Atelier Tanaka

Dragon Exorcism IV

「なんと、無事に倒しきったかっ!」

逃げ出したドラゴンの姿が見えなくなったところで、魔道貴族がソフィアちゃんを連れて飛空艇の中から戻って来た。どうやら目当てのポーションは早々に入手できたよう。彼女を連れて行った彼の判断はとても正しい。

きっと九万八千三十のLUCが威力を発揮したのだろう。

「うち一匹は尻尾を巻いて逃げた形ですが」

「なるほど、だから死体が一つしか残っていない訳か」

手早く魔道貴族に情報の共有を済ませる。

あまり長居したくないので、さっさとしよう。

「であれば、早々に肝を採集の上、この場を離脱するべきだろう」

「ええ、そうですね」

また襲われては堪らない。

一掴みもあれば十分だとエディタ先生のレシピにも書いてあった。

「作業は私とそこの給士とで行う。貴様らはポーションを服用の上、周囲を警戒すると共に下山の支度を進めよ。飛空艇は使い物にならないので放置する。必要な物品は今のうちに回収しておけ」

「え? あれもう飛べないんですか?」

「ああ、完全に動力周りが壊れてしまっている」

「しかし、そうなると復路の期間は絶望的なのでは?」

「……まずは生きて山を下りることが先決だろう」

普段と比較して言葉の少ない魔道貴族。

どうやら状況は非常によろしくないよう。

無事に肝を取得できても、調剤と提出が間に合わなければ意味が無い。そして、ここへ至るまでに飛空艇ですっ飛んできた距離は、とてもでないが徒歩に帰れるものでない。途中で海さえ越えて来たのだから。

とは言え、今にそれを吠えたところで意味は無い。

「分かりました。では下山を急ぎましょう」

「うむ」

暗雲立ちこめる只中、我々は撤収作業へと移った。

ドラゴンの肝は魔道貴族が大雑把に魔法で解体の上、ソフィアちゃんが涙目になりながら包丁を振るい、筋や骨の類いを剥いで綺麗に採集を完了である。流石は料理屋の娘、大した腕前である。当初、荷物持ちとして同行を願った手前、しかしながら以外と他でも活躍の場が多い。ぶっちゃけアレンより役に立っている。

とまあ、そうした具合に要領良く作業は進んでいった。幸い人手は十分であった為、進捗は非常によろしい。もしも一人で訪れていたのなら、こう簡単には済まなかったろう。というか、魔道貴族の協力がなければ同所を訪れるにも苦労したろう。故に思うね。かの幼女に導けぬ者はないと。

ただ、そうした最中の出来事であった。

地上に活動する一同の下、不意に巨大な影が差し込んだのだ。

「っ……」

分厚い雲でも流れてきたのかと、皆々は作業から手を止めて空を見上げる。すると向かう先、そこにはドラゴンの姿があった。しかも先程に倒したレッドドラゴンより尚のこと大きい。超デカイ。

飛空挺を優に超えて、百メートル超となる巨漢の持ち主だった。

「人間がこのような場所にいるとは珍しいな」

しかもあろうことか、何やら話し掛けてきたではないか。

これはどうしたものか。

大慌てに傍ら、すぐ近くに立っていたオッサンへ視線をやる。

「馬鹿な、エ、エンシェントドラゴンだと……」

すると彼は瞳を見開き、作業の手を止めて全身をプルプルと震わせていた。

嘗てなく驚いていた。

どうやら魔道貴族的にもアラート鳴らしちゃう級の敵らしい。

確かに響きからしてレベル高そうだエンシェント。

「どうして彼の存在が、このような場所に……いやしかし、であれば道中、飛空艇の航路にフレアワイバーンの群れと遭遇したのも、ペペ山の中腹に複数対のレッドドラゴンと遭遇したのも、納得できる……」

大地を振るわせるほどの声量を耳としては、他に船内で活動中であったチーム乱交の面々もまた、飛空挺の中から大慌てに飛び出してきた。そして、空に浮かぶ巨大なドラゴンを目の当たりとして絶句。

すぐ傍らでは地面にお姉さん座りでへたりこんだソフィアちゃんが、ショワーっと勢い良くオシッコ漏らしてるマジ可愛い。飲みたい。ゴクゴクと飲めるソフィアちゃんのオシッコ大地に染み渡る。

