ドワーフ、ゴブリン、オーク、コボルド――このひと月で、キースは多くの種族たちの住処を回ってきた。

 そして再び訪れたエルフの里。

 エルフの解放にはキースと、【ゲート】を使うためのアレイラ、そして功労者であるギンロウが立ち会った。

 テーレムが馬車の扉を開くと、囚われていたエルフが次々と降りてきた。

 エルフたちは、みな清潔な服を着せられている。

 けれども、その瞳に宿った絶望や、緩慢な動き、重苦しい佇まいを隠すことはできない。

 美しい種族なだけに、なんとも痛々しかった。

 エルフの家族たちが、走り寄って彼女らを抱きしめる。

 その腕の中で、囚われのエルフたちは、ようやく涙を流すことができた。

 彼女たちの泣きむせぶ声が、静かな森に響く。

「これが、私の財産のエルフどもすべてです! どうか、命だけは……」

 馬車から降りたテーレムは額を地面にこすりつけた。

「……俺たちの徒(ともがら)を財産、エルフ“ども”だと?」

 キースは、かつて夜を共にしたフィオーレのことを思い出していた。

 からい涙を流すエルフたちと、彼女を重ねると怒りが湧いてくる。

「魔王様、いかが致しましょう。始末しましょうか」

「ひいっ、それだけは……っ!!」

 ギンロウの言葉に、テーレムは震え上がった。

「黙れゲス野郎。いま考え中だ」

 殺すだけの理由は充分にあるし、そうしたい気持ちもある。

 しかし、スキル【統治】がそれを押しとどめた。

「……君たちはどうしたい。この男を殺すか、生かすか」

 キースがエルフたちに尋ねると、彼らは互いに顔を見合わせた。

 しばらくすると、エルフの長である女が前に進み出た。

「穢れた血は、もう充分に流されました。これ以上、森での殺生は無用かと存じます」

 ギンロウの戦闘は、アレイラの【スカウト】と、その光景を映し出す【プロジェクション】によって、キースも目にしていた。

 エルフたちは、これ以上の流血をもう見たくないのだろう。

「じゃあ森を出たところで殺すのはどうですか!? 私、人間を苦しめて殺す方法いっぱい知ってるんですよ!」

 アレイラは赤い瞳を輝かせて言った。

 テーレムはひざまずいて下を向いたまま、真っ青な顔に脂汗を流している。

(おそらく……それもエルフたちの望むところじゃないんだよな)

