Ashes and Kingdoms
Beast child with fangs
新しい特使がウィネアへ発ったと聞いた時、院長は、それが誰かと聞かされるまでもなく、フィニアスだろうと確信していた。
荒んだ街の中で兵士と一緒にいるところに出くわし、不安になったのがしばらく前のこと。そしてつい一昨日、別人のように気力の満ちた顔で走っているのを見かけ、ああ良かったと胸を撫で下ろしたばかりだった。
兵営でわずかばかりの麦を受け取って帰る道すがら、彼は束の間、遠い昔に思いを馳せた。この街路に飢えた人々が溢れることなど想像もつかなかった、今から思えばいかにも無邪気で幸福だった日々に。
*
彼が院長になったのは、フィニアスが五つほどの頃だったろうか。
だがそれまでも職員の一人として院長を補佐していたので、この少年の特異な生まれについては、彼もよく覚えていた。
大きな腹を抱えてふてぶてしく笑った女の、吠えるような挑発。何の罪咎もない、母の乳に噛みついたことさえない赤子を殺すというなら、おまえ達の方こそが残忍非道な殺し屋だ――と。
それを詭弁と知りつつ受けて、赤子の命は助けると決めた市長の苦い声。
陣痛に喘ぐ女の声を聞きながら、落ち着きなく廊下を行き来し、いっそ死産であればと呟いていた前院長。
その頃の彼は若かった。
だから、生まれてくる子は無垢で、親の罪とは関係ない、そう固く信じていた。
――だが、生まれた男児がよくある熱病で死ぬこともなく、無事に五歳の祝いを越した後、先の院長が引退して自分が後を任されると……不安になった。
彼の目から見ても、少年は少し変わっていたから。
問題児だったのではない。
むしろ、まったく手のかからない子供だった。泣くことも笑うこともあまりなく、代わりにその鋭いまなざしで、いつも何かを観察しているような節があった。年長者や大人達が、何を言い、どのように振る舞っているかを、さながら審判にかけるかのように。もっとも、そう感じたのは先入観の故だったかもしれないが。
ある夏のこと、磯に子供達を出し、遊びと実益を兼ねて貝や海草を採っていたところ、フィニアスがひょこひょこと片足を引きずりながらやってきた。脛から下を血に染めて、赤い足跡を砂に残しながら。
「フィニアス! 怪我をしてるじゃないか! どうしてすぐに呼ばないんだ」
女の職員と一緒に駆けつけながら、院長は叱り付けた。
「ああひどい、岩で切ったのね。すぐにお医者さんのところへ行きましょう」
職員が言うと、彼はこくんとうなずいた。眉間に少しばかり皺が寄ってはいるが、泣きも騒ぎもしない。さすがに院長は不審に思った。
「痛くないのか?」
問えば、痛い、と小声で答える。その声に我慢の響きがあったので、院長は可哀想にと思うより先にほっとした。
同じ年頃の子供なら、転んだだけで怪我がなくとも泣き叫ぶぐらい、珍しくもない。医者に行けばさらに痛い目に遭うので、嫌だ嫌だとばたばた暴れることもある。それに比べると、かなり我慢強いのは確かだが、
(痛みを感じないとか、血を見て喜ぶとかいうわけではないようだ)
――良かった。
安堵し、そのことにちくりと良心の呵責をおぼえながら、彼はフィニアスをおぶって医者まで連れて行った。
傷口を三、四針ほど縫う間も、フィニアスは顔をしかめ歯を食いしばり、ついに呻きひとつ漏らさなかった。
その我慢強さゆえにか、彼は年長の兄や姉にも、職員にも、甘えるということをしなかった。甘えていいのよ、たまには我がままを言ってごらん、などと言われても、まるでそれが罠だと疑っているかのように、態度は頑ななまま。
養子を求めて訪れる夫婦の中には、フィニアスに目を留める者もたまにいたが、声をかけても笑顔を見せるでなし、話しかけても愛想良く返事をするでなし。はっきり言って人気はなかった。
