「本当に生まれやがったな、化(・)け(・)物(・)が」

リオンは意識の失ったテンジをそっと地面に寝かせながら、小さく呟いた。

その瞳にはテンジを哀れに思うような感情が籠っており、同時に諦めの感情も垣間見えていた。

「にしても……覚醒初期でブラックケロベロスを真っ二つにするやつがどこにいるんだよ。規格外な天職にもほどがあるぞ、まったく。まぁ、俺がくたばる前にことが始まらないことを祈るばかりだな」

はぁ、と面倒くさそうに溜息を吐き、リオンは何もない空間からいくつかの布切れを取り出した。

その布切れをテンジの深い切り傷の箇所へと止血の要領で縛っていく。

「この傷もなんなんだ。覚醒で回復したなら、こんな傷が残っているのもおかしいぞ。こんなことになるなら千郷《ちさと》のやつを連れてくるんだったな」

愚痴を言いながらも、看護師顔負けの速さでどんどんと止血の作業を終えていく。

探索師にとって、応急処置知識はほぼ必須と言っていい。とはいっても必修科目となっているわけではなく、できるならば知識として覚えているのが理想だとされているくらいだ。

これも回復アイテムの希少さが原因であった。

回復アイテムが存在することは知られているのだが、そのほとんどは上位のギルドや世界有数の資産家、探索師協会が買い占めており、一介の探索師には出回りにくい状況なのだ。

だからレイドでは回復役の同行が推奨されており、回復役の限界も考慮して応急処置を覚えることが当たり前のことになっていたのだ。

リオンは応急処置をさっさと終えると、テンジの体を背中に背負うことにした。

「こいつも凄い胆力してやがる」

聞こえていないとはわかっているのだが、褒めるようにリオンは呟いた。

その瞳はテンジの両手両足を捉えていた。

そう、テンジの服はすでにボロボロだったのだ。両手両足やわき腹などいくつかの箇所をブラックケロベロスに噛み千切られたことで、その箇所の衣服が綺麗になくなっている。

今まで色々な現場を見てきたリオンにとっては、どんなことが起こったのか想像するのは容易だった。

衣服が欠けている、ということは十中八九「喰われた」に違いないと判断したのだ。

「四肢に、脇腹、鳩尾、両肩……こいつ本当によく生き延びれたな」

普通の人間ならとっくのとうに死んでるよ、と心の中で補足する。

リオンはいたわるようにテンジを背負い、青年の言っていた遺体のある場所へと歩き始めた。

その場所はすぐに見つかったが、リオンはその様子を見て思わず顔をしかめた。

「あぁ……これは『クイーンスパイダー』の食い荒らした跡だな。あいつは狡賢いからな、これだけ死んだのも頷けるわけだ」

暗闇の窪地、音もなく殺されたような遺体、遺体の中から吸い出された肝臓、微かに残る蜘蛛の糸の香り、これらの要素だけでリオンはモンスターを特定したのだ。

五道たちは知らなかったのだが、リオンにとってはなじみのあるモンスターであった。数年前に潜ったアメリカの一等級ダンジョンの深層でよく出現するモンスターだったからだ。

一応協会には報告書を上げたのだが、彼らは「そんな場所に潜れるのは零級探索師くらいだ。彼らにだけ共有する」と言い、世間への公表を避けたのだ。

なぜか綺麗に弔われている死体を、リオンは次から次へと何もない空間へと仕舞いこんでいく。

そうして九人の遺体を回収した。その中には知った顔もいたので、黙祷を捧げてからこの場を後にする決意をした。

「さて、帰るかな」

リオンは踵を返す。

背中にはテンジを背負い、五道とは比較にならないほどの速さでダンジョンを駆け抜けていく。

そして――。

半日も経たずに、テンジは無事にダンジョンから生還することになった。

リオンはその足で、知り合いのいる病院へと向かった。

† † †

「一葉(かずは)はいるか?」

「あっ、リオンさん! ちょっと待ってくださいね、今電話を繋ぎます!」

リオンはとある病院に訪れていた。

すでに時間は夜中で緊急外来の時間であるのだが、ここは御茶ノ水ダンジョンに最も近い病院であったこともあり、ほぼ毎日夜まで患者を受け付けている。

協会からも多くの資金提供を受けているため、探索師の患者には非常に柔軟に対応してくれる数少ない病院として知られている。

受付の看護師はすぐに内線でリオンの望む女性へと連絡を繋いだ。

『ん……ん? 緊急?』

「はい、リオン様が急患を連れてきました」

『リオン? わかったわ、すぐに行く』

寝起きであろうとわかる言葉だったが、七星《ななほし》一葉《かずは》はリオンの名前を聞くとすぐに意識を覚醒させ、慌てて白衣を着る。そして早歩きでリオンの元へと向かった。

