「まさか来てくれるとは思わなかった」

バルフさんの約束を果たす為に騎士さん達の下へ向かい、いきなり言われた一言である。

体の調子を確かめる様に剣を振りながら、俺に言うバルフさん。

あれー、この人が来てっていうから来たのに、来ないと思ったって言われてるよー?

「シガル、バルフさん来ないと思ったって言ってるけど」

「あ、あれ?」

これを受けては、シガルも困惑を隠せない。

だって彼女自身も、彼が待っていると言ったのだから。

つーか、俺もそう思ってたし。

「ああ、いや、申し訳ない。タロウ君の性格を鑑みるに、まだ来ないかなと思ってたんですよ」

俺達の反応を見て謝るバルフさん。

その姿は良く知る、初めて会った時と変わらない優しい雰囲気だった。

あれ、おかしいな。この人また、前に会った時と雰囲気変わってる。

前に会った時は何て言うか、もうちょっと不思議な圧迫感があったんだけどな。

今日はそれが全然ない。下手すると、初めて会った時より何も感じない。

「訓練の手合わせをお願いしたい、と言ったならば来てくれるとは思っていました。だが今回やるのは本気の勝負。少なくとも近いうちに来てくれるとは思っていなかったんです」

ああ、なるほど。バルフさんは今回本気でやると言った以上、決着はどちらかが大怪我をする可能性が有ると。

そうである以上、俺の性格上気軽にやりまーすというとは思わなかったのか。

まあ、正直正解だ。だっていまだに気が重いもん。

加減してくれるならともかく、この人とはあんまりやりたくない。あんまりっていうか、出来るならお断りしたい。

「素直に言うと、あんまりやりたくないなーとは思ってるんですけどね。負けて大怪我しそうですし」

「おや、弱気な事を。君は完全に勝ち越してるじゃないですか」

確かに俺はこの人との勝負は勝ち越している。

けど、そこには勝ち越せた理由が有ると、俺は思っている。

俺はあの二回、この人と手を合わせたあの二回は、この人は本気じゃ無かったからだと思っている。

「そうですね、貴方が本気なら、勝ち越してる事になるんでしょうね」

俺の言葉に、ニヤッと口を歪めるバルフさん。

イケメンだから怪しげどころか、女性が黄色い悲鳴上げそうだな。

甲冑が余計に映える。

「何故そうだと?」

「だってバルフさん、今まで一度も本気でやった事ないでしょう」

その一言に、バルフさんはさらに楽しそうに目を細める。

「その根拠は?」

「初めてやった時、貴方は魔術を使った。でもそれは魔力の感知のみ。あの時は余裕が無かったから解らなかったけど、今なら分かりますよ。貴方は真剣では有っても、本気では無かった」

