元日。新年の挨拶を交わすため、信長の許を訪ねる者は昨年に比して数倍にもなっていた。

混雑を予想して用意された待合所は人で溢れ、待合所に入るにも長蛇の列を覚悟せねばならない有様であった。

当然そのような状態であるため、一人一人に割り当てられる時間は厳しく制限される。簡潔かつ、必要最小限の言葉で信長に覚えて貰おうと皆が頭を捻っていた。

篝火が焚かれているとはいえ、寒風吹きすさぶ試練に耐え、ようやく信長との謁見が叶おうとも、交わせる言葉は定型句の挨拶以外に一言二言に過ぎない。

挨拶を終えた者が失意にくれながら帰る様を眺めながら、俺はもっと上手くやって見せると野心を燃やす人々の列が何処までも伸びていた。

「お茶が美味しいね」

元日ともなれば、皆実家に戻っている。いつも騒々しい静子の屋敷も、この日ばかりは静寂に包まれていた。

事あるごとに騒動を起こす市と茶々、初も正月の間は織田家に帰省している。

侍女や下男たちにも休暇と路銀を与えて帰してしまったため、静子の邸宅からはすっかり人気(ひとけ)が感じられない。

側仕えが全てで払っているため、何をするにも自分で動くしかないのだが、静子はこれを不便だとは思っていなかった。

囲炉裏でのんびり湯を沸かし、手ずから自分と彩の分の茶を淹れて一服する。

「美濃産の良い茶葉(ちゃよう)を、ご用意いたしました」

今しがた静子が使った茶筒を掲げつつ、ポーカーフェイスにどこか得意げな表情を浮かべて返答する。

彩とも長い付き合いであるため、僅かな表情の変化を読み取れるようになっていた。

味について言及している訳ではなく、このゆったりとした時間も含めて総評したのだが、と苦笑しつつも彩らしいと静子は笑った。

出会った頃に比べると、両名共に身分が高くなり過ぎた。終始周りに誰かしらが侍(はべ)っているため、二人だけで落ち着いて会話が出来る時間など、正月以外にはあり得なかった。

近頃の静子は信長の命を受け、家を空けることが多い。一方の彩は、静子の留守中を預かるため、蕭と共に家中を取り仕切る必要がある。

このため、自然とすれ違い生活をすることとなり、会話はおろか、下手をすれば一月以上も顔を合わせないということさえあった。

「なんだか、お正月って感じがするよね」

余人を交えず、彩と二人で落ち着いて話をする。ただそれだけのことが難しい。今の静子には年に一回、正月のみに訪れる特別な時間だった。

少し昔を思い返す。今の屋敷とは比ぶべくもない狭い部屋に自分が居て、周りを慶次や才蔵、長可、彩が囲む。

何を話していたのか思い出せないが、笑い合っていたのは確かだった。昔の方が良かったなどとは言わないが、静子は随分遠くへ来てしまったような心持ちになっていた。

「なんだか、色んなものが変わっていくよね」

「静子様が何を仰りたいか解りかねますが、貴女様が不要と仰らない限り、私は貴女様のお側に仕え続けます」

「……ありがとね」

彩の飾らない言葉を耳にして、静子は少しくすぐったいような気持ちになった。それからはどちらも口を開くことが無かったが、無言の時を気まずいとは思わなかった。

(上様が日ノ本を統一されたら、少しは静かになるのかな?)

