「こちらへどうぞ」

「うるさいな、席くらい好きに選ばせろ」

「失礼しました」

俺がカウンターの端にコースターを差し出したのを無視して、ギヌラはカウンターの中央付近にどさりと座った。仕方なく、俺もコースターを置き直す。

そこは丁度、スイの隣。

俺は僅かに顔をしかめる。だが、正当な理由がなければ、断るのは難しい。

ギヌラの後ろに控える護衛の男は、席にすら付かず俺のほうを睨んでいた。

「お連れ様もどうぞご着席ください」

「あいつは良い。僕の付き添いだぞ」

「ですが、僕から見ればお客様の一人です。席に着いて頂かないと応対のしようがありません」

「……めんどうな奴だな」

俺はあくまでもにこやかに接客をしてやる。

ギヌラは面倒くさそうに後ろを振り返って、隣の席を指差す。

男は頷くと、黙って座った。

俺が差し出したおしぼりをぞんざいに受け取り、隣のスイへと言葉をかけるギヌラ。

「やぁスイ。働いているかと思ったけど、優雅にオーナー気取りかい?」

「……話しかけないで、『ポーション』が不味くなる」

「おかしなことを言うね! 君の『ポーション』は元から不味いじゃあないか!」

ギヌラはいきなり無礼なことを言った。スイが明らかにむっとしたが、彼はそれに構わず、今度は俺をじろりと睨む。

「さて、なんでも面白いことをやっているそうじゃないか」

「はい。メニューはご覧になりますか?」

「よこせ」

俺が差し出したメニューをひったくるように受け取ってから、ギヌラは目を通す。

だが、すぐに興味を失ったように、馬鹿にした笑いを俺に向けた。

「何かと思えば『ポーション』と『ジュース』を混ぜるだって? 馬鹿じゃないのか? ポーションはそれ自体で完成させてこそだ。味の悪い『ポーション』を『ジュース』でごまかして飲むなんて、いかにも貧乏人らしい浅ましい考えだ」

