Border Guardian Hal Akircius
Chapter 9: A Spring and Ceremony of the Year in Cilentium (Bottom of the Edge)
夫婦同士の誓約式が終わってしまえば後は呑めや歌えやのクリフォナム流の結婚式。
シレンティウム市は一気に宴会場と化した。
ハルとエルレイシアの2人は、中央広場に設けられた主賓席に移り、これから夜まで市民からの祝福を受け続けるという、最も厳しい行事が待っている。
その後夜は、式典に参加した族長やその係累に、行政府や軍の主立った者達を招いてのこれまた披露宴とは名ばかりの宴会が控えている。
しかし、そんな中でもしっかり働いている者達は居るのである。
シレンティウム東城門
「第21軍団第1千人隊、第3百人隊、第6十人隊隊長レイルケン。定時交代に参りましたっ!引き継ぎ願いたい。」
「第21軍団第1千人隊、第3百人隊、第5十人隊隊長ボルスです。交代お疲れ様です、宜しくお願いします。」
双方の十人隊が整列し、敬礼を送る。
その後、隊長であるレイルケンは、相手方の隊長であるボルスと引き継ぎ札に添付されている引き継ぎ項目書のチェックを行った。
引き継ぎ札は適正に引き継ぎが行われたかどうか上司が審査する物であると同時に、引き継ぎを行ったという証になる物である。
これがないと引き継ぎはしていないものと見なされ、勤務終了とならないのだ。
兵営に戻った際に所定の場所へ戻し、上司である百人隊長の審査を受けて初めて勤務終了なので、お互い遠慮なく厳しくチェックする。
今回は特に引き継ぐべきこともなく、不備もなかったのでチェックは割合早く終わった。
そして今までの勤務内容について簡単に口頭での情報交換を終えると、レイルケンは引き継ぎ札をボルスへ手渡した。
「確かに、では、後を宜しく!」
ボルスが自分から受け取った引き継ぎ札を手に配下の十人隊をまとめ、人混みの中に消えてゆくのを見送ってからレイルケンは部下を城門警備の配置に付けた。
今日は辺境護民官殿と太陽神殿の大神官様の結婚式。
このような日に当番に当たるとはツイてないとぼやく部下が多いが、レイルケンはそうは思わない。
自分達のように陰で頑張る人間がいるからこそ、みんなが全てを忘れて楽しむことが出来るのだ、こんなやり応えのある仕事は他にない。
レイルケンはクリフォナムの北方諸族にあたるロールフルト族出身の自由戦士だったが、シレンティウムという街で帝国の辺境護民官があのアルフォード王を打ち破ったと聞き、最初は興味本位でここへやって来た。
レイルケンの実家は貧しい農家で、貧乏人の子沢山を地で行く家庭。
五男であるレイルケンに分与されるべき土地は無く、彼は職を求め、帝国目指して故郷を離れたのである。
帝国で国境警備隊の補助兵として数年勤めた後、オランやクリフォナムの地域で諍いがある度に雇われる自由戦士を始めた。
しかし、近年はフリードのアルフォード王が絶対的な地位を築いていたことからそれ程争いはなく、レイルケンは専ら北方諸族に雇われてハレミア人との戦いに従事していたのである。
シレンティウムでアルフォード王が敗れた時も、出身部族であるロールフルト族の戦士長に雇われてハレミア人と対峙していたレイルケンは、その後噂を聞いて同じように興味を持った何人かの仲間と共にシレンティウムへやってきたのであった。
シレンティウムで兵士として採用され、一定の給金が支給されるようになったのでレイルケンの生活は安定し、実家から妹と弟を一人ずつ身の回りの世話をして貰うために呼び寄せる事が出来た。
弟は10歳、妹が12歳。
実家にいたところで労働力としては余り期待できないものの、シレンティウムへ来れば文字も学べるし、実家にとっては口減らしにもなる。
最初は年の離れた兄の世話を命じられて戸惑いと困惑の坩堝だった2人だが、今は2人とも街に馴染み友達も出来たようで一安心していたレイルケン。
レイルケンも最初は帝国型の兵式や戦法に戸惑い、クリフォナムの集落とは随分異なる街に不便を感じる事もあったが、今はもうシレンティウム以外の場所で暮す事など考えられない。
新鮮な山海川の産物が集まる市場に、そこで使用される帝国製の貨幣。
公衆浴場と清潔な食堂に種類豊富な酒。
公平で清廉な官吏と行政機構。
