Armed Summoners - Black Spears and the Brave Men of the Other World

Episode One Thousand Four Hundred and Three: Creatures of Emotion (II)

バルサー要塞陥落の報せが入ったのは、二十八日、早朝のことだった。

朝食を終え、朝の優雅なひとときを過ごしていたゼルバードは、バルサー要塞から届いた報せに目を丸くしたものだった。

「あのルシオン軍がそんなあっさりと?」

ルシオン軍といえば、ガンディア軍よりも遥かに精強で知られる国であり、近隣国の中では最強の名に相応しい軍勢を持っていることで知られていた。その強さが評判だけではないことは、レオンガンドが頼り続けていたことからもわかる。ガンディアの多くの戦いにおいて、レオンガンドはルシオン軍に協力を要請しており、そのたびにルシオン軍は戦果を上げていた。

軍事力そのものはガンディアのほうが上だが、将兵ひとりひとりの能力を比較するとなるとルシオンのほうに軍配が上がるといわれており、そのことはガンディアの将兵も認めるところだった。

ジゼルコートが、ルシオン王ハルベルク・レイ=ルシオンを味方に引き入れることができたという事実を喜んでいたのは、そういう理由があったのだ。ルシオン軍の強さは、敵に回せば恐ろしく、味方にすれば頼もしいことこの上なかったのだ。

だから、バルサー要塞を任せた。

バルサー要塞は、ガンディア本土最北に位置し、ログナー方面との境界に君臨する難攻不落の要塞だ。そこにルシオン軍が入ったのだ。たとえレオンガンド軍に攻め立てられたとしても、ある程度は持ち堪えてくれるだろうという期待があった。

もちろん、当初はログナー以北をジゼルコート軍の勢力圏とするための拠点として利用してもらうことが重要であり、レオンガンド軍がガンディア本土に攻め込んでくるのを堰き止める役割というのは、そこまで深く考えられていなかった。レオンガンド軍がマルディアからガンディア本土に戻ってくるまで、もうしばらく時間がかかるはずだったからだ。あと一、二ヶ月もかかってくれれば、ログナー方面は完全にジゼルコートの勢力下になっていただろうし、ザルワーンもジゼルコート軍の支配下に入っていたことだろう。

そうなれば、レオンガンド軍を数の力で押し切ることも可能だったはずだ。

しかし、実際にはそうはならなかった。

レオンガンド軍の急速転進と、想像を絶する速さでの南下は、ジゼルコート軍の勢力が拡大し切る前にガンディア領内に到達してしまった。ログナー方面すら完全に掌握しきれておらず、ザルワーン方面などいうまでもない。

レオンガンド軍の行軍速度が早すぎたのだ。

だが、それもむべなるかな、とは想う。

謀反が起きたのだ。

なによりも優先して鎮圧するべく、軍を引き返すのは当然のことだ。レオンガンドならばそうするだろう。他国のことよりも、自国のことを優先するのは、国王の選択として正しい。

ジゼルコートは、それもわかっていたからこそ騎士団を利用し、攻撃させた。騎士団の猛追を耐え凌ぐのは簡単なことではない。レオンガンドは、戦力の分散を余儀なくされる――はずだった。現実には、レオンガンドの軍勢は、その戦力の大半を失わずにマルディアを脱し、ログナー方面に至っている。黒き矛のセツナこそレオンガンドの元から引き離せたものの、それだけでは戦力低下も限られている。

わかってはいる。

黒き矛のセツナという圧倒的な戦力を引き離すことがどれほど重要なのか、理解してはいる。しかし、それだけではレオンガンド軍の戦力が減少したとは言い切れないのではないか。

無論、それだけではない。

アバード、ザルワーン方面、ログナー方面と、レオンガンド軍は、各所で戦力を分散する必要に迫られ、その通りにしている。戦力は低下し、ジゼルコート軍にとって有利な状況が形成されているはずだった。

それなのに、バルサー要塞のルシオン軍は敗れたという。

ルシオン軍は、精強な将兵で知られるが、それだけの軍勢ではない。多数の武装召喚師を有しており、その戦力はジゼルコート軍の中でも白眉といってよかった。その戦力が敗れ去り、バルサー要塞は一日も立たず、落ちた。

籠城戦は行われなかった、という。

バルサー要塞に籠もったところで武装召喚師の火力で押し切られると判断しての野外決戦だったのだろうが、籠城し、ジゼルコート軍の援軍を待つという手もあったのではないか、とゼルバードは想ったりした。が、ハルベルクがジゼルコートの援軍を期待するわけもなく、そのような手に出ることは一切なかっただろうということも、理解している。ハルベルクは、レオンガンドに心酔しているものの、ジゼルコートに対しては距離を取っていた。それでも謀反に賛同したものだから、ジゼルコートがハルベルクを警戒するのは当然だったし、そこに裏がないことがわかると、驚くのも無理はなかった。ゼルバードも、ハルベルクがレオンガンドを裏切ったことはまったく理解できなかったし、なぜ彼がレオンガンドの敵に回ったのか、想像もつかなかった。

