Chronicles of The Hardships of Komachi in The Sengoku Era

Mid September, one thousand five hundred and seventy-one.

政治の世界とは摩訶不思議である、そう思わずにはいられない静子だった。

京から岐阜、岐阜から尾張へと戻った静子たちは、軍を解散すると各々帰路につく。一ヶ月ぶりの我が家は全く代わり映えしなかった。変わったことと言えば、行きと違って人が増えた事だ。

「織田家の重鎮にしては酷くみすぼらしい……失礼、素朴な邸宅ですな」

「失礼だぞ、半蔵殿。しかし流石に小さい気はする」

徳川家臣団の内、徳川十六神将の一角になる服部半蔵、そして徳川三傑の一人となる本多忠勝の二人が、静子の家を見て感想を述べる。

信長と家康の間で何かしらの取引が行われ、二人が静子に預けられる形となった事以外、静子は知らない。

情報セキュリティ的に問題ないかとも思ったが、静子の元にある技術の大半は各地に散らばっている。今さら彼女を集中的に調べるよりは、各地に忍びを配置する方が手っ取り早い。

残っているものは戦国時代では再現出来ない現代品か、それとも生産が追いついていない物だけだ。

「(それでも一応、注意しないと駄目だよね)注意点が幾つかありますが、特に山へ入らないよう注意お願いします。大半が野生動物の縄張りゆえに、外敵を排除しようと攻撃を仕掛けてきますからね。特に奥の広葉樹林地区には熊が出ますので、ご留意下さい」

本土に生息する動物の中で、生態系ピラミッドの頂点に位置する動物がツキノワグマだ。

熊の中では小型に分類されるツキノワグマだが、時速30から60キロで走る脚力とその状態を数時間維持できるスタミナ、小刀ほどもある爪を備えた腕から繰り出される攻撃は灌木すらなぎ倒す。

故にツキノワグマに攻撃されれば人間など一溜まりも無く、後ろ足で立ち上がり頭でも狙われようものなら首から上が胴体と泣き別れになるほどである。

そんな彼らの食生は意外にも植物食傾向の強い雑食だ。どんぐりや栗などを主食とするが、昆虫や動物の死骸、猛禽類の雛や草食動物の幼獣を捕食する事もある。

熊と言えば鮭を良く食べているイメージはあるが、鮭を食べている熊はツキノワグマではなくヒグマやグリズリーである。

「ご配慮願いたいこととしまして、うちでは色々と動物を飼育しております。眺める程度なら構いませんが、可能な限り接触は避けて下さい。御館様のご指示により生育している貴重な動物が多いので、万が一にも殺めてしまうと徳川様に莫大な金子を請求することにもなり得ます。それこそ城一つ贖えるほどの金額です」

「例えばどの様な獣かね」

「我が国の固有種である雷鳥、南蛮の犬、猫、狼、そして長寿の象徴である象亀です。特に南蛮猫はお館様や近衛様のお気に入りですので、確実にご不興を買うことになるでしょう」

野生動物の大半は餌が豊富な落葉広葉樹林地区にいるが、針葉樹林地区には雷鳥が生息している。

現代では日本固有種の日本雷鳥は特別天然記念物に指定されている。しかし戦国時代の尾張にある小山にも生息が確認出来る所を見るに、昔はもっと広範囲に生息していた事が窺える。

飛翔能力が低い事からメスや幼鳥、卵がキツネやカラスなどの天敵に狙われやすいが、静子の周辺は天敵を捕食する動物が多い事から、雷鳥にとっては良い環境だった。

しかし高山地帯がテリトリーの雷鳥が、平地にあたる地域へ降りてきた理由は未だに謎だった。

「わかり申した。しかと心に留め置くように致す」

「よろしくお願い致します。詳しい話はまた今度に致しますが、まずはお二人が寝起きされる屋敷にご案内致します」

静子は兵士の一人に忠勝と半蔵の案内を頼む。無論、二人は徳川家臣であるため、静子の住むエリアではなく、外縁部にある屋敷で寝泊まりする。

「残念だ」

心底気落ちしている忠勝が重い溜息を吐く。

「当然の措置であろう。幾ら殿と織田殿が決めた事とはいえ、そう易々と近くに住まわせる理由はない」

面倒臭そうな表情の半蔵が、自明のことだと忠勝へツッコミを入れる。半蔵はもう少し遠くの屋敷へ案内されると考えていたが、静子の屋敷が目視できる程度の近場にある屋敷であった。

油断しているのかとも思ったが、人と獣が常時見張っている場所に、忍び込むのはそう容易い話ではない。

(地だけならいざ知らず、空からも見張られている状況は、暮らしぶりが観察出来る程近くへ忍び込むにも多大な苦労を背負う。そして警備が一番手薄になるであろう山には猛獣が棲んでいる。一見、甘いようで隙間がない警備体制だ)

