彼女が純粋に喜んでいることの現れなのだろうが。

彼女の身になにが起きたのかは、皆目見当もつかなかった。