かつて自分が使っていた物よりも軽くて丈夫な防具に、鋭い剣。
仕事と割り切って兵役に就いたものの、クリフォナムの戦法とは全く違う帝国戦法を習熟するまでそれなりに時間も掛かった。
しかし今はその効率の良さと合理性に心奪われて熱心に訓練を積み重ねる毎日。
その熱心さと真面目さを買われて十人隊長へ昇進もした。
昇進してもレイルケンの努力と熱意は陰りを見せず、その甲斐あって今やレイルケンの十人隊は第21軍団でも最精鋭部隊の一つである。
今日はアキルシウス辺境護民官直々にこの警備担当を決めたというが、逆を言えばそれだけ自分達が信頼されているということでもあるのだ。
「油断するな、こういう時こそきっちりやるんだ!」
部下へ檄を飛ばしつつ、レイルケンは油断なく城門の内外の警戒に当たるのだった。
シレンティウム官営旅館・厨房
官営旅館の受付は戦場と化していた。
今日シレンティウム市で行われている行政府絡みの宴会については一切をこの官営旅館が手配をしている為である。
しかも、館長のプリミアは来賓として出席中で、自然と負担はその下に位置する者に掛ってくる。
シレンティウム官営旅館の館長代理を勤める帝国出身の女性、メテラ・オトーはその重圧を一手に引き受けてしまった者である。
「館長代理~この料理はどうしますか~」
「それは夜の宴会用よ、行政庁舎の大会議室へ持っていって。」
「館長代理!中央広場の方から酒の追加注文がきました!」
「予備の酒樽を開けてちょうだい、地下にある方よ、それから追加分を直ぐに近隣の村に行って買い集めてきて!どうせ明け方まで宴は続くんだから!」
「館長代理~お客様が酔っ払って階段から落っこちました~」
「・・・容態は?」
「血は出てないみたいですが、寝ているんだか、気絶しているんだか分かりません~」
「直ぐに薬事院へ連絡して薬師さんを呼んで!お客様は安全な所へゆっくり運びなさい、そこのテーブルの天板を使って良いわ!」
「館長代理!浴場で泳いでいるヤツがいます!」
「つまみ出しなさい。」
次々とやってくる職員達を捌き、指示を出しつつ自分も手を動かすメテラ。
祝祭日があると言っても、それを祝うには様々な者や物が必要となる。
メテラ達はその両方を一手に引き受けている者達。
今日の仕事量とその過酷さは生半可なものではないが、それだけにやり甲斐と達成感は他の仕事ではちょっと味わえないくらいのものがあるだろう。
メテラは北方辺境関所、今のコロニア・メリディエトの先、帝国側の街道沿いで家族経営の宿屋を営んでいたが、北方辺境にシレンティウムという面白そうな街が出来たと聞いた夫が移住したいと言い出した。
最初は反対していたメテラだったが、土地と家を貰えるという話に気持ちが傾いた。
そして夫は今農夫となって日々畑仕事に精を出している。
子供達も手は掛らないくらいには成長しており、おまけに午前中は無償で読み書きを教えてくれる学習所へ預けておける。
元帝国兵の経理担当や記録担当だった者が教授として採用されており、身元のしっかりした人物に子供を預けられるので、メテラも働きに出る事にしたのだ。
最初は食堂で給仕でもと思ったが、官営旅館で人を募集している事を知り、応募したところかつての仕事の技能が認められて採用された。
元々人の世話をする事が嫌いでは無い。
そんな人当たりの良さと宿屋経営で培った経験と気配り上手を認められ、プリミアから館長代理を任されたのである。
そして彼女は忙しいのも嫌いでは無い質の人間でもある。
「みんな頑張ってちょうだい、ここの頑張りが今日のシレンティウムの要よ!」
「「「「はいっ」」」」
従業員からの良い返事を聞き、メテラは会心の笑みを浮かべるのだった。
シレンティウム商業区、飲食店街
治安官吏という官吏が居る。
このような日は裏方に回る事が宿命付けられている悲しい役職でもあるが、普段は市民から頼りにされ、シレンティウムっ子憧れの職業の一つでもあるのは自他共に認めるところ。
帝都の治安官吏の制服は青色であるが、ここシレンティウムの治安官吏の制服は黒色。
初期の段階に青色の染料が手に入らなかったので、一番安価で大量に手に入った黒色の染料で制服が染め上げられた事に由来する。
しかし、ここシレンティウムは街全体が良質の大理石で建造されている為、黒い制服は威も有りよく目立って治安官吏達の仕事をよく助けていた。