「どうした? 小さき者共よ」

しかし、このドラゴンってば、随分と上から目線だ。

ちょっとイラッときたわ。

ゾフィーちゃんのですます口調と同じくらいイラッときたわ。

「すみませんが、どちらさまでしょうか?」

とは言え、話が通じるのはありがたい。

ここは適当にトークしてお帰り願おう。

「どちらさまだと? 人が竜に何を尋ねる」

「いえ、現在少しばかり現場が取り込んでおりまして、お話があるようでしたら、後日またこちらからお伺いに参りますので、ご連絡先を頂戴できればと……」

咄嗟に出てきた、要らないベンダー対応術。

連絡先だけ聞いて、そのまま一向に連絡を返さないこと絶縁の如し。

「随分と威勢の良い人間がおるようでな、少しばかり様子を見に来た」

「なるほど、お騒がせしており大変に申し訳ありません。すぐに撤収致しますので、今しばらくご辛抱のほど、ご理解ご協力をお願いできませんでしょうか?」

とりあえず、ステータスを確認だ。ステータス。

名前:クリスティーナ

性別:女

種族:エンシェントドラゴン

レベル:2983

ジョブ:バックパッカー

HP:9950000/9950000

MP:8900000/8900000

STR:1537500

VIT:677402

DEX:922994

AGI:2204442

INT:778030

LUC:23329

おうふ、なんという圧倒的ラスボス感。

普通にプレイしてたら出てこないタイプの隠しキャラだろコイツ。敵うとか敵わないとか、そういうレベルの次元じゃない。インフレも甚だしいぞ。こんなヤバい敵が分布しているとか、俺は聞いてないぞオッサン。

っていうか、バックパッカーってなんだよ。意識高いドラゴンだな。別に無理矢理、人様の仕組みを人外連中へ適応する必要はないと思うんだけど、無駄に気が利いてるよな、このステータスウィンドウ。

ちなみに自身はこんな具合だ。

名前:タナカ

性別:男

種族:人間

レベル:78

ジョブ:錬金術師

HP:78909/78909

MP:188300000/188300000

STR:7375

VIT:9560

DEX:10800

AGI:7910

INT:12922000

LUC:229

レベルが十三ばかり上がってる。

牧羊犬ごっこに終始した為か、倒した敵に対してあまり伸びがよろしくない。恐らくだが、代わりに魔道貴族やメルセデスちゃんあたりへ大量の経験値が向かっていることだろう。それはそれで同じパーティーの仲間として嬉しかったりするけれど。

気分はゲームのレベル上げ。

あと、良くないお知らせが一点。

以前と比較してLUCが下がってる。成長曲線がマイナスってありかよ。妙なところでリアルじゃん。そりゃ人なんだから、成長もすれば衰えもするだろうさ。しかし、よりによってLUCっていうのが悲しい。

「我を前として、それで尚も嘲るか? 大した度胸だな」

「いえいえ、滅相もございません。嘲るなどと失礼なこ……」

「上等だ。そこまで言うのであれば、楽しませてくれよう!?」

戦闘開始のお知らせだ。

グォオオオっと、クリスティーナが吠えた。

それだけで皆々、腰を抜かした上、地面の上をゴロゴロ、転がる羽目となる。目に見えない衝撃波っぽい何かが発せられたようだ。

特に金髪ロリータやゾフィーちゃんなど、軽い連中は結構な距離を転がっていった。オッサンでさえ立って居られないのだから、相当なもんだろう。

俺はといえば、咄嗟に飛行魔法を発動して事なきを得る。

流石はレベル五十五だ。同様に空へ浮かんだ筈のオッサンが、それでも吹っ飛んでいった点を鑑みるに、間違って上げ過ぎたスキルレベルが功を奏した形だろうか。

地味に凄いぞ飛行魔法。ホバリングもだいぶ慣れてきたぜ。

「自らの死を理解する間もなく朽ちるがいい、小さき者よっ」

間髪置かずに敵が迫ってくる。咆吼に耐えたのが気に入らなかったのだろうか。その照準は俺にロックオンして思える。こっち来んじゃねぇよ。

地面へ顎をスレスレまで近づけて体当たりの態、巨大な顔が迫った。このままでは丸かじりコースである。いいや、囓られる間もなく胃へ直接ダイブだろうか。

開かれた口は自らの身体より遙かにデカイ。

「くぬぅっ……」

食われてなるものか。

なにか、なにかスキルを。

パッシブ:

