Armed Summoners - Black Spears and the Brave Men of the Other World

Lesson One Thousand and Eighty-Three: The People of the Dragon House (I)

その日は朝から空が雲に覆われていた。鉛色の雲が分厚く空を包み隠し、いまにも降り出しそうな表情を見せていた。十二月も半ばに至ろうというこの時期、陽の光がないというだけで気温は大きく下がり、どれだけ着込んでいても、震えるような寒さが大地に降りてきている。身震いしながら、天を睨む。

「暗雲立ち込めるとはこのことだな」

灰色の空は暗い。雨が降り出しそうなのに一向に降る気配がないのが奇妙に思えたが、だからどうというわけもない。

エスク=ソーマは、日課の鍛錬のための準備運動をしながら、適当に言葉を発した。

「この勢いでガンディア全土が暗黒に包まれるのも悪くはない。けけけ」

「うちの隊長はいったいなにをいってるんでしょうかねえ」

「さあ? 隊長のいうことは、時々意味不明ですから」

「おいレミル、そりゃあちょっと酷くねえかな?」

ドーリン=ノーグはともかく、レミル=フォークレイの発言が、エスクには気に入らなかった。いや、ドーリンの発言も気に喰わないのだが、それはいつものことだ。横目にレミルを見やると、訓練用の服装に着替えた彼女は、そのすらりとした腕を伸ばし、準備運動をしている最中だった。

「そうでしょうか?」

しれっとした顔のレミルには、エスクの想いなど届いていないようであり、エスクは少しばかり傷ついた。

「んんん」 

「どうされたんで?」

ドーリンが小声で聞いてくる。彼もレミル、エスクと同様に訓練用の動きやすい服装だった。エスクたちだけではない。この場に集った全員が同じような服装で、合同訓練のために準備運動をしていた。シドニア戦技隊の合同訓練だ。参加するのは隊士だけであり、隊とは無関係の人間が参加することはない。エスク指導の訓練についてこれる人間など、彼の部下たち以外にはいないということもあるが、シドニア戦技隊は、元となった傭兵集団の性格からして閉鎖的であり、隊外の人間と仲良く訓練することは稀にしかなかった。シドニア戦技隊は、シドニア傭兵団のころの性質を色濃く受け継いでいる。当然だろう。隊長のエスク=ソーマは無論のこと、レミル、ドーリン以下、全隊士がシドニア傭兵団出身なのだ。隊を拡張するために増員でもしないかぎりは、シドニア傭兵団の色が薄くなることはなく、現状、隊士の数を増やす必要性にも迫られていないことから、当分はこのままの状態が続くことは明らかだった。

「レミルのやつ、とうとう反抗期ってやつか?」

「反抗期もなにも、たんに隊長の口の悪さが移っただけのように思えますがね」

「だれの口が悪いって?」

エスクは、ドーリンを横目に睨みながら、そのさきで胸を逸らすレミルのことを見ていた。相変わらず、非の打ち所のない素晴らしい体つきは、エスクをして見とれさせるにたるものだ。均整の取れた体躯。無駄な筋肉はないが、女性的な部分は多分に残っており、それが彼女の魅力を引き立たせる。エスクはこのままずっと彼女を眺めていたい気分もあったが、その気分を邪魔するものがいた。

「隊長ですがな!」

ドーリンだ。

「てめえ、いっていいことと悪いことの区別もつかねえのか!? ああ!?」

エスクは、準備運動ついでにドーリンに組みかかると、彼もまた反射的にエスクの腕を逃れた。

「これはいっていいことでしょうが!」

「なんだと!?」

エスクがドーリンと睨み合いはじめたときだった。天から、声が振ってきた。

「まったく、いつも喧嘩ばかりしているのは、仲がいい証拠なのかしら」

「あ?」

天を仰ぐと、灰色の空に漆黒の翼が舞った。無数の羽とともに舞い降りてくるのは、堕天使などではなく、翼を生やした少年と、その少年に掴まる女だ。エスクたちがその光景に驚かなかったのは、少年と女に見覚えがあったからであり、少年の翼が召喚武装だということを知っていたからでもある。少年はマリク=マジクといい、女の方はファリア・ゼノン・ベルファリア=アスラリアといった。どちらも分厚い防寒着を着込んでいる。