日ノ本からいくさが消え、世に泰平が齎されれば静かに暮らせるかも知れない。そんな事を夢想しながら、静子は彩と二人の正月を過ごした。

一夜明けて、翌日からはいつも通りに戻っていた。家人たちも戻ってきており、前日の静けさが嘘のような喧噪となっていた。

最初の仕事として、まずは信長へ新年の挨拶を告げに行く。今年からは信忠への挨拶も必要となり、準備に皆が慌ただしくしていた。

主君への挨拶を終えても、落ち着いていられる暇などない。三日目にもなると自身の部下や、織田家家中の要人たちも、正月の挨拶に静子の屋敷を訪れる。

家格が上がったため、出向く必要は無くなったが、迎える側になっても大変なのは変わらない。

相手に合わせて通す部屋から、着る衣装まで変える必要があり、事前に蕭と相談していたとは言え、不慣れなのも相俟(あいま)って勝手が分からないでいた。

それらを済ませると、次は自分の所領にある主な街へ、新年の挨拶を告げに行く必要があった。

この頃になると慶次が戻っておらずとも、他の面々は静子邸へと帰参しているため、行事に護衛としてついてくる。

ここまでを万事滞りなく終わらせると一息つけるのだが、その頃には一月も半ばを過ぎていた。

元々松の内と呼ばれる期間は、『小正月』までの15日とされているため、新年は慌ただしく過ぎていく。

「ぐえー、やっと終わった」

静子は文机に突っ伏していた。未だに進物のチェックが残っているが、それは大した手間ではない。

静子が新年の挨拶をしている間に、彩と蕭が身分別に整理した資料を準備してくれていた。

後は静子が内容を確認し、不足しているところを補うだけとなっていた。書類を確認し、追加で何通かの書を認(したた)め、1時間もすると終わりが見えてきていた。

「ふーむ。黒鍬衆を抱えているからか、色々な人が来ているね」

光秀や細川藤孝などの京に拠点を置く有力者や、秀吉を始めとして、柴田に佐久間など織田家譜代の家臣の名が並ぶ。

最低限のお返しはしているものの、追加で何か贈った方が良いと思いながら静子は書類をめくっている。ふと、静子は書類とは別に二通の手紙が添えられているのに気が付いた。

「なんだろこれ?」

手に取って見ると一通は前久からのものであり、もう一通は足満からの文だと判った。前久はともかく、足満が手紙を寄越すのは珍しいなと静子は思う。

急ぎならば、直接出向いてくるであろう足満の文を後回しにし、先に前久の文を開くことにした。

書かれていた内容は、朝廷所有の宝物殿である正倉への立ち入りを認める旨が記されていた。

「これは……ふむふむ」

正倉とは時の朝廷が財物を保管するために設けた倉であり、現代ではその殆どが焼失してしまっていた。

かつては南都七大寺にそれぞれ正倉が立ち並ぶ区画を塀で囲った『正倉院』が存在したが、現存しているのは東大寺正倉院の中にある一棟だけとなってしまった。

当時の宝物が時を越えて、今なお良好な状態を保っている理由は、高床式の構造により湿損や虫害を防げた事が一つ。

勅封制度で厳重に管理され、みだりに開封されなかった事が理由に挙げられる。

「流石に時期は未定か。まあ、当然だよね」

厳重に封印され、限られた人の目にしか触れない正倉の宝物を閲覧出来る権利を得られた背景には、越前での行動があった。

静子自身が意識しての事ではなかったが、一乗谷にある文物を避難させてから焼き討ちしたという事実は、文化の担い手を自称する公家や朝廷にとって大事件であった。

信長にとって朝倉とは幾度も煮え湯を飲まされた存在。その朝倉をして、信長に文物を運び出す猶予を願い出て、それを認めさせたという事実は重かった。

直接信長に会う機会の無い公家達にとって、信長とは鬼神の如く恐ろしい存在であり、その信長を制して文物を保護する静子に、公家達は『文化の守護者』の姿を見た。

「いつ許可を頂いても良いように、準備だけは怠らないようにしないとね」

朝廷の宝物庫であるため、容易に開かれることはない。それを理解している静子は、逸る心を抑えつつ、先方の出方を待つことにした。

静子は気づいていなかったが、正倉への立ち入り許可証に日付が記されていないのには、朝廷の狙いが存在していた。

もしも静子が許可証の内容に不満を持ち、強権を以て立ち入りを要請すれば、朝廷側は理由を付けて断るつもりでいた。

計らずして宝物を前にしても、利己的に振る舞うことのない理性的な人物とみなされた静子は、避けておいた足満の文を開く。

「ふーん。剣術指南役として柳生家の協力を仰げることになったんだ。わざわざ文で送ってくるから、対立関係にでもなったのかと思ったよ」

現在の柳生家は、足満にとって因縁の深い松永久秀に仕えていた。

その松永が正月の挨拶として岐阜を訪れた際に、足満は強引に交渉の場を持った。松永は快諾(・・)してくれた、と文にはあった。

「貴様には拒否権など無い。承服するか、いくさ支度をするか、好きな方を選べ」

「努々(ゆめゆめ)、逃げようなどとは思うなよ? 貴様の一挙手一投足は常に見られていると思え」

「ここで決断せずとも構わぬが、後日になる程に条件は厳しくなると心得よ」

「誤解が無いよう念を押すが、これはわしの一存ではなく、織田殿の意向として伝えておる」

「これらを踏まえた上で、可及的速やかに返答を寄越せ」

「貴様が柳生を惜しんで、返答をせぬと言うのならば、こちらにも考えがある。そう怯えることは無い。少なくとも国許までは帰れよう。今は(・・)な」

このような明らかに恫喝めいた交渉が行われていた。交渉とは名ばかりの、一方的な最後通牒に過ぎない内容を知らない静子は、柳生家の受け入れについて思案していた。

今の柳生家当主は宗厳が務めている。しかし、当の宗厳はいくさからの帰国途中に落馬し、大怪我を負っていた。

嫡男の巌勝に至っては、辰市城の合戦で負傷し、介添えが無くては起き上がれない状態であった。

後世に於いて柳生新陰流の地位を確立した宗矩(むねのり)も、この時点では年端もゆかぬ童に過ぎない。

先祖代々の所領があるため、誰を派遣してくるのかと考えると、一抹の不安があった。

(順当にいけば次男の久斎かな? 三男の徳斎は幼少期に出家しているから、まず対象に挙がらないよね。四男の宗章(むねあき)だと、十にも満たない少年……うーん、これは厳しいかなあ)

