「お坊ちゃん。昼食の準備ができましたよー」

 護衛隊として雇われた冒険者、ルシアン嬢が馬車の中にいる俺達を呼びに来た。

 最初は別々の場所とメニューで食事を手配するなり用意するなりとしてくれていたようなのだが、別個に食事をしたり、一々別メニューを用意するのは面倒じゃないのかと聞いてみたところ、俺が伯爵家の子息だからという答えが返ってきた。なので、非効率的だし同じでいいよと俺が言い、今に至る。

 彼らとしては貴族がそんな風に言い出すのが予想外だったらしい。

 どちらかと言うと当家の馬鹿兄弟みたいな連中の方が多いようで、それなら食事を別々にするというのはまあ、普通だろうな。色んな意味で。

「ルシアンさん。できればお坊ちゃんは止めてくれないかな」

「しかしですねぇ。伯爵家のご子息ですからして」

「そんなご大層なものじゃないよ」

 実際あの家じゃ、俺は日陰者だしな。

 今は確かにウェストコートにクラヴァットなんていう、そこそこフォーマルな出で立ちをしているから……それなりに貴族っぽくも見えもするだろうが、俺の格好は単なるお仕着せだ。中身に至っては貴族なんて程遠い。

 今回の旅の護衛はあくまで伯爵家の依頼という形だからそれなりには振る舞おうと思っているが、境界都市についたらさっさと魔術師らしい装備に整えたいものだ。魔法杖だって安物しか手に入らなくて色々妥協しているし。

 ま、先の事はともかく、今は昼食だ。なだらかな丘陵地帯から見える風景が綺麗で、ここで食事を取ろうかという話になったのである。

 ルシアンに案内されて、護衛の冒険者達と青空の下で食事となった。天気が良くて長閑なものだ。

 今日の料理は塩で味付けされた野菜スープ、黒パン、干し肉といった構成である。

 何よりテーブルマナーが云々と突いてくる奴がいないというのが素晴らしい。空気も飯も美味い。素晴らしい解放感だ。

 護衛の冒険者達はフォレストバードと名乗る冒険者パーティーで、ガートナー伯爵領とその近辺では結構名の知れた連中だ。前衛としてロビンとフィッツという二人の戦士。ナイフと弓矢の扱いに長けたモニカ嬢。それに回復魔法と攻撃魔法の両方がいけるルシアンというバランスのいい構成。男女の比率もちょうど半々である。

 ルシアンは何となく柔和で間延びした雰囲気だし、他の連中も人が良さそうな感じだ。荒事が得意な冒険者という印象はあんまりしないが、これでも腕利きであるのは確かだ。

「そういえば、お坊ちゃんはどうしてタームウィルズへ向かうんです?」

 と、茶髪に雀斑という風貌のロビンが尋ねてきた。お前もか。

「だからお坊ちゃんは止めてくれって。柄じゃないんだよ」

「そりゃ申し訳ないです」

「ふふふ」

 みんなして、その「子供が背伸びしてて微笑ましい」っていう感じの、暖かい笑顔は止めてほしいんだが。

 中の人の心情的な問題であって、そういうのじゃないんだよ。

「……普通にテオドールでいいよ」

 テオって略して呼ぶ人もいるけどな。

「あっちに住むんですよね?」

「やっぱり一攫千金とか狙ってですか」

 モニカとフィッツがそんな事を聞いてきた。

「いや、だって面白そうだろタームウィルズ。それに俺、実家嫌いだし」

「なるほど……」

「あー」

 そう答えると、彼らは納得したように頷いた。そして納得した後、それぞれで妙に考え込んだりしている。

 連中は冒険者だからな。冒険者を選ぶ理由だって人それぞれで、色々身につまされる所や思う所があるのかも知れない。とりあえず貴族の道楽だとか馬鹿にした様子がない所が非常に好ましいと思う。

 フォレストバードを旅の同行者として選んだのは俺だ。いくつか依頼を受けたいと言ってきた冒険者グループがあったが、その中から彼らを選んだ。依頼を受けた動機を尋ねてみて、その返答が気に入ったからだ。

 曰くタームウィルズに向かうのにお金まで貰えるなんて最高じゃないかと。そういう冒険者らしい理由だった。

 彼らは俺達を護衛で送り届けた後、あっちで迷宮に潜る予定らしい。

 護衛として雇ったらキャスリンの息のかかった奴で刺客だった、ぐらいの事は想定してるからな。フォレストバードの動機は一番ふざけた理由にも見えるが、それだけに逆に安全だと思えたし共感もできる。

 俺がタームウィルズに抱いている感情は、もしかすると冒険者達が境界都市に向けるそれに近いのかも知れないな。あの都市に思い入れがあり、夢や希望を抱いているという点では似たようなものだ。

