Border Guardian Hal Akircius

Chapter 11: The Fall and Harvest of the Year in Cilentium (Part 2)

 同日、シレンティウム行政府、大会議室

 ハルが背にする壁には、行政組織図が淡い光を放ちつつ掛かっている。

 大会議室にはシレンティウム行政府の主要な部署の官吏、すなわちその行政組織図にあるとおりの面々が集まっていた。

 その行政組織図には

  最高行政官 ハル・アキルシウス(辺境護民官)

   顧問官 ガイウス・アルトリウス

   都市参事会議長

   行政長官 トゥリウス・シッティウス

    財務長官 セクンダ・カウデクス

    商業長官 サルスティウス・オルキウス

    工芸長官 ルキア・スイリウス

    按察長官 ティベルス・タルペイウス

    農業長官 ルルス・サックス

    戸籍長官 ドレシネス

    治安長官 ルキウス・アエティウス

の名が既に書き込まれている。

 現在フレーディアで都市改良事業に携わっているタルペイウスを除いた全員が揃っているのを見て、司会役のシッティウスが資料を片手で繰りながら口を開いた。

「それでは、皆さんお集まりのようですので、シレンティウムの行政府会議を行いたいと思います、まずは今期の農産物収穫状況から…サックス農業長官、報告をお願いします」

 シッティウスに促され、ルルスが席から立ち上がる。

「今年の収穫は上々です、これも私の一見無茶な政策を受け入れて頂いた上に、協力して頂いたアキルシウス殿や大人しく農法の変更に従ってくれた農民の皆さんの成果です、有り難うございました。それで、具体的な収量なのですが…大麦黒麦合わせて25万くらいではないかと思われます。」

「ほほう、25万ですか」

 思わず唸るシッティウス。

 帝国にある大都市の人口を丸一年賄えるくらいの収穫があったことを意味する数字に、他の官吏達からも感嘆の声が上がる。

「その内…官営農地からの収量は6万程になりましたので、我々の取り分は3万程です」

 圃場整備が終わったものの未だ入植者がいない農地については、3年契約の労働契約に変えて余裕のある農民に貸し出し、その半分をシレンティウム行政府へ納める契約を結んでいた。

『シレンティウムの軍兵や官吏を普通に養うには十分な量であるな』

 顧問官のアルトリウスが言うと、ルルスも頷く。

「それに十分な量の牧草や飼料穀物も手に入りましたので、早速周辺の村邑と話をして販売や譲渡の手続きをしたいと思います」

 シッティウスが資料を繰り、書き込みをしつつ満足そうに口を開いた。

「今年の農業政策はあたりでしたな、尤も来年は状況も変わってくるでしょうから一概に今年と同様にはいかないと思いますが、サックス農業長官、来年の施策はどうですかな?」

「来年は小麦を栽培作物に織り込みますが、それ以外は今年と同様で構わないと思います。まだ開発の済んでいない農地は引き続き開拓や圃場整備を進めますが、余り手を広げ過ぎると官営農地の作業で農民が疲弊しかねませんし、いきなり大量生産をしても消費が追い付かなければ穀物の大暴落とそれによる周辺村邑の破壊を招きます。今のところはこのままで良いと考えております」

「なるほど……基本政策は変わらず、と…分かりました、次はカウデクス財務長官」

 シッティウスが新たな資料を繰りながら財務長官のカウデクスを指名する。

「私の方からは特に何もありませんわ…徴税はしておりませんし、繰越金の遣り繰りと東照産物の販売による収入のみですので…ただ、商人や職人、工人、それに農民達から寄付の申し出が多数為されておりますので、これへの対処を如何しましょうか?」

「……どの程度の金額ですか?」

 ハルの質問ににっこりいつも通りの艶やかな笑みを浮かべたカウデクスが答えた。

「様々ですわ、アキルシウス殿。銅貨10枚程度から大判金貨10枚まで、また農民達は収穫物の10分の一程度が多いようです。皆お世話になったシレンティウムへの貢献を目に見える形で為したいと、積極的に寄付の申し出をしてくれていますわ」

 少し考えてから、ハルは帝国で行われている寄付金の対処方法を思い出した。

 しかし、帝国のように行政府が寄付金絡みで縁故や貸し借りを作り、しがらみを残すべきではないとも考えた。

 帝国の道路や施設も寄付金で賄われることがあるが、概して篤志家の事業と称しつつも貴族や官吏、金持ちの売名行為であったり、行政府への貸しにする為の寄付であったりする。

 そうしたしがらみは、しっかりと排除しなければならない。

「…シレンティウム市民の寄付であれば受けるべきと思いますが、賄賂と受け取られかねないそれ以外の商人や帝国の商工組合からの献金は排除しましょう。それから寄付金は一括して特定の事業に使用し、寄付者の名前を彫り込んだ顕彰碑をその施設に付属して建てます」

