Demon Lord, Retry!

White Angel and Demon King

手に妙な物を持った姉妹が見つめ合い、ホワイトが震えた声を絞り出す。

喧騒の中であっても、彼女の透き通った声はよく通る。

「ルナ、ここを出ますよ。貴方はあの魔王に誑かされているのです」

「へ?? 一体、何の話をしてるの?」

ルナの暢気な態度に、ホワイトの額に怒りマークが浮かぶ。

決死の覚悟を決めてきたのに、これではあんまりだろう。実際、ルナは手に持った人参を掲げ「意外と大きいでしょ?」などとふざけた事を口にしている。

「人参の自慢をしている場合ですか……! 早く聖城に戻りましょう」

「戻るって、そんなの無理よ。今から私の領地を改造するんだからっ! ぁ、違った。魔改造って言ってたわね……」

「……魔、ですって!?」

その邪悪な響きに、ホワイトの頭痛が酷くなる。

この村を中心にして、魔物でも呼び寄せようとしているのかも知れない。その光景を想像し、ホワイトの背筋に冷たいものが流れた。

「それに、こんな大規模な土木作業……何処からお金が出ているのです!」

「確か聖貨を売ったとか言ってたけど……私もよく分からないの」

「し、神聖な聖貨を!?」

噛み合っているのか、噛み合っていないのか、姉妹の会話は流れるように進み、ホワイトの頭が沸騰していく。

彼女はしきたりや伝統を尊ぶ立場でもあり、聖貨を神聖な物と捉えている。それらを売買する事には元来、反対の立場であったのだ。

だが、ホワイトを更に驚愕させる事態が訪れる。

「ルナ、向こうで皆が呼んでるの」

フラフラと宙を飛んできたトロンである。

その手には何故か、風に乗ってクルクルと回る風車が握られていた。温泉旅館の備品なのだが、気に入ったらしい。

「またぁ? 次は何なの?」

「大きな岩があって邪魔なの。金ピカで壊して」

「しょうがないわね~。私が居ないと何も出来ない奴ばっかりなんだからっ」

「……さっさと来るの」

「ちょっと、服を掴まないでっ! ぁ、お姉様、話は後で! キョン、お姉様を温泉にでも案内しておいてあげて」

ルナとトロンが慌しく去り、ホワイトがその後ろ姿を呆然と見つめていた。

聖女としてのスキルが、彼女に知らせている。間違いなく、あれは魔が混じった存在――忌まわしき“魔人”である、と。

「ご案内します……ピョン♪」

頭の中まで真っ白になったホワイトの手を引き、キョンが温泉旅館へとエスコートしていく。ホワイトは今の光景を見て、完全に思考停止に陥っており、その施設に驚くような“余裕”すら与えられなかった。

(ルナはもう、そこまで魔に魅入られて……)

ホワイトがそう考えるのも、無理もない。

魔王ときて、次は魔人である。

ホワイトがどう贔屓目に見たとしても、ルナには最早、聖女としての自覚は失われており、魔の陣営に堕ちたとしか思えなかったのだ。

「ルナ様も後で来ますので、先にお湯へどうぞ……ピョン♪」

「お湯……」

「マダムもサウナが大のお気に入りです……ピョン♪」

「マダム……サウナ……」

ホワイトはオウム返しをするだけの機械のようになりながらも、行儀の良さが祟り、案内されるがままに旅館の中を進んでいく。

本来なら、そこには彼女にとっても驚きの光景が幾つもある筈なのだが、今は驚いているような場合ではなかった。

(どうすれば、ルナから魔を取り払えるのか……)

「中に脱衣所がありますので、そこで服を脱いでお入り下さい……ピョン♪」

案内を終えたキョンが去り、ホワイトが中へ進む。

深い熟考へと入った彼女は周囲を確認する余裕もなく、そのまま男湯と書かれた暖簾の下をくぐっていった。

(やはり、どうにかして魔王を討つしか、ルナを解放する術は……)

