'Cocktail Potion' by Transworld Transfer Bartenders
sake and sui
俺とカムイさんが台所に忍び込むと、ちょうどメグリさんとスイは料理に集中している様子だった。前にカムイさん、後ろに俺の順で壁際に隠れて、じっと中の様子を窺う。
落ち着いた色合いの部屋に、魔法装置のコンロが二口。
火にかけられているのは土鍋が二つ。二つ共から白い湯気が出ている。
「お米は炊く時は、ちょっと噴いてるくらいで良いんですよ。落ち着いて火の調整をして、それで後はじっくり待つだけなんです」
「す、すみません。てっきり何か間違ったかと」
鍋の前に立って話している二人。どうやら、先程スイが慌てていた話であるらしい。内容から推測するに、米を土鍋で炊いていたときのことか。
米に慣れないスイが、蓋を揺らす鍋の勢いに戸惑っていたようだ。あの慌てた声は、なかなかに珍しいものだった。
とはいっても、俺だって日本では炊飯器頼りだったわけで、スイを馬鹿にすることなどできそうもない。
「まぁ大丈夫ですよ。後はじっくり蒸らすだけ。その間にもう一品片付けちゃいましょう」
メニューの内容は聞いていないが、ご飯に鍋、それと何かおかずが数品といった感じか。
仄かに香る空気。どうやら鍋は味噌ベースのようだ。ほんわりと味噌の香りが、お腹の奥をくすぐっていく。
また、完成したおかずが、台所にある机の上にちょこんと乗っている。きんぴらごぼうと、魚の煮付けだろうか。
「……よし、きんぴらを頂く」
カムイさんは、ちらりと振り返って小声で言った。
スイは鍋に注目し、メグリさんの方は青菜に包丁を入れ始めたので、後ろの警戒が疎かになっている。
そこにカムイさん、そーっと忍び足で室内に入り、きんぴらに近寄って行く。
そろりそろりと指がきんぴらへと伸び、あと少しで届くといったところ。
カムイさんの指のすぐ脇に、ストンと包丁が刺さった。
唖然として硬直する俺とカムイさん。
ゆっくりと視線をメグリさんの方へ向けると、こちらを見もせずに新しい包丁を棚から取り出している姿があった。
そして、独り言のような静かな声で彼女が言った。
「ええ。お客様の前でだらしない行いはいけません」
「……? メグリさん?」
「なんでもありませんよスイさん」
スイは不思議そうに後ろを振り返り、固まっているカムイさんを見る。
そして机に突き刺さっている包丁を見る。見事な投擲スキルである。
数秒の硬直の後、スイは見なかったことにすると決めたようだ。
メグリさんの背中からの圧力に負け、カムイさんは伸ばした手をそっと戻し、引き返してきたのだった。
「ご馳走様でした」
「はい、お粗末さまでした」
それから暫く待って、俺達は少し早い夕飯にありつくことになった。
メインは鶏肉の味噌鍋。それに、青菜のおひたし、きんぴらごぼう、魚の煮付けと、これでもかというくらいの和食である。
まだ少々暖かい時期だが、鍋を食べるのに早過ぎるという時期でもない。
スイ以外の人間は当然のように箸で食べ、スイもスプーンとフォークで苦闘しながらも料理を平らげた。
「しかし、スイちゃんは珍しいな」
「はい?」
空いた食器を下げ、俺とカムイさんが日本酒でまったりしているところで彼が唐突に言った。
それにスイがきょとんと目を向けると、カムイさんは曖昧に答える。
「いやなに。この辺の……というか、だいたいジャポンの外じゃどこでもなんだが、大抵の人は味噌とか醤油とか、苦手なもんなんだけどな」
そういえば聞いたことがある。地球であっても、海外の人は醤油や味噌の風味や香りを苦手とするのが普通だとか。
発酵食品は香りが特徴的なことが多い。日本人は子供の頃から慣れ親しんだ香りであっても、それを初めて嗅ぐ人間ならば印象は変わる。
何も知らない子供にいきなりブルーチーズを出したら、食べるのかという話だ。
