相槌だけを打ち、彼女の言葉を静かに待つ。

 しばらく抱きしめていたら彼女は俺に縋り付いたまま、堰を切ったように自分のことを語り始めた。

「わたしね、クリスタルパレスの街で産まれたの。お父さんもお母さんも衛兵でね」

「そうだったのか」

「うん。家族向けの兵舎で育ったの。子供好きの若い衛兵さんや同じ兵舎の子供たちといつも遊んでいたんだよ」

 兵舎って表現に一瞬なんのことかと思ったが、公務員の家族向け社宅みたいなもんかな。

 タイタニアは衛兵である父の元で不自由なく暮らし、自然と武芸を学ぶ。

 彼女はあまり武芸の才能が無かったようで、仲間の子供たちの中でも弱い方だったという。

「でも駆けっこだけは、一番だったんだ!」

「おお、そりゃすごいな」

 俺なんて……あ、あー、悪夢のマラソン大会がフィードバックして来る。し、鎮まれ俺の黒歴史。

 右腕を左手で抑えてプルプルさせている間にもタイタニアの言葉は続く。

「でも、みんな戦争で死んじゃった。お父さんもお母さんも、ヘンリーおじさんも、マリーも……みんなみんな……」

「……」

 これには相槌も打つことができず、絶句してしまう。

 タイタニアの家族が全て戦死したことは聞いていた。だけど、聞いていたからといって平然と受け止めることなんてできないよ。

 俺の胸に熱い何かが染み込んでくるのが分かる。俺はといえば時折嗚咽をあげるタイタニアに対し、背中を撫でることしかできなかった。

 誰かに聞いて欲しかった、思いの丈をぶつけたかった。

 でも、聞いてくれる家族も友人も……もうこの世にはいない。

 いたたまれなくなって、彼女を強く抱きしめる。俺の動きに彼女も俺の背中に回した腕に力を込めた。強く、強く……。

「わたしね、何もできないの。兵舎で育って戦うことしかしていなかったから……」

「俺だって似たようなものだよ。魔術以外何もできない。魔術無しでは一日以内でくたばる自信があるぜ」

「変な自信」

 顔を上げたタイタニアは真っ赤な目を細め、満面の笑顔を見せた。

「愚痴くらい、俺に言ってくれよ。でもな、一つ条件がある」

「ん?」

「俺もこの世界で一人きりなんだ。だから、俺の愚痴を君に聞いて欲しい」

「聖人にも聖人なりの悩み事があるんだ……」

「変かな?」

「ううん、その方が素敵だと思う! わたしたちと同じなんだなあって」

「そっか」

「そうだよ。えへへ」

 嬉しそうににへえと口元が緩む彼女を見ていると……不覚にも……頬が赤らんでしまう。

 誤魔化すように彼女の肩を掴み、体を離す。

「どうしたの?」

 だからあ。その顔を……。

 屈託のない裏表を感じさせない顔を見ていると、何だか気恥ずかしくなってくるんだってば。

 彼女と比べたら深刻さで遥かに劣るけど、俺だってここに来てからずっとこうして「普通の人間」として接してくれる相手がいなかったんだ。

 自分の安全のために、一歩引いた態度を常に取る必要があったし、彼らが聖人やら魔術師やら勝手に勘違いしてくることも利用していた。

 ワギャンたちの性質が分かった今でも彼らに「俺がただの人間である」とあえて宣言していない。

 やっぱり最初の戦場のイメージが強烈過ぎて、自分をさらけ出してしまうのが怖かった。

 でも、愚痴を述べあおうと彼女に条件をつけたじゃないか。

 だから、言おう。

「俺はさ……ただの『人間』だから。少し魔術が使えるだけさ」

「わたしなんて、戦い以外できないのに戦いも弱い方なんだよ」

「俺だって」

「わたしだって」

 や、やめよう。

 このままできない自慢合戦に発展しそうだったので、ダメージが大きくなる前にタイタニアの額を指先で押す。

「フジィ。条件はそれだけ?」

「うん」

 差し出されたタイタニアの手をギュッと握り、頷き合う。

「よろしくね!」

「こちらこそ!」

 お互いに相談を聞く間柄になったところで、彼女の悩みを何とかできないか思案する。

 すっかり冷めてしまった紅茶を一気に飲み干し、はあああと息を吐く。

 あったかい方がおいしいかもな。

「お代わり淹れてくるよ」

「わたしがやってもいいかな?」

「りょーかい」

 これまで電化製品にはみんな触らせないようにしてきたんだけど、いい機会だ。

 いずれタイタニアとワギャンには一部の電化製品を使えるようになってもらえないかと思っていたこともある。

 それに、小さなことであるが、少しでも彼女の自信になれば。

 二人揃って、シンクの前に立ってタイタニアへ空になったヤカンを手渡す。

「そこに水を入れて、こっちの板――クッキングヒーターの白い丸の中にヤカンを置いて」

「うん」

「ここのボタンを押したら、ボタンの上にある赤いランプが光るんだ」

「光ったよ!」

「そしたら、板の上にある『中』と書かれたボタンを押す」

「字は分からないけど、形で覚えるね」

「ちゃんと押せたら、板の上にある赤いランプがざざっと光るだろ? 火は見えないけど、これでヤカンは熱せられているんだ」

「魔法ってすごいね。これだったら、火事にもならないね!」

 キラキラと目を輝かせて、じーっとヤカンを見下ろすタイタニア。

 このまま湯が沸くまで見守っておくか迷ったけど……説明を続けるか。

「湯が沸くとヤカンから『ピー』って音がするから、それまでの間に……いや、沸くまで見たいのだったらその後にでも」

「ううん。紅茶の準備かな?」

「そそ。この缶にティーバッグが入っているから、マグカップへ一つずつ入れてお湯を注ぐだけだよ」

「それならわたしでもできるよ!」

 ◇◇◇

 無事あつあつの紅茶が完成し、ダイニングテーブルへ向い合せに座る俺とタイタニア。

 さっそくふーふーとしながら飲んでみたけど、俺の作ったのと味は同じだった。ティーパックだし当然と言えば当然なんだけど、ちょっと嬉しくなってくる。

「ちゃんと紅茶になってる」

 こんなに無邪気に喜んでくれたら、そら口元も綻ぶってもんだよ。

「次はタイタニアが淹れてワギャンにも飲ませてやってくれよ」

「うん!」

 ワギャン、そうか、ワギャンか。

「タイタニア。一つ君にしかできないこと……ってわけでもないが、君が先駆者になってみんなから頼りにされることを思いついた」

「なになに!?」

「獣人の言葉を覚えてみるっていうのはどうだろう?」

 タイタニアとワギャンは俺がいない時にでも一緒にブランコを漕いだり仲が良いんだ。

 言葉が通じなくても、身振り手振りでやり取りしていたようだしさ。

 それなら、一歩進んでみたらどうかって考えたんだ。

「できるかな?」

「できないかもしれない。ワギャンにも話してみないとだけど」

「ワギャン、迷惑じゃないかな」

「きっと彼は喜んで申し出を受けると思うよ」

 言葉を覚えるための手段はある。辞書とか翻訳例なんてものは一つたりともないけど、俺が復唱することで完璧に言葉の意味を伝えることができるんだ。

 もし、どうにもならないようだったら諦めてしまってもよい。

 一度マルーブルクがリュティエの言葉を復唱しようとしたじゃないか。微妙だったけど、彼の言葉はリュティエへ伝わっていた。だから、獣人の言葉を学習することは不可能ではないと確信している。