魔王城、謁見の間。

 そこでキースは玉座に腰を据え、四天王はその前に膝をついていた。

「ディアナ、君は俺のサポートを立派にこなしてくれたな、礼を言うぞ」

「魔王様にお仕えする者として当然のこととはいえ、もったいなきお言葉……ありがたくちょうだい致します」

 ディアナは銀色の髪を床に滑らせた。

「そしてギンロウ。異なる種族からなる軍を、実に見事に統率したな。素晴らしかった」

「恐悦至極に存じます」

 ギンロウは銀色に光る巨体を深々と下げる。

「アレイラ。君は前線で、大いにその火力を発揮した。勝利のために、君がもたらした功績は大きいと思ってる」

「私がんばりました!」

 アレイラは顔を上げて、赤い瞳をきらきらと輝かせた。

「そしてヴィクトル」

「はっ……」

 ヴィクトルはボロボロのコートの裾で、床を払った。

「今回の戦いで、俺はお前が最大の功労者だと思ってる。アシュトラン帝国のクーデター、よく成功させてくれた。頑張ってくれたな」

「私は与えられた任務を遂行したまででございます……」

 帽子を押さえ、ヴィクトルは深く頭を下げる。

 キースはツノの後ろをかいた。

「うん、そのことはそれでいいと思ってるんだけど……」

 キースは、謁見の間の隅で身を固くしている女を指さしていった。

「……あの子はいったい何? なんか見覚えあるんだけど」

「彼女はエラーダです……」

「いや、名前を聞いてるんじゃなくてね。あの……なんでいるの?」

「トムライが済んでおりませぬ故、連れて参りました……もちろん今回はヒツギには入れず、きちんとエサもやりました……」

 キースとディアナは、同時にため息をついた。

「あのな、ヴィクトル。弔いってのは、死んだ人間に対して行なうものなんだ。生きている人間は弔えない」

「………………!」

 ヴィクトルは顔を上げて言った。

「畏れながら……私はエラーダに約束を致しました、けっしてその身を傷つけることはしないと……この期に及んで彼女を殺すことは、私にはできません……」

 魔王の意に逆らおうというのだ。

 ヴィクトルは決死の覚悟でキースを見上げる。

「あの者に、どうか御慈悲を……」

「………………」

 キースは頭を抱えた。

「とりあえず、お茶でも飲みながら話そうか……」

 6人、ぞろぞろと連れ立って外に出た。

 ディアナが手を広げると、パラソルつきのティーテーブルと、イスが現われる。

 アルドベルグ盗賊団のみんなは、砦で非常事態用の鐘の取り付けをしているので、ティータイムは後回しだ。

「エラーダ……」

 ヴィクトルは言った。

「約束は必ず守る……」

「……わかった」

 エラーダも死地に赴いた以上、覚悟はできている。

 ヴィクトルの判断が間違っていて、命が奪われることになろうとも、恨むつもりはなかった。

 人と見分けのつかないゴーレムのメイドが、優雅に紅茶を注ぐ。

 スコーンとクロテッドクリームも用意された。

 もちろん、エラーダの分も。

 エラーダは、おそるおそるという感じで、ヴィクトルの隣に座った。

「あのな、ヴィクトル」

 紅茶をひとくち飲んで、キースは言った。

「手段と目的を逆転させちゃいけない。弔いってのはね、仕方なく死んでしまった人間を……」

 キースは、人間を弔うことについて、ヴィクトルにこんこんと説き聞かせた。

 ヴィクトルは紅茶に手もつけず、その言葉に聞き入っていた。

 もちろんエラーダにも、出された紅茶を飲むような余裕はない。

 理由はまったくわからないが、自分の命がかかっているのだ。

「つまり……トムライのためにエラーダを殺す必要はないと」

「そのとおり。弔うのは、自然に死んでからだ」

「わかりました……」

 そう言ってヴィクトルは、エラーダの手を取った。

「エラーダ……」

