四月を目前に控え、春もたけなわと言った頃合いからか、信長は臣下の者へ花見の宴の開催を告げた。

本願寺との講和は未だ目処が立たないが、功を上げた家臣達を賞するものだろうと皆は考えていた。

一方静子と言えば、信長から酒宴に関する様々な物品の用意を仰せつかり、その内容から『酒宴にかこつけて、自分が甘いものを食べたくなった』という信長の思惑を見抜いていた。

ヴィットマンの事もあって長期間の留守を避けたいという思いもあったが、少し状態が落ち着いてきたことと、彩(あや)達の後押しもあって、久々の晴れの場へと姿を見せることとなった。

信長の配下も大所帯となった結果、名だたる武将は日ノ本の各地に散っている。宴に関する物品の調達を担う静子を除けば、近畿圏に本拠を置く武将たちは余裕を持って安土入りを果たす。

静子自身は物資の手配をし終えると、一足先に安土へと向かうことになった。

現時点で本願寺との和睦に関して音頭を取っているのは、静子の養父でもある近衛(このえ)前久(さきひさ)であり、静子自身は彼から要請があれば支援する程度の関りしか持っておらず身軽に行動できた。

「昔は衣装にお金をかける意義を見出せなかったけど、今の立場になったからか社交の場に於ける服装が持つ意味が解るようになったなあ。この特注の振袖(ふりそで)……いったい幾らするのか聞いてないけど、絶対汚せない雰囲気があるよね」

静子はそう言って、仰々しい行李(こうり)から取り出され、衣文掛(えもんか)けから存在感を訴えかけてくる振袖を見やった。

今回の宴に際して、彩と蕭(しょう)は静子の衣装にと用意していた虎の子を披露することにした。

これまでの静子は着飾る機会など無く、地位相応の装いをする場合も正装となれば男装であり、素材や縫製などは一級品を用いているが華美とは言えないものであった。

しかし、信長主催の花見となれば話は変わる。礼を欠いていなければ少々羽目を外したところで咎められる事もない。

それを知った彩たちの行動は素早かった。最も華やいで然るべき娘時代の殆どを野良仕事と血生臭いいくさで費やし、未婚のまま義理とは言え一男一女を得ている。

今を逃せば静子が女としての晴れ舞台に上がる事はないと考えた彩たちは、ただ一度の機会を以て永く後世にまで語り継がれる程の印象を残そうとした。

静子としては妙に張り切っている彩達を他所に、いつも通りの男装をするつもりであったため、用意された衣装を目にして仰天することになる。

果たして彼女達が静子の前に差し出したのは、現代に於いて未婚女性の第一礼装とされる五つ紋付きの本振袖だったからだ。

因みに未婚女性に限定されたのは近年の事であり、戦国時代に於いてはそういった制限は存在しない。

史実に於いては江戸時代、娘盛りである17〜19歳を過ぎれば振袖を着なくなったというが、その際でも既婚未婚は問われていなかった。

未婚女性の象徴として扱われるようになった所以(ゆえん)は諸説あるが、一説には「袖を振る」という行為が神事に於ける巫女の神楽舞(かぐらまい)や魂振(たまふ)りに通じるため、江戸時代に意中の相手を振り向かせる、または相手に愛情を示す行為として「袖を振る」ようになったというものがある。

これが若い女性の間で流行した結果、振袖は未婚女性が着る衣装として定着し、結婚後は袖の短い留袖(とめそで)を着用するようになったという。

余談だが他にも時代劇などで外出する伴侶に対して、奥方が火打石をカンカンと鳴らして送り出すという表現が見られる。

あれは音を鳴らし空気を震わせ、火花を飛ばして厄を払うという意味がある。転じて今日(こんにち)でも見られる手を振って見送るなどの所作として、簡略化されながらも脈々と受け継がれている。