魔力回復:LvMax

魔力効率:LvMax

言語知識:Lv1

アクティブ:

回復魔法:LvMax

火炎魔法:Lv3

浄化魔法:Lv5

飛行魔法:Lv55

残りスキルポイント:12

レベルアップに応じてスキルポイントが増えてる。

であれば、これをありがたく振り分けよう。

しかし、どんなスキルを取得すれば良いのだろうか。

分からない。

分からないが、悩んでいる余裕もない。

うぉおおおおおお。どーすりゃいいのだ。

こうなったらあれだ。

困ったときは使い勝手の知れた既存の魔法を極めるのが良い。

炎だ。俺は炎の戦士になるわ。

パッシブ:

魔力回復:LvMax

魔力効率:LvMax

言語知識:Lv1

アクティブ:

回復魔法:LvMax

火炎魔法:Lv15

浄化魔法:Lv5

飛行魔法:Lv55

よしきた、炎魔法がレベル十五だ。

正直、飛行魔法のレベル五十五にインパクトで負けてるな。

てっきり十でMAXするかと思ってたから予想外だった。

「交渉事すら満足に行えないとは、どれだけ大層な名前で呼ばれていようとも、所詮はトカゲですね。図体ばかり大きかったところで、なんの意味がありましょうか」

正面に片腕を突き出す。

求める所はファイヤボール。火炎魔法と書いてファイヤボール。ぴんと綺麗に五本の指を開いた先、手の平を正面に向ける。応じて浮かび上がったのはキラキラと赤い色に輝く魔法陣。

来たぞ勝利のエフェクトが。演出が。

これで良い。これだけで良い。

これさえあれば良い。

円形の中央にマッチほどの火が灯る。

あわやガス欠かと思ったところ、それは瞬く間に燃え上がり、巨大な炎の玉となった。これまでのファイヤボールとは一線を画した大きさだ。直径十メートルを超える超弩級のファイヤボールである。

足下、地面となる岩肌を融解、沸騰させるほどの熱量だ。灰色の岩盤面がボコボコと音を立て始める。それでも魔法陣よりこちら側が、そこまで熱くないのは、きっとバリア的な何かが働いてのことだろう。

これにはドラゴンもビビって進行を停止だ。急ブレーキ。

出した俺だってビビった。一瞬、うわぁって放り出しそうになったわ。

流石はレベル十五だ。レベル三とは雲泥の差。

「ぬっ、貴様ぁ……」

「たぶん、避けた方がいいですよ」

「っ……」

呟いて早々、ファイヤボールを打ち出す。

相手はこちらに対して既に目前まで接近しており、また、十分に勢い付いており、どうやら避ける余裕はなかったよう。火球は正面から対象に着弾した。

ズドンと大きな音を立てて爆発が起こる。

地震でも起こったよう、あたり一帯が震えた。

爆発に伴う熱や衝撃は、バリアよろしく正面に張られた魔法陣のおかげで、我々の側へ至ることはなかった。良く出来ているではないか。流石はファンタジー。

他方、反対側では遠慮無く熱風が巻き起こり、クリスティーヌを焼き尽くす。

土埃が舞い上がり、視界の大半が失われた。

「…………」

なんかデジャブ。

いつぞやのハイオークを思い出す展開だ。そう思ったところで、どうにも不安が鎌首を擡げた。猛烈にヤバい気がして、大慌てに飛行魔法で後方へと十数メートルばかりを飛んで移動する。

すると同時、魔法陣を砕いて、巨大な尻尾が振るわれた。

パリィンと良い音を立てて、ファイヤボールのそれが割れて壊れる。

「マジかっ」

「……確かに、人の身にしては随分とやりおるようだのぉ」

クリスティーヌ健在のお知らせ。

大慌てにステータスウィンドウで状態を確認だ。

名前:クリスティーナ

性別:女

種族:エンシェントドラゴン

レベル:2983

ジョブ:バックパッカー

HP:5950000/9950000

MP:8900000/8900000

STR:1537500

VIT:677402

DEX:922994

AGI:2204442

INT:778030

LUC:23329

大丈夫だ。効いてる。効いてるぞファイヤボール。

あと三発も打ち込めば倒せる。

飛行魔法で逃げ回りながら、隙を突いてファイヤボールすれば大丈夫だ。レッドドラゴン戦とは異なり、皆が後方へ吹っ飛んでいった手前、今回は望むまでもなくタイマンである。これなら味方を誤爆する可能性も低い。