少年はともかく、女の方はエスクとも必ずしも無関係とはいえなかった。

ここは、天輪宮の中庭だ。

天輪宮には、中庭が四つある。天輪宮は泰霊殿を中心とした五つの殿舎の総称であり、泰霊殿以外の四つの殿舎は、泰霊殿の東西南北の四方に配置されている。五つの殿舎はそれぞれ通路によって繋がっており、殿舎と通路によって区切られた空間が中庭として利用されているのだ。四つの中庭はそれぞれ異なる景色があるのだが、エスクたちが合同訓練によく利用する中庭は殺風景ともいえるほどなにもなかった。一応、中心に巨木が植わってあるのだが、それだけといってもいいくらいになにもない。ほかの中庭に比べると、いかに凝っていないかわかるというものだが、だからエスクたちは訓練場所として利用してもいるのだが。

「これはこれはファリア様じゃねえですか」

「ファリア様、おかえりなさい。もうリョハンから戻られたんですね?」

ドーリンがやや大袈裟な身振りでファリアを出迎えると、レミルもまた、ファリアに対し礼を尽くした。シドニア戦技隊からすればファリアは目上の人物であり、彼らがそのような態度を取るのも当然だった。

「ただいま。ええ、信じられないでしょうけど」

「はい、信じられませんね。まるですぐそこにリョハンがあるかのようです」

「本当にね」

ファリアがレミルの発言に穏やかな笑顔を見せる。青い髪に緑の目の美女が微笑を湛えたのだ。エスク以外の隊士たちが彼女に見惚れるのも無理はなかったし、ため息を漏らすものがいるのも当然のように思えた。もっとも、ため息が出るような美女ばかりが住んでいるのがこの天輪宮であり、荒くれ者揃いの元傭兵たちにとっても天国のようで地獄のような空間だった。美女を目にすることはできても、それら美女は皆主の所有物といってよく、声をかけることすら憚られるような相手ばかりだった。

ミリュウ=リヴァイア、レム、シーラ、黒獣隊の面々――シドニア戦技隊の主君であるセツナを取り巻く美女たちを遠目から眺めていられるだけでも幸福だと思うほかない。

「それもこれもぼくのおかげなんだけどね」

といったのは、ファリアの隣に立つ少年だった。背から生えた一対の翼が光に包まれ、消滅する。それはレイヴンズフェザーと呼ばれる召喚武装であり、たったいま送還されたということだ。生意気そうな少年だった。彼がどういった人物なのかは、セツナから聞いた話しか知らないが、実際、生意気な少年らしい。しかし、生意気さに見合うだけの実力と立場にあるといい、リョハンでも有数の武装召喚師だという話を聞いたときには、エスクも驚いたものだった。

「ファリア様……ね」

エスクはレミルやドーリンの言葉を反芻したが、立場を考えれば当然のことだ。彼女はガンディア王立親衛隊《獅子の尾》の隊長補佐であり、また、王宮召喚師という立派な肩書を持っている。領伯配下のシドニア戦技隊長などとは比較しようのない地位にある。エスクたちシドニア戦技隊はガンディアにではなく、セツナに忠誠を誓い、彼の配下としてここにいるのだが、そのセツナの立場がガンディアによって保証されたものである以上、エスクたち配下もガンディアの序列に従わなければならないのだ。もっとも、たとえファリアがガンディアではなく、セツナ配下の人間であったとしても、エスクたちよりは立場が上だったのは間違いなく、なにをいったところで従うしかないのは明白だが。

「どうかした?」

「いんや、なんでもありゃしませんぜ。大将なら泰霊殿一階の広間におられるはずでさあ」

「ありがとう」

軽く頭を下げて礼をしてみせたファリアに対し、エスクは、少しばかりどぎまぎした。その表情、挙措動作のひとつひとつがあまりにあざやかで、爽やかだったからだ。

「……むう」

彼女が中庭から通路に入るのを見届けてから、腕を組む。

「どうされました?」

「いや……なんていうか、変わった気がしたのさ」

「はい?」

「あのひとの纏う雰囲気がな」

「……確かに、そうですね」

レミルが、静かにうなずいてくる。

「前よりすっきりしたような、そんな顔をしていましたね」

「ああ」

エスクは、レミルの表現にうなずき、同意を示した。確かにそんな風な感じがある。リョハンは、彼女の故郷だという。ファリア・ゼノン・ベルファリア=アスラリア。その名が示す通り、リョハンの戦女神ファリア=バルディッシュの孫娘である彼女がリョハンに帰っていた理由は知らないが、なにかあったのだろう。そして、その問題が解決したから、すっきりした、というのは当然なのかもしれないが。

