廃都ベリオンドーラ。魔人との戦いにより滅びた王国の首都。

 その中心部に聳える王城もまた魔人達に攻め落とされて、崩れて朽ち果てるに任せていた場所――だったはずだ。元の城の有様を知っている者が、今の城の様子を見れば目を疑うだろう。

 崩れていたはずの壁や尖塔が修復されている。いや、修復というのは適当ではあるまい。破壊された場所を中心に元の形を取り戻してはいるが、何か光沢のある黒い建材に置き換わっていた。

 魔人達の拠点と化した黒き城。それが今のベリオンドーラ王城の新しい姿であった。

 尖塔の上に立つ人影――それは魔人ミュストラのものだ。ミュストラの手から黒い靄のような瘴気が噴き出し、まだ修復の終わっていない部分を覆う。ミュストラが差し伸べた手を握ると、瘴気も巻き上がるように上へと舞い上がった。――と、建材が崩れて内部が覗いていた尖塔は、破損個所が黒い建材によって埋められるように修復されていた。

「ミュストラ殿」

 ミュストラが修復箇所の確認をしていると不意に声が掛けられた。ミュストラは口元に薄笑みを張り付かせたままで視線を巡らす。

 下方より別の魔人が登ってくる。ヴァルロスの腹心、ザラディであった。

「おや、ザラディ殿ですか。どうなさいました?」

 糸のように細い目がザラディを捉えた。笑みを浮かべたままでミュストラが尋ねる。

「ヴァルロス様が修復の進捗状況を教えてほしいとのことです」

「順調ですよ。破損していた箇所についてはほとんど終わっています」

「……のようですな」

 ザラディは黒曜石のような輝きを見せる尖塔を見やる。

 石とも金属ともつかない建材だ。瘴気を固めて一時的に物質化する術はあるが、それともまた違う。

 ミュストラの瘴気特性は最古参の1人であるザラディから見ても……よく解らない得体の知れないものだった。

 鍵の間奪還の際に見せた、心臓を貫かれても物ともしない不死性。腕を溶接してしまうようなおぞましい力。かと思えばこうやって硬質の物体をどこからか作り出す。

 城の修復に関しては前に戦いで使った黒い槍と同じ力だろうとは思うが、ミュストラの、それらの能力の共通する根幹が見えないのだ。かと言って、魔法でもないようである。

「まあ、一区切り付きましたし、私もヴァルロス殿のところへ参りましょうか。直接伝えたほうが詳細を話せるというものです」

「左様ですか」

 ザラディはすげなく答えると空中に身を躍らせた。後を追うようにミュストラも飛ぶ。そのまま重力に従って落下していき、地面に激突する前に速度が緩んで、両者は爪先から音もなく着地する。

 ミュストラを引き連れる形でザラディは中庭から通路に入り、ヴァルロスの居室へと向かう。扉をノックすると、入室を促すヴァルロスの返答があった。

 扉を開けると――そこにヴァルロスはいた。

 ヴァルロスの翳した掌の上に、八面体の青い物体が、ゆっくりと回転しながら浮かんでいた。ヴァルロスが青い物体から視線を外して振り向く。

「……ミュストラも来たのか」

「ええ。区切りもつきましたし、報告は直接のほうが良いかと思いましたので」

「ふむ。では聞こう」

 ミュストラのペースに乗せられることもなく、ヴァルロスは先を促す。

「大きな破損個所は概ね塞ぎました。後はまあ、ちぐはぐになってしまっている部分を全て覆い、統一してしまおうかなと思っていますがね」

 要するにミュストラの能力で城を覆い、完全に真っ黒な城にしてしまおうというわけだ。今のままでは修復箇所がまるわかりで、格好が付かないということだろう。ヴァルロスから見るとどちらでもいい話ではある。

 勿論ミュストラにとってもどうでもいい話なのだろうが、この魔人は、ただ単に暇潰しで続けるつもりなのだろうとヴァルロスは目算を付けていた。

「そうか。だが最低限の準備は整ったと言える。後は時を待つだけだ」

 ヴァルロスは目を閉じて、言った。

 そう。準備は整った。ミュストラの担当していた、最後の瘴珠の封印も解かれ、現在はヴァルロスが保管しているのだ。これで、霊樹の封印は全て破られたということになる。

「……ま、私も封印を解放してしまって、することも無くなりましたからね。このまま細々と裏方でもさせてもらいましょう。ところで……それがアルヴェリンデの持ってきた鍵、ですか?」