少なくとも、ゼルバードの頭の中では、レオンガンドとハルベルクの蜜月は続いていたからだ。ルシオンの将来を考えても、レオンガンドと縁を切る理由はない。ルシオンは、ガンディアに依存した国だ。ガンディアがルシオンに依存していたのもいまは昔の話であり、現在、ルシオンのほうがガンディアに依存していると見るべきなのは、疑いのようない事実だ。ガンディアという大国の後ろ盾があるからこそ、ルシオンは政治に注力することができるというのは間違いなかった。そして、ハルベルクはリノンクレアを妻とし、王妃としている。リノンクレアは、レオンガンドの実の妹であり、最愛の存在だ。レオンガンドにとってリノンクレアほど大切な存在はなく、リノンクレアを妻とするハルベルクも同様に大切にしていた。その関係が国同士の繋がりにも色濃く影響していたのだ。

このままレオンガンド政権が続けば、ルシオンはその恩恵を受け続けることうけ合いであり、ルシオンが将来繁栄し続けるためにも、レオンガンド政権を維持するべきだった。ジゼルコートの謀反に賛同し、レオンガンド政権を転覆させるなど、正気の沙汰ではない。ルシオンの将来を考えるのであれば、だ。

ハルベルクがなにを考え、なにを企み、なにを望んでジゼルコートの謀反に賛同したのかは、いまや想像するしかない。そしてゼルバードの想像力では、ハルベルクの考えなど導き出せるわけもなく、彼は、茫然とするほかなかった。

茫然とするのは、ハルベルクの裏切りによって、彼の妻でありルシオン王妃リノンクレア・レア=ルシオンが悲しみにくれるだろうということがあったからでもあった。

ゼルバードにとって、リノンクレアは憧れのひとだった。

そんな彼女を悲嘆にくれさせるなどあるまじきことだが、ゼルバードには、ハルベルクに意見することはできなかった。ハルベルクの裏切りこそが、ジゼルコートの謀反を成功させる鍵であり、必要不可欠な要素だったからだ。

そんなハルベルクが戦死したという報せを聞いたとき、ゼルバードの脳裏を過ぎったのは、絶望するリノンクレアの表情であり、心情であった。

ゼルバードは、マルダールにいる。

マルダールは、ガンディア本土北部の要所に位置する都市であり、ガンディオンの北西に位置している。北にバルサー要塞があり、バルサー要塞がレオンガンド軍の手に落ちた今、ジゼルコート軍の最前線ということになる。

マルダール。月の丘と名付けられた都市は、その名の通り、丘の上に築きあげられた大都市であり、ガンディア第二の都市として知られている。大陸の都市の例に漏れず、堅牢な城壁に四方を囲われているが、ジゼルコート軍が支配してからというもの、幾重もの城壁が新たに作られ、城壁と城壁の間には堀が作られている。マルダールの要塞化であり、バルサー要塞が落ちた場合の最終防衛拠点として防衛力を増強されているのだ。

また、マルダールの西と東に大規模な野営地が作られており、西野営地にはアザーク軍四千が入り、東野営地にはラクシャ軍五千が入っていた。アザークもラクシャも、ジゼルコートが謀反のために偽りの従属をさせた国であり、ジゼルコートの支配下にあるといっても過言ではなかった。ジゼルコートの命令に唯々諾々と従う両国の姿は、従順を通り越して滑稽ですらあるが、重要な戦力であることに間違いはない。

本陣ともいうべきマルダールには、ジゼルコート軍二千が駐屯している。二千。たった二千だ。兵力としてはあまりに少ないが、ジゼルコートが自前で用意出来た人数と考えると、十分すぎるほどに多い。領伯の私設軍隊としては、セツナ伯よりも遥かに多い。戦力の質でも引けを取らないだろう。なにせ、二千の中には武装召喚師が多数、混じっている。

中でもゼルバードとともにマルダールに入っている三人の武装召喚師たちは優秀であり、圧倒的な力を持っていた。

「とはいえ、だ」

ゼルバードは、マルダールに聳え立つ白の塔の頂上から遥か北を眺めながら、つぶやくようにいった。

「勝てるかね」

遥か前方、マルダールの城壁群を抜けて、だだっ広い平原が横たわっているのがわかる。バルサー平原と名付けられている通り、バルサー要塞周辺の平原であり、そのまままっすぐ見渡せば、バルサー要塞も見えてくる。遥か彼方。マルダールが丘の上にあり、障害がなにもないから見渡すことができるのだが、要塞の詳細な状況まではわからない。巨大な要塞があるということくらいしかわからないのだ。

