思えば、真正面からローズと相対するのはこれが初めてかもしれない。

おしおきはされたことはあるし、怒鳴りあったこともあるが、それは戦いには当てはまらない。

だからこそ、ローズと戦うということに恐怖を感じている。

しかし、それと同時に自分の力がどれだけローズに通じるか知りたい、という高揚感が今の僕に湧き上がっていた。

「ネア、そんな絶望した顔しないでよ。別に死ににいくわけじゃないんだからさ」

朝食を終えた後、救命団の宿舎から訓練場へ行く道の途中で、絶望のあまりどんよりとしたオーラを放っているネアに話しかける。

「同じようなもんじゃない。だってウサト以上の身体能力持ちで、しかも治癒魔法の扱いに長けているって……貴方という存在をよく知っている分、絶望しかないわよ」

「まあ、真っ向から戦って勝てるかと聞かれれば勝てないと答えるね。かといって小細工を弄して戦ったとしてもそれが効くとは思えない」

考えれば考えるほどに打つ手がない。

あれだな。戦闘方法がシンプルな分、どうしたら勝てるのか分からなくなる。

「速いし、殴ってくるし、避けるし、本当にとんでもないよなぁ。はははは」

「それ、今まで貴方と戦った人たちにも言ってみなさいよ。多分、口を揃えて『お前が言うな!』って返すだろうから」

僕とローズとじゃその度合いが違うから……。

今日までの間、僕だってなにも考えていなかったわけじゃない。ローズとの戦いに向けて、どう対処するかイメージしたり、ネアの魔術をうまく使って動きを止められないか考えた。

その末に、僕が出した結論は——、

「どう戦うかだなんて、考えるのはやめたよ」

「え?」

「いや、寝る前に考えたんだけどさ。どの作戦も意味がなさそうだったから、僕らしくいった方が一番良いって結論が出たんだ」

「うわぁー、清々しいほどの脳筋……」

元より実力差は分かりきっている。

なら、ぶっ飛ばされる前に僕達が出せる全ての力を出して、それからぶっ飛ばされよう。

そう決意を固め、歩みを進めていると、城下町の方から近づいてくる二つの人影に気づいた。

小柄な人影はアマコで、フードを目深に被っているのは先日カズキと先輩と訓練を共にした少女、フラナさんがいた。

「ん、来たよ。ウサト」

「あぁ、そういえば前に救命団に来るって言ってたね」

でも、よりにもよって今日に来るとは。

見た感じ予知魔法は使ってないようだから偶然なんだろうけど……今日かぁ……。

「フラナさんはどうして?」

「アマコに誘われてね。……迷惑だったかな?」

「い、いえ。その……避けられていると思っていたので」

「あー、それはその……ウサトも努力してその実力を身に付けたわけだし、それを私の常識の尺度で考えて避けるなんて……凄い自分勝手だなぁって思ってさ」

フードを外し、フラナさんは申し訳なさそうに表情を浮かべた。

「だから今日は謝りに来たんだ。……ごめん、ウサト」

「あ、謝らないで。僕もそこまで気にしてないから……!」

律儀で、それでいて真面目な人だ。

そんな彼女に謝らせてしまうと逆に気まずいので、話題を変えることにした。

「それよりさ、どうしてアマコと? 誘われたって聞いたけど……」

「フラナさんとは結構顔を合わせてるの」

「うん。お互いに遠い国から一人で来ている身だからね。何より、この子とは話しやすいんだ」

考えてみれば、族長の娘であるフラナさんと獣人族の『時詠み』であったアマコは、少しだけ似た立場にある。

意外な組み合わせと思いきや、共通点の多い二人だね。

アマコも友達ができて嬉しそうだ。

「ウサト、今から訓練?」

「え? あー……うん」

「見ててもいい? 邪魔にならないようにするから」

「それは団長に確認を取らないといけないけど……」

今日は僕とネア以外の団員が午前の走り込みにいってしまったから、観戦? する人はいないと思っていたけれど、二人が僕達の戦いという名の訓練を見たいというなら別に構わない。

