'Cocktail Potion' by Transworld Transfer Bartenders
[Long Island Iced Tea] (1)
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自分が調子に乗っていたことを、サリーは自覚した。
ほんの軽い気持ちだった。総が来るまで会話を上手く繋げてみせれば、より認めて貰えると思った。総が、褒めてくれると思ったのだ。
初めての経験だった。ここまで、相手を怒らせてしまったのは。
「あぁ!? なんとか言ったらどうなんだ!? 俺はお客様だぞ!」
目の前の中年男性の言葉に、サリーは萎縮して何も言えなくなる。
そもそも、自分はいったい何を言ってしまったというのだろう。
総がカクテルを作っている間、簡単な自己紹介をして、少し場を盛り上げておくつもりだった。
そこで聞かれたのだ、どれくらいの期間働いているのか、と。
そこまでプライベートとも思えず、サリーは軽く答えた。
その流れで、自分が最近『カクテル』作りの練習をさせて貰っていることも言った。
男性は面白がって、それじゃあ作って貰おうかと口にした。
サリーはそれを冗談だと捉えて軽く返した。
この男性が酔っていて、気を大きくしているのは分かっていた。
それでも、今までそういったお客さんは見て来たし、軽く流せるつもりだった。
事態が一変したのは、その後だった。
男性は『それじゃあ、あの、シャカシャカする奴で得意なのを作ってよ』と言い。
それにサリーは『申し訳ありません。それは出来ないんです』と答えた。
それだけだった。
それだけなのに、男性は今、息を巻いてサリーに怒気をぶつけていた。
「お客様のご注文を断るってのはどういうご身分だ!? あぁ!?」
そう怒鳴って、男性はカウンターをバンと叩いた。
ビクリ、とサリーは肩を強張らせる。
「で、でも、習ってないので」
「習ってなくてもやれって言われたらやれよ! 店は客を楽しませるためにあるんだろうが!」
男性は怒鳴り、またカウンターを叩いた。
バンという音が店内に響き、そのたびにサリーは身を縮こませる。
(なんで? たかが一人の人間の言う事が、なんでこんなに怖いの?)
サリーは、自分がどうしてここまで怯えているのか不思議だった。
ここで何を言われたところで、実際にその行為がなされるはずがないのに。
ましてや人間と吸血鬼、その身体能力の差を考えれば、どうにかなる筈も無い。
それなのに、その一言一言に、ビクリと怯えるのを、止められない。
「おい! 何黙ってんだよ! なんとか言えよ!」
(怖い、怖い、怖い、怖い)
男性が手を振り上げ、再びカウンターに振り下ろそうとする。
サリーがぎゅっと目を瞑り、身構えたそのときだった。
「お客様。お止めください」
穏やかな、しかし針のように鋭い制止の声が、その空間に突き刺さった。
恐る恐るサリーは目を開く。
そこには、自分を庇うように前に立ち、男性の手を掴んでいる総の姿があった。
──────
「な、なんだよ!」
俺に手を掴まれると、男性は途端に少し怯んだ様子で、その手を下げた。
ひとまず、心の中で息を吐く。
まだ、前後不覚というほどではないようだ。
どうやら、店員の立場にいる女性──サリーに対してだけ、気が大きくなっている様子だ。
「申し訳ありません。当店のスタッフが何か失礼を働いたのでしょうか?」
俺は丁寧に腰を折りながら、男性に尋ねた。
男性は僅かに逡巡する。
俺の背後で、サリーも何か言いたそうな気配を滲ませた。
俺はサリーにだけ手のひらを見せて、その言葉を止めた。正当性がどちらにあるのかは想像に難くないが、重要なのは相手の言い分だ。
「この新人が客に逆らったんだぞ。俺がやれって言ったのに出来ませんとか抜かしやがったんだ」
「失礼ですが、その内容をお聞きしても?」
「だから、あのシャカシャカをやれって言ったんだよ! なぁそうだろ! そこの役立たず!」
男性の怒声が、再び店内に響いた。
流石にこう騒ぎ立てると、店内の視線がこの一角に集まって来てしまう。
視界の端では、ビクリと肩を震わせるサリーと、腰に付けている携帯用の杖に手を伸ばしたスイの姿が映っていた。
さて、俺は、どうするべきだ。
ちらりと、腰に備えた銃に意識が向いた。
実力行使で、男性を追い出すのは簡単だろう。実際に、そうしたことも無くはない。
だけど。
俺は以前、サリーに自分が言ったことを思い出していた。
ここでなんの努力もせずに、実力で追い返してしまったら。
『こっちの都合を優先して、相手の都合を無視していることになる』気がした。
だから、その前に一度だけ、俺は男性に歩み寄ろうと思った。
「申し訳ありません。彼女は私の言いつけを忠実に守っているだけです。ご不満は全て自分にお願い致します」
俺は丁寧すぎるくらいに腰を折って、まず謝罪する。
男性が俺の態度に目を丸くしている間に、畳み掛けるように続けた。
「ご納得いただけないのでしたら、お代は結構です。そのままお帰りください」