「自信、ありませんか?」

「レオンガンド陛下率いる軍勢だよ。あのルシオン軍を破ったんだ。この戦力でもどうなるものか」

「ルシオン軍は六千そこそこでしたが、ゼルバード様には一万一千の将兵がついております」

と、微笑みを浮かべていってきたのは、アスラ=ビューネルだ。髪の長い美しい女は、妖艶な微笑がよく似合った。ビューネルの姓からわかるとおり、ザルワーン五竜氏族ビューネル家の出身である彼女は、ジゼルコート軍が誇る三大召喚師のひとりだ。

「わたくしたちもおりますし、勝てなくはないかと」

「絶対に勝てる、とはいってくれないのか」

「勝敗に絶対はありませんから」

「ふむ……そういうものか」

「たとえ負け戦になろうとも、最後まで勝利を諦めなければ勝ちを掴めるかもしれませんし」

「……負けること前提じゃないか」

ゼルバードは、憮然とした。

「まあ、そうもなるか」

レオガンド軍は、話によれば、ルシオン軍の残党を自軍に引き入れており、その兵力はさらに増大したという。二万近くまで膨れ上がったといい、兵力差だけでも圧倒的に負けているといっても過言ではない。しかも、レオンガンド軍には多数の武装召喚師がおり、戦力も圧倒的だ。

それ自体は、最初からわかりきっていたことだった。

マルディア救援軍と銘打たれた合衆軍に組み込まれたガンディア軍の戦力だけで、一国を攻め滅ぼせるくらいのものがあり、それがそのままジゼルコート軍の敵に回るのだから、当然だ。だからこそ、騎士団やジベル、マルディア、イシカなど、謀反に賛同した国々を利用し、レオンガンド軍の戦力を削ろうとした。

だが結局、ここに至るまで削りきれなかったのだ。

削りきれなかった結果、ルシオン軍は敗れ去り、ゼルバード軍も敗れ去るだろう。兵力差、戦力差は圧倒的だ。勝ち目が見えない。

「まあ、こうなるだろうことはわかっていたさ」

ゼルバードは、自嘲気味に告げた。

「わかっていたんだよ。俺も、父上も」

言い訳にしか聞こえないかもしれない。が、彼は発言を止めなかった。

だれかに聞いていて欲しかったのだろう。たとえだれの記憶にも残らないとしても、伝えておきたかったのだ。

「でも、それでも、父上は立たなければならなかった」

「大義故にですか」

「大義……?」

彼は、オウラの言葉を反芻して、意味がわからず、怪訝な顔になった。すると、オウラが不思議そうな顔をするのだが、その意味が一瞬、理解できなかった。が、すぐに思い出す。大義。

「ああ……大義か。確かに大義もあったな」

「ゼルバード殿?」

「父上が掲げられた大義もまた、事実だ。それはだれにも否定できないさ。父上はガンディアの政治を司られていた。ガンディアの現実をもっとも理解しておられるのは間違いない」

ガンディアという国の実情、問題点を完璧に近く把握しているのだ。それら問題点を是正し、より良い国にするために政治を行ってきたのがジゼルコートであり、その後継者こそ、彼の兄ジルヴェールだ。

ジゼルコートは、ジルヴェールを自分の後釜に据えたがっていた。ジゼルコートの薫陶を受けたジルヴェールでなければ、ガンディアの政治を纏め上げるのは困難だからだ。だからこそジゼルコートはジルヴェールをレオンガンドに差し出した。ジルヴェールがジゼルコートの思惑を嫌い、自分なりの政治を行うことを見越した上でだ。

それは、いい。

ジゼルコートの思惑もジルヴェールの想いも、現状にはあまり関係がない。

「しかし、大義など、ただの建前にすぎないのさ」

ゼルバードだけが知っていることだ。おそらく、謀反の賛同者、同調者のだれひとりとして、その事実を理解してはいまい。

「父上を突き動かしたのは、感情だ。個人的な感情が、父上の背を押した。それは紛れもない。それだけがこの謀反のすべてなのだ」

ゼルバードは、バルサー平原の彼方を見渡しながら、告げた。

「人間は、感情によって動く生き物だ。どれだけ理性を持ち合わせていても、結局は、感情によって支配される」

感情が、人間を突き動かす。

感情が、人間という生き物の根幹を成している。本質を物語っている。すべて。理性や知性だけでは人間は動かない。最終的に人間の行動を決めるのは、感情だ。それ以外にはない。無論、利害や打算、計算に基づいて行動することもあるが、それも結局のところ、感情に左右されるものだ。最終的な結論は、感情が下す。