ギヌラの蔑むような目。だが、彼の立場に立てば理解できなくもない。

彼にとっては『ポーション』とはあくまで『薬』なのだろう。

少し状況は違うが、『苦い薬』を『ジュース』で飲む人間が居たら、思うこともある。

だが、俺はそうは思わない。

『ポーション』は『嗜好品』たりうる存在だ。

もちろんそのまま飲んでもいい。色々と混ぜてもいい。様々な味を試して、自分の好きなものを探して行くべきなのだ。

だが、この世界でその考えはまだ少数派も良い所。

状況を変えるには、地道に意識を変えて行くしかないのだ。

「なぁスイ。君は本当にこんなものを売り出す気なのかい?」

「……だったら?」

「やはり君にポーション屋は無理だ。大人しく僕のもとで、その才能を活かすべきだよ」

俺の目の前で、スイの怒りが見る見るうちに溜まって行く。

だが、彼女を爆発させるのはいけない。

俺は割り込むように、口を挟んだ。

「そうは言いますが、一度飲んでみてはいかがでしょうか?」

静かに、しかし良く通る声で俺は言った。

ギヌラはスイに絡むのをやめて、俺をねめつけるように見つめてきた。

「はは、冗談じゃない。こんな馬鹿な飲み物、飲めるわけがない」

「試したことはおありなのですか?」

「試すまでもないと言ってるんだ。僕は君達とは違う。本物のポーションを知っているんだ。こんなゴミを飲んだら、神聖な舌が穢れてしまうじゃないか」

大袈裟な言い方で、ギヌラは俺のサーブを拒否した。

そうか。そういう態度で来るのか。

ならば俺にも考えがある。

「では、お客様は、こちらで何も頼む気は無い、と?」

「ああ」

「なら、とっととお帰りくださいませ」

「……な?」

俺はしれっと、出口を手のひらで指し、ピシャリと言った。

「な、何を言っている? 僕は客だぞ」

「いえ、何も頼まれないのでしたら客ではありません。ただの迷惑な方です。店の雰囲気も悪くなるので、お帰り願います」

その直後に、店のあちこちからもヒソヒソとざわめきが聞こえる。

耳をすませば、それが店の雰囲気を悪くしているギヌラへと向けられた、敵意の声であることはすぐにわかった。

その雰囲気の変化を察したのか、ギヌラはどさりと椅子に座り直し、不機嫌に言った。

「ちっ、ならば分かった。お前がどうしてもとお願いするのなら、一杯くらいは飲んでやってもいいぞ、男」

あくまでも尊大な物言いに、スイが立ち上がりかけた。

だが俺は彼女を制して、深く腰を折ってみせた。

「はい、どうしてもお飲みいただきたいです」

俺を馬鹿にするような態度で待っていたギヌラの驚きの顔。

俺がプライドを踏みにじられ、屈辱に顔を歪めるさまでも見たかったのだろう。

だが、生憎と、営業中にそんなプライドなど持ち合わせてはいない。

そして、わざとそう『演技』してやるほど、俺はギヌラを好ましく思ってもいない。

「では、お客様。何にいたしましょうか?」

この程度のことでへこたれていたら、バーテンダーなど務まりはしない。

ただし、イラつかないというわけではない。

少しだけ、感情を表に出して、俺はギヌラに詰め寄った。

「まさか、ご自身で言ったことを、反故になさるわけはないですよね?」

「……くっ! わかった、これを作れ」

「お連れ様はどう致します?」

「はぁ? 適当でいい!」

「かしこまりました」

俺は丁寧に注文を受けて作業へと入った。

ギヌラの注文は、適当にメニューを指差した【ダイキリ】と【スクリュードライバー】であった。

「お待たせしました。【ダイキリ】と【スクリュードライバー】です」

俺はそれぞれを、ギヌラと護衛の男の前に差し出した。

それまでがそうであったように、やはり二人も目の前に出された飲み物に目を丸くしていた。

それは特に、自分のポーション屋に誇りを持っているらしいギヌラに顕著だ。

彼は、散々馬鹿にしていたはずの未知のポーション、『カクテル』に圧倒されていた。

「どうぞ、出来立てが一番ですよ」

「う、うるさい! 指図するな!」

俺の言葉に、ギヌラは余裕なく答えた。

そしてその後に、護衛の男に声を張る。

「お前が先に飲め、どうせ不味いと分かり切っているがな」

言われた護衛の男は、主の顔と周囲をキョロキョロと見たあと、意を決してそれを呑み込んだ。

ゴクリと喉が動き、オレンジ色の液体が吸い込まれる。

男が口を離し、茫然自失の呆けた顔で一言呟いた。

「……美味い」

「……っ!? そんな馬鹿な!」

ギヌラは護衛の男のグラスをひったくるように奪い、それを一口含んだ。

そして、口に入れた瞬間、言葉を失って小刻みに震え出す。

静かにグラスを置き、ぎゅっと強く拳を握りしめる。

俺の方を睨みつけ、しかし、それでも何も言わない。

「ねぇ、どう?」

その冷ややかな声は、隣に座るスイから発せられた。

彼女だけではない、この店に居る全ての人間が、一様にギヌラを見ている。

『どうだ? 美味いか?』と、問いかけるように。

ギヌラは呻くように目を下に逸らす。

だが、そこにあったのはまだ手つかずで残っている【ダイキリ】である。

「そちらも、どうぞ」

俺はダメ押すように、薦める。

ギヌラは、ゆっくりとグラスを手に持ち、震える手つきでそれを口元まで運ぶ。

そこで、数秒の逡巡。

だが、彼がそれを飲む事はなかった。

「ふっざけるなぁあああああああ!」

彼は手に持ったグラスを、頭上に高々と掲げると、それを思い切りカウンターに叩き付けた。

グラスは中の液体ごと、カウンター上で粉々に散らばる。

その突然の行動に、呆気に取られたのは俺だけではなかった。

だから、咄嗟に目を瞑っていたスイは、ギヌラの行動に対応できなかった。

ギヌラはいきなり立ち上がると、スイを羽交い締めにした。

「は、離してっ」

「う、うるさい!」

じりじりと後ろに下がるギヌラ。

スイが苦しそうに呻く。身動きは取れないようだ。

「お姉ちゃん!」

事情を察したライが叫ぶ。厨房の方から、ドンガラと何かを盛大に崩した音が聞こえた。

「み、認めないぞ! 僕はこんなもの認めない! こんな、こんなまがい物が『ポーション』などと。はは、は!」

ギヌラは錯乱したように叫んでから、護衛の男に声高に命じた。

「も、もういい! こんな、こんなものを作る店は認められない! やってしまえ!」

「し、しかし」

「やれと言ったんだ! 特に、その、お、男! ユウギニとかいう奴をやれ! スイは抑えた! 魔法を恐れる必要はない!」

護衛の男は渋るが、最後にはコクリと頷いて、俺を見た。

そして、丁度手元にある【スクリュードライバー】のグラスを、俺に向かって投げた。牽制のつもりなのだろう。

自分でも驚くほど、その動きは良く見えた。

俺は目をしっかりと開いたまま、左手でそれをパシリと受け止める。

勢いの付いたグラスから中身が少し零れるが、まぁ、良いだろう。

「なっ!?」

男の驚愕の声。そんなのは知ったことではない。

バーテンダーが、客と認めない人間は、本当は一種類しかいない。

それは、他のお客様に迷惑をかけるような人間──店のためにならない人間だ。

いや、建前かもしれないな。

スイに危害が加えられて、実は結構イラついているんだ。

「……もういい。てめえらは、出入り禁止だ」

俺は、沸々とした怒りを感じながら、

右手で、腰に下げた銃を引き抜いた。