「私はその意見に賛成ですな」

「私もそのように具申しようと思っていましたわ」

 ハルの意見に対して、シッティウスとカウデクスも賛意を示す。

「では、寄付は財務長官が差配して下さい、寄付の制度を確立しましょう。但し受け入れは1年に1回のみ」

「承知致しましたわ」

 カウデクスが微笑みながら椅子に座ると、今度はオルキウスが自主的に立ち上がった。

「良いですかな行政長官?」

「どうぞ」

「わはは、失礼!では…」

 オルキウスは笑声と共に、資料を取り出した。

「商業の育成は順調です!青空市場の参加者は日ごとに増えておりまして、業種も薬草や狩猟物、畜産物、農産物、鉱物、細工物などなど多岐にわたっております。また、産業が育成され始めたので、この街で商店を持つ者も増えてきました。仕入れが出来るようになりましたからですな!現在シレンティウムで商業登記をしているのは、帝国から一般商が8、武具商が2、シレンティウム出身の商業者が19、シルーハからの商人が1、東照からがホー殿を除いて2といったところですか。外から来た商人はいずれも大店や中堅どころの商人ですが、こちらで審査をして腐った者を排除しています。ただし、シッティウス殿の指示により武具商人だけはルシーリウス卿に近い者とプルトゥス卿に近い者を入れております」

 武具商人はいずれも貴族派貴族に近しい者達であるが、これはシッティウスの政策により一定の情報を貴族派貴族に流す為の措置である。

 それ以外に目立つのは、地生え商人の登場であろう。

 青空市場から経験を積み、目端の利いた者が商業を興し始めたのだ。

「ふむ、ようやく商業が育ち始めましたか」

「そうですな、これは歓迎すべき事です。いずれシレンティウムを拠点とする大商人が生まれるかもしれませんからな!わはは」

 シッティウスの言葉に、オルキウスが楽しそうに応じると、ハルも笑顔を浮かべた。

 ただ一つ気がかりがある。

 ハルがオルキウスにその懸案事項について質問した。

「武具に不具合等はありませんか?不良品の発生は?」

「今のところはありませんよ。ご懸念はご尤もですが、奴らも一廉の商人ですからな、ましてやシレンティウムはいっぺんに1万領もの鎧兜に1万本の剣を発注した大得意先、そんな下手はせんでしょう。防具武器共に帝国の最新のものを仕入れてきていますよ」

 オルキウスが苦笑を漏らしながら答え、改めて言葉を継ぐ。

「あとは飲食店業が随分と発展しています。まあ、元々底の抜けた瓶みたいな酒飲みで大食漢のクリフォナム人が主体の街ですから当然でしょうが…私の方はこんな所です。やはり徴税をしていませんので特段言うべき事はありません、今は自由発展の時期ですから、商人や市民には大いに地力を付けて貰いましょう」

 最後に両手を小さく開いてから席に着くオルキウス。

 シッティウスが何かを書き込みながらうんうんと頷き、視線を次の席に座るスイリウスに向けた。

「スイリウス工芸長官。報告はありますかな?」

「ハイ…例の、劇団と楽団の件です。伝送石で手紙を送ったところ直ぐに返事が来ました」

『おう、あの見所ある芸術家どもか?』

「そうです……こっちへ来てくれるそうです」

 アルトリウスの言葉に頷き、スイリウスはそう言いながら1通の伝送石通信紙を差し出した。

「やっぱり、干されて経営が苦しかったみたいです……」

 その中身は二つ返事どころではなく、たった一言。

「行きます…ですか」

 ハルが呆れる程簡潔な文章があった。

 もう一通、楽団から送られてきたものも、写し取ったのではないかと思えるぐらいの同じ文章である。

 スイリウスはハルへこくりと頷きながらシッティウスに視線を移す。

「それ以外はこの前報告したとおり、シレンティウムでも日用品の生産は全て出来るようになった。後は武具だけ、一応準備はしているけど……」

「今の段階はそれだけで十分です」

 スイリウスの途切れがちな言葉を遮るように言うシッティウス。

「では、ドレシネス戸籍長官、シレンティウムの人口動勢をお願い致します」

 スイリウスが着席するのを横目で見つつシッティウスが促すと、ドレシネスはよっこいせとかけ声を出しながら立ち上がった。

 この場で唯一の北方人であるドレシネスは、ふううっとため息をついてから口を開く。

「シレンティウムの人口は8万7千人と行ったところですじゃ。尤も、戸籍登録が済んでおる者だけを数えたに過ぎませんのでな、実際はもっと多いかもしれませぬ。子供もばんばん生まれておる。偏に未来への希望と安心がそうさせるのじゃろう……それはそうと行政長官、人手を増やして貰えんかのう?」