この人は初めてやった時は余裕があった。

確かにあの時のこの人の速度は、俺の2重強化でも追いつける速度だった。

けど、その二重強化でいなされ続けたんだ。彼自身の、当時の素の身体能力だけで。

二度目の時、あの時は確かに俺の速度の方が上を行っていた。

けどそれも、大きく上回っていたと言えるほどじゃない。

何よりも仙術が無ければ、間違いなく俺の攻撃より彼の振りぬきの方が速かった。

この人はおそらく、魔術が仕える。なのに二度とも身体能力だけだった。

それを考えれば、この人が強化魔術を使っていれば結果は完全に違う物だった筈だ。

「少し、買いかぶりすぎですね。一度目は本気でしたよ」

「そうですか?」

「ええ、あの時の私はあれで本気です。2度目もそう。本気で振った。君の首を切り落とす気で。でも届かなかった」

「・・・そう、ですか」

俺の思い違いだと、彼は俺の言葉を否定する。でも、俺はそれじゃ納得いかない。

大体一度目の時は、この人は止めを刺す機会は有ったと言ったけど、あれはダメージで一瞬動けなくて転んだだけみたいな物だ。

そこで止めが入ったから俺の勝ちになっただけ。俺にはあの時点でもう余裕なんて無かった。

2度目はこちらが不意打ちされた形だから、速度では完全に勝っていたのかもしれない。

けど、この人の手に剣が有り、事前に魔術を使っていれば、どうなったかは解らない。

「どちらも自身の未熟が原因。全力を出し切れなかったなど、敗者の言い訳だよ。だから、私はどちらも本気だった」

そこで、空気が変わった。

剣を構えたわけでも、何か魔術を使おうとしたわけでも、何かしらの構えをとったわけでもない。人の良さそうな笑みも変わってない。

けど、間違いなく目の前の人物雰囲気が変わった。言いようのない威圧感が、彼から発されている。

それまで各々訓練なり何なり動いていた騎士達も、全員が息を飲むように彼を見つめていた。

『ほう』

黙って話を聞いていたハクが、ぼそっと呟く。その声音はとても楽しそうだ。

シガルは完全に彼に呑まれている様子だ。クロトはいつも通りで解らないな。

ふうと、ため息を吐いて、彼は続ける。

「事前準備が出来なかった等と、そんな無様な事は吐かない。吐けるわけが無い。私は騎士で魔術師では無いのだから、切り結んでいる間に強化魔術が使えない等と、そんな舐めた口はきく気は無い。あれが私の全力」

そう言いながら、持っていた剣を鞘に納める。まるで抜いてから始めるのすら、戦う前に準備をしていると言わんばかりに。

そして握りからも手を放し、俺達とは逆を見ながら言葉を続ける。

「もしあの頃に強化魔術を使おうとしていれば、間違いなく隙を晒す事になったでしょう。目の前の人物に対する集中が逸れた一瞬が、致命的な隙になった。

だが君は違う。魔術を使いながらも、仙術を使いながらも、一瞬もこちらに対する意識は逸らさなかった。そんな相手に強化魔術を使えばもう少しはどうにかなった等の言葉は、ただの恥だ」

そこで、彼の目が、俺を捉える。

先程までとはまるで違う存在としか思えない化け物が、俺を見つめる。

背中には悪寒が走り、恐怖で体が震えてきているのが解る。

「だが、もうそんな無様は晒さない。今度こそ、君と死合うに足る水準までには辿り着けた。その上で君に願った。本気で、お願いしたいと」

目の前にいる化け物が、俺とやりたいと言っている。今度は勝つという気概を込めて。

体の感覚が恐怖でおかしくなっている。足元が浮いている様な、現実感の無くなる緊張感。

口の中が渇くのに、手汗は逆にべっとりとしている。

怖い。冗談じゃ無く怖い。化け物の言葉を否定して、今にも逃げ出したい。

「君に応えるために。君の言う本気を見せられるように。今までの二度の無様を払拭する為に」

だからまだその覚悟が無いのなら、この場を去って良いと、化け物は告げている。

今度の相手は、本当に化け物が相手だと解った上で相手をしてくれと。

しゃれになって無いなぁ。この人普通に生身の時点でふざけてるぐらい強いのに。

やりたくない。怖い。この人とやって無事で済む予感がしない。

「―――良いですよ。その上で、今日やりましょう」

けど、俺が言うべきは了承の言葉。

口の中はカラカラ、悪寒はするし手汗も酷いし、恐怖で今にもここから逃げ出したいレベルだ。

だからこそ、やらなきゃいけない。俺が越えようと思っている人達はもっと化け物だ。

目の前の化け物から逃げて、どうやって追いつける。

「ふふ、やはり、君は強い。自分も強くなったつもりでしたが、君の成長は私の比では無い。本当に、凄い」

嬉しそうに呟きながら、バルフさんは甲冑を外して置いて行く。

まるで甲冑など要らないとばかりに、全ての装備を外していく。

誰もが彼を見つめる静寂の中、ただ剣だけを腰に差し、俺に向き直る。

「場所を変えましょうか。ここでは狭い」

「ええ、行きましょう」

そう言って、俺に有利な場所へ行こうとする化け物に、どれだけ本気かが伺える。

一切の言い訳のきかない状況、いや、違う。

俺が完全に何をしても大丈夫な状況で、勝つつもりだ。

全てをその剣で切り伏せるために。相手の全てを使わせる気だ。

―――これは最初から全力で行かないと、一瞬で終わる。