その治安官吏であるが、今日のような晴れの日や荒れた現場へ行く際は、革鎧を身に着けて巡回に出る事になっており、ルキウスは3人の部下と共に革鎧を装備し、一番揉め事が起こりそうな飲食店街を巡回していた。
治安官吏の手には棒杖、これは剣を持たない事が誇りになっている為である。
治安官吏曰く「人を傷つける仕事じゃない」からである。
部下の1人が騒ぎを目敏く見つけた。
「ルキウス長官、また喧嘩です。」
「よし、よく見つけた、行くぞ。」
今日は他部族も大勢入り込んでおり、喧嘩や諍いは早い目に手を打たないと刃傷沙汰になる恐れがある。
武を重んじるクリフォナムの民は同じように名誉も重んじる。
しかし、他人の武や名誉については少し配慮が足りない。
故にちょっとしたことが容易に喧嘩へ発展してしまうのだ。
そして喧嘩の決着を剣で為そうとする悪い癖もある。
加えて言うなら他人の喧嘩はもっと好き。
「アルペシオ族の戦士とベレフェス人、おそらく今日の式典の見物人ですね・・・“まだ”1対1のようです。」
今回の件は既に殴り合いに発展してしまっており、周囲の者達がうずうずし始めて、些細な事から加勢しないうちに何とかしなければならない。
「よし、俺が行こう、お前は俺の後ろを守れ。それからお前とお前は周囲を固めてくれ、誰も入れるな。」
「「了解!」」
「あ、因みに長官、両方とも酔っているようです。」
「・・・見りゃ分かる。」
シレンティウム行政府、戸籍庁
毎日のようにシレンティウム市へ移住してくる者がおり、戸籍登録を求める市民希望者の長蛇の列が途切れる事のない戸籍庁も今日は休業である。
しかし、せっかくの休業はものの見事につぶれてしまう。
参列者の名札整理の仕事が舞い込んだ為である。
中央広場へ設けられた、名札入れの箱は直ぐにいっぱいになり、開封しては直ぐまた箱を設置するという事を繰り返す羽目になった戸籍庁の官吏達。
普段から“シレンティウム行政府で最も過酷な部署”という有り難くない二つ名を賜っている戸籍官吏達は、最早悲鳴も出ない。
「申し訳ないのじゃが、早急にこれを整理してくれんか、全員に礼状をだすそうじゃ。」
戸籍長官のドレシネスが力なく言うと、精気を抜かれた幽鬼のようになった戸籍官吏達が力なく頷いた。
しかし、借りてきた天幕を床に敷いたその上に、山になった名札を見て途方に暮れる戸籍官吏達の目は、既に死んでいる。
「と、取り敢えず始める他ないのう・・・」
ぼそぼそと言いながら、のろのろとドレシネスが動き始めると、一斉に戸籍官吏達も生ける屍のような趣で動き始めた。
何とか天幕の端にたどり着いた戸籍官吏達は、手近にある名札の整理をもそもそと開始する。
そこへ声が掛った。
「ご苦労様ですが、宜しくお願いします。主管業務でもないのにこの様な事を突然頼んでしまいまして申し訳ない。ただ、こういった書類の扱いに最も慣れているのはここの部署ですからな、他に代えがたかったのです。」
通りがかったシッティウスが戸籍庁の部屋を覗いてきたのだ。
「シッティウス殿・・・」
顔を辛うじて上げたドレシネスはそれだけ言うと絶句してしまった。
何時も書類や資料集、果ては法典を操っているシッティウスの手には、山のように食べ物が盛られた大皿が片手に2枚ずつ、合計4枚ある。
東照製の大皿で大きさ重さ共に相当あるはずだが、更にその上へ料理を山盛りにしてあるにも関わらず、シッティウスは顔色一つ変えず把持している。
「差し入れという程の物ではありませんが、皆さんで召し上がって下さい。私はまだ会合に出なければなりませんので、これで・・・」
一番近い空いた机へその両手の大皿をコトコトと軽い音をさせて置くと、シッティウスはそう言って立ち去った。
部屋中に料理の何とも言えない良い匂いと、何とも言えない虚脱感が漂う。
「おれ行政長官が書類以外の物持ってるの初めて見た・・・」
「おい、それより、あの皿・・・官営旅館のヤツだろうけど、前見た時は2人がかりで持ってたヤツだぞ。」
「行政長官が差し入れを・・・?」
ひそひそ手を止めて話す戸籍官吏達。
そこへシッティウスが突如舞い戻ってきた。
「な、何でしょう?」
裏返った声で応対する戸籍官吏を余所に、シッティウスはさらりと言葉を発した。
「言い忘れていましたが・・・名札整理とお礼状の作成は明日までにお願いします。」
「「・・・おにーっ!」」
戸籍官吏達の夜明けはまだ遠いようだ。