'Cocktail Potion' by Transworld Transfer Bartenders
Exams of twins (10)
「……それでは、迷惑をかけたな」
「また来るねー」
軽い挨拶を残して、ヴィオラとイベリスは早い時間に帰っていった。
ヴィオラは先程のショットもあって少し飲み過ぎたとのこと。イベリスは、今日はゴンゴラに用事ができて来られなかった故、一人だと危ないから早めの帰宅だ。
俺とスイは一応、追い出されなければ終わりまで居るつもりなので、その背中を見送った。
……いや、もしかしたらその背中を見送れていたのは、俺だけかもしれない。
「スイ、大丈夫か?」
「んぅ? ぜんぜん大丈夫だよ」
「……口調、変わってないか?」
「え? そんなことないよ」
そう言ったスイの表情は、いつもの無表情を一枚剥いたような、やや溌剌としたものに変わっている。
あの後、何故かヴィオラと張り合って『テイラ』で無理をしていたスイ。ヴィオラともどもテイラを男らしく飲み干しては、目元から二人で火花を散らしていた。
そして二人仲良く酔っ払い始めたところで、俺が待ったをかけたのだ。
俺の見ている感じだと、スイは基本的にポーション酔いになりにくい。しかし、同じ属性のポーションを短時間で一気に摂取すると、酔うみたいなのだ。
少し頭をフラフラさせているスイに、俺は内心の呆れを隠し、優しい声音で言う。
「ほら、水飲めって。お客さんの前でみっともないぞ」
「なんでぇ? 酔ってないのに……」
「まだ閉店まであるからな、これから酔わない為に必要だろ?」
「うーん……そうだね。分かったよ」
スイから了承を取った直後には、フィルがそっと、用意していたチェイサー(基本的には水のこと)をカウンターに置く。
この辺の気遣いは、やはりフィルの方が上手い。
そうしていると、ヴィオラ達を見送っていたサリーが、カウンターに戻って来てパッシング(片付けのこと)を始めた。
心なしか、自分の営業がそれなりに上手くいっていることで上機嫌に見えた。
少しフラフラしているスイを見て、苦笑いを浮かべながら、失言をするくらいに。
「まったく。もう少しシャキっとして欲しいですわ。まぁ、おかげでヴィオラさんからお代金は、たくさんいただけましたけれど」
俺はその一言に、背筋が凍った。カウンターをバッと見渡して、こちらへのレスポンスが無い事に安心する。
そのあと、サリーの不用意な発言に、目を細めて低い声で注意をした。
「サリー。そういう話を営業中にするな」
「……え、あ」
俺に注意されて、サリーは自分の言葉が、配慮の無い物だと気付いたらしい。
それでも、しっかりと言うべきことは言わないといけない。
「お客さんには聞こえてないから良かったけど……自分が客の立場だったらどう思う? 自分のことを、お金としか見てないような発言をされたらどんな気分だ?」
「……良い気はしません……すみません。不注意でした」
「今日はお前達の初めての独立営業かもしれない。だけど、主役はお前達じゃないんだ。あくまで、お客さんなんだ。忘れるなよ」
「……はい」
俺に叱られて、サリーは見るからにしゅんとする。
少し調子に乗っていた自覚があるのかもしれない。
「ま、それは今後気をつければいいから、サリー」
「……はい?」
調子を一転させて呼びかけると、サリーはきょとんと顔を上げ、続く言葉を待つ。
俺はわざと声音を変えて、明るく言った。
「今日は良くできてるぞ。お前は少し調子に乗ってるくらいが丁度良い。変に気にし過ぎなくて良いからな」
「……え、あの」
「だから、辛気くさい顔してないで笑ってろって。せっかく美人なんだから」
「……だ、だからそういうこと、誰にでも……!」
俺がからかうように元気づけると、サリーは少し恥ずかしそうに作業に戻る。それでも、若干笑顔が戻っているように見えた。
と、思っているところで、頬を引っ張られる感覚が……!