当然、空を飛びながらのリアルシューティングは相当に大変だろう。しかし、それでも時間さえ掛ければ、きっとなんとかなる筈だ。打倒の可能性はゼロじゃない。三発だ、あと三発だけ命中させれば、こちらの勝ちなのだ。

かなりギリギリだが、これまでの飛行具合を思えばやってやれないことはない。

なんて、考えていた時期が私にもありました。

「ぬぅんっ」

不意にクリスティーヌが吠えた。

応じて彼女の足下に巨大な魔法陣が浮かび上がる。すわ何事かと身構えたところ、俺の見つめる先、彼女の巨大な図体が、キラキラと淡く輝き始めたではないか。とても穏やかで、心温まる輝きである。

嫌な予感がしたのでステータスを確認。

名前:クリスティーナ

性別:女

種族:エンシェントドラゴン

レベル:2983

ジョブ:バックパッカー

HP:9950000/9950000

MP:8800000/8900000

STR:1537500

VIT:677402

DEX:922994

AGI:2204442

INT:778030

LUC:23329

「なっ……」

このバックパッカー、回復魔法を使いやがった。

しかも全快だ。

反則だろ。

高耐久力のボスモンスターが全快魔法とか、ファンタジーのタブーだろ。

そりゃ当人にしてみれば当然の行いだ。けれど、数々のファンタジー世界で星の数ほどのボスモンスターたちは、これを破ることなく誰も彼も勇者様ご一行に倒されてきたのだ。それをアンタ、どうしてピンポイントで破ってくれるのか。

「どうした? まさか今ので弾切れかぁ?」

クリスティーナの口元がニィと笑みに歪む。

あぁ、その通りだ。こっちは今ので如何ほどのMPを消費したのか。

かなり強力なファイヤーボールだった。

レベル十五となれば、きっと相応にMPを消費したことだろう。

名前:タナカ

性別:男

種族:人間

レベル:78

ジョブ:錬金術師

HP:78909/78909

MP:188300000/188300000

STR:7375

VIT:9560

DEX:10800

AGI:7910

INT:12922000

LUC:229

おう、全く減ってない。

きっとMPの自動回復スキルによる成果だろう、単位時間あたりの回復量が、ファイヤボールの消費スピードより早くなっているに違いない。INTの高さが理由だろうか。要は需要と供給が釣り合っていないというやつだ。とは言え、供給が溢れたところで困ることはないので、今はその事実を喜んでおこう。

「あと一万発は撃てますね」

「はっ、法螺を吹くのも大概にするといい」

「……試してみますか?」

「上等だ、人間風情が」

大丈夫。相手のMPはちゃんと減っている。

であれば、時間は掛かるが、今のを延々と繰り返せば最終的にはこっちの勝ちだ。クリスティーナの攻撃を一発も擦らずに、今し方と同程度のファイヤボールを残すところ八十九発ほど打ち込む必要があるけれど。

「…………」

それをやるのか? 俺が?