だれだってそうだろう。

どのような人間も、感情には抗えない。

「父上も、所詮はただの人間だったというわけさ」

だから感情に抗えず、だから感情に従い、だから感情のままに行動を起こした。起こさざるを得なかった。でなければ自分でいられなくなるから。でなければ自分を見失うことになるから。でなければ、ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールという人間は、この世にいられなくなるから。

だから、彼は謀反という行動に出たのだ。

「それが悪いとはいわないさ。俺も、根っこの部分は同じ人間だ。父上の苦悩もわからないではない。それに、俺は父上を尊敬しているからな。父上のために死ぬのも、悪くはない」

どうせ、自分の夢は潰えたのだ。この空虚な人生のすべてを尊敬する父の感情に委ねるのも、悪くはない。

「君たちは優秀な武装召喚師だ。なにも我々と心中する必要はない。勝てないと想うのであれば、いますぐ見限ってくれても構わないんだよ。武装召喚師である君たちは、父上に命令されて仕方なく付き従ったとでもいえば、なんとでもなるだろう。レオンガンド陛下ならば武装召喚師を見殺しにはすまい」

ゼルバードが三人の武装召喚師にそういい放ったのは、彼らの才能を理解すればこそだった。彼らの武装召喚師としての才能、力量は、ここで失うにはもったいないといいきれるものだった。

「これは意なことを申される」

オウラ=マグニスがつぐんでいた口を開いた。三大召喚師のひとりであり、《協会》所属の武装召喚師である彼は、クルセルク戦争での活躍によってガンディア軍に仕官を打診されたほどの人物だった。しかし、どういうわけがガンディア軍への仕官を拒んだ彼をジゼルコートが招聘に成功し、現在に至っている。

「わたしはジゼルコート伯を主と定めた身。たとえ伯が敗れようとも、最期まで付き従うのが道理。でなければ、わたしの覚悟まで無意味に落ちる」

「わたくしは、マグニス様とは違いますが……ここに残らせていただきますわ」

アスラが、オウラのあとに続く。

「でなければ、ミリュウお姉さまと戦えませんもの」

「ミリュウ・ゼノン=リヴァイアか」

「はい」

アスラがにこりと笑う。なにが楽しいのか、なにが嬉しいのか、ゼルバードにはまったくわからない。そういえば、アスラは最初からそういう女だった。ジゼルコートの元にやってきたときから、どんなときでもずっと笑っている、そんな女だった。境遇を知れば、そうなるのも無理はないように想えた。要するに、心が壊れているのではないか。

「わたしも、右に同じだ」

そう言い切ったのは、グロリア=オウレリアだ。三人の中でもっとも優れた武装召喚師である彼女は、威厳のある佇まいをしていた。

「伯を見限るのであれば、とうに見限っているさ」

謀反の時点で、とでもいいたいのかもしれない。

アスラが耳打ちするようにして、彼女に問いかける。

「本音は?」

「弟子がいる」

グロリアは本心を隠しもしない。歯に衣着せぬ物言いが彼女の彼女たる所以であり、彼女の師匠もまた、彼女のそういうところが気に食わないという顔をしていたものだ。ジゼルコートはむしろグロリアのそういうところを気に入っているふうではあったが。

「ああ、ルウファ様」

「弟子の試練として、わたしはここにあろう」

「試練……ねえ」

グロリアの言葉を反芻するようにつぶやく。試練。この戦いそのものが、ジゼルコートにとっての試練には違いなかった。

「まあ、なんでもいいが、君たちが残ってくれるのは嬉しく想う。戦力差は圧倒的だ。勝ち目は薄い。にも関わらず、力を貸してくれるというのだからな」

というと、アスラが力強くいってくるのだ。

「残るからには、勝ちにいきますよ」

「もちろんだ」

「そうだな」

三大召喚師たちが勝手に決めているのを見ながら、ゼルバードは、苦笑するほかなかった。

「まったく、頼もしい限りだ」

三人の活躍次第では、勝てるかもしれない。

勝てなくとも、レオンガンド軍に痛撃を叩き込むことができるだろう。レオンガンド軍の戦力が激減するような結果に終われば、ジゼルコートが最終的に勝利する可能性だって大いに有り得る。

ゼルバードは、勝てまい。

レオンガンド軍の物量差の前で死ぬだけだろう。

それは、いい。

死ぬ覚悟くらいは、とうにできている。

ゼルバードは、死ななくてはならなかった。

ゼルバードの死によって、贖わなければならなかったからだ。

要するに遅いか早いかの違いに過ぎないということだ。