Armed Summoners - Black Spears and the Brave Men of the Other World

Episode One Thousand Seven Hundred Sixty Six Funeral Songs for the Dead Royal Family (XIX)

アシュトラは、一瞬、なにが起こったのか理解できなかった。

無論、捉えきれない速度ではなかったし、避けようと思えばいくらでもよけることができた。現にその後続いた攻撃はすべて、かわしきっている。立て続けに繰り出された突きも、薙ぎ払いも、振り下ろしの一撃も、黒き矛から放たれた光線も、なにもかもだ。セツナの攻撃速度程度では、アシュトラを捉えきることなど不可能なのだ。

アシュトラは神なのだ。

神が、人間などという低次元の存在に捉えられるわけがない。

神が人間の攻撃を浴びることが有るとすれば、それは神が人間と同じ次元に堕ちたときか、あるいはわざと食らったときくらいのものであり、アシュトラのは、後者だった。

わざと、喰らった。 

セツナは、人間だ。いかに黒き矛――魔王の杖を持っているとはいえ、ただの人間に過ぎない。力を引き出せたとして、たかが知れている。神に対抗することなど、できるわけがない。アシュトラは、そう想った。だからわざと喰らって見せたのだ。そして、なにごともなかったと見せつけ、セツナの絶望顔を拝もうと考えた。

だが、予期せぬ事が起きた。

右手の指が三本、切り飛ばされたのだ。

ありえないことだった。

あってはならない、あるべきではない事象。

神の肉体が人間の手によって傷つけられることなど、絶対にありえない。それは、この世界の有り様さえも根本から否定する出来事だ。神と人間の差とは、それくらいはっきりしたものなのだ。だからこそ、人間は神を尊び、信じ、求める。人間の手で傷つけられるような神など、だれが信仰しようものか。そのような神をだれが望むものか。

《なにをした……!》

アシュトラは、セツナとの距離を取ると、すかさず左腕を掲げた。手の先に神威を集め、撃ち放つ。神威は分厚い光芒となって大気を焼き尽くしながら、迫りくるセツナを迎撃する。神威とは神の力のことだ。そして、いま放った光芒は凝縮した神威であり、人間に防ぐ手立てはない。避ける以外に道はなく、少しでも触れようものならば肉体を構成する細胞という細胞が毒され、壊れていく。

だが。

《馬鹿な……》

アシュトラは、目の前で起きた出来事に愕然とするほかなかった。

セツナは、神威の光芒を黒き矛で受け止め、弾き飛ばして見せたのだ。光芒は、セツナの眼前で飛散し、いくつかはセツナ自身の皮膚を裂いた。頬が浅く裂け、血が流れた。ただ、それだけだ。それ以上の変化はセツナには認められなかった。セツナはそのまま、猛然と突っ込んでくる。アシュトラはさらに距離を取りながら、立て続けに神威による攻撃を行った。神威を弾丸として連続的に発射することで牽制し、神威による光の柱をセツナの進路上に配置する。通過の瞬間に励起させると、セツナはものの見事に神威の柱に飲み込まれた。莫大な神威を費やした柱。人間に限らず、この地上に存在するありとあらゆる生物が一瞬にして消滅するほどの力が凝縮している。

《ふっ……ふはは》

アシュトラは、光の柱があまりの神威の量に耐えきれず、巨大化するのを見届けながら、安堵した。

《なんだ……なんということもなかったではないか》

指が切り飛ばされようと、神威に毒されなかろうと、消滅してしまえばなんの問題もない。彼は自分がセツナに驚いたことを自嘲した。驚くことなどなにもなかったのだ。神と人間の差は、厳然として存在し、その絶対の法理が適用されない存在など、この世に許容されるわけがない。人間が願望によって存在する神が、人間に滅ぼされるわけもないのだ。

できればセツナを支配し、その上で魔王の杖の使い手として確保しておきたかったところだが、致し方のないことだ。魔王の杖の使い手を野放しにし続けるよりは、ずっといい。あとは黒き矛を確保し、隔絶しておけばいいのだ。そうすれば、全次元、あらゆる時空は安定しうる。

《まったく……驚かせる》

「なにを驚いたって?」

《なっ……》

アシュトラは、突如背後から聞こえてきた声に狼狽した。それでもすかさず飛び離れ、セツナが放った斬撃を食らうことは避けている。だが、アシュトラが受けた衝撃は、斬撃の直撃の比ではなかった。

《馬鹿な!》

アシュトラの目は、五体満足のセツナを捉えている。彼が振り抜いた矛が大地を切り裂き、深い亀裂を刻みつけている、そんな様子。傷ひとつ見当たらない、というわけではない。体中、いたるところに傷があった。身に纏う黒衣も傷だらけだったし、顔も血まみれだ。しかし、彼は生きている。