だけど、前もってフラナさんには確認を取らなければならない。

ようやくわだかまりが解消されたのに、すぐに衝撃的な光景を見せてショックを与えるわけにはいかないからだ。

「フラナさん、今から団長との模擬戦闘をするんだけど……我ながら常識を超えたことをする予定だから、見ないことをオススメする」

「こいつ、ぶっちゃけたわね」

流石に僕とローズの戦いを見せたら、フラナさんは混乱するどころではない。

アマコがギョッとした表情を浮かべた一方で、フラナさんは僕の忠告に驚くどころか穏やかな笑みを浮かべ、僕の肩に手を置いた。

「安心してくれ。君がどれだけ凄いことをしでかすのかはカズキとスズネ、そして街の人々から聞いた。私はそれを信じ、受け入れた。もう君を常識に当てはめて考えるような馬鹿な真似はしないつもりだよ」

「……フラナさん」

「それに、カズキがあれだけ君のことを褒めているんだ。それだけで、信じるに足る理由になる」

良い人過ぎる……!

ならこれ以上言うのも野暮というものだ。

「アマコは?」

「行くよ。ちょっと怖いけど、興味あるし」

アマコも変わらず見にくるようだ。

予期せず二人観客? が増えてしまった。

訓練場では、先に向かったローズが待っているはずだ。あまり待たせるのは悪いし、僕達も早く向かおう。 

訓練場の中心には、こちらに背を向けたローズが悠然と佇んでいた。

緑の髪と汚れ一つない白い団服。

相も変わらず、物騒な雰囲気を醸し出していた彼女は、僕達が到着したことに気づくとこちらへ振り向いた。

「おう、来たか」

「ええ」

恐怖と緊張でガチガチのネアを連れて、訓練場の端に立つ。

背後では、アマコとフラナさんが委縮した様子でローズを見ている。

「で、後ろのは?」

「見学したいそうですが……構いませんか? 無理なら帰らせますが」

「いや、構わねぇ。アマコと、勇者カズキの仲間のエルフ……確か、フラナだったか? 見学なら離れた場所でしろ。巻き込まれたくなければな」

「分かっ……分かりました。行こう、フラナ」

「あ、うん……巻き込まれ? え、巻き込むようなことをするの……?」

疑問に思うようにフラナさんがそう呟くが、すぐに察したアマコが彼女の手を引いてその場を離れる。

僕にとっても未知数の戦いになるから、二人には離れてもらった方が安心できるな。

二人が離れた場所に移動したのを確認した僕は、腕を組んだまま沈黙しているローズと相対する。

「準備はできているか?」

「ええ、準備運動は朝のうちに済ませています」

「そうか……」

いざ相対してみると、凄まじい存在感だ。

僕が精神的に“勝てない”と思い込んでいるせいでもあるけど、それを抜いてもどんな攻撃も速攻で反撃される気がしてならない。

「この模擬戦の意味は分かっているな?」

「僕とネアの実力を確認するため……ですよね?」

「ああ。だが、今日はもう一つ確認……いや、見定めることができた」

見定める?