少し気になるのは、エスクたちが彼女と知り合ったときと比べても、すっきりとしているからだ。リョハンに帰ったことで解決したのは、帰らなければならない理由ではなく、もっと根本的ななにかなのではないか。

エスクは、ファリアがマリクとともに泰霊殿の中に入っていくのを見つめながら、そんな風に考えていた。

ファリアが龍府に到着したのは、リョハンを発って六日後となる十二月十三日のことだった。

午後。鉛色の雲が空を覆い隠し、いまにも雨が降り出しそうなそんな気配が漂う中、ファリアはマリクとともに龍府の中庭に着地した。正面玄関からではなく中庭に降り立ったのは、そのほうが色々と手間が省けるというマリクの考えからであり、彼がいかにリョハンとそれ以外を分けて考えているかがよくわかるというものだった。手間がかかってでもリョハンには正面から入っている。そのことをいうと、彼はきょとんとした。当然とでもいうような反応だった。

中庭ではエスク=ソーマ率いるシドニア戦技隊の皆がいた。訓練でも行うつもりだったのだろう。統一された服装で準備運動をしている屈強な男たちの様子は、傍目に見ると、奇異だったのだが、そのことはいわないでおいた。わざわざシドニア戦技隊との間に波風を立てる必要はない。

それから、エスクにいわれた通り泰霊殿に入り、一階広間に向かった。

その間、ファリアはぐったりしているマリクのことが気がかりで仕方がなかったが、彼は平気だと嘯いていた。平気なわけがないことは、彼の血の気のない顔を見れば一目瞭然であり、ファリアは彼のためにも血を分けてあげたいと思ったが、マリクのことだ。ファリアの提案を受け入れようとはしないだろう。

泰霊殿は、それだけで巨大な建物だ。いや、泰霊殿だけではない。天輪宮を構成する五つの殿舎はそれぞれひとつでも十分なくらいの広さがある立派な建物であり、その中でも泰霊殿は一際大きく、かつ壮麗な建物だった。その広い殿舎の中を歩いていると、見慣れぬ警備兵に出くわしたりして、少し驚いたが、すぐに思い立って納得した。

いわゆる龍宮衛士だろう。

黒獣隊、シドニア戦技隊をセツナ配下の戦闘部隊として専念させるための警備組織である。発想としては以前からあったらしいのだが、実現に向けて加速したのは、ミリュウのためだった。ミリュウが、どういうわけがリバイエン家の本邸を敷地ごと欲した。あれほど嫌い、もう二度と屋敷には出向かないと宣言していた彼女がセツナに頼み込むほどだ。セツナでなくともなにかあるのだろうと思うだろうし、彼が彼女のために動くのもわからないではない。

そのことを少しばかり羨ましく思ったりしたのは内緒だが。

ともかく、リバイエン家本邸をリュウイ=リバイエンから手に入れるための交渉材料として、龍宮衛士は作られた。元々は、先もいったように黒獣隊とシドニア戦技隊をセツナ配下の部隊として専任させるためであり、また、天輪宮の警備を都市警備隊に任せ続けるのも良くないだろうということもあった。

龍宮衛士と都市警備隊の違いは、一目瞭然である。隊服が違った。都市警備隊は、深い青色を基調とした隊服であり、それもどこか窮屈そうな印象がある。それに比べて、龍宮衛士の隊服はゆったりとしている上、緑を基調としていた。黒獣隊やシドニア戦技隊などとは違って黒を基調色にしていないのは、龍宮衛士の性格を表しているのかもしれない。黒獣隊、シドニア戦技隊は黒き矛のセツナとともに戦うから黒を基調色とし、龍宮衛士は、龍府天輪宮の警備を主な任務とするから、別の色を基調にしたのではないか。

そんなことを考えている間に、ファリアは広間に辿り着いた。

「どうしたの?」

「い、いえ、別に……」

「緊張してるんだ?」

マリクが、こちらを見て面白そうに笑った。

「セツナ伯に久々に逢えるから」

反論のしようもなかった。

事実、その通りだったからだ。