だというのに、スイは全く物怖じすることなく、出された料理を美味しそうに食べていた。
尋ねられたスイは、少し考えてハキハキと答える。
「私、好き嫌いはあまりないので」
「良い事だ!」
スイの返答にカムイさんは大変満足した様子。
そのまま、場に出ているとっくりをそっと持ち上げてスイへと尋ねた。
「どうだい? お茶じゃなくて、こいつも一杯いっとかないか?」
「旦那様。無理強いはいけませんよ」
「無理じゃねえさ。ただ、少しくらい愛好家が増えて欲しいと思ってな。メグリの家から送られてくるこいつは、美味いんだってな」
メグリさんはやんわりと止めるが、カムイさんはスイの意志を尊重すると言って通した。
それを前にしたスイは、珍しく難しい顔をして固まっていた。
そして、窺うように俺へと視線をやる。
「…………」
無言で見つめられると、何かアドバイスをしなければならない気がする。
「別に、無理して飲まなくても。カムイさんは気にするような人じゃない」
「……うん、そうだけど」
俺が意見を述べるも、スイは見事に言葉を濁した。俺の返答が気に入らないとか、そういった感じではない。
何か、言いたい事があるけれど、言えないという表情だ。
意外かもしれないが、スイはポーションと違ってお酒はあまり嗜まない。ポーション的な意味で、根っからの蒸留酒派という感じだ。
俺の見た感じでは、ワインなどの酒が嫌いというわけでもないし、単純に好みの問題かもしれない。
そんな彼女の視線が俺の手元に降りる。そこには、俺の持っているおちょこしかない。視線は再び上がり、俺の顔を見た。
一人納得したように、彼女は小さく頷く。それから、カムイさんへと向き直った。
「……す、少しだけ」
スイはそう言って、おずおずと新しいおちょこを掴んでその手を出した。
「お、話が分かるねえ」
カムイさんは途端に上機嫌になり、スイのおちょこへと透明な液体を注いでいく。
それを受け取ったスイは、ゆっくりと杯を傾け、それを含んだ。
「……ほんのり甘くて、不思議な味」
それがスイの出した日本酒の感想であった。
日本酒とは一般的に、米で作られた醸造酒のことを指す。
イメージ的には麦で行われるアルコール発生のメカニズムを、米に合った環境と酵母──麹で行うわけだ。
俺は日本酒に関しては、ほとんど専門外なので詳しくは知らない。
聞いた話ではアルコールが発生したあとに火入れを行い、それ以上の発酵を止めるのが普通に流通している日本酒。そうしないのが、生酒と呼ばれるらしい。
市販され、流通している日本酒の大半は正式には清酒という。
味の特徴としては、スイが述べたようなほんのりとした米らしい甘み。そして独特の香りだろうか。
醸造酒らしくアルコールは十五%前後。強さとしてはワインと似ている。
日本各地で、米を作っている地方ならば、ほとんどどこでも酒も作っているらしい。地酒を巡って、良く旅をしているというお客さんの話も、聞いたことがあった。
で、その独特な味わいは他のどの酒と近いということもなく、合う合わないは結構個人差があると思われる。
のだが、スイにとっては美味しい部類に入るようだった。
「よしよし。良い飲みっぷりだスイちゃん。メグリは特別な時じゃねえと付き合ってくんなくてよ」
「私は旦那様と違ってそんなに強くありませんから。ああ、スイさん飲み過ぎには気をつけてくださいね」
言った年長者二人は、双方がなんだかんだ言って嬉しそうな顔をしていた。
カムイさんは言わずもがな。メグリさんも口ではどうあれ、日本酒を気に入ってもらえたことは嬉しいようだ。
スイが進んでもう一杯を求めたのを見て、優しそうに微笑む。
「それじゃ、また何か肴を用意してきますね」
そっと立ち上がり、メグリさんは再び台所へと消えた。
後に残された俺達は、静かに日本酒を嗜んでいた。