現状から判断すると、宗章が元服を迎えるまで待つのが得策だと、静子は考えた。

現時点では満足に指南など出来る人物が居ない。

上泉信綱の直弟子であり、柳生宗厳を倒し(諸説あり)、史実では織田信忠や豊臣秀次などに兵法を伝授したとされる疋田(ひきた)景兼(かげとも)も考えたが、今どこにいるかが判らない。

彼が候補に挙がらない理由として、彼の放浪癖が挙げられる。史実では生涯武者修行の姿勢を貫き、決して一つ所に留まらない流浪の生活を続けていた。

「流石に剣術指南役が、武者修行の旅と称して、度々行方(ゆくえ)を晦(くら)ませるのは問題だしね」

腰を据えて考える必要があるなと、静子はため息を吐いた。そんな彼女に、更なる追い打ちをかける事態が訪れる。

それは一月も末、もう数日で二月になろうかという時期のことだった。信長から呼び出しを受け、静子は彼の居城である岐阜城へと向かっていた。

城では掘と蘭丸の凸凹コンビが相も変わらず、漫才じみたやり取りをしながら静子を案内する。襖が開かれ、静子の目に飛び込んできた光景に、彼女は及び腰となった。

「よくぞ参った。待ちかねておったぞ」

静子は信長の言葉に驚いた訳ではない。上座におわす信長を中心に、左右にずらりと重臣達が揃っている現場を見て、ただ事ではないなと怯んだのだ。

嫡男の信忠を始め、秀吉に光秀、柴田に佐々、前田利家に丹羽長秀等、錚々たる面子が揃い踏みをしていた。

己の場違いさに乾いた笑みを浮かべつつ、静子は上座のほど近くに用意された席に、恐る恐る座った。

「さて、静子の到着を以て全員が揃ったな。ようやく話を始められる」

信長の言葉に全員の表情が引き締まった。信長が明言せずとも皆が理解していた。これから信長が告げる内容によって、己の進退が左右されるということを。

全員が信長の言葉を聞き漏らすまいと固唾を飲むが、その様子が面白かったのか信長は笑みを浮かべつつ口を開いた。

「そう急くでない。まずは朝廷より、面白い勅書(天皇からの命令書)が届いた」

その言葉と同時に、背後に控えていた小姓が動き出す。二人の小姓が膳に載せられた勅書を恭しく捧げ持ち、静子と光秀の前にそれぞれの膳を置いて下がる。

静子は視線だけを光秀へ向けるが、彼も同じことを考えていたのか、はからずして二人で見つめ合う恰好となった。

二人の行動をよそに、信長は顎で静子を促した。読め、という事だろうと察した静子は、勅書の中身を検める。

「帝(みかど)が、その方ら二人に芸事の保護を任せたいそうだ」

独特の難解な言い回しに四苦八苦している静子を見て、信長が勅書の内容を要約して語った。

新たな役職を設け、朝廷が後援するから、日ノ本各地に散らばっている芸術品や、職人たちの保護をせよとの内容だった。

形式上は命令だが、断る事も可能という、懇願に近い内容であった。朝廷の宝物を預かる東大寺でさえ、過去に二度の焼き討ちに遭っている。

勿論、宝物を狙っての焼き討ちではなかったが、仏教の総本山の一つに数えられる東大寺ですら安全ではない。

特に松永久秀と三好三人衆が繰り広げた、東大寺大仏殿の戦いは公卿たちの心胆を寒からしめるのに十分であった。

「面白いので、静子が引き受けよ。キンカンはその様な事にかかずらうな。貴様には別の仕事を申し付ける」

「はっ、承知致しました」

勅書こそ渡されはしたものの、結局は信長が方針を決定した。

信長の言葉から、勅書には静子と光秀のどちらかが受けてくれさえすれば良いと、書かれていたのだと言う事を理解した。

今や武家の頂点に立ち、天下に一番近い位置にいる織田家の威光と、地方を纏める寺社たちの力を合わせれば、文物の保護が出来ると朝廷は考えたのだろう。

(ふむ……)

しかし、この話を受けたところで信長に利益が無いことが腑に落ちない。芸事にも理解を示すとは言え、信長はそこまで文芸に入れ込んでいる訳ではない。

何処に信長の琴線に触れる要素があったのか、そこを抑えておかないと信長の期待を裏切ることになる。信長が自ら明かさない以上、自分でその胸の裡を推測するより他にない。

(…………あ、分かったかも)

