「勇者になるはずだった……!?」

鎧の人の言葉で真っ先に浮かんだのは、先輩とカズキの姿。

だけど、僕はすぐにその考えは否定する。

人間離れしたその体格、肉体、魔法は、明らかに元の世界の人間には当てはまらない。というより、あの肌の硬さと怪力は一朝一夕で手に入るものじゃない。

そもそもあんな超人が僕と同じ世界の人だったら逆にびっくりだ。

「勇者というのは、この国で選ばれるはずだった、という意味ですか?」

「……ああ、そうだ」

この世界の勇者には二つの意味がある。

先輩とカズキのように異世界から召喚された勇者の素質を持つ者。

そして、国が一個人に勇者という称号を与え、勇者となる者。

この場合は長髪の男―――カロンさんは後者だな。

「だとしても、彼……カロンさんのあの力は人の範疇を超えているな……」

「相手も貴方だけには言われたくないでしょうね……」

やかましい。

だけど、問題は今の状況でどうすればいいか、だ。

「ここは引きたいところだけど……そうはさせてはくれないよな……!」

足を半歩広げた僕は、斧を担ぎ睨み付けてくるカロンさんを見やる。

今、この人に背を向けてもさっきの氷柱が飛んでくる。かといって、この場にとどまってもこの人は襲いかかってくる。

そうこうしている内に、カロンさんは獣のように両手を氷の地面に付ける。

「来るか……!」

「君、ウサトといったな! 私を下ろしてくれ!! 君の邪魔にはなりたくない!!」

鎧の人、確かレオさん……だよね? 声は少し高くハスキーな感じはするけど、名前からして男だろうし。

怪我も完全に治し終わっていたので、彼を下ろす。

「自分は君のことをよく知らない。君が肩の上の珍妙な生物と会話していることも気になるが……君は悪人ではないことは確かだ」

「珍妙って何よ!? 私はフクロウよ!?」

いや、君は吸血鬼だろう。

内心ツッコみつつ、僕のやや後ろに移動した鎧の人に目を向ける。

「彼とミアラークで起こった事は後で話す。まずこの状況を打開するのに協力してくれ」

罅だらけの鎧のまま、レオさんは掌をカロンさんに向ける。

武器がない状態だから、魔法で戦うつもりなのか?

……さっきまで一人で彼と戦っていた人だ、一緒に戦ってくれるなら頼もしい。

「……ありがとうございます。正直、頼もしい限りです」

「!? た、頼もしい……頼られてる……私が……?」

「ん? ……!」

なんか一瞬、後ろの彼からそこはかとない残念な感じと異様なやる気が伝わった気がしたけど、カロンさんが足に力を入れたのを見て、思考を切り替え僕も前へ飛び出す。

初動は僕の方が圧倒的に速い!

治癒拘束弾をカロンさんの足下に放ち、力の限り足を踏み込み距離を詰める。向かってくる僕を迎撃しようとしたのか、飛びかかろうとするカロンさん―――だが、そこに僕の治癒拘束弾が無警戒の右足に直撃し、体勢を大きく崩す。

「硬い相手なら慣れているもんでねぇ!」

基本硬い奴は防御しない!

邪龍との戦いでそれは学習済みだ!

「ネア! このまま意識を奪うぞぉ!」

「―――!」

速さで翻弄し、攻撃の出鼻を潰し続ける。

連続で治癒拘束拳を叩きつけ、動きを封じ―――、

「っ!」

しかし、カロンさんの持つ斧から凄まじい冷気を感じ取り、突き出し掛けた腕を引っ込める。

次の瞬間には、腕があった場所に力任せに振り回された斧が通り過ぎた。

「危なっ、持って行かれてたぞ今!!」

「オオオオオォォォォォ!!」

「く……」

重さなんて感じさせない―――まるで木の棒を振り回すかの如く斧を振るうカロンさんの猛攻を回避する。

当たればいくら僕でも重傷、下手をすれば即死。

しかも斬撃に加えてもう一つ厄介なのが、この寒さだ。今は治癒魔法でなんとかなっているけど、これ以上冷気にさらされ続ければまともに動けなくなる。

斧が振り回される度に、強烈な冷気が放たれ僕の体温を奪っていく。

「ネア……耐性の呪術だ……!」

「寒さに!? それとも斬げ―――」

僕の顔の前をブゥンと斧が掠める。咄嗟に仰け反ったので、当たりはしないけど……流石に今のは肝を冷やした。

恐らく、僕の顔と同じ高さにいるネアも同様に斧が掠めたのだろう。寒さとは関係無しに顔を真っ青にしているように見えた。

「斬撃、斬撃だ!」

「ホゥ……ざ、斬撃ね!?」

耐性の呪術が発動されたことで、斬撃は僕には効かなくなった―――のだけど、正直自分から斧を受けようとは思わないので、このまま隙をついて攻撃していこう。

拳を握り、相手への牽制を試みようとすると、後方から氷の礫が飛び出し、カロンさんの斧を持つ手に直撃する。

氷の礫は、見た目とは裏腹に大きく広がり、カロンさんの手と地面を氷で縫い付けた。

「……ん!?」

「ウサト、今だ!!」

後ろを見れば、掌を掲げているレオさん。

振り回される斧の持ち手だけを正確に狙い撃ったのかあの人!?