「それにしても赤紫(マゼンタ)地って……赤ほどじゃないけれど充分ド派手だよね。絵柄も『ろうけつ染め』を使って吉祥の草花を精緻に染め上げてるから異様に目立つし」

素材には正絹(しょうけん)を用い、地色にフォーマルな黒ではなく優美な赤紫を選ぶ。更に単色ではなく、図柄に合わせて地色もグラデーションをつけてあり、染物師の執念にも似た熱意が窺えた。

これが白みの強い柄と合わさった際の華やかさときたら目を瞠(みは)る程でありながら、厭味(いやみ)にならず上品にまとまっているという、実に攻めた振袖となっていた。

「こんなの着こんだら、歩くだけでも一苦労なんだけど?」

「ご安心ください、当日は輿(こし)に乗って頂きます」

「うーん、流石に二十歳(はたち)を過ぎた年増の私がこの恰好は……痛々しくないかな?」

「静子様の衣装に異を唱えられる者など、上様たちを除いておられませぬ。静子様のお姿こそが流行となるのです」

静子はやんわりといつも通りの男装を希望したのだが、今日の彩達は手ごわく頑として主張を曲げなかった。

彼女達も何か思惑があってこの衣装を推しており、それが自分の為になると思ってくれていることを察して、静子は彼女達の好きにさせることにした。

(あ、帯を見せてもらってないや。まあ、いいか。一任した以上は腹を括ろう)

一度開き直ってしまえば、むしろどんな趣向を凝らした帯が出て来るのか楽しめる余裕すら出てきた。

当日となり、着付けに際して見せられた帯も華美なものではあったが、中途半端に柄が入っており奇妙だなと首を傾げることになった。

しかし、着付けが終わって全体像を姿見で確認した時に、その意図が理解できた。

「なるほど。振袖の絵柄が帯と合わさっても図柄として成立するようになっているんだ。この振袖専用の帯か……」

自分が今後、何回この振袖を着る機会があるかを考えると空恐ろしくもなったが、帯と振袖が一体感を醸し出しており、素晴らしい仕上がりであった。

難を言えば静子の体型に誂(あつら)えた一点ものであり、また精緻な図柄が災いして着崩れが許されないという着こなしの難しい着物でもあった。

「準備万端抜かりありません。間もなく輿が参りますのでもうしばらくお待ちください」

「うん。下手に動けないから、悪いけど休ませて貰うね」

そう言うと慌ただしく動き回る彩や蕭に向かって、静子は袖を振った。

その様子は草花が風に揺らぐかのように優美であり、何人もの小間使いが見惚れて手を止める程であったのだが、静子だけが気付いていなかった。

「四六や器も連れていければ良かったんだけど、今回は面子が厳選されてるからなあ」

今回の宴に招かれたのは、石山本願寺との一連の騒動に於いて特別の功有りと認められた者であった。

故に光秀は招かれているが、秀吉には声が掛かっておらず、内助の功があった訳でもない四六や器も当然対象外となる。

招待客の選考自体は信長が独断で行っており、その選考基準は不明だが、夫が留守中の家内を取りまとめたとして内助の功が評価されたのか、妻子や親族の帯同を許された者もいた。