 ヴィクトルは、エラーダの金色の瞳を見つめて言った。

「死ぬまで俺のそばにいろ……」

 一陣の風が、ふたりの間を吹き抜けた。

 リーンゴーン……リーンゴーン……

 風に吹かれた砦の鐘が、美しく鳴り響く。

「この鐘、良い音しやすぜ親分! まるで夫婦の門出の祝福だ! やっぱりドワーフの連中は良い仕事しやがる!」

 大工頭の声が、遠くから聞こえた。

「………………」

 エラーダの顔は、真っ赤になっていた。

「ヴィクトル……お前……そんな……私なんかを……」

「自分を卑下するなエラーダ……」

 ヴィクトルは、自分の命を粗末にするなという気持ちを込めてそう言った。

 相変わらず言葉が足りない。

 エラーダはそっとヴィクトルの顔を見た。

 その端正な顔からは、いつものようにうまく表情が読み取れない。

「お前が死ぬまでそばにいる……それが俺の務めだ……」

「………………!」

 孤児院から軍に入り、そこで才能を見出され、必死に訓練に励んできた日々。

 結婚や恋人を作ることなど、自分とは遠く離れたものだと考えていた。

 もちろん、女は軍では珍しい存在だ。

 下品な言葉を投げつけてくる者もいた。

 そんな奴は、2度とそんな口がきけないよう、徹底的に叩きのめした。

 ――女など、捨てたつもりでいた。

 ヴィクトルとふたりで旅をするうちに、そのときおり見せる優しさに、心を惹かれなかったと言えば嘘になる。

 しかしその相手と、生涯を添い遂げることになるなんて――思いも寄らぬことだった。

「お前はどうなんだエラーダ……死ぬまで俺と一緒にいる覚悟はあるか……」

 ヴィクトルの得意とする領分は敵地潜入。

 一緒に行動するのは危険が伴う――という意味で言ったのだがやはり言葉が足りない。

 エラーダは、赤くなった顔を隠すようにそっぽを向いた。

 相手は魔族だ、自分は人間だ。

 こんなことがあっていいものだろうか?

 棺に放り込まれ、餓死寸前まで追い詰められたこともある。

 優しい男とはいえ、必要に迫られればそういう手段を取る残酷さを持ち合わせているということだ。

 しかし――。

「………………」

 ヴィクトルの顔を見ると、考えがうまくまとまらない。

 胸の奥の熱いものがもやもやして、頭に上り、判断を狂わせる気がする。

 エラーダは思わずそっぽを向いて、言った。

「その……なんだ……少し、考えさせてくれ」

 ヴィクトルは表情を変えずに頷いた。

「わかった、いつまでも待とう……」

 そう言うと、冷めた紅茶をひとくち飲んだ。

「なんかこういうの知ってる! 本で読んだことある!」

 アレイラは赤い瞳をきらきらさせてイスから立ち上がった。

「ヴィクトル、頑張れっ!」

「何をだ……?」

「エラーダに男を見せてやれっ!」

「俺は男だ……そして目に見える存在だ……」

 アレイラはヴィクトルの肩をぽーんと叩いて、次はエラーダの肩に腕を回した。

「ハァイ人間! 魔王様を殺しに来たときは、私に当たらなくて良かったね! 絶対殺してたから!」

「あ……ああ……」

 エラーダの脳裏に、肉塊にされたゼルキンの遺体が思い浮かぶ。

 目の前でニコニコしているこの女がやったということだ。

 正直ゼルキンは気に入らない男だったが、この女の所業には背筋が寒くなる。

「ヴィクトルは、ああ見えてなかなかいい奴だからね! 私はアレイラクォリエータ! アレイラって呼んでね! とりあえずこれからよろしくぅ!」

「よ……よろしく頼む……アレイラ……」

 逆らわない方が良さそうだとエラーダは判断した。

 顔を青くしているエラーダに、キースが言った。

「まあ、そういうわけ……らしい。君も混乱してるかもしれないが、まあ、正直俺も混乱してる。とりあえず殺意さえ向けなければ悪い奴らじゃないから、みんなと仲良くしてやって欲しい……」