氷の礫―――違う、氷の魔力を両の手で圧縮させた彼は、連続で二つの氷の魔力弾を飛ばし、カロンさんの両足にぶつけ、さらに拘束を強める。

「助かります! ネア! 数で一気に固める!!」

「あぁ、もう貴方の無茶にも付き合うのも何度目でしょうねぇ!!」

拘束の呪術が纏われた拳。

一撃一撃の拘束力は微々たるものだけど―――連続でたたき込めば相当な拘束力になる!

氷を砕きながら動き出そうとしているカロンさんに踏み出した僕は、拳を振るう。

「オォォォ!」

一瞬の攻撃で叩きつけた拳は十八発。

それ以上は、カロンさんの体を壊してしまう危険があったのでできなかった。

だけど、それだけでも拘束の呪術は機能したようで、僕に殴られたカロンさんの四肢には幾重にも重なった拘束の呪術が発動していた。

「フゥ―――……」

「え、えーと、この化物の拳を食らって姿を保ってられているこいつを賞賛した方が良い感じ?」

困惑気味のネアの言葉に、少しばかりやりすぎてしまったと心配してしまう。

拳に残る感触は、相変わらず邪龍の鱗を殴ったようなもの―――ダメージ自体はあまり通っていないように思えるけど……。

「早くミアラークに入ろう。放っておけばこの人はすぐに暴れ出す、正直、今の僕達じゃ抑えつけることしかできない」

「……珍しく、冷静に状況を見ているわね。猪突猛進ばかりじゃないのね……」

猪突猛進は余計だ。

動かないカロンさんを警戒しながら、後ろへ下がり鎧の人にミアラークに入るように促す。

しかし―――、

「……オオオ……」

「! 動けるのか!?」

「ウサト、自分がまた援護する! もう一度―――」

「オオオオオオオオオオオ……!」

ビリビリと空気を震わせるほどに強い咆哮。

その声に、僕はただならぬものを感じ取る。

それと共に、男の頭から何か角のようなものが生える。

「な……!? 角!?」

「尻尾も生えてきているわよ!?」

側頭部からは白色の二本の角、腰からは青色の龍のような尻尾がカロンさんから生えてくる。

まるで己の変身に呼応するかのように、カロンさんは叫び目を血走らせる。

「これは、ドラゴン!? どうして人間がドラゴンなんかに!?」

「そんな、早すぎる……! まだ時間はあるはずなのに!」

「どういうことですか!?」

レオさんに問い詰めるも、突然の状況に動揺しているからかその答えは返ってこない。

そうこうしている内に、変身を終えたカロンさんは先ほどより、より強い冷気を纏わせた斧を振り上げる。

肌で感じ取れるほどの凄まじい魔力の奔流に、咄嗟に肩にいるネアを団服の懐に突っ込む。その際に「ぷぎゃふ」という声が聞こえたが、今は彼女を気遣っている場合ではない僕は、そのまま動揺しているレオさんの前に立ち両腕で顔と腹部を守る。

次の瞬間、振り下ろされた斧から吹雪と見間違うほどの、風と冷気が吹き荒れ僕達を吹き飛ばした。

「ぐ、ぅぅぅぅううううう!」

「ひゃああ~~~!」

大きく吹き飛ばされた僕は、幸か不幸かミアラークの城門近くの氷の地面へ背中から叩きつけられる。

ネアは内ポケットで小さな悲鳴をあげているから無事だけど……僕の方はそうでもない。

「くそ、なんだあの人は……! 冷気だけで吹き飛ばすとか尋常じゃないぞ……!」

体が冷えてうまく動けない。

凍ってまではいないようだけど、あまりの寒さで手足が言うことが効かないのだ。

「……レオさんは……」

僕と一緒に飛ばされた彼も、少し後ろでうつぶせで倒れている。

すぐに助け出したいけど、まずは僕の体を治さないことには―――、

「オオオオオオオオ!!」

「っ、まだ追ってくるのかよ!」

斧を大きく振り上げ、僕めがけて落下してくるカロンさんに頬が引き攣る。

流石にこの状況で攻撃を食らってしまったら、致命的―――だけど、いくら治癒魔法でも寒さまではしのげない。

今からネアに冷気の耐性をつけてもらっても間に合わない。

このままでは確実な死が待っている。

「こんなところで死ねるか……!!」

寒さで動かない足に無理矢理治癒魔法を施し、立ち上がろうとする。

この寒さ程度で完全に動けなくなるなら、僕はずっと前に死んでいるね……!!