ホワイトの頭に浮かぶのは、熾天使が残した幾つかの奇跡。

いずれ、時が来れば悪魔王へとそれをぶつけ、もう一度封印する為の切り札にしようとしていたものである。

だが、それを使うには、今少しの時間が必要であった。

(それにしても、お湯なんて……)

ホワイトは様々な儀式を執り行う前に、身を清める事が多い。

昔はそれこそ、クイーンやルナと共に潔斎し、祭事に臨む事もあった。思わぬところで懐かしい記憶が頭へと浮かび、ホワイトが勢い良く服を脱ぐ。

余人を交えず、二人で話し合う良い機会であると考えたのだ。

昔も今も、どんな世界であっても、裸の付き合いという言葉がある。

そこでは思わぬ本音が漏れたり、普段はとても口に出来ないような、秘めているものが出たりするものだ。

そこには体だけではなく、心も裸にしてしまう効果があるのかも知れない。

(これがルナを説得する、最後のチャンスかも知れませんね……)

全ての服を脱ぎ終えたホワイトの姿は、完全に天使であった。

長いピンク色の髪は何かに保護されているかのように輝き、そのプロポーションは天使からの贈り物であるかの如く、整いきっている。

その胸の膨らみだけで、百万人の男すら平伏させてしまうだろう。

その神秘的な容貌は言うに及ばず、形の良い唇だけでも何時間でも眺めていられそうであった。

そんな彼女が、何一つ身に纏わぬ姿で温泉への扉を開ける。

途端、白い湯気が視界を覆い、心地良い熱気がホワイトの全身を包み込んだ。

(これ、は……)

見た事もない光景に、ホワイトの足が止まる。

訳が分からない、と言った方が良かったかも知れない。何せ、理解出来るものがただの一つもないのだ。

「これ、お湯……なの? 全てが?」

ホワイトがおぼろげに頭へ浮かべていたのは、清められた水や、お湯が入った一つの浴槽である。それも聖城にあるものは当然、一般のものよりも遥かに豪華で大きいのだが、ここの施設に比べると子供騙しでしかないだろう。

この温泉施設は、百人でも軽く入る事が出来る程の広さなのだから。

「ルナ……。いえ、魔王は一体、何を考えて……」

ホワイトが不安そうに辺りを見回し、更に興味深いものを発見する。遥か奥に目をやると、岩や妙な植物に囲まれた“庭”が見えたのだ。

それも、何処か静謐な空気が漂う空間である。

何かに引き寄せられるようにして、ホワイトが奥へと向う。

(ここにも、湯が……外に……!?)

そこは当然、露天風呂であった。

だが、ホワイトからすれば訳が分からない。

何故、外にお湯が張ってあるのか。

何故、静謐な庭の中にお湯を置く必要があるのか。

何故、岩の中にお湯を張ったのか。

全てが不可解であり、理解の範疇を超えすぎていた。

そして、一番の衝撃は――

その湯の中に、忌まわしき魔王が不敵な表情で浸かっていた事である。

「ま、魔王ッッ!」

その禍々しい姿を見て、ホワイトがつい叫ぶ。

自分が今、どんな格好で居るのかも忘れて。

魔王がゆっくりと振り向き、片眉を上げる。その姿は泰然としており、不意の遭遇とは思えぬ、落ち着きがあった。

「ほぅ――珍しい闖入者が居たものだ」

「わ、私を待ち伏せていたというのですか……ッ!」

「ふむ――――」

ホワイトの叫びに魔王が一呼吸置き、おもむろに口を開く。

「ここは露天風呂と言われる場所でね。ここで騒ぐような者は常識を知らぬガキか、無粋な者だけだ。貴女は、そのどちらでもないと思いたいが」

その挑発的な言葉に、ホワイトの顔が怒りに染まる。

そして、この邪悪な存在へ――最後の問いを発すべく、覚悟を決めた。

■□■□

――貴女は、そのどちらでもないと思いたいが。

魔王の頭は今、かつてない程にフル回転していた。

ここでベタに悲鳴など上げられた日には、評判を良くするどころか、その名は地に落ちるだろう。

何故かこういう場合、理屈もクソもなく男が悪者になってしまうのだ。満員電車での痴漢冤罪などが頭に浮かび、魔王は密かに身を震わせた。

故に、まずはホワイトが叫んだりせぬよう、魔王は牽制の言葉を投げかけたのだ。

(聖女視姦罪とかふざけた罪で、投獄されたりしないだろうな……)