ツキノワグマは朝や夕方などの薄暗い時間帯に活動する薄明薄暮性(はくめいはくぼせい)動物だ。だがそれは基本であって、個体や環境によっては昼間や夜間でも活動する場合がある。

更に餌が豊富にある事から鹿が多数生息し、最近では猪や日本狼も生息が確認されている。小さな山に多数の動物が住み着いているが、それを支えられるほど山の餌は豊富なのだ。

流石に周辺地域に住まわれると困る事になるので追い払っているが、山の大部分は獣たちの根城と化している。静子が使っている場所も、ほんの一部に過ぎない。

「良からぬことを企んでおらぬだろうな、半蔵殿」

沈黙したままの半蔵を忠勝はジロリと睨む。その反応が余程面白かったのか、半蔵は小さく笑みを浮かべながら答えた。

「暫く面白い事が続くであろう、と思ったまでじゃ」

本多忠勝、服部半蔵の二人は静子の洗礼を早くも受ける。食事の取り方と時間、風呂、その他三河では馴染みのない生活習慣に面食らう。それでも数日も経てば、環境に慣れていった。

五日経った頃には二人ともすっかり溶け込み、忠勝は風呂、半蔵は清酒の虜になった。半蔵は夕餉と、その後稀に慶次たちの呑みに付き合ったりしていた。

両者が表面上か、それとも本当に仲良くなっているかは良く分からないが、少なくともいがみ合うよりは良いと考え、静子は見守る事にした。

尤も、最近産まれたジャーマン・シェパード・ウルフドックの教育に忙しかったとも言える。

「待て!」

総勢十匹のシェパード・ウルフドックは、瞬時に静子の命令に従い止まる。カイザーとシェパードから五匹、ケーニッヒとシェパードで二匹、リッターとシェパードで三匹産まれた。

やはりというか、ヴィットマンとバルティの間に仔は産まれなかった。環境が安定し、生と死が共存する野生環境ではないため、子孫を残す本能が薄れているのでは、と静子は思った。

野生の環境では繁殖をしても、飼育下では繁殖行動すらしなくなる場合もある。

安定した食事と危険のないテリトリーが得られれば、個体数を殖やすことが生存に寄与しないと考えてしまう事が原因とも言われている。

(おっといけない。今はウルフドックの躾をしないと)

全ての個体に共通するのは立ち耳、垂れ尾でふさふさ、体つきがしっかりし、柔軟性のある身体に上毛と下毛があるダブルコート、そして狼を髣髴とさせる鋭い目つきだ。

反射速度や持続力、総じて運動神経が非常に高く、生後数ヶ月ながら成体の柴犬に匹敵する個体もいた。しかしウルフドックに共通する、内面の違いは顕著に出ていた。

まずカイザーの子は身体が大きく、人懐っこい性格が多いが、暇になると問題行動を起こしやすい性格をしている。躾する前からリーダーに対して非常に従順だ。

次にケーニッヒの子は普段はクールに振舞っているが、相手をしないと途端に甘えだす面倒な性格の子だ。そして三種類の中で最も服従心が強い。

最後にリッターの子は状況判断能力が非常に優れており、他のウルフドックが命令を出した後に反応するが、リッターの子たちは静子の動きを見て命令を予測し行動する。

「精が出ますな」

ウルフドックに躾をする静子へ半蔵が声をかける。ここ数日、静子を監視していた彼は、静子が特殊な才能を持っていることを見抜いていた。

多数の動物を従え、足軽たちから『殿』と慕われ、気難しい武将たちを纏めていた。表裏常ならぬ下克上の世において、血の繋がりを持たぬ家臣たちが鉄の結束を固めている事はそれだけで異常だ。

それでいて緩やかな『あそび』が存在し、緊張感が足りないように見える。無秩序のように見えて秩序があり、それぞれが勝手気ままに動いているように見えて、静子を中心に規則性を以て運用されている。

それが数日の間、静子という頂点から末端の下男に至るまでを調べた半蔵の結論だった。

「そんな事はないですよ。犬を躾けるのは飼い主の義務ですからね」

「ほぅ……某は犬を飼った事はありませぬが、躾は飼い主の義務ですか」

語りながら半蔵は静子に向かって殺気を放つ。しかし静子は全く反応せず、彼女の周りにいる狼犬だけが殺気に反応した。狼犬は低い唸り声を上げつつ半蔵を威嚇する。

「お、お、どうした。大丈夫、安心して良いよ」

突然唸り声を上げた狼犬を撫でて、静子は狼犬を落ち着かせようとする。暫く半蔵を睨んでいた狼犬だが、半蔵が行動を起こさないと理解すると唸り声を止める。

(殺気に反応せぬとは、この娘は本当に乱世を生き抜けるのか)