「……はぁ? お、俺は客だぞ!」
「当然でございます。しかし、当店では他のお客様のご迷惑になる方は『お客様』とは言いませんので」
少しだけ強い語気で、俺はそう告げた。
これ以上は認められないから、せめてここで止まってくれと。
脅しと言っても差し支えないほど、その瞳に剣呑な色を滲ませて。
男性は、再び吐こうとしていた暴言を、すんでの所で呑み込んだ様子だった。
どうやら、残っていた理知的な部分が働いてくれたらしい。
これでダメだったら、力づくで退場してもらうところだった。
俺は今度こそ、ふぅと息を吐いて、持って来ていたグラスをそっと差し出した。
「まぁまぁ! まずはこちらをどうぞ! 自分の奢りですから」
「お、そうか?」
「ええ、どうぞ。くいっとお飲みください!」
俺に言われて、男性は手渡されたグラスを飲み干した。
フィルが用意してくれた『水』のグラスを。
「おぉ? これ水だろ!」
流石に気付いた様子で、男性が少し眉をひそめる。
俺はそれに、心底驚いた顔を作って言った。
「まさかぁ! あれ? お客さんそんなに酔ってらっしゃるんですか?」
「お? そ、そんなわけねぇだろ! 俺が酔っぱらうわけあるか!」
「ですよね! いやーお強い!」
「はっは! そうだろう!」
言いながら、俺はフィルにそっと目配せする。
こちらの様子をお客さんと同様に窺っていたフィルが、即座に理解した様子で『チェイサー』のおかわりを作りだした。
だが、先程の言いつけが効いている様子で、作り終えても不用意に近づかず作業台に乗せ、即座に他のお客様のフォローに回ってくれた。
さて、後は……
「それでは! ご注文の品をお作り致しますのでもう少々お待ちください」
言って、また丁寧すぎるくらいに礼をしてから、俺はその場を離れる。
そこで立ちすくんでいたサリーの手を引っ張って。
作業台のところまで来てから、俺はサリーの手を離し、表情を見た。
彼女は俯き加減で、いつもの生意気な元気が見えない。
それどころか、俺から怒られるのに怯えているようにすら見えた。
「サリー」
「は、はい」
俺の声に、やや神経質過ぎるくらいの調子でサリーが反応する。
作業台の前には丁度誰もいない。小声で話をするにうってつけだ。
俺は少しだけ言いたい事を整理する。
気にするなとか、なんで言いつけを守らなかったとか、色々だ。
しかし、彼女の表情を見ると、それを言う気は失せた。
だからそれらを一度捨て去って、軽く彼女の肩を叩く。
サリーの肩がビクリと震える。俺はなるべく優しい声で言った。
「疲れただろ、休憩してこい」
「……え? でも、まだ休憩の時間には」
「そんな顔してる奴に接客をさせられるかって」
俺はキョロキョロとカウンターの様子を見る。
現在、俺から見て右端に先程の男性。三席ほど空けてこの作業台。そこから左に行くにつれて、フィルが話をしている若い女性達、イソトマ達、そしてスイとヴィオラの順。
「スイの隣に座ってこい」
「……でも」
「良いから行け。先輩命令だ」
俺は、やや強引にサリーを促す。
サリーは後ろ髪引かれるように、俺と、スイ、そして先程の男性を見る。
とはいえ、逆らうわけでもなく、小走りで指定された場所に向かい、スイの隣に静かに腰を落ち着けた。
スイが何か声をかけているのは、良く分かった。
「さてと」
その場はひとまずスイに任せるとして、俺は先程の男性に出す『カクテル』に取りかかった。
そうだ、あれにしよう。
男性に出す予定の【ダイキリ】のシェイクを終え、それを無許可でソーダ割りにしながら、一つのカクテルに思い至った。
ちょっとだけ、俺の言う事を聞かなかったあてつけを込めて。
あの『カクテル』を、サリーに課題として出してみようと思った。
「サリー、少しは落ち着いたか?」
「……はい」
「まだみたいだな」
俺が声をかけると、サリーは少しぼうっとした目で俺を見返した。
そんな彼女に、やや濃いめの茶色をした『カクテル』を、そっと差し出す。
グラスの中にはクラッシュアイスがひしめいており、グラスの縁にそっと丸く切ったレモンを刺してある。
そして、イベリス謹製の金属ストローが、二本グラスから飛び出している。
「これは?」
「ゆっくり飲めよ。課題を出す、そんで後で正解を聞くことにする」
俺は彼女の質問には答えず、まず課題を告げた。
「その『カクテル』の基酒(ベース)を当ててみな。分かるまで休憩してろ」
言いつつ、俺はスイに視線を送った。スイは、少しだけ悩ましげな目で俺の視線に応えた。
彼女は俺が出したこの『カクテル』を昔飲んだことがある。
名前を聞けば、それが何か思い出すだろう。
俺は対応をスイに丸投げするつもりで、最後にその『カクテル』の名前を告げた。
「そいつは【ロングアイランド・アイスティー】って言うんだ」
「【ロングアイランド・アイスティー】……?」
サリーは、言いながらそのカクテルをぼんやりと眺めていた。
俺からカクテル名を聞いた瞬間。
スイは、あぁ、と訳知り顔で頷いたのだが、サリーはそれに気付いてはいなかった。