信長が柴田と話している間中、ずっと静子は沈思黙考していた。幾つか推論は浮かんだが、確信を得られずにいたところ、信長が漏らした『茶器』という単語を、静子の耳は拾い上げた。

欠けていたパズルのピースが揃う。静子は全てを理解した。

(文物の保護となれば、当然茶器もその対象に含まれる。帝の勅命で文芸の調査をしていると言えば、この要請を突っぱねることは出来ない。上様が気に入れば、持ち主には期限を定めない借用書と、協力に対する感状が届けられるんだろうね)

飛ぶ鳥を落とす勢いの織田家に加え、衰えはしたものの決して侮れない朝廷が手を組んだ。武力では織田家に劣り、大義名分すら相手にある。

この状態でいくさを仕掛けるなど愚の骨頂。協力の要請とは名ばかりの、徴発行為に他ならないが、逆らえば『朝敵』として後世に名を残すことになる。

(上様の狙いは判ったけど、最初から力業に頼ると反発が怖いから、まずは穏便に進めよう。近衛様や細川様のご助力を願おうかな?)

大義がこちらにあるとは言え、最初から喧嘩腰で挑む理由もない。強権に頼るのは最終手段にしよう、そう結論付ける静子だった。

静子が一人で頷(うなず)いていると、信長が柴田の処遇を発表した。北陸に巣くう最後の敵、加賀一向宗の討伐に際し、柴田勝家を総大将に任じた。

柴田が率いる北陸方面軍の陣容は、秀吉や佐々、前田利家に不破光治らを与力として付けられていた。この織田家内でも有数の軍勢を以て、北陸を平らげろと命じられていた。

この人事から、北陸を任されるのは柴田であると確定した。家臣達の出世争いでは、柴田が一歩先んじた形となる。

栄達に興味がない静子を除く、他の重臣たちは、ことの重大さを理解していた。

(ここは、史実通りなんだ)

史実では、柴田勝家が1580年11月17日に加賀国を平定し、実に90年もの間、幾度も繰り返された一揆の歴史に終止符を打った。

今回の場合も柴田が平定の任を受けたが、史実とは社会情勢が異なっていた。

史実では上杉謙信が加賀国まで進出し、柴田は手取川の戦いに於いて謙信に煮え湯を飲まされることとなる。

然るに、現状では上杉家とは同盟を結んでおり、情勢を鑑みても裏切りに遭う可能性は極めて低い。越前には光秀が陣取り、彼は加賀一向宗の退路を断つことを任されていた。

これらを踏まえると、加賀一向宗には最初から勝ち目など存在しない。武装解除し、信長の支配を受け入れるか、それとも全滅するまで戦うかのどちらかしか道はなかった。

「見事、大役を果たしてご覧に入れましょうぞ」

「決して、こちらから攻め込むでないぞ。ひたすら奴らを挑発し、奴らが攻めてきたという大義を得て後(のち)、反撃せよ」

これは壮絶な我慢比べであった。現在信長は本願寺と和平を結んでおり、この間に他の本願寺派が信長を攻撃した場合、石山本願寺は黙ってみているしかない。

加賀一向宗が先に信長に仕掛けたという体裁さえあれば、石山本願寺は一兵たりとも動かすことが許されない。

和平の約定に反すれば、それ自体が信長に石山本願寺攻めをさせる大義名分となってしまう。

「貴様の思うように攻めてみよ」

信長は敢えて柴田に具体的な方針を示さなかった。信長は柴田に北陸の統治及び、謙信の抑え役を担わせる心づもりであった。

その為には、そろそろ全てを自分で考えて動ける必要があると判断したのだ。

信長が柴田に試練を課したのは、柴田がどちらかと言えば指示待ちタイプの武将であるためだ。

彼は信長という主君を抱くからこそ、100の力を発揮するタイプであった。主命を受ければ躊躇なく前に進めるが、自身が考えるとなると判断が出来ないでいた。

しかし、北陸を任せるにはそれではいけない。信長の目が行き届かない以上、柴田は自分で考えて判断し、その場に応じた対策を取らねばならない。

この加賀一向宗征伐は、柴田が北陸を治めるに足るかを見極める、試金石となる。

「はっ! 必ずや朗報をお届け致します!」

「此度の采配に言いたい事もあろう。しかし、今は北陸平定に注力するのだ。ここを崩せば、残る拠点は紀伊のみよ。貴様らには、そちらで手柄を立てるが良い」

「ははっ!」

真っ先に柴田が応じ、秀吉や光秀たちもそれに倣って平伏した。彼らの様子に信長は満足げに頷く。

「静子。貴様には独断で動く裁量を与える。この世の誰しも、貴様の動きには注意を払わずにはおられまい。敢えて貴様を自由にさせることで、場を掻き乱すことが出来るやもしれぬ」