 俺としては日本の頃の暮らしだってあまり好ましく思っていない。

 社会が成熟していたからか。生きにくくて、死ににくいという……あの閉塞感は今から考えると正直言って息が詰まる。

 今までの自分のように肩を竦めて生きていくのはもう嫌だ。前の自分の最後のように、理不尽且つ唐突に奪われるのも我慢がならない。誰に憚ることなく、自分の力で生きるのだ。

 旅は比較的順調だ。護衛がいるという事もあって、弱い魔物は近付いてこない。

 俺は周囲の警戒をフォレストバードに任せ、道中で思う存分魔法の練習や実験をさせてもらう事にした。

 とは言え、俺としてはバトルメイジの肝である魔力循環の技能さえ上手く扱えれば、後は割と適当でも良い所がある。

 この世界の他の魔術師達がどうやっているのかは知らないけれど、少なくとも俺の場合はBFOの時と同じ感覚で魔法を扱えるし、循環のやり方も、文字通り感覚が覚えている。

「テオドール様」

 指先に小さな魔法陣を展開させて遊んでいると、グレイスが首を傾げて声を掛けてきた。

「ん? 何?」

「私は魔法の事はそこまで詳しくないのですが」

「うん」

「そのマジックサークルというのは、とても高度な技術だと聞いた事があるのですが」 

 ああ……そうなのか。普通の詠唱もできるけれど、あれって戦闘で使うには色々デメリットが大きいんだよな。最大の問題としては――詠唱はトチるとファンブルしてしまうのだ。

 かと言って無詠唱は基本的に魔法の威力が落ちるし、無詠唱の実用性があるのも精々第三階級魔法ぐらいまでだろう。

 中級魔法とされる第四から第六階級程度の魔法を無詠唱でやろうと思うと、逆に発動が遅くなってしまう。

 それらの諸問題を克服する為に編み出されたのが魔法術式を構築するために、魔力で魔法陣を描くという手法だ。マジックサークルなどと言われて、詠唱より早く確実な魔法の完成を約束してくれる。

 少々魔法発動のための魔力消費が大きくなるデメリットはあるが、それ以上にメリットの方が大きい。これはBFOでは技能として取得できるが……基本的に魔法職で取得しない奴はいないというほどには便利だ。例外は完全に生産のためにしか魔法を使わないプレイヤーや詠唱にロマンを感じているプレイヤーかな。

「……つ、使える人は使えるんじゃないかな? あんまり苦労したことないよ」

「そうなのですか。テオドール様の魔法の才は、きっと天賦のものなのでしょうね」

 笑みを返して答えると、我が事のようにグレイスは喜んでくれた。

 まあ、天賦かと言われれば、そうですとしか答えられない。

 曖昧な笑みを浮かべていると、突然馬車が動きを止めた。

「テッ、テオドールさん! 大変ですッ!」

 と、御者席に座っていたルシアンが慌てたような声で俺を呼んだ。訝しんで馬車の窓から外を見てみる。

 説明を求めなくても状況は一目瞭然だった。街道の向こうの方から鹿やら猿やら狼やら……沢山の動物が逃げてくるのだ。

 ゴブリンやコボルトまでその中に交ざって必死な形相で走ってきている辺り、かなり不穏なものがある。確かに大変だ。動物の群れに呑まれて馬が怯えていななきを上げるが、身動きが取れない。

 状況を確認した俺はすぐさま第四階級の中級光魔法、ライフディテクションの発動準備に入った。足元に光り輝く魔法陣が展開して術式を構築していく。

 生命の持つオーラ光を肉眼で見えるようにするという物で、植物、哺乳類、昆虫、爬虫類、魚類など大雑把な分類ごとに纏う色が違う。基本的には輝きが強いほど強力な個体、という事になる。

 アンデッドには意味がないが、さて。何が見えるやら。

 ……紫色の光。虫系の魔物だな。紫の光が動物のシルエットに飛び掛かるごとに赤い輝きが消えていく。沢山の数が重なり合って個々の輪郭が解りにくいが――大型犬ぐらいの大きさの蟻のように見える。

 キラーアントの群れか。時々どういうわけか大発生して大きな被害をもたらすという性質を持っているのだが、間違いなくこっちに向かってくる。野生動物によるトレイン行為とか勘弁してほしいんだが。

「……あれは、キラーアントの群れだな」

「あっ、蟻!? 群れなんですか!?」

「お、俺達も逃げよう!」

 ルシアンもテンパっているし他のみんなも浮足立っている感じだ。逃げると言ったってこの状況じゃあ追い付かれるのは必至だろう。

 とりあえず、どうするにしてもグレイスが自分の身を守れるようにしておきたい。

「グレイス。指輪を」

「はい。テオドール様」

 唇を噛んで血を出すとグレイスの差し出してきた指輪に口付ける。

「――拘束解除」