出立の直前に信長からの遣いが訪れ、その準備(・・)を終えた静子は彩達の介添えを受けて用意された輿に乗り込んだ。

普段は自分の足で歩くか、馬での移動が常となっていたため、人力で担いで移動する輿に違和感を抱いていた。

しかしそれも少しの間だけであり、花見の宴席に到着する頃にはそのゆったりとした歩みと僅かな上下動に、電車のリズムにも似ているなと思うほどになっていた。

会場に到着すると輿が下ろされ、御簾(みす)が持ち上げられると、蕭の手を借りて地に降り立った。

「お待ちしておりました、静子様」

案内役を付けるとの信長の言葉通り、到着した静子に声をかける者がいた。

そちらへ目を向けると紋付の裃(かみしも)姿の堀秀政がお辞儀の体勢から顔を起こし、静子の艶姿を目にして固まってしまっている。

今や近習の筆頭として知られており、信長の信任を得ている彼は静子と顔を合わせる事も多い。

しかし、その彼をして此度の静子の出で立ちは想定の範疇外であったようで、礼節に長じた彼らしくない振る舞いとなっていた。

無言で凝視されて少し居心地の悪い静子は、自分から声をかけることにした。

「堀様直々にお出迎え頂けるとは恐縮です。此度は花見の席とのこと、お目汚しかとは思いますが、枯れ木も山の賑わいと申しますしご容赦願います」

そう言って自嘲気味に静子がほほ笑むと、堀は弾かれたように頭を下げると無礼を詫びた。

「ご無礼をお許しください。静子様の麗しいお姿を目にし、思わず言葉を失っておりました」

「堀様のような殿方にそう仰っていただけるのなら、年甲斐もなくこのような恰好をした価値があるというものです」

静子は如才ない堀の社交辞令だと判断し、さらりと流したのだが堀は心底驚嘆していた。

それもそのはず、今の静子はつま先から頭のてっぺんまで彩と蕭の手によって磨き上げられ、いつもの男装の静子を見慣れている者ほどギャップに驚くことになる。

髪は椿油を配合した特製のトリートメントで整えられ、日の光を受けて艶やかな光沢を見せており、肌は鉛を含まない特製の白粉(おしろい)を始めとした基礎化粧品によって現代で言うナチュラルメイクに仕上がっていた。

ナチュラルメイクとは化粧をしないのではなく、それと判らないよう自然をよそおって化粧を施す事に意味がある。

その点では彩と蕭の腕前は、一級のメイクアップアーティストだと言えよう。

「この堀、誓って世辞など申しませぬ。しかし、折角の艶姿を上様にご披露せぬ訳にも参りませぬ。早速ではありますが、ご案内仕ります」

堀の言葉に静子は首肯すると、宴席の主会場からやや離れた位置に建てられた四阿(あずまや)へと誘導される。

主催者自身が会場を放り出して何をしているのかと静子は思ったが、会場の誰からも不満が上がらない以上は黙認することにした。

「上様、静子様が参られました」

四阿では緋毛氈(ひもうせん)の敷かれた縁台に腰掛けた信長が、花盛りの桜を見上げていた。

「大儀であった。下がって良いぞ」

「はっ」

「静子、近う参れ」

「はっ」

信長の応(いら)えを受けて堀は四阿の外へと下がり、入れ替わりに静子が中へと進む。

外の桜へと視線を向けたままの信長が振り返ると、僅かに息を呑んだあと微笑しつつ言葉を紡いだ。

「『君(きみ)飾らざれば臣(しん)敬(うやま)わず』とは良く言ったものよ。見事に化けおったな、見違えたぞ静子。まあ良い、貴様も掛けよ」

「失礼致します」

信長はそう言って自分が腰掛ける縁台へと静子を招いた。主君と同席というのは畏れ多いが、本人が座れというのだから静子としては従うほかない。

当然と言えば当然だが、四阿の周囲には護衛が配されており、堀も近くに控えている。しかし、二人の距離がここまで近ければ、会話が外に漏れることは無い。

「して、首尾はどうなった?」

「上々です。西は毛利、東は北条まで主要な地域は掌握できました。表立って朝敵になりたい国人はおりません」

そう言って静子はクスリとほほ笑む。朝敵とは天子に弓引く逆賊のことを言う。建前社会の武家に於いて、朝敵に認定されるということは非常に重い。

一度朝敵に指定されれば日ノ本中の国人から狙われることになる。これを回避するには朝廷に対して降伏を申し入れるか、討伐軍を撃退し、有利な条件で講和を申し込むしかない。