「は、ははっ」

静子は信長の言に面食らった。いわば白紙委任状を託されたに等しい。信長の指示を仰がずとも、静子の判断で軍を動かすことが可能となる。

静子の性格上、織田家にとって不利益となることはしないという信頼の証とも言えた。単独部隊でも目覚ましい戦果を挙げる静子軍が遊撃に回る。

これ程、敵対勢力にとって厳しいことは無い。局面を一手でひっくり返す『鬼札』が、見えない場所に伏せられているのだ。

名にし負う静子軍が姿を見せないというだけで、敵に圧力を掛け続けることが出来る。

(静子の縛りを解けば、家臣共は挙(こぞ)って協力を要請に動こう。まずは家中の諍いを取り仕切る手腕を見せて貰おう)

あえて静子を自由にした理由。それは、この場に居合わせた野心溢れる家臣達の動きを見る狙いもあった。

今は互いに牽制し合い、口にこそ出さないものの、目は雄弁に語っていた。秀吉や光秀、それに柴田までもが如何にして静子を自陣営に取り込むかを、虎視眈々と狙っている。

(さて、こ奴らの舵取りが出来るか否か、それ次第で国を任せられるかが判る。静子を餌に皆が動き、どう転んだところでわしに損はない。ふふっ。鬼が出るか、蛇が出るか、結果を楽しませてもらおう)

信長や柴田たちの思いを他所に、静子は暢気にも、どうやって文物を保護しようかと思案していた。

皆が落ち着きを取り戻した頃合いを見計らい、信長が再び口を開いた。

北陸に続いて、信忠に東国征伐の総大将を命じる。

もはや、かつての勢いはないとはいえ、未だに強国として存在を示す武田。そして武田や上杉と伍すると言われ、未だに旗幟を鮮明にしない北条。

本来ならば三竦(すく)みの状態だが、上杉を取り込んだことで天秤は大きく織田へと傾いた。

ここまでお膳立てを整えれば、信忠が後継者となるに相応しい武勲でありながら、命を落とす危険性は格段に低くなる。

「東国征伐の任、承りましてございます」

武田や北条と言った列強に怯えることなく、信忠は堂々たる態度で拝命する。一廉(ひとかど)の武将としての片鱗を見せ始めた信忠に、信長は頼もし気な笑みを浮かべた。

その後、各自準備を怠るなという信長の言葉で、場は締め括られた。

真っ先に静子に声を掛けたのは信忠だった。彼は用事も終わったし、早々に退散しようとしていた静子を見つけ、有無を言わさずに引っ張り込んだ。

「間者を貸して欲しい?」

機先を制して用件を告げる信忠に、胡乱(うろん)げな視線を向けつつ、彼女は信忠の言葉をオウム返しに口にした。

「うむ。先だって東国出身の武将を取り込んだのであろう? なんと言ったか……」

「もしかして真田家の事かな?」

「そうそう、その真田何某(なにがし)だ。借りたいとは言ったが、俺が運用する訳ではない。真田何某に率いて貰い、噂を流して欲しい」

「……何となく狙いは読めたけど、君の口から正確に教えて欲しいかな?」

噂を流すという時点で、静子は信忠が何をしたいのかを察していた。

信長は得てして言葉が足りず、彼の胸の裡を探る事に慣れた結果、信長が皆まで語らずとも意図するところを酌(く)めるようになっていた。

しかし、静子の察しが良いことに胡坐(あぐら)をかき、信長は静子以外には到底理解出来ない大雑把な指示を出すようになった。

噛んで含めるようにとは言わないが、せめて必要最低限の指示が欲しいと思う静子であった。

「狙いは単純。民の心を武田から離す。いくさに当たっては、現地の民が協力的であるかが状況を左右する。元より有利な状況ではあるが、なればこそ更に優位を揺るぎなきものにするべく一手を講じる」

「敵地に浸透して、離反工作をするとなると相当に時間が掛かるけど、それは織り込み済みと考えて良いんだよね?」

「当然だ。じっくりと腰を据え、徹底的にやる。勝頼が民に施しをしようとも、何か裏があるのでは? と疑心を抱くほどにな」

信忠の作戦は、単純だが効果が高い。基本的に武士は何も生み出さない。作物を育てる民の心が離れれば、如何に軍事力があろうとも、いくさをしているどころではなくなる。

顕著な例として、史実での『長久手の戦い』に於ける家康の行動がある。家康は村々の長に対して妻子を人質に差し出させ、池田軍に内通されないよう対策を取った。

これは徳川・織田信雄連合軍が地元の民から嫌われていたことが原因とされる。

民の心が離れれば、それによる利敵行為を防ぐために、更なる苛烈な措置を取らざるを得ず、悪循環に陥っていく。

史実での信忠は、僅か一月ほどで甲斐を攻め滅ぼしているが、これも勝頼が民たちから疎まれ、為政者を挿(す)げ替えるべく動いたためと言われている。

民たちは積極的に織田軍を招き入れ、武田軍の内情を報せ、村や田畑を焼いてまで織田に降った。

民心が離れたことで、防衛側が焦土作戦を受けるという屈辱的な情勢を生み、短期決着を促した。

「そこまでするとなると、勝頼の問題点を突いて、家臣達への求心力を地に落とす必要があるね。まあ、今でも既に嫌われているし、武田家の家督相続に関する教育も受けていないから、譜代の臣に軽んじられているよね……そういう意味では、少し哀れだね」