魔王が湯の上に浮かべていた盆から、日本酒の入った杯をゆっくりと持ち上げ、口に含む。その仕草は実に落ち着いたものであったが、内心は相当焦っていたのだろう。杯を持つ手は微かに震えていた。

(クッソ! 何で俺が風呂に入ってるとこんなトラブルばっかり!)

それは天罰であったのか、ご褒美であったのか。

外では大勢の人間が働いて作業をしているというのに、この魔王は昼間から露天風呂で日本酒を嗜んでいたのだから。その上、先程見たホワイトの裸体を即座に脳内フォルダへと保存している始末である。

まさに――許し難い邪悪な存在であった。

(そもそも、何で聖女がこの村に居る? それに、ここは男湯だぞ……!?)

魔王の頭に、当然の疑問が浮かぶ。

まさか間違って入った、などと思う筈もない。

周囲が見えぬ程、彼女が思い詰めている事など、魔王は知る由もないのだから。

(まさか、ハニートラップとかじゃないだろうな……)

魔王の頭にはそんな考えも浮かんだが、即座にそれを打ち消す。

今後、そんなものが仕掛けられる可能性はあるにしても、一国の頂点ともいえる女性がそんな事をする筈も無いだろうと。

故に彼の思考は――いつもの流れへと行き着く。

「こんなところにまで来られるなど、余程の用件がおありのようですな。私はこう見えて、聞く耳を持っている方だと自負している」

思わせぶりな事を口をしながら、相手の態度を探るという待ちの姿勢である。

これが案外、馬鹿に出来ない効果を発揮するのだ。その迫力と威圧に相手の態度が崩れ、勝手にボロを出す事が多い。

「用件ですって……!? そんなもの、貴方の――」

「その前に、その格好は“目の毒”ですな。これを使われるが良い」

魔王が用意していたバスタオルを投げ渡す。

それを見て、ホワイトがようやく自分の状態に気が付いた。

「ヒッ! あ、あああ貴方、わ、私のはだ――」

「そろそろ、湯に浸かられては如何かな? 大切な御身が、風邪など引かれれば国の損失だ」

「~~~~ッ!」

その皮肉めいた言葉にホワイトは歯噛みしたが、バスタオルで体を包みながら湯へと飛び込む。少しでも肌を隠そうとしたのだろう。

その顔は屈辱と恥辱で真っ赤になっていた。

男に裸を見られたのも初めてだというのに、それを“目の毒”とまで言い放たれたのだ。彼女の心境は察するに余りある。

「では、そちらの用件を伺いましょうか――」

魔王が杯を傾け、その鋭い眼光を空へと向ける。

その姿を見て、ホワイトの顔が更に歪んだ。その態度には、自分の裸体など視界に入れる価値もないという空気が滲み出ていたからだ。

「魔王、貴方はマダ……はぅっ!」

一陣の風が白い湯気を払い――ホワイトが思わず絶句する。

否、当たり前の事に気付く。そう、相手もまた裸であった事に。

それも、異様なまでの迫力が漂う筋骨隆々の肉体である。今度はホワイトの顔が別の意味で赤くなっていく。

「どうされた、聖女ホワイト? よもや、一国の代表が男の裸程度で動揺する、などと可愛らしい事は言い出すまいと思うが」

魔王が不敵に嗤い、黒いゴムを使って長い髪を後ろで一括りに纏める。

何度目になるか分からない、聖女大戦の始まりであった。