「少しは腹芸も身に付いたか?」

「良い先達のご指導あってのことです。それに私は(・・)芸事保護の為に必要な事をしたまでです」

「ぬかしおる」

静子の言葉を受けて信長は太い笑みを浮かべた。既に静子のライフワークとして認知されている芸事保護の活動は、朝廷の支援もあって広く日ノ本中に周知されるに至った。

静子はその成果を資料として編纂し、定期的に帝へと献上していた。カメラの実用化以降は、誰の目にも明らかで判り易い資料が届くに至り、正親町(おおぎまち)天皇はその実績を賞してとある綸旨を発した。

その綸旨とは「静子の芸事保護は朝廷の事業であり、協力の要請があった場合は最大限の便宜を図るように」というものであった。

つまり静子は芸事保護の為という大義名分があれば、たとえ敵対する国人の領地であろうともフリーパスに近い待遇を受けることができるのだ。

当然敵対勢力下では監視も付くが、自国内で静子一行の身に何かあれば己の不手際を責められるため、手勢を護衛に当たらせる必要すらあった。

「万難を排するためにも、近衛家の方々に色々と動いて頂きましたので、少々大枚を叩くことになりましたが安全には変えられません」

「その名目でどの程度(・・・・・・・・・)網羅出来た?」

「主要な街道沿いは全てと申し上げておきます」

野心溢れる信長がこの降って湧いた好機を逃すはずもなかった。信長は静子の芸事保護の要員の中に当初間者を潜り込ませようとした。

しかし、これは上手くいかなかった。流石に蛇の道は蛇というべきか、間者は間者を見分ける事が出来る。

そこで信長は別の方向からアプローチを掛けることにした。それは芸事保護の一環と称して器材に測量道具を持ち込み、象眼儀等を用いて簡易測量をして回らせた。

この時代で検地などに用いられる原始的な測量道具とは見た目がかけ離れており、一見何をしているのか判らないことも相俟って、誰にも邪魔されずにあちこちを測量して回る事が出来た。

「では、頼んでいた甘味(・・)を貰おうか」

「はい、こちらに」

返事と共に静子は振袖の袂(たもと)から幾つもの封筒を取り出して見せた。

信長の前に並べられた封筒には、表に西は『安芸(あき)(毛利の本拠地)』から北は『甲斐(かい)(武田の本拠地)』、南は『安房(あわ)(北条の領土)』までがずらりと並ぶ。

更には『播磨』や『堺』、『三河』に『伊豆』や『相模』と言った戦略上の重要拠点もあり、中でも『三河』や『大和』、『越後』などは味方の土地のものさえあった。

「それと、こちらが近衛家の名物『京便(きょうだよ)り』となります。なかなか面白い仕上がりですよ?」

『京便り』とは近衛前久が発行する週刊の新聞に近いものを指す。購読できる者は公家に限られ、日ノ本の情勢動向から京での流行、祭事や催し物のお知らせなど幅広い情報を提供する。

自分に属する派閥の情報共有を円滑にするためと銘打って手掛けた情報誌だが、今では京の公家でこれに目を通さない者は流行から取り残されるとあって皆がこぞって求めるものとなった。

紙面を通じた交流も図られ、朝廷での人事やお悔み等の情報、購読者同士が自作の和歌を掲載するコーナーを設けるなど、あり得ない程に充実した内容を低価格で提供していた。

当然これには絡繰りがあり、如何に権勢を誇る近衛家であろうとも金食い虫である紙を用いて、これも新技術の結晶である印刷をした上で送り出すとなれば儲けが無ければ続けられない。

この情報誌に金を出したのは商人だった。現代に於いてもテレビCMやWeb広告などに企業が広告料を支払うように、少しでも先見の明があるものならば、有力者の多くが目にする媒体というものに、自分の商品を掲載できるメリットを見逃すはずがない。

そして何よりこの『京便り』には自由があった。明らかに織田家と懇意にしている近衛前久が主宰しているにもかかわらず、織田家の事業と敵対関係にある商人であろうとも出稿する事が出来た。