僕のなにを見定めるっていうんだ? 意味が分からずに困惑する僕に噛みしめるような笑みを浮かべたローズは、組んだ腕を解いた。

「今は気にしなくてもいい。お前らは全力で私と戦えばそれでいい。気なんて抜くんじゃねぇぞ? その瞬間、意識を刈り取りにいくからな?」

「……ハッ、随分と僕達のことを嘗めているみたいですね。やるからには、貴女をぶっ飛ばすつもりでやるのでそのつもりで……って、肩のネアがそう言ってました」

「ホワァ!?」

しまった、反射的に口が勝手に動いてしまった。

好戦的な笑みを浮かべるローズに、肩の上のネアは半泣きで僕の頬を翼で叩いてくる。

僕もぎこちない笑顔を浮かべ、肩のネアを見やる。

「もう後には引けないな。一緒に頑張ろう」

「一緒に逝こうの間違いじゃないのぉ!? なんで貴方はそんなに自分を追い込むのが好きなのよ!」

「ネア、拳に拘束の呪術を。僕は団長の攻撃を全力で凌ぐ。もし攻撃が当たりそうになったら……気合で回避してくれ」

「む、無茶言うなぁ!」

震えながらふるふると首を横に振るネアから目を逸らし、籠手を展開し構えを取る。

防御の起点である籠手の装備された右腕を前に突き出し、左拳をために引く。右腕と同じように右足も半歩だけ出し、どんな攻撃にも即座に対応できるように半身で構える。

これが旅の中で、僕が形にしていった構え。

そんな僕を、ローズは相変わらず構えをもせずにジッと見据えている。

「少し前まで泣き言をほざきながら訓練をしていた小僧が……随分と様になるようになったじゃねぇか」

「それもこれも団長のおかげですよ」

「違ぇ。私が課した試練をテメェが超えてきたんだよ」

「その試練ってのが、あまりにも理不尽すぎでしたけどね。僕からすれば正気を疑うくらいに苛烈なものばっかりでしたよ」

「……ハッ、相変わらず口が減らねぇ」

僕の言葉に数秒ほどの沈黙の後に、右目を掌で覆いながらそう口にしたローズ。

次の瞬間、ゾワリと空気が変わったのを肌で感じ取る。

「旅の中で多くの苦難を乗り越えたテメェは、確かに強く成長した」

言葉の一つ一つに重さが籠る。

まだ戦いが始まってもいないのに、汗が浮かぶ。

ローズの一挙一動を見逃さずに、目を凝らしていると右目を覆っていた掌を下ろしたローズが鷹のような鋭い目で僕を射抜く。

「だがな、言葉でそれを聞いた程度で“お前は強くなった”と認めてやるほど、テメェのことを軽く見ていないつもりだ」

「……つまり?」

「分かってんだろう?」

刹那、あれほどまでに注視していたローズの姿が掻き消え、拳を振り上げた状態で目の前に現れた。

「その成果、ここで見せてみろ」

風切り音を立てて、振りかかってくる拳。

それを合図に僕の敗北確実の死闘が始まるのだった。

それは、僕が旅に出る前に何十何百とこの身体に叩き込まれた“速さ”の拳であった。

以前はギリギリ一度だけ回避できた拳だが、何度も修羅場を潜り抜けた今の僕は——その拳の動きを完全に捉えられている。

「ふっ!」

腹部目掛けて迫る拳に対して、半歩だけ下がり回避。

しかし、その次の瞬間には僕の首を薙ごうとする遠心力の乗った後ろ回し蹴りが、迫る。

明らかに意識を刈りにきている蹴りに笑みを引き攣らせながらも、かがむことで追撃を避けきる。

「——気を抜くな」

「っ!」

その一言でハッと我に返り顔を上げると、尋常じゃない勢いで突き出される拳が視界に映り込んだ。

衝撃が体を突き抜け、足が地面から離れ吹っ飛ばされる。

「ぐっ!」

5メートルほど飛ばされて着地した僕は、咄嗟に構えた両腕を解きながら笑みを浮かべる。

以前の僕なら二撃目すらも防げずに為す術なく気絶させられていただろうが、旅を経て成長した今なら対応できる。

「前ならこれでやられていたところですが、今は違いますよ……!」

「そうだな。これぐらいなら防げるようにはなったようだ」

内心はめっちゃビビっているけど、おくびにも出さず、笑みを浮かべる。

というより、なんでこの人後ろ回し蹴りの後に正拳突きの体勢に移ってんの? しかも、防御に用いた籠手ごとぶっ飛ばしてくるとか、本当にどんな怪力してんだこの人。

「うさと、わたしおうちかえる」

「ネア、君が頼りだ」

「今回ばかりは無理ぃ! だっていきなり視界が揺れたと思ったら貴方がぶっ飛ばされてるのよ!? なんで私こんな怪獣大決戦みたいなことに巻き込まれてるの!? あっち見てみなさいよ! 衝撃のあまりフラナが自分に幻影魔法を打ち込んで相殺しようとしてるじゃない!」