一度、頭を撫でようとして避けられた女がチッと舌打ちし、「可愛くない。この子は嫌よ」と夫に言った事がある。
当のフィニアスは顔色ひとつ変えずに黙っていたが、その後しばらく、いつにも増して口数が少なかった。
夕暮れが迫っても戻らないフィニアスを探しに行き、院長は裏庭の隅で一人、枯れ枝の剣を振っている少年を見つけた。
「もう中に入らないと、日が暮れるぞ」
声をかけると、驚いた様子もなく、はい、と答えてその辺に枝を捨てる。だがすぐには歩き出さない。院長はゆっくりそばに寄り、何気ない風情で言った。
「昼間の奥さんは美人だったな」
「…………」
フィニアスは無言のまま、小首を傾げたのかうなずいたのか、判然としない程度に首を動かした。院長は彼の肩にぽんと手を置く。
「だが、見る目はなかったな。あの奥さんにおまえはもったいない」
「…………」
やはりフィニアスは無言だったが、今度は複雑な表情でうつむく。院長はそれを見下ろし、ようやく少しだけ彼の事を理解できた気がして微笑んだ。
「おまえは照れ屋さんで、損をしてるなぁ」
途端に、小さな耳が桃色に染まった。顔を上げずにそそくさと歩き出した少年の後から、院長はにこにこしてついて行った。
そんなことがあった後、何回かフィニアスにも養子の話が舞い込んだが、いずれも本人の耳に届く前に破談になった。理由のひとつはもちろん、彼の性格ゆえに親の方の腰が引けてしまうからだが、稀にそうならなかった場合には、院長が隠さず告げていたからだ。
「実のところ彼は、生まれに少々問題があるのですが、それでもよろしいか」
――と。
それだけで、孤児が犯罪者あるいは奴隷の子であると示唆するには充分だった。本来ならば市民の家族にはなれない、奴隷身分である、と。
生みの親が一昔前に一帯を荒らし回った悪名高い強盗であるとまで明かさずとも、仄めかしだけですべての親が彼を諦め、別の候補を養子に迎えると決めた。
そうこうする内にフィニアスも成長してしまい、そうなるともう、今まで以上に、引き取りたがる者は現れなくなった。
(もういっそ、このまま私の手元で育てても良いんじゃないか)
彼が十歳をすぎ、十一歳になる頃には、院長も本気でそう考えるようになっていた。かつて心配したような兆候もなく、愛想はないが年下の面倒をよく見る責任感の強い子で、むしろ頼もしいとさえ見える。時々はタズと一緒に悪ふざけに加わることもあるし、何も心配はないだろう。
庭で遊ぶ子供達を見やり、院長は温かい気持ちで微笑んだ。
そんな矢先に、事件が起こったのだ。
発端は、お使いに出たタズが市民の子供に絡まれ、一対多数の喧嘩をしたことだった。孤児であるというだけで蔑む市民は少数ながら常におり、そんな親に育てられた子供は、正直にそれを行動で表す。親なし子、捨てられ子、などと大勢ではやし立てて侮辱され、院の幼い子供らが泣かされるのは、昔からよくあることだった。
だから、打ち身や擦り傷を全身にこしらえて帰って来たタズを、皆が心配して世話を焼いたが、それもやはり、よくある事ではあったのだ。
だがそれから一週間ほどして、かつてない報復が行われたのである。
タズとフィニアスがいない、と聞いて、院長は急に不安に駆られた。先日の出来事以来、どうにもフィニアスの態度がおかしいと気になっていたのだ。
「タズ兄、棒もって出かけたよ。まちぶせするんだって」
小さな子供の無邪気な一言で、職員達は大慌て。連れ戻すために町へ飛び出すはめになった。仕返ししたい気持ちは彼らとて引けは取らないが、問題を大きくしてはならないと解る大人の立場としては、止めざるを得ない。