何処の誰であろうとも、紙面に占める割合に応じた一定の広告料を払えば、自分の主張を紙面に掲載できるとあって、『京便り』の社会面は活気づいていた。

こうした気運が醸成されたこともあって、和歌の交流コーナーでも公然と織田家を皮肉る内容の和歌が掲載され、それを囃し立てる返歌も翌号に載る。

織田家を面白く思わない宗教家たちが、紙面で論陣を張ってみたりと混沌(こんとん)とした様相を見せていた。

「彼らは義父上(ちちうえ)が何処で『京便り』を印刷しているのか気にならないのでしょう。天下人を公然と批判しても、何処からもお咎めがないのなら身内同士の文のやり取りの延長上と安心してしまったのでしょうね」

前久は法に反さない限りは、どのような内容の原稿も掲載したし、誰にもその内容を漏らすことは無かった。

無論、面と向かって帝を批難することは許されないし、公家達も自分達の屋台骨である皇室を批判するような愚は犯さない。

公家達は身内だけが購読できるという性格上、皆が共犯者であり公家内の秘密が外部に漏れないと思い込まされてしまった。

「京にある貴様の屋敷は、関白殿の立ち寄り所と呼ばれておるそうだ」

「京で輪転機がある処と言えば、私の別邸だけですからね。私の京屋敷には、全ての『京便り』が一部漏らさず保管されているという事までは理解が及ばないのでしょう」

静子の京屋敷は、今や前久の屋敷と思っている人の方が多いほどであり、近衛の本宅を訪ねるよりも静子の京屋敷を訪ねた方が前久が捉まる確率は高い。

「そうなるように仕向けたのは誰だったかな?」

「さて、そのような底意地の悪い御仁は存じ上げません」

「まあ良いわ。これで騒々しく囀(さえず)る雀どもの動向も丸見えよ、本願寺が片付き次第大掃除をしてくれよう」

戦国時代最大の武装宗教勢力である本願寺が倒れれば、他の宗教家たちでは信長に抗する勢力とはなり得ない。

事がここに至れば、大きな宗教勢力に育つ前にその芽を摘むこともできる上に、信長に反旗を翻すだけの神輿(みこし)も適任者がいない。

搦め手に長けた公家の動向は、前久の手によって織田家に筒抜けとなっている現状、信長は先んじて全ての武家を己の支配下に組み入れようと画策していた。

その為には西では毛利、東は武田と北条を下さねば武家の統領を名乗ることはできない。

「奴らの驚く顔が楽しみだ」

敵に与えられた仮初(かりそめ)の自由とも知らず謳歌し、紙面上で信長を鄙(ひな)もの(田舎者の意)と蔑んでいる公家達が、自分の前にひれ伏す時を思うと楽しみで仕方ない信長だった。

静子の渡した測量図等の文書を信長自らが厳重に保管したのち、二人は連れ立って花見会場へと姿を見せた。

主役である信長の登場と、いつになく華やかな静子の装いに周囲の動揺がさざなみのように伝播してゆく様が見て取れた。

信長自身が静子を伴って現れるという行為は、静子の立ち位置がより強固なものとなった事を周囲に知らしめていた。

「ほほっ。そなたにしては珍しく攻めた装いではないか」

扇子で口元を隠しながら濃姫が楽し気に呟くと、彼女の手によって静子は男の社会から女性の社交場へと拉致された。

「殿は充分静子で(・)遊んだはず。これ以降は妾達が静子で(・)遊びまする」

濃姫の思惑を察したのか、それとも面倒ごとを避けたのか、信長はため息を一つ吐き出すと好きにせよと言い捨てた。

そうして静子が連れてこられたのは、男達の宴会場から少し離れた桜並木の下に用意された茶会の席だった。

(ああ、ようやく彩ちゃんと蕭ちゃんが必死になってこれを着せたがった理由が解った)

