前触れはあった。

 東の空がどんよりと薄茶色に染まり、ここへ来て初めての大雨が降るのかなあなんて思っていたんだけど……。

 水やりを終え、なんとなしに空を見ていたらワギャンが焦った様子で顔を出す。

「おはよう」

「おはよう。ふじちま」

「どうしたんだ?息を切らせて」

「あの砂色の雲が見えるか?」

「うん」

 さっき見たとおり、東の空にはどんよりとした雲。

 よくみる雨雲と異なり、ハッキリと茶色味がかっている。

 「黄砂みたいなもんなのかなー」と思っていたけど、ワギャンの動揺は普通じゃない。

「アレは『スカイイーター』の可能性が高い。もし人間たちが知らないようだったら、急ぎ退避所へ行くようにふじちまから言ってもらえるか?」

「スカイイーター?」

「空を飛ぶ悪魔だ。奴らは季節の変わり目に『渡り』をする」

「渡りって北の方にでも行くのか?」

「分からない。毎年ルートが変わるんだ。奴らはそれほど高く飛べないから、僕らはいつも林の中に避難する」

「分かった。すぐに伝えるよ」

「頼む。僕らもすぐに『退避所』へ避難する。住人の数が増える前でよかった」

 切迫したワギャンの雰囲気からして、急いだ方が良さそうだ。

 スカイイーターがどんな生物なのかまるで想像がつかないけど。

 「渡り」をするのだから、鳥な気もするけど……ここは異世界。巨大昆虫とか斜め上の可能性も高い。

 ワギャンと別れ、すぐに近くにいた緑色の長髪をしたエルフのイケメンを呼び止める。

「ごめん、ええと……ティモタ。マルーブルクへ急ぎ退避所へみんなを集めるように言ってもらえるか?」

「は、はい。そのご様子ですと相当切迫しておられそうですが……」

「うん、できれば糧食なんかも運び入れてくれ」

「そこはご心配されずとも大丈夫です。必要物資は安全のため『退避所』の中に置くよう、マルーブルク様から指示を受けております」

 さすがマルーブルク。抜け目がない。

 普段から安全対策にも気を払っているようだ。

 ま、まあ、グバアみたいなのが来襲する可能性もあるからな……。そういやあいつ、また来るって言ってたけどいつ来るんだろ?

 俺も何か準備をした方がいいのかな。

 ソワソワしながら人間側、モンスター側を見渡していると……いつの間にやら人間側の待避所の中に簡易的な小屋が出来ているじゃないか。

 モンスター側も屋根だけであるけど、建物が建っていて、そこの下に物資を置いているようだった。

 こうして見てみると、俺以外はみんなちゃんと危機感を持って対策を練っていたんだなあ。

 あ、マズイ。

 肝心なことを忘れていた。

 拡声器を手に持ち、両側へ聞こえるよう声を張り上げる。

「避難が完了したら、誰でもいいから報告に来てくれ」

 二度同じ言葉を繰り返し、注意を促す。

 そうなんだ。待避所を囲む土台は「パブリック設定」だった。これを「プライベート設定」にしなければ、スカイイーターとやらから身を護ることができない。

 ギリギリになるかもしれないことも想定し、自転車も準備しておくか……。一メートルの幅を走る自信はないけどさ。

「ふじちま、こちらは完了だ」

「はやいな!」

「既に避難を始めていたからな」

 急ぎ、リュティエたちの囲いをプラベート設定へ変更する。

 その時ちょうど、マルーブルクの部下から避難完了報告を受けた。

「よっし、間に合ったな」

 胸を撫でおろし、我が家へ戻った時――。

 奴らはやって来た。

 ワギャンの言うようにそれほど高い位置を飛んでいるわけじゃなさそうだ。

 高度はだいたい十メートルから十五メートルくらいってところか。これくらいの高さしか飛べないのなら、山を越えることはおろか、林さえ厳しいだろうな。

 裸眼で見る限り、一面が茶色っぽく染まっているようにしか見えない。

 双眼鏡を手に取り、改めて見てみると――。

「なんじゃこらあああああ!」

 ピラニアや。

 空飛ぶピラニアがうじゃうじゃいるう。き、気持ち悪い……。

 正直俺は異世界を舐めていた。せいぜい昆虫だろうと思っていたけど、まさかの魚類かよ!