 ミュストラはヴァルロスの見ていた青い物体を見ながら言った。

「ああ。肝心のアルヴェリンデは、結局戻ってこなかったが」

 鍵を見ながらアルヴェリンデの顛末について思索をしていたのだろう。ヴァルロスは些かに眉を顰めた。

「彼女も負けてしまったのでしょうか」

「恐らくは。そして、シルヴァトリアでもあの王太子が失脚したと聞く」

「それはそれは。綻びが目に見えるようですね。我らの動きも気付かれているのではありませんか?」

 ミュストラは寧ろ、楽しそうに肩を震わせながら言った。そんなミュストラを咎めるでもなくヴァルロスは答える。

「だろうな。だが、仮にシルヴァトリアが軍をここに差し向けてきたとしても問題はない」

「鍵がこちらにある限り問題にならないと」

「確かに……今の時期に戦力を減らすのは避けたいところではありますな」

「そういうことだ。盟主解放のために戦力は温存しなければならん」

「私達の居城となるのですし精々大事に使いたいものですね。ま、シルヴァトリアの動向は問題ないと」

 ミュストラはますます笑みを深めると、ヴァルロスに問う。

「――南は?」

 その言葉にヴァルロスは不快げにミュストラを睨んだ。ミュストラはどこ吹く風で続ける。

「おや、不満ですか? 戦力を温存したいというのなら、あの連中も説得して引き入れれば良いではありませんか。こうして貴方の夢が形になっている今ならば、賛同する者も増えるかも知れませんよ?」

「その程度であの連中が動くのならば、とっくの昔に動いている。そもそも連中の手など必要ない。戦うことを嫌い、全てに背を向けているような奴らだ。力がそこにあると知りながら手を伸ばさず、己が囚人であることを良しとしている。引き込んだとして、どれほどのことができるか」

「辛辣ですね。あなたの故郷でありましょうに」

「だからこそ奴らの気性を知っているということだ。昔から――気に入らなかったよ。現状に甘んじて、自身が地平に没するのを指を咥えて待っているだけの連中がな」

 ヴァルロスの掌に暗黒が蟠る。内心の激情を示すように黒い雷が散った。その言葉は――ヴァルロスの故郷の者達のことでもあり、無限に続く命に飽きて衰退するがままに任せた魔人達のことでもあろう。

 高位の魔人でありながらも、その若さ故にか。それともその出自の特殊性故にか。魔人らしくない魔人なのだ。ヴァルロスは。

「力を持つ者が世界を統べる。神も魔人も人も魔物も、獣に至るまで何も変わらない。それが当然の理だ。力を持ちながら何も成さず、生きたまま腐っていくなど、俺には我慢がならない。障害になる物があるのならば、何もかもを薙ぎ払い、辿り着いてみせよう」

 そう言って、手の中の暗黒を握り潰す。

「私などは、いっそあなたが王になってしまえばとも思うのですがね」

「儂も、そうは言ったのですがな。首を縦には振りませなんだ」

 ザラディは苦笑したが、ヴァルロスは首を横に振る。

「俺が王となって魔人達が纏まるのならそうしても良かったのだがな。混乱や戦乱が長引くのも本意ではないし、盟主にしか成せぬこともある。魔人とて、御旗は必要ということなのだろうな」

「クク……なるほど。まあ、私としては盟主が蘇り、貴方や魔人達がどんな国を作るのかに興味はありますがね」

 ミュストラはヴァルロスの本音に近い部分を引き出せたのに満足したのか、肩を竦めると2人に背を向ける。そして部屋を出る前に、肩越しに振り返り、切り裂くような薄笑みを見せた。

「どうか貴方は、凡百の退屈な魔人達と同じに成り下がらぬよう。そうである間は私も協力をして差し上げましょう」

 ヴァルロスは眉根を寄せたが、何も答えない。ミュストラは肩を震わせ、そのまま部屋を出ていくのであった。