静子はこれまで活動の場の主軸を、男社会に置いていた。しかし、ここは男の力学から切り離された女の園であった。

今までの静子は男装をしていたため、どうしても隔意があると見做されていたのだが、ようやく立場に相応しい衣装を纏い、奥向きを取り仕切る女性社会の社交場へとデビューすることになったのだ。

静子の年齢を考えれば遅すぎるが、立場を考えれば絶対に手を抜けない初のお披露目である。ここで舐められれば、序列の下位へと押し込められてしまい、容易には浮上できない。

そこで彩と蕭はもてる権力を総動員し、使える伝手を全て使って、最先端かつ誰が見ても評価せざるを得ない程の逸品を用意する必要があったのだ。

その甲斐もあって、茶会に同席する貴婦人たちの目は静子に釘付けとなっていた。主家の女主である濃姫が寵愛しているため、表立っては口にしないものの、粗野でがさつと揶揄(やゆ)していた静子の手弱女(たおやめ)ぶりは彼女らの価値観を揺さぶった。

自分もあのように鮮やかな染色の施された着物を身に着けてみたい。普段の静子が見せる日に焼けた肌を白く見せる魔法は一体何なのかを知りたいと誰もが思った。

女性の社会に於いて美しいということは正義であり、憧れを抱かれるというだけで一目置かれることになる。誰もが憧憬を抱く流行を発信した静子を軽んじられるものなど、ここにはいなかった。

静子は己を見る周囲の視線が変わった事には気付いたが、このような場合にどう振る舞えば良いのか判らず、その場から動けずにいた。

そして当然そうした状況下で静子に手を差し伸べるのは、例によって濃姫達であった。彼女らは口々に静子の装いを褒めそやし、周囲にも同意を求めてごく自然に歓迎のムードを作り上げた。

場慣れしていない静子には直接会話させず、比較的静子に好意的な女性陣を中心に据えると、静子の品評会が始まった。

「これ静子、そこでこうクルリと回ってみせよ。なるほど、地の色に濃淡を持たせることで色合いの幅を見せるのか。この精緻な図柄はどうじゃ! これはそなたの領の染物師の手によるものか?」

「あ、はい。我が領で新たに開発しました蝋を使った『ろうけつ染め』によるものです。従来のものよりも更に色の滲みがなくなり、くっきりとした図柄となるようです」

「なるほどのう。妾も一着仕立てようかの?」

静子にだけ見えるようにニマニマと若干いやらしい笑みを浮かべた濃姫は、会話で流れを誘導した。

この場に於ける女性の頂点である濃姫が良いと認め、その品を求めようとしたのだ。既に流行は発信されたと言っても過言ではない。

仮に静子が一人だった場合、これほど巧みに周囲に認めさせることが出来たかは甚(はなは)だ怪しい。

「ご覧のように袖の丈を長くしておりますので、使用する布も多くなります。必然的に、その分お値段が張りますので気軽に店に卸せる品ではございません。しかし、うちの御用商人にお声がけ頂ければ、相応のお時間を頂戴することになりますが、皆様のお手元にお届けできるかと」

静子の言葉を受けて、貴婦人たちは口々に噂をし合っている。静子の御用商人と言えば『田上屋(たなかみや)』の一門を指し、それこそ日ノ本中の何処にでも暖簾(のれん)分けされた店が軒を並べている。

そう言った背景もあって俄然女性陣の購買意欲が盛り上がったところへ、静子が着物生地の見本帳を広げたことで一気に物欲が具体化した。

「この生地が素敵」「こっちの模様が可愛らしい」などと周囲は彼女を中心とした熱狂の渦へと飲み込まれていった。

「まだまだ頭の固い手合いが居るゆえ手が掛かるが、これで女社会でも静子の地位は確固たるものになるじゃろう」

周囲の反応に気をよくした濃姫は、一人ほくそ笑んでいた。