そう思い、震える体を叱咤し立ち上がった僕が見上げると、既にカロンさんは斧を振り下ろし始めていた。

上等だ……迎え撃つ!!

耐性の呪術が籠もっている拳を力の限り握りしめ振りかぶる。

―――バチィ!

「―――!?」

「……へ?」

しかし、僕の拳とカロンさんの拳が接触する前にカロンさんが振り下ろした斧が何かに阻まれて、弾かれてしまった。

地面へ着地したカロンさんが、続けて斧を振るうも全て透明な壁のようなものに阻まれ、攻撃が通らない。

「これは、結界、か?」

よく見れば、僕とカロンさんの間には半透明の水色の結界があり、それが目の前だけじゃなくミアラークを覆うように展開されていた。

サマリアールでエヴァを閉じ込めていた結界でもこれほどは大きくはなかった。

一体、誰が……。

「ウサト殿!!」

「アルクさん!」

城門近くの塀からアルクさんが降りてくる。

アマコとブルリンは……ミアラークの中に置いてきたのかな?

「大丈夫ですか!? 今、私の炎で暖めます!!」

「いえ、僕は大丈夫です。それよりもそこで気絶している人を……」

カロンさんはもう僕達には手出しできない。

結界は見た目以上に堅牢で、彼の力でもびくともしていない。問題は、僕と一緒に吹き飛ばされたレオさんだ。まだ寒さによる麻痺はあるけど、大分動けるようになった僕は、気絶しているレオさんを持ち上げ、治癒魔法をかける。

鎧の冷たさに顔を顰めながら、魔力を流していると僕の隣に移動したアルクさんが、その掌に炎を作り出してくれる。

「アルクさん……」

「我慢をしてしまうのはウサト殿の悪い癖です。もう少し私を頼ってください」

「……ありがとうございます」

炎の熱が僕の冷えた体を温めてくれる。

アルクさんと顔を見合わせ、笑みを零した僕はアルクさんが出てきたと思われるミアラークの城門へと移動する。

その最中、僕の団服から一羽の黒いフクロウが息を切らして飛び出してきた。

「ぷはっ、ウサト! 貴方、私を窒息死させる気ぃ!?」

「あ、ごめん。忘れてた」

「酷くない!?」

一応、君を助けるためだったんだけど。

きっと、あの吹雪をまともに食らっていたら、凍るどころか遙か彼方にまで飛ばされていた可能性があるし。

そもそも、ミアラークで何が起こっているんだ?