勝頼の辿った人生の足跡を知る静子は、そうひとりごちた。武田信玄の四男ではあるが、庶子であったため、勝頼は兄弟の中で唯一母親の生家である、諏訪家の名跡を継いでいる。

武田を名乗れぬがために、家臣達から軽んじられ続け、成人後も武田家直系の男子には必ず与えられる『信』の字を授かれなかった。

この沙汰に勝頼が大きな不満を抱いていた可能性があるが、信玄や譜代の重臣たちはそれを黙殺した。

信玄亡き後、武田家の当主となった勝頼だが、最初から中継ぎ当主扱いであった。更に甲斐守護職や、大膳大夫などの官位が、勝頼には一つも与えられなかった。

いくさに於いても風林火山、武田菱などの武田家を象徴する旗の使用も禁じられた。そのため一門衆や御親族衆、譜代の重臣たちは勝頼を更に侮った。

率先して勝頼の言いつけに背き、勝頼の政策を無視した独断に走る。その結果、良い成果が出れば手柄を己のものとし、悪ければ勝頼のせいにした。

武田家の家督を継ぐ教育を施されぬまま、信頼できる参謀や腹心を得られぬまま、武田家の家督を継いだ。

この為、諏訪家からは「武田の人間」として距離を置かれ、武田家からは「諏訪の人間」として一段低く見られていた。

形式上とは言え、主君を主君とも思わない家臣達を纏めることが出来ず、信玄亡き後の武田家の凋落を決定づけた、愚将として名を残している。

「先代が偉大であったがための不遇には同情するが、手加減はせぬ」

「……まあ、そうだよね」

史実以上に過酷な道を歩み始めている勝頼だが、それでも武田家の家督を継いだ以上、手を緩めることは出来ない。

武田家を討つことで初めて、織田家は武家の頂点を名乗れるのだから。

「三年、いや二年かな? 豪商たちにも武田家が素性を隠して商いを持ちかけて来るだろうけど、構わず取引しても良いって通知をしておくね」

「それでは武田が力を取り戻してしまうのではないか?」

「ある程度の力は戻るでしょうね。でも、功を焦る勝頼は軍備拡張を強行しようとするんじゃないかな? その軍備を買い付ける資金は何処から調達すると思う? 順当に考えれば領民から更に徴収するしかないよね。今の武田家の戦力じゃ、他国に攻め入る余裕なんてないからね」

出来たとしても国境付近を少々掠め取る程度が関の山だろう。しかし、それをすれば僅かばかりの利益と引き換えに、他国の恨みを買うだけだ。

今の武田家には、所領に重税を課す以外に取りうる復興の道が無い。出来ることならば、新府城の築城に着手して欲しいと静子は願った。

新府城の築城は、経済復興を目的とした公共事業だが、その利益に与れる者は限られ、国全体へと利益が再配分される仕組みにはなっていない。

過度な負担を背負わされ、領民の不満が一気に爆発すれば、甲斐の至る所で一揆が起こる可能性もあった。

「なるほど……確かにどうしようもないな。まあ、細かいところはそちらに任せる。静子や真田何某が良いと思う方法で、民の心を勝頼から離してくれ。俺はその後の統治について考えておこう」