調査対象とはいえ半蔵は静子の無防備さに若干心配を覚える。ため息を吐いた瞬間、半蔵は背中に強い衝撃を受ける。余りの勢いに、体勢を立て直す暇もなく地面を転がる。

「静子殿ぉ! ご無事ですか!?」

半蔵をふっ飛ばした人物は忠勝だった。彼は蜻蛉切を片手に、常人離れの速度で静子の元に駆けつけた。

たまたま彼が走る線上に半蔵がいただけで、忠勝は彼を意図して吹っ飛ばしたわけではない。

「何やら殺気を感じましたが、ご安心下さい! この本多平八郎! 人っ子一人静子殿に近づけませぬぞ!」

「あ、いや、あのー……それはともかく半蔵さんが」

「ぬ? おお、半蔵殿。静子殿の御前であるぞ、如何に気安いお人柄とは言え寝転がるなど無作法が過ぎる」

静子が指差す先を忠勝は素直に見る。忠勝から一メートルから二メートル先に半蔵が地面に倒れ伏しているが、彼は自分が半蔵をふっ飛ばしたのだと露も思わず苦言を呈する。

暫く地面に倒れ伏していた半蔵だが、ふいに音もなく立ち上がると無言のまま忠勝に近づき、そのまま力一杯彼を殴った。

「何をする!」

「何をする、はこちらの台詞よ!」

突然、目の前で取っ組み合いが始まった事に静子はオロオロする。

「呆れたものだな」

いつの間に現れたのか、足満が静子の肩に手を乗せつつ呟く。彼は静子と違い、言葉通り忠勝と半蔵の取っ組み合いを呆れながら見ていた。

「男同士の馬鹿騒ぎなのだろう。静子よ、巻き込まれたら危険だ。こんな阿呆二人は放っておいて茶でもーーー」

足満が最後まで言う事はなかった。その前に忠勝が半蔵と同じく、足満を吹っ飛ばしたからだ。

半蔵と違って足満は空中で身体の向きを変えると、受け身を取って華麗に着地した。

「貴様ぁ! 気安く静子殿の肩に手を乗せるなど許し難い! 某ですら触れたことが無い……ゲフンゲフン! 兎に角女人に対して気安過ぎる!」

先ほどまで取っ組み合いしていた忠勝が、顔を真っ赤にして足満に叫ぶ。足満は激昂する忠勝を無視して、左手を首に添えるとコキコキと骨をならした。

(あ、駄目だこれ)

一目見て足満が怒っていると静子は理解する。非常に危険な状態だと思ったが、こうなると静子の声でも足満の耳には届かない。

「面白い事をほざく餓鬼だ。気に入った、今から地面の味をたっぷりと味わわせてやろう。ついでに言っておくが貴様に静子はやらん」

「なっ! き、貴様、静子殿とどういう関係だ」

「ふっ、貴様と違って静子がこ〜んなに小さい頃からの仲だ」

勝ち誇ったような表情で忠勝の問いに足満は答える。絶望感を漂わせる忠勝だが、両手で顔を叩いて気合を入れる。

「あのー、何の話をしているか分からないけど、出来れば穏便に終わらせて欲しいなぁ……なんて、はははっ」

おそるおそる言ってみたが案の定、どちらも静子の言葉に無反応だった。もはや互いが互いしか見えていない状態だった。

「つまり貴殿を倒せば、静子殿と共に花を育てられるのだな」

「餓鬼が色気づくなど100年早いわ。帰って乳母の乳でもしゃぶっていろ」

瞬間、空気が割れる音が耳に届いた気がした静子だった。忠勝と取っ組み合いをした半蔵も、不穏な空気を感じ取ったのか、音を立てず忠勝から離れる。

「貴様とは仲良くなれそうにないな」

「奇遇だな、わしもそう思っていた所だ」

互いにそんな事を言いながら、忠勝は腰に下げている刀を、足満は刀と篭手を外してその辺りへ置く。怒りに心が支配されていても、刃傷沙汰はご法度と考えるだけの理性は残っていた。

武器に続いて上着を脱ぐと、示し合わせたようにその辺りへ投げ捨てる。忠勝のは半蔵が、足満のものは静子が回収すると二人は向かい合う二人から距離を取る。

無言で見つめ合っていたが、やがて足満と忠勝の二人とも腰を若干落とす。刃傷沙汰に及ばず戦う方法、それは相撲だ。

相撲なら訓練という名目が立つ。多少怪我を負おうとも、誰も気にしない。

「許しを請うのなら今のうちだぞ」

「ほざけ、餓鬼が。来い、相手をしてやる」

交わした言葉の後に流れる僅かな静寂、それを先に破ったのは忠勝だった。僅かに遅れて足満も動く。互いにぶちかまし(体当たりの相撲用語)をし、肉と肉がぶつかりあう。

だが肩からぶつかりあった時の音は、まるで土壁の蔵に木槌を思い切り叩きつけた時のような音だった。それほど激しいぶつかり合いをしたのに、どちらも後ろへのけぞる事なく、互いに押し合いをしていた。

