大神官の右手は、目の眩むような速度で鋭い光を放った。

 キースは四方八方に身をよじってその連撃を間一髪でかわしてゆく。

 空気を貫く光は、広場を取り巻く塔を貫通し、石畳を破壊し、噴水の水を蒸発させた。

 キースの頬から流れる血はまだ止まらない。

「私の魔法がどうしてこれほどの効果を持つのか、疑問に思っておいででしょう?」

 大神官はまるで宝石でも眺めるかのように、皺のある自分の右手に見入っている。

「大霊脈において膨大な魔力を注ぎ込み、神の祝福を受けた一撃。これは伝説の剣フラグナムと同じ原理を持つものです」

 再び手のひらがキースへと向けられる。

「我々は教会です。数千年に渡って魔王討伐の刃を研いできた形ある歴史です。“魔王”対策は万全なのですよ。正直な話をしますと……」

 自らの話を断ち切るように放たれた鋭い光は、とっさにそれをかわしたキースの髪をわずかに焼いた。

「これまでの魔王が、自ら聖都に現われるような愚かな存在であれば、勇者などは必要なかったのですよ。私がいればいい……」

 大神官は歯を見せて、にいっと笑った。

「長年の研鑽が、今日この日に華開くのです……神の祝福が……私を通して……力が満ちる……」

 大神官の恍惚に応えるように、手のひらに光が集まり、再び放たれる。

 キースは円を描くように疾走しながら、その一撃をかわした。

「じいさんの茶飲み話にいちいちつき合ってられるほど……」

 聖魔法そのものの速度は凄まじいが、反応速度に関してはキースが上だ。

 キースは石畳を蹴って大神官の背後に回った。

「悪いが俺はヒマじゃねえっ!」

 がら空きの背中に衝撃波を放とうとしたその瞬間――大神官の肩が突如光った。

「………………!!」

 キースは石畳を蹴り砕いて、その一撃を危うくかわした。

「……ほう、そんなところにおられましたか」

 大神官はゆっくりと振り返った。

「スピードを武器とする“怪盗”と追いかけっこをするつもりはありませんよ。それに最近はときどき膝が痛んでね」

 キースは再び【確信の片眼鏡】で、大神官のステータスを読み取った。

「なるほどな……」

 キースのひたいに汗が流れた。

 あきらかにさっきにはなかったスキルが増えている――【全方位自動迎撃】。

 おそらくマリィの無尽蔵とも言える魔力と、大霊脈の力が作用した結果だ。

 そうして見ている間にもステータスは変化し、使える魔法、スキルが、またひとつ、またひとつと増えていく。

 【地割り】【結界】【速射】――。

「神の愛はとどまることを知りません……」

 戦いが長引けば長引くほど不利になる。

 かといって、近づけば【全方位自動迎撃】の餌食だ。

「………………」

 キースはいったん距離を取ろうとバックステップを踏んだが、突如走った悪寒に足を止めた。

 ひらり、とはためいた漆黒のマントが、背後で火花を散らす。

「【結界】か……!」

「“怪盗”だからといって、いつでも逃げられるとは思わないことです……せっかく得た地の利を放棄するとでもお思いですか?」

 キースはとっさに地面に手をついた。

(となれば、“重力”を盗む……!)