静子の言わんとする事を理解した信忠は、内容の確認を込めて何度も頷いた。

信忠と別れ、今度こそ帰路に就こうとした静子だが、部屋を出てすぐに声が掛かった。

「静子殿、少しお時間を頂戴できませぬか?」

「やあ静子、少し話をしたいのだが、構わぬか?」

静子から見て右手側からは光秀が、左手側からは秀吉が話しかけてきた。互いに相手の存在に気が付いたようで、静子を挟んで視線をぶつけ合う。

「「実は、折り入って頼みが……」」

これは面倒な事になったなと静子が思っていると、秀吉と光秀の声が綺麗に重なった。タイミングも内容も一言一句まで一致した事に、お互いが驚いた表情となった。

しかし、すぐに我に返ると、互いに不快げな表情を浮かべ、相手を牽制し始めた。

「これ以上、順番で揉めるのは御免です。ここは一つ、運を天に委ねましょう。賽の目が偶数を示せば明智様が、奇数を示せば羽柴様が先として話を伺います」

そう言うと静子は懐から出した正六面体のサイコロを投げた。板の間を何度か転がり、襖に当たってその動きを停めた。

秀吉も光秀も固唾を飲んで賽の目を窺う。果たして出た目は『四』であった。自分が先だと理解すると光秀は得意満面となり、逆に秀吉は肩を落として消沈した。

「では、明智様からお話を伺います。後程、羽柴様の許へと伺います」

「先触れは要らぬぞ、そちらの用事が済み次第、いつ来て貰っても構わぬ」

天の決定に異を唱えるのは印象が悪いと考えたのか、秀吉は意外にもあっさりと引き下がった。光秀は扇子で口元を隠してはいたが、おそらく笑みを深くしていたのだろう。

「立ち話という訳には参りませぬ。部屋を用意しておりますゆえ、そちらにご足労願えますか?」

光秀自身が案内された一室は、華美にならない絶妙な調度を設(しつら)えられた、光秀らしい小洒落た部屋であった。

しかし、洗練された場の雰囲気にそぐわない人物が数人、離れた下座に控えていることに、静子は気が付いた。

僅かに警戒しつつも静子は上座へと案内され、その背後に才蔵が立ち、いつの間にか駆けつけていた慶次が才蔵の隣に腰を下ろす。

「少々込み入った話になります。予(あらかじ)め、ご承知おき下され」

「承知しました」

「まずは後ろの者を紹介いたします。こちらは長宗我部殿の水軍を任されておられる、池(いけ)殿です」

光秀に紹介された人物、池が僅かに進み出て静子に向かって深々と頭を下げた。

「お初にお目に掛かります。拙者、長宗我部(ちょうそかべ)が臣、池四郎左衛門(しろうざえもん)と申します」

「あ、これは御丁寧に。私は静子と申します」

予期しない人物の登場に、静子は時代にそぐわない返答を返してしまう。

池四郎左衛門頼和(よりかず)。池は元々土佐の国人であり、当初は長宗我部国親(くにちか)と争っていた。

しかし、彼の娘を娶ってからは従属し、長宗我部水軍の主力を担うようになっていた。

堺との交易を活発に行い、長宗我部の財政を支えた人物でもある。

史実では後に妻と不和になり、謀反の疑いをかけられ、その当時の主君である長宗我部元親(もとちか)の命により自刃させられている。

「我が主君の為に、長らくご助力を頂戴しておきながら、ご挨拶が遅れた事をお詫び申し上げます。主君は織田様、静子様のご尽力に大変感謝しておりまする」

「それは何よりです(実験場にしたって言ったら、怒られるかな?)」

池が感謝の言葉を告げる。対する静子は表面をにこやかに繕いつつも、内心では頬が引きつる思いであった。

史実では土佐統治に10年を費やし、四国統一に更に10年を要した長宗我部が、12年もの時を早めて四国統一に王手を掛けられたのか。

そこには幾つもの偶然と、長宗我部にとって神懸かり的な幸運が働いたためであった。

信長が上洛した際、長宗我部元親は未だ土佐統一を果たせずにいた。その後、1年ほど信長の動向を見守っていたが、突如として元親は決断した。

自主独立を捨てでも、信長と同盟を結ぶ。最悪従属することになっても構わないと元親が言い出した。当然家臣達からは反対の声が上がったが、その悉(ことごと)くを彼は黙らせた。

しかし、信長からすれば、土佐一国すら統一出来ない元親と同盟を結んだところで、一切の利益がない。

一度目は目通りすら叶わず、光秀に仲介を頼んでの二度目すらも、けんもほろろに追い払われた。

これが最後と腹を括った元親は、三度目の正直と言わんばかりに、国を投げ売るが如き条件で従属を願い出た。それでも、信長から色よい返事は貰えなかった。

しかし、信長は思うところがあったのか、静子を引き合いに出し、元親に彼女との同盟を結ぶよう持ちかけた。

静子からすれば、元親が信長に同盟を申し出るなどという事は、青天の霹靂であった。

しかし、長宗我部の扱いを巡って信長と光秀が反目し、本能寺の変が起きたとされる説を知っている身としては、到底これを見逃すことはできなかった。

長宗我部が早い段階で四国を統一することが、最終的に織田家にとって利益となると判断した静子は、信長に同盟の承諾を伝えた。

「何を以て、利とする?」

「長宗我部殿の拠点たる土佐は、四国の下部にあたります。九州遠征を見込んだ場合、海路上の補給地点としては非常に好立地となります。また、彼が早期に四国を纏め上げれば、中国地方の毛利などに圧力を掛けることが出来ます。ここでしっかりと主従関係を確立し、四国に橋頭保を築ければ、日ノ本統一に向けて躍進するための布石となりましょう」