 どうやって息をしているんだとか、そんな疑問が涌くけど……実際に空を飛んでいるピラニアを見てしまっては、これまでの常識を全て捨てなきゃならねえ。

「ふじちま? どうした?」

 俺のあんまりな叫び声を聞きつけたワギャンが耳をペタンと頭につけ、心配したように尋ねてくる。

「あ、あれ、全部、肉食なの?」

「そうだな。動く生き物が目に入ったら全て喰らいつくしながら、飛んでいく」

「……うへえ」

 空一面に染まるピラニアたち。大きさこそ一匹当たり十センチにも満たないけど、その数は数万を超えるだろう。

 イナゴの群生体ならぬ、ピラニアの群生体……。

 イナゴと違い、肉食だけにより性質が悪い。いや、農作物には被害がでないから、イナゴよりは……マシ? んなわけねえ。

 農作物が残っても、肝心の作物を育ててる人が捕食されたら意味ないから!

 そうこうしているうちに、ピラニアの大群がもうすぐそこまで迫ってきている。

「ぶつかるぞおお!」

 誰かが声を張り上げた。

 その声をきっかけにして、辺りが騒がしくなる。

 叫び続ける者、膝を付きじっと祈りを捧げる者、茫然と空を見上げる者……それぞれ思い思いにピラニア群生体の来襲を見守った。

 思わずワギャンと目を見合わせたが、彼は耳をピンと張ったまま肩を竦めるばかり。

 彼からは、少しも動揺した様子は見当たらない。

 一方で俺も「身の危険」に対しては、何も心配していなかった。あの程度、見えない壁が全て弾き返してくれるだろう。

 で、でも。怖気は収まらねえ。

 背筋がゾクゾクして、サムイボが両腕に。

 ――ピラニア軍団の先頭集団が見えない壁に当たる。

 しかし、ピラニアたちは見えない壁に阻まれ、勢いよくぶつかったためか、地面にバタバタと落ちていく。

 地に落ちたピラニアたちはピチピチと跳ねており……見ていて気持ちいいものじゃなかった。

 再び飛び立とうとするピラニアと、ぶつかったことで元気がなくなり跳ねるだけのピラニア、どんどん上から落ちてくるピラニアがごっちゃになって……結果的に地面に積みあがるピラニアの嵩が増えていく。

『良辰よ。喰わぬのか?』

「ん?」

 ハッとして、声のした方を見上げてみると――。

 北の空から悠然と青みがかった灰色の羽毛を持つ巨大ハシビロコウこと超生物グバアが、さっそうと翼をはためかせながらこちらへ近づいてくる。

『喰わぬのかと聞いている』

「あんなもん、食うわけねえだろおおお!」

 力の限り叫ぶと、俺の声が聞こえたであろうグバアは神々しく優雅に弧を描いた後、空中で停止する。

 グバアアアアアアアアア――。

 腹に響く物凄い咆哮と共に、グバアを中心として風が渦巻き始めた。

 見る見るうちに風は竜巻となり、グバアが大きな頭を横に振るとそれに合わせて竜巻がピラニアの大群へ襲い掛かる。

 あっという間にピラニアの大群の一部が竜巻に巻き取られ、宙を舞う。

『ならば、頂くぞ』

 もうどうにでもしてくれ……。

 俺の様子など気にするグバアではなく、奴は枯れ葉のような嘴をパカンと開く。

 すると、彼の口に吸い込まれるように竜巻が動き、ピラニアが彼の口の中へ吸い込まれて行った……。

 もうやだ。この生物。