角と尻尾が生えた男、カロンさん。

全身を覆う鎧を身につけたレオさん。

そして、こんな惨事になっても誰一人として姿を見せないミアラークの異様な静けさ。

「……どちらにしても」

背後の結界の外にいるカロンさんに目を向ける。

そこには、僕を一心に睨み付け獣のような唸り声を上げている彼の姿が映り込む。

正直、あのまま続けていたら負けていたのは僕だった。偶然結界に阻まれ助かったけど、あれが無かったら今頃どうなっていたか、想像もしたくない。

「やっぱり喧嘩は苦手だ……」

できればもう戦いたくない相手だ。

そう思う一方で内心、カロンさんとは否が応でも戦わなくてはいけない、そう因縁めいた予感を抱いている僕もいた。

水上都市ミアラークに入り、アマコとブルリンと合流した僕の目に入ったのは、あまりにも閑散とした街並みであった。

開いている店も無いし、人も居ない。

あまりにも人気の無い光景に僕は嫌な予感を覚えつつ、隣にいるアルクさんを見る。

「アルクさん、これは……」

「ええ、どういう訳か人の姿がありません」

まさかここの人達はカロンさんにやられた……? いや、それじゃあ血とか、荒らされた痕跡が残るはずだ。

「アマコ、血の匂いとかは……」

「ううん、全然しない」

ということは、カロンさんの仕業では無い。

ならどうして?この状況じゃ視界の先にある城にも誰も居ない可能性がある。

「……グルァー」

「ウサト、ブルリンも言っているけどここらへんには人の気配は無いよ」

「そう、か」

これは書状云々じゃないかもしれないな……。

渡すべきミアラークがこんな状況なら、書状を渡しても意味がない気がする。

「ウサト殿、結界を張った者を探しませんか?」

「はい?」

「あれだけ広範囲の結界、魔導具によるものだとしてもあそこまでの効力を引き出すには人の手が要るはずです。その者を探せば、この不可解な状況も分かるかも知れません」

「そうね。アルクの言う通り、まずは結界を作った人を探しましょう。現状、唯一のミアラークの関係者と思われるこの人はさっきの一撃で気絶しちゃっているし」

アルクさんの言葉に同意した村娘姿のネアはちらりと、僕がおぶっている鎧の人に目を向ける。

確かに今するべきことは状況を把握することだな。

まあ、人間よりも優れた感覚を持つネアとアマコとブルリンがいれば、すぐに見つかるだろう。

「その必要は、ない」

「!」

背中からくぐもった声が響く。

どうやらレオさんが気絶から目覚めたようだ。

とりあえず、彼を下ろすと自身の罅とへこみだらけの鎧を見て落ち込むようにうなだれる。

「すまない。また助けられてしまった」

「大丈夫ですか? どこか痛むところかはありますか?」

「いや、不思議なほどになんともない。むしろ疲れすら残っていないことに驚いているよ。今の今まで治癒魔法を侮っていた自分が情けない。……君には本当に感謝している」

頭を下げてきた彼に少し気恥ずかしくなる。

しかし、次に頭を上げたレオさんの言葉に固まる。

「しかし、熟練した治癒魔法の使い手は本当に凄まじいのだな! まさか彼の拳を容易く受け止めるどころか、拳で殴り飛ばすなんて思いもしなかった!」

「へ、へぇ、そ、そんな大したことは……」

レオさんの言葉に僕は頬を引き攣らせる。

すいません、普通の治癒魔法使いは肉弾戦を得意としていないんです。むしろ殴りにいく方がおかしいんです。

おい、後ろの子狐とフクロウ。必死に抑えているようだけど笑っているのは分かるからな?

「それなのに、自分が……なんて情けない」

「感情の上がり下がりが激しいな……」

情緒不安定か。

鎧の下は結構幼いのかな? 身長も僕よりちょっと大きいくらいだし、意外と年が近いのかもしれない。

「それで、レオさん」

「……自分のことか?」

「え?」

名前を間違ってしまったのか?

いや、でもさっき自分でレオって自己紹介していたような気が……。

「……フ、初対面とはいえ戦いを共にしたのなら、あだ名で呼び合う……そういうことだな?」

「いや、その」

「皆まで言うな。自分は君のことをウサトと呼ばせて貰おう。変に変えるよりもこちらの方が呼びやすいからな」

「あー、そうですね」

もう面倒くさいので名前云々も後にしよう。

兜を被っているので表情こそは分からないけど、腕を組みうんうんと頷いているところを見れば、余程嬉しいのだろう。

こちらとしては意図していないものだったけど。

「君達はミアラークが現在どのような状況に置かれているか知りたいのだな」

「はい」

「……詳しい話は城で話そう。自分にも報告しなければならないことができてしまったからな」

「城に? まだここに人がいるのですか?」

アルクさんの言葉にレオさんは頷く。

「ああ、といってもその人数は多くはないがな。……付いてきてくれ、自分が城まで案内する」

「ブルリン……ブルーグリズリーは連れて行っても大丈夫ですか?」

「……やはり、そこの熊は魔物なのか? しかもブルーグリズリーか……人を襲わないのなら構わないが……城の中には入れないぞ?」

「グァー」

ここでブルリンが一鳴き。

なんとなく何を言っているのか分かったので、僕がレオさんにブルリンの言葉を代弁する。

「大丈夫らしいです」

「そ、そうか……」

引き気味に後ずさりしたレオさんは、ぎこちなく後ろを向くと、ガシャガシャと音を立て城がある方に歩きだす。

僕達も彼へついていくと、僕の隣に移動してきたアマコがこちらを見上げてきた。

「ウサト、気付いてる?」

「ん? 何が……?」

「あの人……」

アマコの視線がレオさんへ向く。

気付いているって、何が? もしかして何か重大なことなのだろうか。

「彼がどうしたの?」

「彼……あー、やっぱりいいや。うん、大丈夫。なんでもない」

え、なに凄い気になるんだけど?

僕の言葉になにを納得したのか、少し微笑んだアマコは前を向き僕の隣を歩く。

全く、なにが言いたいんだかはっきりしてくれないか分からないよ……。まあ、君が大丈夫と言うんなら大丈夫なんだろうけど。

なんだか釈然としない気持ちのまま、僕は仲間達と共にレオさんの後に付いていくのだった。