「ほう、中々に先を見ておるな。面白い、差配は貴様に一任する」

静子は現代より持ち込んだ地図を信長に見せつつ、展望を話し合った。正確無比な地形図が描かれる地図のお陰もあり、信長にも静子が唱える利点を視覚的に理解出来た。

三度目にして長宗我部は、信長に臣従することとなった。国力的に織田家との同盟は叶わなかったが、それでも織田家秘蔵の静子との同盟は、後に出色の成果となった。

ただし、この時点では長宗我部の立場に変化はない。その後、静子の働きかけにより前久が動き、朝廷から四国統一の綸旨が出される。

しかし、朝廷が認めたと言っても遠く離れた四国の地では、実効力など無いに等しい。

あくまでも『朝廷としては長宗我部を四国の代表として認めます』という程度にしか受け止められていなかった。

当初、信長は長宗我部への軍事的な支援に消極的な姿勢を示していた。織田包囲網により余裕がなかったという理由もあるが、そこまでする義理も無いと考えていたからだ。

しかし、この信長の姿勢を正反対に変えてしまう事件が起こった。四国で長宗我部と覇を争う三好の軍が、信長が南蛮から手配した荷物を載せた船を沈めてしまったのだ。

積荷には信長が苦心の末に南蛮より買い付けた、各種の鉱石が満載されていた。当初、三好軍は長宗我部が堺との交易に使用している船と考えていた。

三好は信長の逆鱗に触れた。信長が次なる飛躍を期して、莫大な費用と多くの時を費やした成果を、海の藻屑としてしまった。

船を沈められたと知った信長の怒りは凄まじかった。

戦国時代に荷物の保障などあるはずもなく、それよりも膨大な時間を掛けた仕込みが水泡に帰し、次なる一手を打つための機会を逸したことに激怒した。

信長は直ちに三好を滅ぼさんと、四国に乗り込もうとしたため、彼を引き留めるため多くの家臣が少なくない傷を負った。

損壊した器物も多く、襖などは無事だった物の方が少ない有様であった。

連日怒りをまき散らしたが、一転して冷静になると信長は長宗我部を使って三好を滅ぼすことに決めた。

しかし、未だに土佐統一にすら手を拱(こまね)いている長宗我部ゆえ、起爆剤が必要だと彼は考えた。

そこで白羽の矢が立ったのが、織田家の擁する九鬼水軍だった。

スクリュー船を始め、静子から様々な技術供与の果てに近代化を成し遂げた九鬼水軍だが、海戦自体が無かったため、実戦経験に乏しかった。

信長は九鬼水軍の実力がどれほどのものかを把握するため、三好を相手に試し斬りを行うつもりであった。

こうして長宗我部に九鬼水軍が派遣され、土佐統一を為さずして三好とも戦端を開くという無理難題が長宗我部に降りかかった。

家臣達は降って湧いた災難に悲嘆したが、元親は「この程度の無理を通せずして、四国統一は不可能」と開き直り、家臣達を説得した上で、三好にいくさを仕掛けた。

急造の連合軍であるため、最初は押され気味であった長宗我部軍だが、途中から状況が好転する。

三好軍の有能な武将が『都合良く』病死し、三好軍の主力であった淡路水軍が九鬼水軍の圧倒的火力の前に、全滅寸前という大敗を喫した。

更に三好軍の補給路を断つため、長射程を生かした対地砲撃を繰り返し、彼らの使う港を一つ残らず破壊した。

これにより海からの支援を受けられなくなった三好軍だが、港を破壊したと言う事は長宗我部軍も海上から陸へと攻め込めないと考えた。

しかし、現代の揚陸艦に近い輸送船を開発していた九鬼水軍は、港が無くとも人員や物資を運び込み、長宗我部軍を支援した。

その間に、第二次織田包囲網が始まり、織田家の状況は苦しくなった。しかし、大方の予想を裏切り、三方ヶ原の戦いでは信玄を打ち破り、僅か数日で長島一向宗をも蹴散らした。

この急展開に長宗我部以外の四国の国人たちは心底怯えた。

特に三好に与する勢力の動揺は顕著だった。対する長宗我部はこの機を逃さず、調略と武力とを交互に織り交ぜて勢力を伸ばした。

今や四国で長宗我部に従わないのは、三好の勢力のみとなっており、他の国人は全て長宗我部元親に屈していた。

「(破竹の勢いってこういう事を言うのだろうね)さて、単に挨拶をするためだけにお越しになると思えません。私に何の御用でしょうか?」

過去を振り返りつつ、静子は池に次の言葉を促した。単純に面会するだけなら、今までにも機会はあった。

それをせずに、今この場で光秀が場を整えると言う事は、何か重大な話があると静子は推察した。

「ははっ。ご慧眼、恐れ入りましてございます。実は大変に厚かましい事を申しますが、静子様に折り入ってお願いがございます」

「お願い?」

静子の問いに池は一つ頷くと、彼は意外な願い事を申し出た。

「実は……これ以上のご支援を遠慮したく、この場を設けて頂きました次第」