院長もまた焦燥に駆られて街路を探し回っていた。そして、
「うわああぁぁぁ!!」
「いてぇッ! ひっ、ぅわぁー!!」
少年らの悲鳴にかぶさってドドドドッと鈍重な騒音が響き、彼は手遅れを悟った。
騒ぎの聞こえた方を振り向くと、街路を疾走する豚とロバの群れが目に入る。院長は眉間を押さえて一呼吸してから、家畜が逃げてきた場所へと急いだ。
細い路地を曲がって別の通りに出た途端、彼は立ち竦み、目を見開いた。
雨でもないのに路面が濡れ、数人の少年がひっくり返って呻いている。衣服には型押し模様の如く蹄の跡。その傍らでタズが、「ざまみろ、やーい!」などと嬉しそうに飛び跳ねていた。が、彼は院長に気付くとぎょっとなり、途端に逃げ腰になる。院長は構わず彼に詰め寄った。
「フィニアスはどこだ!?」
焦った拍子に、靴が滑って危うくこけかける。路面についた手がぬめった。石鹸水だ。院長は怒りと賞賛を同時に感じながら、それを上回る危機感でもって立ち直り、驚いたふりをしているタズを再度詰問した。
「おまえ一人で仕組んだんじゃないだろう。フィニアスはどこだ!」
「えっ、ていうか、俺は何も知らねえッスよ! 全部あいつが仕掛けて……あ、いやその、一人逃げたやつを追っかけてあっちに行きましたけど」
タズは言い訳しかけたが、院長の顔色に恐れをなして、慌てて行き先を白状した。院長はそれだけ聞くと、
「二人揃ってから、みっちりお説教だ」
一言脅して、タズが指差した路地へ走って行った。
家と家の間をくねくねと走る狭い路地は、日中ほとんど光が射さず、薄暗い。子供の体格なら逃げ込める隙間があちこちにあり、院長はそのひとつひとつを確かめながら、必死に走った。
そして、恐れていた光景を見つけたのだ。
「フィニアス、やめろ!」
思わず彼は怒鳴っていた。
フィニアスは、自分より年嵩の少年を壁に押し付けていた。喉に肘を食い込ませ、容赦なく、相手の爪先が宙に浮いているのも構わずに。
院長の怒声でフィニアスは素早く離れた。少年の体が崩れ落ち、一拍置いてからゲホゲホと咳き込む。生きていた。院長はほっと息をついた。
院長が近付く間、フィニアスはタズと違って逃げも隠れもせず、背筋を伸ばしてじっと立っていた。院長はその冷たいまなざしに負けまいと、本心以上に怒った顔をして見せる。
「仕返しにしてもやりすぎだ。殺す気か」
厳しく言いながら、涙ぐんでいる少年の腕をつかんで立たせる。少年はその手を振り払い、よろけながらも後ずさって、怒りの目をフィニアスに向けた。何か罵ろうと口を開けたが、声のかわりに漏れたのは喘鳴だけ。憎悪の視線さえ、相手の凍てつく気迫に圧されて揺らぎ、怯えと共に地に落ちる。
結局彼は、喉を押さえて、二人の反応を窺いながらこそこそ逃げて行った。
院長はもう、それを見てもいなかった。向かい合って立つ、よく知っている筈の少年に全神経を集中させていたのだ。
ナナイスの海と同じ色の目は、かつてない冷酷さを湛えていた。表情は完全に消え、まるで人形のよう。
まだ彼は子供で、腕力で院長に敵わないのは明らかなのに、それでも警戒せずにはおれなかった。命を奪われるのではと、身構えずには。
「……フィニアス」
無意識に名を呼ぶ。そこにいるのが、少年の姿を借りた殺人鬼の亡霊かどうか、確かめようとして。
――と、不意に、藍色の目が揺らいだ。
感情の無かった顔に、一気に様々な色が戻ってくる。彼は唇をぎゅっと噛み、両手を体の横で拳に握りしめて、うつむいた。
院長は緊張を解き、ほうっと深い息をつく。耳に、かすれた涙声が届いた。
「すみませんでした」
短く、小さく、あまりに多くの感情が込められた一言。院長は自分の吐息が誤解されたと気付くと、フィニアスの肩を抱き寄せて軽く叩いた。