 キースは考えた。

 復讐心を血であがなうには、エルフはあまりにも高貴で、純真すぎる。

「ギンロウ、この男に飲ませた“身体”だが、このままにしておくことはできるか?」

 キースが尋ねると、ギンロウはうやうやしく答えた。

「は、可能でございます。また、それによる支障はいささかもございません」

「わかった。顔を上げろゴミムシ」

「は、はいぃぃ!」

 テーレムは額に泥をつけた顔を上げた。

「お前の身体に埋め込んだ刃は、そのままにしておく。死ぬまでだ」

 キースは冷たい目で言い放った。

「少しでも俺の気が変われば、どこにいようとお前は死ぬ。2度とエルフには手を出すな」

「はい……それは……もちろんでございます……」

 片手で重い腹を探りながら、テーレムは答えた。

 この男は、もう一生ギンロウから逃れられない。

「それと、命令だ」

 キースはマントから、血を抜いた傭兵の生首を取り出した。

 ギンロウに命じて回収させたものだ。

「これを掲げて、街中を練り歩け。噂を広めろ。エルフに手を出すとどうなるかを」

 キースが生首を差し出すと、テーレムは震える手でそれを受け取った。

「魔王の目を甘く見るなよ。常に見張られていると思え」

「はいっ、それはもう! もちろんでございます!」

「では服を脱げ」

「……は?」

 テーレムはあんぐりと口を開ける。

「難しいことは言ってないぞ、服を脱げと言ったんだ。それとも皮ごとひん向いてやろうか」

「ひいっ、わかりましたっ! 今すぐにっ!」

 生首を傍らに置いて、テーレムは大急ぎでフロックコートを脱ぎ、ジャケットを脱ぎ、シャツ、ズボンを脱いで素っ裸になった。

「後ろを向け……そうだ。じゃあ、アレイラ。例の通りに」

「はい、お任せを! 燃えよ蛇の舌――【ブランド】」

 アレイラの杖の目玉から、赤い光が細くほとばしった。

 光は蛇のようにうねりながら、テーレムの背を焼いた。

「ぐがああああああああああああ!!」

 倒れ伏したテーレムの肌に、赤い光は執拗にまとわりつく。

 脂汗を流して苦しむテーレムの背中に、文字が焼きつけられた。

『 この者 愚かにもエルフの怒りを買い すべてを失えり 』

「上出来だ。アレイラ、次を」

 キースはアレイラの手を握った。

 思い浮かべるのは――王都中央広場の噴水。

 アレイラはキースのイメージを受け取って、呪文を詠唱する。

「闇を纏いし連綿の、継ぎに継ぎたる時の業……」

 強い風が吹き、黒い塊が現われ、雷光が走る。

 そして王都への【ゲート】が開いた。

「早く起き上がって、この中に飛び込め」

 テーレムは背中の痛みに耐えながら、よたよたと立ち上がった。

「と、飛び込んだら……私は……どうなるんで……?」

「いいから首を拾って飛び込め」

 怯えながら生首を拾い、じりじりと【ゲート】に向かうテーレムの尻を、キースは強く蹴り上げた。

「あひいっ!」

 叫び声ひとつ残して、テーレムは【ゲート】に吸い込まれていった。

 今頃、広場の噴水に頭から突っ込んでいることだろう。

「……よくやった、ギンロウ」

 キースが声を掛けると、ギンロウはひざまずいた。

「誘拐に来た一団を撃退するだけなら、他の四天王にもできたことだろう。しかし囚われたエルフたちを連れ戻せたのは、お前の力あってのことだ。本当によくやった」

「お褒めの言葉、恐悦至極に存じます」

 ギンロウは頭を垂れた。

「魔王様……」

 エルフの長が言った。

 恭順を示す表情は、最初にこの里に訪れたときよりも、少し晴れやかに見える。

「このたびはまことに、まことにありがとうございました。同胞を取り戻して下さったこと。奴隷商人が2度と現われないようにして下さったこと……感謝してもしきれません」

「その感謝はきちんと返してもらう」

 キースの中で閃く【統治】、そして【戦術】……。

「定期的に“生け贄”というかたちで、恭順の意をかたちにしてもらっていたわけだが……」

 エルフの長の顔が、さっと曇る。

 生け贄を献げなければならない魔王と、仲間を連れ去る奴隷商人。

 エルフにとって恐怖の度合いは違えど、本質的にその両者は変わらなかったことだろう。

 しかし――。

「もう生け贄は必要ない」

 このタイミングだ、とキースは思った。

 エルフの心の底から感謝と恭順が湧いて出た、その瞬間にこそ、この言葉は意味を持つ。

 長はそれを聞いて、目を丸くした。

「その代わりに、兵を供与してもらう。エルフの弓兵は優秀だ」

 キースは、事の成り行きを固唾を呑んで見守る、エルフ達を見渡した。

「俺の意に従っていつでも出撃できるよう、常備軍を組織し、より訓練を積ませろ。そうすれば、俺はエルフの庇護を約束する」

「………………」

 エルフの長は、それを聞いて、ぽろりとひとつ涙をこぼした。

 長だけではない。

 ひとり残らず、エルフは泣いていた。

 人間から狙われ、魔王に生け贄を取られ――人魔両方に搾取されながら、エルフはじっと耐えてきたのだ。

 高貴で純真な心を、どうにか折らずに、じっと今まで耐えてきた。

 それが今日、ようやく認められたのだ。

 ――自分たちは物ではなく、民であると。

「………………」

 エルフたちの様子を眺めていると、キースの目頭も思わず熱くなってきた。

 彼らほど切実でないにせよ、キースにも物として扱われた過去がある。

 しかしここで同情の涙を流すようでは、とても魔王の威厳は保てない。

 一方、エルフの長は素直に涙を流し、深く頭を垂れた。

「我々エルフはこの先、たとえいかなることがあろうと、魔王様のお力のひとつとなることをお約束致します……」

 その言葉と共に、その場に集まったエルフは、みな一斉にキースにひざまずいた。

(これでひとつ、問題解決だ……)

 キースはエルフたちに頭を上げさせ、長を含む数人と食事を取ることを持ちかけた。

 この提案は、快く受け容れられた。

 今夜の食事は、以前のように息苦しいものではないだろう。

(アレイラにジョークのひとつでも披露させるか)

 そう思ったのだが――。

「……で、その男は言ったんですよ! 『やめてくれ、そいつは俺のオフクロだ!』ってね!」

 結果は微妙な愛想笑いで終わった。

 ドワーフにはバカウケだったジョークなのだが――やはり種族によって笑いのツボは違うらしい。