「わかった……努力する……」

 エラーダはぎこちなく頷いた。

 次は大きいイスに座って、ゆったりとスコーンを食べている、銀色の大男だ。

「我が名はギンロウ。暗殺者としての貴様の腕……磨けばまだまだ光ると見える。己を高めたくば俺を頼るといい」

「わかった、そのときは、よろしく頼む……」

「わからないことがあればわたくしに聞きなさい、エラーダ。四天王“筆頭”はわたくしなのだから、それはきちんと頭に入れておくのよ。よろしくて?」

 ディアナは抜け目なく釘を刺した。

「わかった……よろしく、ディアナ……」

 そう返事して、エラーダはようやく紅茶に口をつけた。

(あ……美味しい……)

 冷めた紅茶を、暢気に味わっている自分に驚く。

 我ながら、案外適応力が高いんじゃないか、などと思えてきた。

「……その、みんな、よろしく」

 かくして、エラーダの奇妙な魔王城生活が始まった。

………………。

…………。

……。

 コールデン共和国には、大陸中に広がる教会の本拠地がある。

 その場所は“教皇領”として、共和国政府も手が出せない独立国家と化していた。

 中心にそびえ立つのは、白く輝く大聖堂。

 その奥にある広間で、教皇、枢機卿の列席する、緊急会議が開かれていた。

「アシュトランのクーデターの裏に魔王の影があったというのはまことかな?」

 教皇はあくまでおだやかな声で、問いかける。

「調べは確かでございます」

 枢機卿のひとりが、重々しく答えた。

「トリストラム王国、アシュトラン帝国……今は共和国でしたな……それらが取り込まれた今、魔王が大陸に及ぼす影響は計り知れぬものとなっております。猊下、これは確実になんらかの対策が必要な案件かと」

 教皇は頷き、水をひとくち飲んで口を潤した。

「急激な勢力拡大には、必ず反動があるものだ。ましてや相手は魔王。民衆の恐怖を思うと、私の胸は痛む……」

 教皇の静かな声は、天井の高い広間を反響した。

 魔王を恐れた民衆は、必ず神の救いを求めて教会に殺到するだろう――そう言いたいのだ。

 ――これは教会にとってのチャンスだと。

「その民衆の想いを受け止めるのが、神の教えを抱く教会の務めだと私は思う」

「仰る通りかと思われます、猊下。しかしこの状況で、待ちの姿勢を取るというのは……」

「ただ待つとは言わぬよ……私もそこまでの楽観主義者ではない」

 笑みを浮かべて、教皇は言った。

「我々には“聖女”がいる。彼女は民衆の心を集め、救うための大事な鍵になることだろう。神が使わした“聖女”の力を、我々は最大限に活かす義務がある」

 その頃、マリィはカレブの町に引き留められて難儀していた。

 彼女のローブの裾に触れれば病気が治るとか、死後天国に行けるだとか、そんな噂が広まってしまったのだ。

「私は、【ヒール】で傷が治せるだけで、そんな大それたことは決して……!」

 マリィは人々の盲信を必死に否定しようとするが、それを諫めたのは町の神父だった。

「それでも彼らを信じさせてやって下さい……それだけでも救われるのです……」

「ああ、聖女様だ! ありがたや……ありがたや……」

 マリィのローブに触れるために、人々が集まってくる。

(神を信じれば人は救われるのでしょう……けれども私なんかを信じて、どうなるというの?)

 人々に揉まれながら、マリィは思う。

 しかし“聖女”マリィの名はこれからますます大きくなり、そして大陸中に広がっていくこととなるのだ。

 彼女の想いとは裏腹に――。