ちょっと挫けそう。

いやまあ、倒す手段があるだけマシだろう。

「ちくしょう」

そんな具合で、俺とクリスティーナ氏との持久戦は始まった。

今回ばかりは他のパーティーメンバーに気を回している余裕などなさそうだ。

デスマ入りました。OJTとかやってる場合じゃないだろ。

◇◆◇

【ソフィアちゃん視点】

死んでしまいます。こんなの死んでしまいます。

空から大きなドラゴンが降ってきました。しかも人の話を話すドラゴンです。偉い貴族様はエンシェントドラゴンと呼んでいました。

私にはドラゴンの違いなんて分かりません。ただ、普通のドラゴンより危険なドラゴンであることは、パッと見ただけでも十分に分かります。

先程まで皆さんが戦っていたレッドドラゴンより遙かに大きいのですから。

そんなドラゴンとタナカさんが喧嘩を始めてしまいました。

「なにをやっている! お前たち、さっさと後退しろっ! ここに我々が居ては、ヤツが十分に魔法を使うことができない! 距離を取るのだっ!」

貴族様が叫び声を上げます。

私たちは大慌てに飛空挺の下から駆け出しました。

ゴツゴツとした岩肌を駆けて、ドラゴンとタナカさんから距離を取ります。

家を送り出される際、お父さんがくれたお古のブーツ、履いてきて良かったです。もしも普通の靴だったら、きっと柔な私の足なんて、早々に根を上げていたでしょう。

お父さん、足の病気だから本当は履きたくなかったんですけど。

「ハァ……ハァ……ハァ……」

一生懸命走りました。

ドラゴンから離れる為に全力で走りました。

他の方々も一緒です。

早々に息は上がり、衣服は緊張から汗にぐっちょりです。

辛いです。

結構な時間を走って、タナカさんの姿が指の先ほどの大きさになりました。それでも地面を揺らして響くほどの轟音が、彼とドラゴンとの戦いの凄さを想像させます。

時折、一帯が輝きに包まれて真っ白になったり、空に届くほどの火柱が上がったりと、凡そ人がそこに居るとは思えない光景が、遠目に確認できます。

タナカさん、大丈夫なのでしょうか。そんな凄い人には見えなかったのですが、置いてきてしまって良かったのでしょうか。とは言っても、戻るのは嫌ですけれど。

「あ、あれはっ、なんなのでしょうかっ!?」

十分に距離を取ったとろこで、アレン様が貴族様にお伺いを立てます。アレン様は騎士様です。そんな方であっても、やっぱりあのドラゴンは驚くに値するものなのでしょう。私と同じように、膝がガクガクと震えています。

「エンシェントドラゴンを見るのは初めてか?」

「はい。しかし、そう滅多なことで出会えるものとは……」

「現に出会ってしまったのだから仕方が無かろう。本来であれば、このような場所に生息している手合いではない。あの暗黒大陸でも最深部に住まうといわれる代物だ。凡そ人と接点を持つような生き物ではない」

「あ、暗黒大陸、ですか……」

ゴクリ、アレン様が喉を鳴らしました。

暗黒大陸という名前は、私も聞いたことがあります。

とてもとても恐ろしい場所だそうです。

私たちが暮らしている大陸の幾倍もの大きさを持つ未開拓の大陸なのだとか。

「だからだろう。フレアワイバーンやレッドドラゴンと、ああも想定外の遭遇を果たしたのは。恐らく、ヤツが出てきたことで、近隣一帯の力関係に揺らぎが走ったのだ。山の中腹で複数体のレッドドラゴンと遭遇するなど滅多にあることではない」

「…………」

貴族様の視線はアレン様に向きません。

とても真剣な眼差しで、ドラゴンが暴れている方向をジッと見つめています。

「ファーレン卿、ど、ドラゴンが魔法を使っていますっ!」

今度はエステル様が貴族様にお声を掛けられました。

「古い世代のドラゴンは人語を解し、多数の魔法を用いる。それも我々人間が用いるものとは異なった、より強力な古代の魔法を用いるのだ」

「こ、古代の魔法……」

「リチャードの娘、よく見ておくが良い。エンシェントドラゴンと遭遇して生きながらえ、あまつさえ、その哮る姿を拝む機会など、一生に一度あるか否かの幸福だ」

語る貴族様の声は、恐怖に震えながらも、どこか興奮して思えます。

三度の飯より魔法が好きだと、タナカさんが語っていたとおりのお人柄のようです。

私は今すぐにでも逃げ出したくて、怖くて怖くて堪りません。

ただ、皆さんはこの場に歩みを止めて、ドラゴンの暴れる様子を窺っています。私一人だけ逃げ出す訳にもいきません。というか、仮に逃げ出したところで、人里まで辿り付く自信がありません。あぁ、私の人生もここまでです。

お父さん、私は貴方を怨みます。

「しかし、大したものだとは思っていたが、まさかこれほどとは……」

「こ、これからどうするのよっ! あの男を助けに行かないのっ!?」

「馬鹿を言うな。我々が向かったところで足手まといになるのが精々だ」

「でもっ!」

エステル様が悲しげな表情に訴えます。

こういうことを口にしては、不敬罪に殺されてしまうかもしれません。なので思うだけにしておくのですが、エステル様は非常に粗雑な性格のお方です。貴族らしいといえば、まさにその通りでしょうか。口が悪くて威張りんぼです。

ただ、二、三日を過ごした限りですが、根っこは悪くない方だと思います。

同じ女性としては好感が持てる、なんというか、一直線な性格の持ち主です。私は割とネチっこくて陰険な性格なので、彼女のような純粋さは憧れます。貴族という生まれ柄も関係しているのでしょうが、正直、羨ましいです。