「また女の子に可愛いって言ってる」
頬に現れた鋭敏な痛みは、じとっと俺を睨むオーナーの手によるものだった。
少し唇を尖らせ、面白くなさそうな顔をしている。
そういえば、さっきヴィオラと何か言い合ってたな、と思い出して、俺は即座に彼女が求めているだろう言葉を吐いた。
「やめっ! ス、スイも可愛いよ!」
「ほんとに?」
「っほんとほんと」
俺が声を重ねると、スイはにへらと、普段は絶対しないような嬉しそうな顔になった。
そして満足げに俺から手を離し、自分の頬を両手で包んだ。
どうにも、この状態のスイというのは慣れてなくて対応に困るな。
「……ほうら、やっぱり誰にでも言うんです」
と思っているところで、冷えた氷のような一言が、片付けを終えてカウンターに戻ろうとしているサリーから発せられた。
しょぼくれたというよりも、乗せられた自分に腹が立っている感じの背中に、俺は本心を投げる。
「……決して嘘は吐いてないぞ。俺はスイもサリーも可愛いと思う」
「そうですか。別に良いですけれど」
本心から言っているにも関わらず、サリーは少しつまらなそうな返事だ。
多少間が悪いのはあったが、どうにも失敗してしまったようだ。
少女の難しさに、俺は顔をしかめることしかできなかった。
言ってはいけない場面で口をつぐむのは当然なので、単純比較はできない。
しかしそれでも、営業中の女性客だったら、このくらいで怒ったりしない。
むしろ、俺が調子の良い事を言えば言うだけ喜んでくれたりする。
本当にしょうがないなぁ、と笑ってくれたりもする。
俺は普段、誰かを特別扱いすることはしない。
いや、厳密には違うか。
目の前のお客さん一人一人を、平等に特別扱いする。
時には道化になって、意識しておどけてみせる。
時には誰よりも親身に、些細な悩みでも力になる。
訪れたお客さん、一人一人のことを考えて言葉を選ぶ。
そのための技術を、この仕事で磨いてきたつもりだ。
マニュアル通りと言えばそうかもしれない。それを否定できるほど、会話が上手いと自惚れたりはしていない。
それでも、相手が言って欲しいことを推測し、それを的確に選んであげる訓練を重ねて来たはずだった。
それがどうにも、スイやサリーあたりの年頃の少女には上手く通じない。
思春期──(に当てはまるかすら分からないが)というのは、俺が思っている以上に難しいのかもしれない。
俺には恐らく、彼女達の心情を察するのに重要なピースが、抜けているのだろう。
思えば、バーテンダーになるまで『女性と親しくすること』など、なかったのだから。
『……本当に?』
誰かの声が聞こえた気がした。
頭に仄かな鈍痛が走り、熱を持つ。
また、この感覚だ。
さっきまで存在しなかった戸惑い。
最近、不意に頭の奥が疼く。
あってはならない『何か』が、そこにあるような気がする。
それに触れると、全てが変わってしまうような危機感。
しかし、それから決して目を逸らしてはいけないという、義務感。
今までの日常をガラリと変えてしまう何か。
俺とカクテルの世界に挟まる違和感。
そんなものの存在を、感じることがある。
だけど、それを思い出すことはできない。
そもそも、そこに存在するのかさえ曖昧だ。
あるのは鈍痛と、虚無感。
そこにあるべき何かが、あってはいけないと自己主張する矛盾。
考えるだけ、底の無い沼に落ちていくような、そんな恐怖。
俺はいったい、どこに何を、忘れて……
「総? どうかしたの?」
不意に黙り込んだ俺を心配してか、スイが隣から声をかけた。
俺は、それだけで、自分が何を考えていたのかも思い出せなくなる。
我に返れば、隣にいる少女を無駄に心配させてしまったのが申し訳なくて、当たり障りのない答えを浮かべてしまう。
「いや、次の注文をどうしようかなと」
「むー、本当に総はカクテルばっかりなんだから」
「仕方ないだろ? 俺には、カクテルしかないんだから」
自嘲気味に言うと、スイはすっと俺を睨んだ。
俺の手元から、メニューを取り上げ、隠すように後ろにやって言う。
「そういうの、良くない」
「え?」
「だから、えっと、自分にはカクテルだけ、とか、そういうの、ダメ」
いつもと違って、彼女の中で言葉がまとまっていない。
それでも、彼女の真剣な瞳は、その言葉に思いが詰まっているのだと精一杯主張している。
「総はもう私の大切な人だもん。家族だもん。だからダメなの」
唐突に言われて、少し照れる。オヤジさんとの話を軽く伝えたときは反応が薄かったのに、スイも内心はそう思っていてくれたのが、嬉しい。
だが、要領を得ないことに変わりがない。
「えっとなスイ。そう言ってくれるのは嬉しいけど、もっと分りやすく」
「だからダメなの。総はもう、カクテルだけじゃないの。分かった?」
わ、分からねぇ。
分からないけど、とりあえず肯定しないと終わらない気がした。
「……ええと、うん。分かったよ」
「それに、私だけじゃなくてね。ライもお父さんも、フィルもサリーも、イベリスもベルガモもヴィオラも、みんなそうなんだからね。分かってる?」
「わ、分かってるよ」
「分かったらもう、カクテルだけとか、言っちゃだめだからね」
なるほど、分からん。
分からないんだけど、なんとなくだけ通じることもある。
俺の大切なものは、カクテルだけじゃない。
今の日常が、いつまでも終わって欲しくない。
そう思う程度には、俺はこの場所に愛着を持っているのだ。
スイの言っていることは、なんとなくそんな意味がある気がした。
「それで、ご注文はどうなさいますの?」
俺達の不思議な会話が終わったタイミングで、サリーの声が聞こえた。
さっきの会話に効果があったのか知らないが、少しだけ機嫌が回復しているようにも思えた。
「そうだなぁ、オススメとか聞いてみようか」
「……オススメ……えっと、まだ考えてないと言いますか」
カラン。
そんなとき、新しい来客の知らせがあった。
サリーはそれまでと打って変わって、いかにも嬉しそうな笑みを浮かべる。
フィルもまた入り口に目を向け、にこっとした笑顔になった。
「「いらっしゃいま……せ?」」
そして、その笑顔を、何故か驚愕に歪ませ、言葉を詰まらせる。
なんだ、その微妙な表情は。
どんなお客さんに対しても、笑顔を忘れないのは基本なのに。
俺も入り口へと目を向けると、彼らが何に驚いているのかが、考えなくても分かってしまった。
「あら? 来店した客には、もっと良い笑顔を向けて頂きたいわねぇ」
言いながら、とても楽しそうに瞳をキラキラさせる女性。
まるで作り物みたいな美貌と、研ぎ澄まされた刃のような銀色の髪の毛。
ライの案内を手で簡単に断り、カウンターへと真っ直ぐに向かってくる存在。
「まぁ良いわ。私はどちらに座れば良いのかしら?」
ラスクイル・キリシュヴァッサー。
フィルとサリーの母親にして、限りなくこの場に居るのが不自然な、吸血鬼の女王がそこに居た。