アルフィさん並みの早口でそう捲し立てるネアだが、生憎ローズから意識を逸らすわけにもいかない。

「よし、今度はお前から来てみろ。出し惜しみなんてすりゃあ、速攻でぶっ飛ばすからな」

「言われなくても……! ネア、行くぞ! 終わったら血でもなんでもやるから!」

「……。あぁー! もう! 行けばいいんでしょう! 行けば!」

ようやくやる気になってくれたネアが僕の両拳に拘束の呪術を付与してくれる。

「全力で行くぞ!」

「ええ!」

紫色の文様が刻まれた籠手を構え、拳を引き絞った僕は治癒飛拳を放つ。

拘束の呪術と治癒飛拳を合わせた新技、名付けて——、

「拘束飛拳! 治癒パンチ!」

「あ?」

ボッという鈍い音と共に高速で放たれた拳大の魔力弾。

それと同時に魔力弾を追うように、僕もローズ目掛けて駆け出し、追撃を狙う。

迫る魔力弾にローズは感心したような表情で——、

「面白い使い方だ」

掌だけで治癒飛拳を受け止めた。

バチィン! と魔力が弾け、付与されていた拘束の呪術がローズの腕に張り巡らされる。

……。

分かってた。分かってたけどさぁ、もっと効いて欲しかったなぁ。

「ん?」

「あんたなら受け止めるのは分かってんだよぉ!」

自身の腕に走る文様を見るローズに一気に接近した僕は、全力の治癒拘束拳を叩き込む。

遠慮なんて一切ない一撃を、ローズは軽く身を翻すだけで避けてしまう。空ぶった僕の拳に浮かぶ文様に気付いた彼女は、自身の腕を拘束する文様と見比べ顎に手を当てる。

「なるほど、動きを止める魔術ってのはテメェを介しても使えるわけか」

「……! よそ見を——」

「いい応用だが、脆いのが難点だな」

そういうや否や、ローズは強く腕に力を入れ魔術の文様を力技で砕いた。

嘘だろ……、ネアだって拘束の呪術を使いこなして拘束力が上がっているはずなのに……!

いや、動揺している場合じゃない!

硬直しかけた体を無理やり動かし、ローズへ攻撃を加える。

「オラァ!」

「……動きにも無駄がなくなった、か」

獣人の国では、獣人たちを無力化することができた攻撃を容易くいなされる。

拳も蹴りも、手と腕で簡単に弾かれ、全く突破できる気がしない。

避けようと思えば避けられる、口には出していないが言外にそう言われているような気がして、ひたすらに悔しさだけが、僕の感情を占めた。

「当てるには、今の技じゃ足りないか……!」

ゴリ押しと理詰めの戦い方ではローズの防御を超えることはできない。

あと一押しが足りない。

僕の動きにそれだけの変化が、あれば———、

「なにボーっとしてんだ?」

考えに耽っているのを悟られたのか、ローズが右拳を正面から受け止めた。苦し紛れに突き出した左拳も掴まれ、自然と力比べをするような態勢に持ち込まれてしまった。

……! 外れねぇ! 何度も思うけど、この人どんな腕力してるんだ!?

「く、このォ……!」

「ほう、私と張り合うつもりか? 面白れぇ」

そんなつもりは一切ない。

しかし、そう受け取ってしまったローズは獰猛な笑みを浮かべ両腕に力を籠める。

さらに増した重圧と、両腕への負荷にたまらずネアに声を漏らす。

「ネア……! 拘束の呪術を……!」

「もうやってるわよぉ!」

えぇ、じゃあもう拘束をものともせずに僕と力比べしているってこと?

速さでも対応される。

腕力でも拘束込みで互角以上。

しかも、本人は全く本気を出している様子はない。

真面目に、どうやって戦えばいいの?