 地面に自分の力が行き渡る感触――石畳が浮かび上がろうとする、その瞬間。

「大地よ従え――【グラヴィティ】」

 わずかに浮いた石畳は、再び地面に叩きつけられた。

「なっ……!?」

 盗んだ重力は、重力魔法【グラヴィティ】によって相殺された。

 大神官は相変わらず平気な顔をして大地に立っている。

「先の大戦でのご活躍はかねがね……なんの対策も講じていないとお思いですか?」

「教会ってのは昔話ばかりしてるもんだと思ってたよ……」

 再び鋭い光による一方的な攻撃が始まった。

 マリィから供給される魔力は、尽きることをしらない。

「あなたもたまの日曜くらいは教会に足を運ぶべきでしたね。時事的な話を挟むのが人の心を掴む説教のコツでして……」

 光は石畳を穿ち、大聖堂の飾り柱を破壊する。

 立て続けの轟音が、広場中に響き渡った。

「また詳しく聞きたいもんだね……俺も部下の教育には苦労してるからな……」

 軽口を叩きながらも、キースは反撃の糸口を見出せない。

 大神官の攻撃をかわすことで精一杯だ。

「しかし、素晴らしいスピードですな。そろそろ目が眩みそうです。さすがは盗賊の最上位職“怪盗”といったところですか……」

 光の連撃がやんだ。

「だが、私も僧侶の最上位職である“大神官”……そして聖女様のお恵みによって我々の魔力は拮抗しています」

「“聖女様のお恵み”だと……? マリィから一方的に力を奪っておいて、よくそんなことが言えるな……!」

 キースは大神官を睨みつけた。

「施しとは、ときに人の意思を超えるものです。聖アルガンティの譬え話はご存じかな?」

「存じ上げないし、聞く気もないね」

「やはりあなたはいちど教会に足を運ぶべきでした」

 ふたりの距離は約3メートル。

 【全方位自動迎撃】のため、これ以上は近づけない。

 そして【結界】によって、これ以上は離れられない状態だ。

「教会は“魔王”を知り尽くし、“怪盗”の調べもついている。あなたが“大神官”をどこまでご存じかは与り知らぬところですが……情報戦ではおそらくこちらが大きくリードしています」

 大神官は、ちょっとした立ち話でもするように、なんの構えも見せない。

 キースに打つ手がないことを、完全に見抜いている。

「そして地の利は明らかにこちらにある。私もかつては星に導かれた勇者パーティーのひとりだったのです。傾向と対策は戦いの基本ですよ」

 大神官は言った。

「素直に首を差し出せば、不要な汗をかかずに済みます」

「“怪盗”も“魔王”もすっかりご存じってわけか……」

 キースはマリィに目を向けた。

「………………」

 ゲルムたちに殺されかけ、必死に逃げ込んだあの路地裏で、命を救われたことを思い出す。

 命の恩人は今――物言わぬ人形と化している。

 ――覚悟は決まった。

 キースは姿勢を低くして、大地に片手をついた。

 大神官は首を傾げる。

「魔王の文化まではさすがに存じ上げないのですが、それは恭順の姿勢でしょうか?」

 大神官は、再びキースに向けて右手を掲げた。

 キースは大神官を睨み上げる。

「違うね。死ぬ覚悟をしとけよオッサンって、ポーズさ」

 大神官の右手が光った瞬間――キースは“魔王”の魔法である衝撃波を放った。

 ――大神官に向けてではなく、自分の足もとへと。

 石畳が爆発し、キースは自分の魔法によって吹き飛ばされる。

 そう、大神官へと向かって!

 大神官の鋭い光が脇腹を削る、【全方位自動迎撃】がツノをかすめる。

 しかしキースは止まらない。

 “怪盗”のスピードと“魔王”の破壊力が発揮されたその一撃――鋭い手刀が、大神官の左肩を大きく抉った。

 キースは受け身も取れず、大聖堂の飾り柱に背中から突っ込んだ。

 大理石が砕け散り、キースはその場に崩れ落ちる。

「なるほど……」

 大神官は顔をしかめた。

 左肩から、赤黒い血がドクドクと流れ落ちている。

「あなたはただの“怪盗”でも、ただの“魔王”でもなく、“怪盗魔王”だった……そこを見落としていたようですね」

 自分の左肩にヒールをかけ、大神官はその傷口を閉じた。

 ――“怪盗”と“魔王”の力を合わせても、大神官を仕留めるには至らない。

「実に惜しかった。惜しかったですね……しかしあなたのその姿を見る限り、2度目はなさそうだ」

 大神官は、歯を見せて笑った。

 しかしキースも倒れたまま、口の端から血を流し、笑みを浮かべた。

「ああ、あんなこと2度もやらなきゃいけないと思うとぞっとするね」

「口の減らない人だ」

 大神官は飾り柱のもとで倒れているキースに向けて、右手を掲げた。

 手のひらに光が満ちてゆく――。

「魔王に天国の門が開かれるとは思えませんが……ごきげんよう」

 大神官が聖魔法を放たれとうとしたその瞬間――その手首がガシリと掴まれた。

「なっ……!?」

 大神官は驚愕した。