「ふんっ!」

暫く両者一歩も譲らなかったが、僅かな隙を見逃さなかった足満が忠勝を投げた。投げられた忠勝だがすぐに起き上がると、また足満へぶちかましをする。

「頑張るなぁ、二人とも」

半分呆れながら静子は二人の相撲を見物する。四回ほど勝敗が決まった頃から、徐々に観客が集まりはじめた。

中には忠勝や足満と同じように、上着を脱いで相撲に混ざりはじめた。勿論、混ざっているのは静子側の人間だけではない。

本多忠勝と服部半蔵が信長、更に言えば静子に預けられる形となったが、預けられたのは彼ら二人だけではない。

本多忠勝隊の内、精鋭中の精鋭である家臣たちが30名ほど行動を共にしていた。

その30名の中には、本多宗家の後継ぎとして忠勝を育てた叔父の本多(ほんだ) 肥後守(ひごのかみ) 忠真(ただざね)。

「血鑓九郎(ちやりくろう)」の異名を持ち、いくさに関する事を忠勝に叩き込んだ長坂(ながさか) 彦五郎(ひこごろう) 信政(のぶまさ)。

忠勝が病気で寝込んでいる時、彼の代わりに軍卒を指揮した桜井(さくらい) 庄之助(しょうのすけ) 勝次(かつつぐ)。

本多家の筆頭家老である筑紫(つくし) 惣左衛門(そうざえもん) 秀綱(ひでつな)。

筑紫氏と共に、家老として代々本多家を支えてきた梶(かじ)氏の梶(かじ) 金平(きんぺい) 勝忠(かつただ)など、そうそうたる人物が忠勝隊として参陣していた。

家康の良く分からない命令のせいか、それとも環境が変化した事によるストレスか、みな上着を脱いでは相撲に参加する。

参加する人数が増えるにつれ、観客たちも相撲に熱狂する。時には投げ飛ばされた力士たちが観客の中へ突っ込む事もあるが、それを気にする者は一人もいなかった。

「……まぁこれもありかな」

相撲をする人数が増えた頃から、静子は危険と感じて少し離れた建物の二階から見学していた。本来は上から見下ろすなどしてはいけないが、熱中しているので誰も気にしていなかった。

「さぁ、次は誰が相手だ!」

「では某がお相手仕ろう!」

相手を投げ飛ばした慶次が、土俵の上で力こぶを作って叩く。彼の挑戦に忠勝隊の誰かが挙手しながら土俵に上がる。

相撲をしたお陰か彼らの間にはすでに織田だの徳川だの、そういった壁はなくなっていた。茶をすすりながら静子は相撲を楽しむ男衆に向かって呟く。

「男って単純だねー。でも、そういう所は羨ましいよ」

忠勝たちが静子の街に居ついて一週間後、信長から朱印状が届く。内容を確認すると、今回静子が彼らを預かったのは、彼女が徳川の領土を調査する為の前準備との事だ。

家康が静子の地形調査を受け入れたのは、大人の余裕という名の精一杯の強がりだ。家臣同然の扱いを甘んじて受け入れているわけではない、という意思表示でもあった。

しかし、肝心の信長は家康の真意を知ってもさして気に留めず、逆に家康の要求を簡単に呑むぐらいの度量を示した。

信長が静子の許に家康の手勢を置いても、問題ないと判断したのには理由がある。

最初は静子が手掛ける全事業に静子がキーマンとして拘束されていたが、足満とみつおが合流してからは分業体制を確立できたことが大きい。

現体制では静子が農林水産業及び研究開発、みつおが畜産関係、足満が軍事全般にと明確に棲み分けが出来ている。

他国が最も注視しているであろう軍事情報は足満が総括しているため、静子に対して間諜を放ったところで既に軍で採用され実戦配備が済んでいる物品に関する技術情報が出てくる程度である。

更に静子と足満間に限定すれば会話の内容を理解するのに必要なリテラシーの敷居が高く、別段防諜を意識する必要すらない。

例えば静子がダイナマイトを必要とした場合、足満以外ならダイナマイトとは何か、から始める必要がある。ところが足満相手ならば「発破×本、〇月までに必要」だけで事足りる。

音だけで判断するには「はっぱ」と「ダイナマイト」を結びつけることすら困難である。

それでも生活を共にし、接する時間が長期間に亘ればおぼろげに内容を掴まれる危険もあるが、全てを理解する頃には陳腐化して機密ではなくなっている。

この為将来的に敵になる可能性がある徳川家臣を静子の傍に置いても、大した問題にならないとの判断が下された。

そういった政治的駆け引きは知らない静子だが、朱印状から静子が望んだ場所の地形調査が可能な事は分かった。

(さて、残り一年で三方ヶ原(みかたがはら)台地(だいち)をどこまで調査できるかな)