「おまえでも我慢出来ないほど、ひどいことを言われたんだろう。おまえに失望したわけじゃない。ただ安心したんだ。おまえが人殺しにならなくて、本当に良かった」
「……そんなつもりは」
フィニアスはうつむいたまま、小さく首を振る。院長は胸の奥でざわつく感情を押し隠し、努めて平静な口調を装った。
「つもりはなくても、殺してしまったら大罪だ。止めを刺すところまでしてしまったら、それはもう仕返しじゃないぞ」
「はい」
素直な答えが返る。ほんのつい今しがた、人ひとり殺しかけたとは思われない。
(そんなつもりはなくても、殺し方を知っているんだろうか)
あんな風に喉に肘を食い込ませる方法など、どこで覚えたのか。あのまま彼が力を入れていたらと思うと、ぞっとする。
恐れのあまり、院長は確かめずにはいられなかった。
「……私が止めなかったら、おまえ、あのまま彼の喉を潰していたか?」
「いいえ。すぐ離すつもりでした。しばらく声が出なくなればいいと思っただけです」
迷いなく答えながら、フィニアスは自分の手がしたことを思い返そうとするように、肘をさすっていた。しばし沈黙し、それから彼は、小さな声で付け足した。
「もう少しやれば殺せるのは、分かりましたけど」
「フィニアス……なんて事を」
院長は思わず呻き、それから思い直して首を振った。足を止め、一緒に立ち止まったフィニアスの前に回って両肩に手を置く。フィニアスは怖じることなく、こちらの目を見上げてきた。己に恥じることはしていないと確信している表情だった。
「分かったが、やらなかったんだな?」
「はい」
「なぜやらなかった?」
「それは」
流石にフィニアスは面食らい、目をしばたたく。少し考えてから、彼はいささか不安げに答えた。
「殺してはいけないからです。あいつは一生口がきけなくなってもいいぐらいだけど、殺してやるほどの奴でもないし……俺が人を殺したら、皆に迷惑がかかります」
「仕返しを我慢できないぐらい腹を立てていても、そう考えられたんだな?」
「はい」
「そうか。……良し、おまえはよくやった」
院長は深くうなずくと、フィニアスの頭をくしゃくしゃに撫で回した。フィニアスは目を丸くして、どう反応したものか分からず固まってしまう。そんな彼の様子に、院長は悪戯っぽく笑って見せた。
「うちの子供達がしょっちゅう泣かされるのは、正直、腹に据えかねていたんだ。これで悪ガキ共も少しは手控えるだろう。親の方がやかましく言ってくるだろうから、建前として私はおまえとタズをこっぴどく叱らなければならんが、あの石鹸水には実のところ拍手したいぐらいだぞ」
「…………」
フィニアスはぱちぱち瞬きして、なんとも複雑な顔でうつむく。両頬は桜貝のように上気していた。小さな声で、つっかえながらもぐもぐ言う。
「でも、やっぱり少し、やりすぎでした」
「そうだな。まあ、大人でもあんまり頭にきたら加減を忘れるさ。おまえはその点、冷静だった。だから、偉かったぞ」
院長はフィニアスの背中を軽く叩き、促して歩き出す。
「あの豚とロバにも驚いたがな。どうやって走らせたんだ?」
「え……それは、あの」
こんなことをばらしてもいいのかな、とためらうように、フィニアスは報復計画の全貌を説明する。院長は笑いながらそれを聞いていた。
(大丈夫だ。この子はきっと、大丈夫だ)
越えてはならない一線が分かる。その手前で踏みとどまる理性と意志の力がある。
己の行為を反省するだけの真摯さもあるし、何より、皆に迷惑がかかる、と思いやる心がある。
と、その時不意に、過去からの声が脳裏によみがえった。
――あたしの、小さな可愛い牙。あたしの乳のかわりに、やつらの血を吸いなさい――
赤子にささやく女の声。だが院長はもう、たじろがなかった。