受付に向かうと、そこには傷だらけの青年を背負ったボサボサ髪のリオンがいた。

「もぅ……リオンったら人使いが荒いんだからぁ」

「すまんな、今度埋め合わせしてやるよ」

「あっそ、楽しみにしておくわ。それでその子が急患?」

「そうだ、だいぶ出血しているようでな」

「そうね、結構放置されてるから感染症も怖いわね。こっちで預かるわね。熊谷くん、彼を」

七星は一目でテンジの危険性を判断し、ナースルームで待機していたひと際巨躯の男性看護師を名指しした。

熊谷《くまがい》透《とおる》、体は男、心は女の子の乙女なナースである。彼、彼女はすぐに椅子から立ち上がり、自慢の筋肉を駆使してリオンからテンジを奪い取った。

「あとは私に任せなさい、リオンちゃん♡」

「お、おう」

さすがのリオンもしどろもどろな返事になった。

そんなリオンであるが、世界中で一番苦手な人間がこの熊谷透だったのである。そんな熊谷が夜勤で働いていたタイミングに来てしまったことを内心で後悔する。

熊谷は病院内を猛ダッシュで駆け出し、テンジをすぐに手術室へと運んでいく。パワースタイルナースである。

そこで七星は綺麗な笑顔でリオンへと言った。

「あとは任せなさい」

「一葉、ちょっと待ってくれ」

「ん、なに?」

リオンは踵を返した七星を言葉で止めた。

ポケットから一枚の紙きれを取り出し、それを七星に手渡しする。

「……リオンの名刺? 私いらないわよ」

「いや、そいつが起きたら協会に見つからないようにこっそり渡しておいてくれ」

「……リオンが珍しいね。あの子はリオンの何なの?」

「おい、変な聞き方するな。何でもねぇよ。俺にとっては熊谷と同レベルで関わりたくない人間だよ」

「なにそれ、矛盾してるですけど」

「あんまり詳しくは聞いてくれるな。俺にだって話せないことはたくさんある」

「ま、そうだよね。あの零級探索師だもんね」

「……ただあいつをたまにでいい、気遣ってやってくれ。協会に奪われるわけにはいかない才能だ」

「へぇ、あのリオンが才能を認めるほどの子なのね。千郷ちゃん以来じゃない? ……今から唾つけておこうかしら」

「アラサーのお前が何を言っている。テンジ君の方が可哀そうだ」

「なによ、アラサーだけどまだ二十六よ。それじゃあそろそろ行くわね、そのテンジ君が少し心配だわ」

「あぁ、頼むよ」

七星はそう言うと、恋する瞳から医者の瞳へと変わった。

そのまま白衣をばさりと靡かせ、早足で熊谷パワースタイルナースの後を追う。

それを見届けたリオンは病院を後にした。

ちょうど病院の敷地を出たとき、電話が鳴った。

『百瀬、帰ったって常駐自衛官から連絡来たわ』

「おう、麻美子か。今、帰ったところだ」

『報告は?』

「さすがに寝させてくれ、三日寝てないんだ」

『そう、あとで水橋くんを家に向かわせるわね』

「なんだ、麻美子は来ないのか?」

『それはまた今度よ。今は部長として忙しいのよ、主に御茶ノ水ダンジョンの件でね』

「仕方ねぇ、また今度だな」

『えぇ、また今度よ』

「じゃ」

『うん、またね』

簡単な会話をして、リオンは電話を切った。

ダンジョンを出たらすでに外の世界は真夜中だった。

月が丸く光り輝き、ほんのりと灰色に見える雲が夜空に浮かんでいるのが見える。

そんな夜空をひと仰ぎして、リオンはテンジのゆく道を想う。