《なぜだ、どういうことだ、なにが起きている!》

アシュトラは、つい、取り乱した。

《なぜおまえは生きている!》

「死んでねえからに決まってんだろ」

セツナは、こちらを仰ぎ見て、告げてくる。その紅い瞳がある存在を思い起こさせて、アシュトラを怒り狂わせんとする。

《……ふざけるな》

「ちょっとは痛かったけど、あれじゃあ俺を殺すには物足りねえ」

《おまえは……》

アシュトラは、黒き矛を構え、平然としている様子のセツナを見下ろしながら、目を細めた。冷静に、考え直す。黒き矛。カオスブリンガーなどと呼ばれる召喚武装の正体。

《なるほど。そうか。そうだったな。おまえは、魔王の杖の使い手であったな》

失念していたわけではないが、可能性を考慮していなかった。魔王の杖の力を引き出せるのであれば、神威を相殺し得るのだ。神威に毒されていないのは、そのためだろう。つまり彼は、魔王の杖の力をかなり自由に扱えるということになる。そして、だからこそ、最初に指が切り落とされたのだということに思い至る。神の肉体に傷つけることができたのは、魔王の杖本来の力を引き出すことができていたからだ。

神に対抗する“魔”の力。

《おまえを滅ぼさなければならない理由が増えたぞ》

「それはこっちの台詞だ」

《ほざけ。おまえがわたしを滅ぼすことなどできん》

「そうかな?」

《なんだと?》

「指を切り落とせたんだ。切り続けりゃ、そのうち勝てる。あんたの攻撃はなまっちょろいからな」

セツナの挑発的な台詞は、アシュトラには甚くも痒くもなかった。まったく響かない。それどころか、セツナの無知ぶりが明らかになっただけであり、彼はむしろ、そんなセツナを哀れに想った。無知ながらも、哀れにも魔王の杖を手にしたために神と敵対せざるを得ない運命となってしまったのだ。それがあまりにもおかしくて、仕方がない。

《はははははっ! なにを馬鹿なことを!》

だから、というわけではないが、アシュトラはただ笑った。

《わたしは神だぞ? この程度の傷になんの意味もないわ!》

アシュトラは、セツナの無知を嘲笑い、右手を掲げた。どれだけ肉体を損壊されようとも、神威を持ってすれば復元することなど、容易い。そして、神の力は、極めて膨大だ。人間などと比べるべくもない。ハルベルトの真躯クラウンクラウンを彼の力で強化することも、バイル・ザン=ラナコートやフェイルリング・ザン=クリュースの真躯ワールドガーディアンを再現することも、児戯に等しい。

指を復元するなど、莫大な力のほんの一部を用いるだけでいい。ここまで放置していたのは、指を失ったところで戦闘に支障がでることなどないからだ。莫大な神威を用いて遠距離から攻撃し続けるだけで封殺できるのだ。わざわざ肉体を用いて戦う必要がなかった。

しかし、ここで彼が指の復元を始めたのは、セツナに自身の攻撃が無意味であることを見せつけ、心を折るためにあった。

そうすれば、セツナを支配することだって、できよう。

だが――。

《なんだ……?》

アシュトラは、神威を集中させても一向に復元しない指に疑問を抱くよりほかなかった。いや、疑問という次元ではない。ありえないことだ。彼は、神威を右手に集め、指の復元を想像した。想像は創造。失った指をそっくりそのまま作り出す力だ。しかし、彼の右手の指の内三本、人差し指、中指、薬指のいずれもが第二関節から先を失ったままだった。どれだけ力を集めても、状況に変化が訪れることはなかった。すべての力を右手に収束させても、変化がない。復元するどころか、指の切断面から神威を放出することもできないでいた。

視線を指からセツナへと移す。魔王の杖を携えた人間は、怪訝な顔でこちらを仰いでいる。その表情が、アシュトラを嘲笑っているように見えた。

《おまえはいったい、なにをした?》

「は?」

《なにをしたのかと聞いている!》

アシュトラは、指の復元が不可能であることを認めると、すぐさまセツナ打倒に動いた。

《このわたしになにをしたのだ!》

神威を地上に向けて拡散し、光を雨の如く降らせる。当然、セツナは大きく飛び退いて、避ける。そこへ左手から光芒を放ち、叩き落とす。しかし、神威の光砲は、セツナの鎧背部から生えた黒蝶の翅に受け止められ、飛散した。つぎの瞬間、黒き矛の切っ先が煌めき、閃光がアシュトラの左掌を貫いている。

激痛が、神を襲った。