三方ヶ原の戦いは元亀三年十二月二十二日に、三方ヶ原台地で起こった武田軍と、織田・徳川連合軍との間で起こったいくさだ。

武田軍は当時の武田氏が動員出来る最大兵力三万であり、文字通り総力戦だった事と、家康が大敗した事で有名な合戦だ。

史実がどの様な流れだったか把握している静子だが、一つだけ分からない事がある。それが、当時の三方ヶ原台地の地形だ。

現代では原型を留めていないため、一体どの様な形なのか想像すら難しい。よって最後のピースになる三方ヶ原台地の地形調査は、対武田戦の勝敗を左右する重要な調査だ。

朱印状が届くと静子は家臣たちを集める。

今回は慶次、才蔵、長可、足満、そして高虎の五名だ。いまだ見習いの高虎が呼ばれた事に慶次たちは不思議がったが、静子なりの考えがあると思い、意見は述べなかった。

「三方ヶ原台地の地形調査の許可が下りました。これから調査隊を結成し、一年かけて綿密に調査します。暫く黒鍬衆が動きにくくなりますが、黒鍬衆も随分と人が増えたのでさして問題はないと思います」

静子お抱えの黒鍬衆は人員は勿論、様々な専門分野の人間で構成されている。

プレハブ工法を基本とし、戦国時代にあわせて改良した独自の工法による陣地構築のお陰で、織田軍内では高く評価されていた。

ローマ軍団兵を目標にした黒鍬衆は、優れた白兵戦闘員であり工兵でもあった。

普段は土木工事が主な任務で堅牢な陣の設営、寺を恒久的な駐屯地に改造、進軍の為の公道整備など様々な仕事に従事する。

彼らが作った道路は、後に信長が商業ルートの一つとして利用するほどの出来映えだ。

地味で目立たない仕事が多く、戦場に立つ事が少ない彼らだが、その実力は信長すら唸らせるほどで、信長お抱えの岡部も何度か彼らを頼って仕事をこなした。

静子が結成し、育てた黒鍬衆はいわば織田軍の縁の下の力持ちな部隊である。

今回、三方ヶ原台地の地形調査に静子は黒鍬衆から地形関係の専門家を含む2000人の部隊を連れて行く予定だ。

しかし、幾ら人数が増えたと言っても2000人もの人間を地形調査に引き抜く事は、ほぼ不可能と言っても良い。なにしろ黒鍬衆は需要の高い部隊だ、かなり不満が出る事は目に見えている。

静子が育てた部隊だが、残念ながら組織の一員である以上、本来の機能を損なう程の動員を掛けることは重鎮の静子でも難しい話なのだ。

よって2000人という過剰な人員を要請してはいるが、実際に連れて行けるのは半数以下になるだろうと静子は考えていた。

「まー黒鍬衆は彼らの能力の高さ故に要請が引きを切らない部隊ですが……地形調査に動員できるのは、せいぜい1000人が限界でしょう。で、調査隊には私と足満おじさんと才蔵さん、そして与吉君を連れて行く。慶次さんと勝蔵君は陣借りかな」

「陣借りって……わざわざ分ける必要ないし、全員移動で良いだろ」

「流石に全軍で徳川領土に移動はね。慶次さんと勝蔵君の軍は強いって評判だし、対外的にも戦力の半分程度って見せておかないと、余計な刺激を周囲に与えてしまうのよ」

静子軍は織田軍の中、そして他の国人の間でもそれなりに名が売れている。静子軍の全兵力が徳川領土に移動すれば、徳川に対して叛意有りとも取られかねないし、徳川が納得しても近隣がいくさの準備として兵力を集めていると緊張感を高める可能性もある。

信長の為にも余計な騒動を招く真似は慎まなければならない。

「ふふん、そんな理由なら仕方ない」

強いという評判に気をよくしたのか、長可は鼻息を荒くしながら頷く。調子の良い態度に慶次は呆れたが、彼をつついて話の腰を折ると面倒だと思い、生暖かい目で見守った。

「そう言えば前に言っていた馬、あれはいつ頃になる?」

「あー、あれね。この前連絡があって、九月中かそこらって聞いているよ。恐らくだけど調査は十月ぐらいからだから、陣借りまでには間に合うよ」

イエズス会の手により、デストリアは日本へ運び込まれていた。重馬種に分類されるデストリアは運ぶのも一苦労だが、何よりも維持するための食料を確保するのに困難を極めた。