(この子は鋭い牙を持っているかも知れない。だがおまえのように狂った獣ではない)
しつこくつきまとう亡霊に、心の中で指を突きつけ、奈落へ去れと命ずる。今まではどうしても追い払えなかったのに、いともたやすく亡霊は霧消した。
「なあ、フィニアス」
院長はふと、横を歩く少年を見下ろして言いかけた。
「おまえはやっぱり、……」
「あー!! 院長先生、良かった、フィニアスが見つかったんですね!」
職員の声が言葉を遮る。振り向くと、もう表通りはすぐそこだった。石鹸水で濡れたままの通りが、陽を浴びて光っている。手招きする職員の向こうで、タズがしゅんと萎れていた。
フィニアスは続きを待つ目で見上げたが、院長が微笑んで背中を押すと、質問はせずに小走りで先に出て行った。タズがそれに駆け寄り、怪我してないか、あいつやっつけたか、などと話しかける。
院長は苦心して威厳を取り繕いつつ、後からゆっくり路地を抜けた。往来で待ち受ける、いじめっ子の親達と対決するために。
*
あの日の確信は、長らく揺らがなかった。
オアンドゥスに彼の素性を打ち明けた後も、風車小屋から追い出されず、それどころかより一層の愛情を注がれているのを知った時には、これで本当にもう大丈夫だと安堵したものだ。
とは言え、このまま自分の子にとまで考えた少年が手を離れていくのは、やはり少なからず寂しかったが。
(だがやはり、あれで良かったんだ。私の手を離れて、ますますあの子は強くなった)
マスドが皮肉っぽく教えてくれた。あいつは家族と一緒に出て行った、死の待ち受ける闇の中へ突っ込んで行った、と。
(あの子なら、そしてあの家族がいるのなら、どれほど深い闇だろうと乗り越えるだろう)
自分だったら、彼にそれほどの強さを与えられたかどうか、分からない。だがともかく、闇の中へ自ら進んで行く意志の力を持った若者の成長に、自分も一役買ったのだという誇りが胸を満たしてゆく。それは、闇に取り囲まれて以来、長らく忘れていた感情だった。
(フィニアスなら大丈夫だ。きっと、やり遂げてくれる)
暗澹としていた心に、希望の光が射してくる。院に帰り着くと、彼は集まってきた子供や職員に、久方ぶりの笑顔を見せた。
「何かいい知らせがあったんですか?」
疲れきった様子の職員が、戸惑いながら問う。院長は微笑んでうなずいた。
「ああ。救援を求める特使が、ウィネアへ向けて発ったそうだ」
「そうですか……」
前にもいましたが音沙汰はありませんね、と声音が語る。子供の手前、言葉にはしないものの、心情は明らかだ。
事情のよく分かっていない幼子が一人、院長の裾を引っ張った。
「先生、きゅーえんってなに? ごはんくれるの?」
「そうだよ。何年か前までこの院にいた、とっても強くて賢いお兄さんが、大急ぎでウィネアまで行って、いっぱい食べ物を貰ってきてくれるんだ」
「ほんと!?」
「ああ、本当だとも。だからそれまで、ちょっとの間、いい子で辛抱しような」
院長は優しく幼子の頭を撫でてやった。幼子は両手を上げてはしゃぎだす。
「わーい! ちょっとって、どのぐらい? 明日? 明後日?」
「そうだなぁ……」
さてどうやって誤魔化そうか、と院長は苦笑する。知りませんよ、とばかり職員が肩を竦めた。
「一週間ぐらいかな」
「えー、そんなにぃ!?」
「ウィネアは遠いんだよ。でも大丈夫、絶対に帰ってくる。それまで待ってような」
「う~~~」
唇を尖らせた幼子を、院長は抱き寄せてやる。骨ばった肩が痛々しい。
「大丈夫だよ」
無意識に彼は繰り返していた。自分に言い聞かせるかのように。
(大丈夫、絶対に彼は帰ってくる)
だからそれまで、この小さな希望を失わずにいよう。
彼が与えてくれた、微かな光を。
(終)