 最後には哀願口調で要望を出したドレシネスの顔は疲れ果てていた。

 年齢的なものもあるだろうが、行政府一の繁忙さが彼の精気を削り取っていることは直ぐに分かった。

「戸籍庁はいずれ暇になります、今人手をむやみに増やすわけにはいきませんが……取り敢えず仕事の少ない部署から回すと言うことで如何ですかな?」

「良きに計らって下され、今や我が部署は過労の極みじゃ。」

「ではそのように」

 さすがのシッティウスもドレシネスの要望を無碍に却下出来ず、応援の人手を出すことを約束した。

 シッティウスは、ドレシネスの部署へ応援に行かせる人員を勘案しているのか、しばらく黙って資料を繰り、書き込みを行っていたが、一段落してから徐に発言する。

「では、タルペイウス按察長官に代わって私が按察業務について報告致します。まず街道建設ですが、これはハルモニウム時代に顧問官どのが造営した東西の街道はほぼ修復と整備が終わりました。西はシオネウス族のレーフェまで、東は東照帝国西方府の都市塩畔までですな。翻って南北の街道ですが……コロニア・メリディエトまでのものは完成を既にしております。しかしながらフレーディアまでの街道は未だ完成しておりません。タルペイウス長官からの報告書類によれば、もう間もなく完成するとなっておりますが、恐らく来春まではかかるかと思われます」

 アルトリウスがかつて敷設した煉瓦敷きの街道はまだ十分活用が可能で、ハルは東西に伸びるこの街道をアルトリウス街道と名付けて再整備を行ってきた。

 割れたり無くなったりしている場所を新たな煉瓦で埋め、茂った木々や草を払い、排水路をつけて水たまりを無くし、小川や湿地に橋を架けたのである。

 目をつぶっても通行が出来る程までに整備されたアルトリウス街道は、今や新たな北の動脈として稼働し始めていた。

「その他の街道の造営状況はどうなっていますか?他に敷設要請はありますか?」

「……現在完成しているのは、塩畔への街道の途中にあるレニウェとソルカン、それからアルペシオ族のカリーク、コロニア・フェッルムまでですな。ヘオンまでは未完成、新たな要請としてはベレフェス族からレーフェ経由でオランの都であるトロニアまでの敷設要請が為されていますが、これは検討中です」

 ハルが挙手しつつ問うと、シッティウスは別の資料を見ながら回答する。

『トロニア?オランの中心地ではないか……そのような場所はシレンティウム同盟の範囲外であろう?ランデルエスの趣旨が分からぬのである』

 ハルが腕を組んで考え込むと、まるで代弁するようにアルトリウスが発言した。

「よろしいですかの?」

 シオネウス族出身のドレシネス戸籍長官が発言を求めたので、シッティウスが頷いてこれを許可すると、ドレシネスはゆっくりと立ち上がって口を徐に開いた。

「我がオランの民が帝国に敗れ、その領土と族民が緩やかに併合されようとしていることは皆さんご存じの事と思うのじゃが、実は最近シレンティウム同盟のことがオランの族民の間で話題になっておりますのじゃ。まあ、有り体に言ってしまえば、オラン人全体でシレンティウム同盟に参加してはどうか、と言うことなのじゃが……」

 ぽんと出た余りにも大きな発言にその場にいた全員が息を呑む。

 さすがのシッティウスもドレシネスの発言に天を仰ぎ、その後は額に手を当てて何かに耐えるような仕草をしている。

 そんなことになれば、都市造営や街道敷設どころの話ではない。

 丸ごとオラン人の生活や面倒をシレンティウムで見なくてはならないのだ。

 今のシレンティウムにはそんな武力も財力も人材も存在しない。

 帝国出身の官吏達が示した反応を見て、ドレシネスは面白そうに肩を揺らして静かに笑うと発言を続ける。

「この発言を聞いてそういう反応をする…いや、してくれる帝国人が如何ほど居ることやら……同じ発言を帝国に対していたさば、今の帝国人の支配者達は徴税対象が増える、奴隷の供給場所が増えると喜んで併合に応じること間違い無しじゃ……もしこのまま正式に帝国へ併合された後に負うオランの民の艱難辛苦を思えば、今シレンティウム同盟に参加する事のほうが遙かにオランの族民達の将来は明るいと、みなそう思っておりますのじゃ」

 ドレシネスは一旦そこで言葉を切り、ハルをはたと見据えて言った。

「いずれ正式にお話がしかるべきオランの代表者からあるでしょうが、ご考慮願えませんでしょうかのう?」