その問題によりアラブ種と違って、船を何隻も使っていながら運べたのは数えるほどだ。

日本へ象を運んだ史実がある事から、重種運搬は可能とは考えていた静子だが、大金を費やして運べるのが数頭になるとは思わず、予想外にコストがかかったと頭を抱えた。

「ま、他に質問がなければ終わるけど、何かあるかな?」

「与吉は何のために連れて行くのだ?」

慶次の質問に才蔵と足満が僅かに反応する。与吉はまだ見習いを脱していない状態だ。

地形調査という大事な仕事に連れて行く人物ではなかった。それでも静子が連れて行く理由がまだ話されていない。

「あー、与吉君は黒鍬衆に混じって土木技術のお勉強です」

「はいっ! あ、あのー静子様。某が黒鍬衆に混じる理由が皆目見当付かぬのですが」

予想外の言葉に高虎が素っ頓狂な声を上げる。しかし、すぐに気を持ち直すとおそるおそる理由を静子に尋ねた。

「私の見立てでは、与吉君には築城能力があると思うの。だから、黒鍬衆に混じって土木技術を学んで欲しい訳。ま、無理にとは言わないよ? そういうのを確認する場でもあるからね」

「あ、いえ……はい。静子様が見込みありと仰るのでしたら、某には異論はございませぬ。ただ少々驚きはしました」

歴史上では築城技術に長けていたと評される藤堂高虎だが、彼が才能を発揮するのは江戸時代初期だ。ゆえに静子は高虎に黒鍬衆の下で建築技術を学び、築城技術の才能を早期に開花させて欲しいと考えた。

「ごめんね、無理言って。流石に武将をそんな配置にするのは、どうかと思ったけど納得してくれて良かったよ」

なお、静子は気付いていないが高虎は静子の説明には納得したものの、足満と才蔵からの殺気に似た視線を受け、断れば後が恐ろしくなって頷いたのもある。

「それじゃ、他にはないかな? なければ会議を終了します」

「はっ!」

静子の会議終了宣言に、全員が元気良く返事を返した。

八月二十八日、日本にいるイエズス会の宣教師たちにとって重大な事件が起こった。

白井河原(しらいかわら)の戦いにて、フロイスたち宣教師を庇護し続けた和田惟政が討ち死にした。

細川氏の内紛(永正(えいしょう)の錯乱(さくらん))以降、摂津国は常に戦乱の地である。

現在は和田惟政と茨木重朝、荒木村重と中川清秀が権力闘争を繰り広げていた。信長が上洛してからは落ち着いていたが、いまだ一つに纏まっていなかった。

志賀の陣で信長が敗れて以降、ストッパーが外れてまた両者は対立しあい、八月二十八日に白井河原を挟んで互いの連合軍が対峙する事態にまで発展した。

この合戦は世代交代の象徴的合戦であった。戦国時代に活躍した摂津三守護(和田惟政はその内の一人)が表舞台から消え、安土桃山時代の武将たちが台頭したのだから。

和田惟政と同じく宣教師たちを保護している高山友照・右近父子は、和田惟長(和田惟政の子)と高槻城の守りを固めたが、荒木・中川連合軍に完全に包囲されていた。

更に状況は悪化し、松永久秀と子の久通、三好義継、篠原長房などが高槻城の包囲に参戦した。彼らは高槻城の城下町を2日かけて焼き払い破壊し尽くした。

今まで成り行きを見守っていたフロイスだが、このままでは高槻城周辺にあるキリスト教会が破壊される事を危惧し、ロレンソ了斎を織田信長のもとに派遣し窮状を訴えさせた。

摂津国と言えば畿内の要衝、天下人たらんとする信長の足元で起こった合戦に彼は調停を買って出た。九月九日に佐久間信盛を使者として派遣し、即時停戦と双方の高槻城から撤退を勧告した。しかし、両軍は信長の調停を受け入れなかった。

まんまと面目を潰された信長だが、この決着は九月末までずれ込むことになる。

高槻城で和田惟長と高山親子、荒木・中川連合軍が睨み合っている頃、信長の悪名を日本中に轟かせた歴史的事件が起こる。

元亀二年(1571年)九月十二日、日の昇らない内から信長はおよそ3万という大軍で比叡山延暦寺を取り囲んだ。

正確には比叡山延暦寺ではなく、延暦寺の僧兵が使う道、そして坂本の陸路と海路の出入り口だ。隙間なく兵が取り囲んでいることに、坂本の老人衆は金を贈って攻撃中止を嘆願した。