陰湿な性格って矯正できるものなんでしょうか。分かりません。

「今は大人しくこの場で待機だ。我々にはことの行き先を見届ける義務がある」

「それはファーレン卿の趣味が存分に混じって思えるわっ!」

「であれば、お前はヤツの勝利を祈っておくがいい。私は今この瞬間、過去にない恵まれた境遇に興奮しているのだ。見ろ! ドラゴンが放った魔法をっ! 現代人類の魔法技術では到底不可能な雷撃ではないかっ!」

「ですがっ!」

「しかもヤツはヤツで、それを飛行魔術に避けている。凡そ人間業とは思えん。回復魔法も大したものだが、飛行もそれに比肩するレベルだ。エンシェントドラゴンと空中戦をやらかす人間など聞いたことがないわ!」

「ぐっ……」

「如何に優れた術者であろうと、一時間も飛べば地へ落ちる。だと言うに、あの者はどれだけを飛んでいる? 更にあの速度、あの精度でドラゴンの咆吼の只中を、自在に舞い続けているのだ。なんて素晴らしい飛行魔法だっ!」

貴族様は魔法に夢中です。

もうメロメロです。

「ヤツならば自国の首都を飛行魔法に発って、無着陸に敵国の首都まで移動、極大魔法に強襲という、過去の常識を覆すような戦略すら可能となる。なんて馬鹿げた男だ。万が一にも汎用化されれば、飛空艇の存在価値が問われるぞ」

「…………」

これにはエステル様も続くところを失いました。

代わりにアレン様が口を開きます。

「エステル。タナカさんを見捨てるような真似は僕だってしたくない。ただ、僕らが混じったところで、悔しいけれど、彼に加勢できるとは到底、思うことが出来ない。今はこの場にその姿を見守るのが、僕らにできる一番なんだ」

「……わ、分かってるわよっ。でもっ、あんなの、死んじゃうじゃないっ……」

「…………」

皆さん、ドラゴンに圧倒されています。

私だって圧倒されています。

タナカさんの生存は絶望的です。

絶望的なのです。

ただ、ドラゴンと彼の争う音は、未だに止むこと無く延々と響いてきます。

なんで死なないのでしょう。

「……変態の癖に随分と粘るじゃないか」

メルセデス様が、ボソリ、呟かれました。

女性の身分にありながら、王都の騎士団で聖騎士をされている立派な方です。ただ、どうやら同性愛の気があるらしく、私も飛行艇に搭乗してから何度か、お尻を撫でられたり、腰に腕を回されたりした覚えがあります。

かなり気持悪いですが、多分、悪い人じゃないと思います。

かなり気持悪いですが。

「ハイオークやフレアワイバーンを一撃に仕留められる術者は、首都の魔法騎士団であっても、そう多くはないです。更に複数体のレッドドラゴンと空中戦を行い、生きながらえるような人材は、きっとゼロです」

これに答えたのはゾフィー様です。

エステル様の恋敵であり、アレン様の愛人だそうです。

私としてはちょっと羨ましいポジションですね。アレン様カッコイイです。いつかアレン様みたいな騎士様と結婚できたら、なんて夢見る町娘はごまんといます。当然、私もそんな一人です。

だからこそ、嫉妬してしまいます。

というか、私は彼女が好きではありません。

エステル様とは対照的な性格の持ち主です。

男性には好かれるけれど、同性には嫌われるタイプの性格ですね。かくいう私も彼女と同じなので、同族嫌悪というやつでしょうか。だから、そうした背景を踏まえた上で、自らの理想を行く彼女が、どうにも羨ましいのです。

ただまあ、そうした嫉妬も生きていればこその華ですよね。

「おい、今のを見たか!? 我々人の身の上では、如何に長い詠唱を行っても、どれだけ巨大な魔法陣を描いたとしても、あの爆炎は構築が不可能だっ! それを六回も連発したぞっ!? 素晴らしいな! エンシェントドラゴンという存在はっ!」

貴族様は時間の経過と共に段々と頭のネジが外れ始めています。

かなり怖いので近づかないようにしましょう。

静かに足を動かして、貴族様の側から離れるよう移動です。

そんな私の耳に、ボソリ、ふと聞こえる声がありました。

「……どうしよう、どうしよう」

誰の声だったでしょうか。

女性の声でした。

ふと振り返った先、けれど、誰のものかは分かりませんでした。

そんな感じで、延々、我々は静かに事の行く末を見守ることとなりました。