「これが武家のいくさだ」

しかし、信長は受け入れず彼らを追い返した。

合戦止むなしと判断した坂本の僧兵たちは、比較的包囲網の弱い日吉大社の奥宮の八王子山に立て籠もる。そこへ逃げ込ませるように信長が仕組んだとも知らずに。

そして日が昇ると同時、信長は全軍に総攻撃を命じ、合戦という名の虐殺が幕を開ける。

織田軍はまず坂本、堅田周辺を放火すると、それを合図に各所にいる武将が法螺貝と鬨の声を上げながら攻め上がった。

明智光秀、池田恒興、柴田勝家、佐久間信盛、武井夕庵、中川重政、丹羽長秀、そして静子軍から足満と森長可が坂本の合戦に参加していた。

史実にいた木下藤吉郎秀吉がいない理由は、久政の押さえとして静子本軍とともに小谷城を包囲している為だ。

「ひぃ! た、助けーーぎゃあ!」

「お命ばかりは……ぎっ!」

あちらこちらで悲鳴と哀願の声が木霊する。しかし、織田軍の誰一人として彼らの言い分を聞く事はなく、淡々と坂本にいる人間を殺していた。

僧兵は勿論だが老若男女問わず、またどの立場の人間であろうと関係なく、平等(・・)に首を刎ねた。

建物という建物を焼き、敵であれば赤子ですら容赦なく殺していた織田軍だが、不思議と比叡山延暦寺の本堂ともいうべき場所は、全くの手つかずだった。

日吉大社に立て籠もった僧兵たちを、大社ごと焼き払った織田軍が、である。

信長が延暦寺の本堂を放置したのは理由がある。もともと、彼は延暦寺の全てを滅ぼす気は一つもなかった。

当時の延暦寺は軍事拠点であり、坂本を筆頭に巨大商業都市を抱えていた。しかし、殆どの僧は比叡山を下り、坂本や下坂本を生活の拠点としていた。

延暦寺は院来、堂衆、学生、公人という僧の四階層があり、腐敗の中心は公人と呼ばれる僧だった。

彼らは女色を漁り、魚鳥を平然と喰らっていた。また、遊興費に困れば法儀料や布施などを盗み、不正な賄賂を受け取り、阿漕(あこぎ)な高利貸業にも手をつけた。

時には相手を借金せざるを得ない状況に追い込み、家屋敷や土地、女子供までを担保に取り、暴力を以てこれを取り立てた。

また公人は延暦寺の権力をバックに山領の年貢を催促し、有事の際は白布を頭に巻き、武器を手に各地で暴れまくった。

時には神輿をかついで京へなだれ込み、要求が通るまで暴れ回ったりもした。

坂本の日吉山権現は延暦寺と同じく全国に多数の社を持ち、国内の権勢を誇っていた。

坂本浜を外港にして酒を般若湯(はんにゃとう)、遊女を蓮の葉(はすのは)と隠語で呼び、延暦寺に参詣する団体が利用する旅籠や歓楽の巷から莫大な利益を得ていた。

その様は『信長公記』に「天下の嘲弄をも恥じず、天道のおそれをも顧みず」と書かれるほどの腐敗ぶりで、僧の殆どが世俗に塗れ享楽に耽って信仰を忘れていた。

延暦寺は信長の焼き討ちを「元亀の法難」と称しているが、史実でも信長は比叡山の全てを焼き払っていない。

しかし、信長は坂本周辺一帯を完全に封鎖したため、延暦寺に対して何をしたか直接目にした第三者は一人もいなかった。

信長の焼き討ちに関してはフロイスの報告書や『言継卿記』、『御湯殿上日記』など数々の記録が残されているが、先にも述べた通り彼らは織田軍の焼き討ちを直接見ていない。

それらは伝聞の内容を記録しただけに過ぎない。そして古今東西、伝聞とは途中で誇張され面白おかしく装飾される。

信長の比叡山延暦寺焼き討ちが、それまで定説とされていた大虐殺から実は誇張された虚像に過ぎない事が昭和に実施された発掘調査で判明する。

発掘調査に携わった兼康保明氏は『信長が焼き討ちした建物は根本中堂と大講堂のみ』と報告している。

また延暦寺の建物は元亀以前に廃絶(はいぜつ)したものが多く、出土遺物は元亀の焼亡を示すものが殆どなかった。

信長よりも細川政元による延暦寺焼き討ちの方が徹底しており、この時殆どの主要施設が焼失している事も判明した。

そして当時の比叡山の主は、正親町天皇の弟である覚恕法親王である。もし、信長が全山焼き討ちを実行したら彼も生きてはおらず、信長を朝敵にすることも可能だった。

だが、比叡山焼き討ち後も、正親町天皇は信長に対して態度を変えず、特にこれといった対応を取った記録もない。

また覚恕法親王も朝廷へ工作を行わず、延暦寺を庇護していた武田家を頼った。

史実ではそのまま比叡山焼き討ちの噂を放置した信長だが、今回彼は第六軍を使って情報を京や堺にばらまいた。

「延暦寺を腐らせたのは坂本にいる者たち」や「織田家はこれ以上、仏を騙る悪鬼を見逃す気はない」など、まるで延暦寺の腐敗を嘆き原因を絶たんとする内容であった。

しかも彼らの手によって織田軍が坂本へ軍事行動を行うことは、九月初めには京や堺で公然の事実として定着していた。その間、資産を持って坂本から逃げた者を信長は追わなかった。

更に坂本付近に織田軍を配備させたのは九月十日、つまり九月十二日になっても残っている連中は織田軍を侮っているか徹底抗戦をする覚悟の者、という状況に彼らを追い込んだ。

今さら彼らが騒いでも既に手遅れだった。

京や堺では信長の手によって瓦版(新聞)がばらまかれ、坂本侵攻より前から信長にとって都合の良い情報が定着していた。

また、甲賀衆たちを使って坂本から逃げ延びた者を演じさせつつ情報拡散を行った。情報戦で完全に勝利を収めた信長は、手加減も遠慮も一切せず坂本を攻め滅ぼす。

「一切合切の区別なく鏖殺せよ」

助命の嘆願が幾つも織田軍に舞い込んできたが、信長の返答は一切変わらなかった。

攻め込む情報はわざと流した、前日に嘘でない証拠も見せた、その上で徹底抗戦の構えなら仕方ない。

これ以上衆目に汚濁に塗れた醜態を晒す前に、不埒者を斬り捨てることは慈悲である、と信長は周囲に語った。

今まで延暦寺に対して尊敬の念を抱いていた者たちも、坂本に住む僧兵たちの醜悪さを目の当たりにし、信長の考えが正しいことに気付いた。

それでも思わず手心をくわえる人間はいる。しかし、それに対して信長は一つ策を講じていた。

「もう一度問う。何故、坂本の人間を逃した」

それは足満による味方の監視だ。味方といっても織田軍ではなく、今回の坂本に従軍した織田家家臣以外の者たちに対してだ。

これを行っている理由は、秀吉が坂本侵攻に参戦していないことが理由だ。比叡山焼き討ちで織田軍が坂本を焼き払った時、光秀や柴田は信長の命令通り徹底的に坂本を破壊した。

しかし、横川方面を担当した秀吉は坂本から逃げる人間を見逃していた。言うなれば仕事をサボっていた訳だが、これは単純に秀吉が人道主義でも、逃げる人間に情けをかけた訳でもない。

何故、光秀や柴田は命令に忠実で、秀吉は信長の命令に背いたのか。それは彼の生まれが関係する。

秀吉は農民の出であり、光秀や柴田の様に有力者との繋がりが殆どない。下級足軽の生まれとも言われているが、いずれにしても他家との繋がりがないに等しい状態だ。

対して光秀や柴田は家の歴史があり、有力者に対しても一定の顔がきく。この差が坂本を攻めるとき、対応の差として如実に現れた。

つまり秀吉は有力者との繋がりを手に入れるため、坂本から逃げてきた者の内、力を持つ者(・・・・・)だけ見逃したのだ。

これが後に生き、秀吉は天下を握った時に坂本から多くの上納金を手に入れる事となった。

その事を信長は知らないが、彼は金子で敵を逃がす味方が現れ、それによって包囲網を突破される事を危惧し、足満に味方の監視を命じた。

「そ、それは……」

足満の問いかけに武将は言葉を詰まらせる。近くに転がっている母親と子ども二人の死体を一瞥する。彼は妻子の姿に自分の妻子を重ねてしまい、つい情けをかけてしまった。

だが一部始終を足満の配下(鳶加藤を筆頭とする忍び集団)に見られていた。彼らの手によってすぐさま妻子は捕縛され、問答無用で斬り捨てられた。

そして死体を武将の眼前に転がし、足満が問い詰めている状態だ。

「坂本の人間は一人たりとも生かしてはおかぬ、慈悲は一切無用。その命に反する理由を答えよ」

睨まれた武将は思わず一歩後ろに下がる。彼には足満の目が味方を見るような目に見えず、背筋に寒気を感じたため一歩下がっただけだ。

しかし、その態度に後ろ暗いところがあると判断した足満は僅かに目を細める。

「三人で許そう」

「何……?」

「貴様が逃した人数分の首で許そう、と言っておるのだ」

足満の言葉に武将は彼が何を言いたいのか理解できなかった。否、理解しようとしなかった。

端的に言えば逃がした人数と同じ数だけ己の配下を殺せ、である。とうてい理解できるものでないし、納得できる内容ではなかった。

迷っている武将を見て足満は小さく息を漏らすと、腕を上げて合図を出した。瞬間、どこからともなく矢が飛来し、武将の近くにいた足軽たちの脳天を貫いた。

「織田殿の命は皆殺し、それすら出来ぬ無能に用はない」

抗議の声を上げようとした武将だが、足満たちの殺気を前に思わず言葉を飲み込む。

ここにきてようやく武将は理解した。足満は自分たちを味方とは思っていない。ただ自分たちの敵ではないと判断しているに過ぎない事を。

この場で彼と明確に敵対すれば、足満はあっさり自分たちを敵と見なして皆殺しにするだろう。そして彼が自分たちを処分しても、お咎めなしである事も、武将は十分に理解した。

「すまなかった。次からは気をつけよう」

意地と誇りを取るか、それとも生き残る事を取るか、悩んだ末に武将は後者を選んだ。

「次はない」

それだけ語ると足満は武将を見向きもせず、配下を連れて立ち去った。後に残ったのは屈辱に歯噛みする武将と家臣、そして無残に殺された親子の遺体だけだった。