八月八日、ヴァルの日。

カースによってアレクサンドル家の上屋敷へと送り届けられたアレクサンドリーネは当主アルノルフと面会していた。

「お初にお目にかかります。辺境フランティア領クタナツ騎士長アドリアン・ド・アレクサンドルが長女アレクサンドリーネにございます。」

「遠い所からよく来た。話は聞いておる。アロワイスの小倅と揉めたらしいの。それでアレの妻が奴隷落ちしたとか。それで?」

アロワイスとは領都でアレクサンドリーネを人質に取ってカースにコテンパンにやられたアナクレイルの父、チャーシューババアの夫である。

「それで、とおっしゃいますと?」

「仲裁でもして欲しいのかと聞いておる。あやつは腐っても伯爵。我が本家に近い分それなりに力を持っておるぞ?」

「いえ、全く必要ありません。一人の女の子、私の友人にこちらへの紹介状を持たせた手前がありますのでご機嫌伺いに立ち寄ったまでです。もっともその友人は未だにその紹介状を使ってないようですが。」

「ふっ、フランティア領都での揉め事なら儂が手を出せぬとでも思っておるのか? お主の父、アドリアンこそ手を出せぬであろうに。」

奇しくもアレクサンドリーネは先日自分が弟に言った言葉を思い出した。『カースに比べたら何も怖くない』カースの底知れぬ魔力に比べたら目の前の欲深い目をした老人など何ほどのことがあろうか。

「私に怖いものなどありませんわ。いえ正しくは、ある男の愛を失うこと以上の恐怖はありません。」

「ふっ、若い。若いのう。そのような目に見えぬものに踊らされるとは。どうせお主も後数年もすれば見知らぬ男と婚約させられるわ。ならばどうじゃ? 儂が面倒を見てやろうではないか。アドリアンより数倍よい縁談を用意してやるぞ?」

「その男は既に両親の信頼を得ております。私まで縁談が来ることはありません。」

「ふむ、興が乗った。その者の名は何と言う?」

アレクサンドリーネは少し躊躇った。カースは自分の言うことなら何でも聞いてくれる。それだけにここで名前を出してもいいのかと。このジジイはどんな無理難題を吹っかけてくるのだろうか。

「なぜそんな些事をお知りになりたいんですの? アレクサンドル一門の領袖ともあろうお方が。」

「お主が言ったではないか。両親の信を得ていると。儂の知るあの二人ならばそこいらのガキに信を置くことなどない。どのような手を使ったか知らぬが興も湧くというものよ。」

そこでアレクサンドリーネはまた考えた。そもそもカースより恐ろしいものなどない。ならば余計なちょっかいを出せば自滅するのはジジイ達だ。

「カース・ド・マーティン。ゼマティス家現当主の二女イザベル様の三男ですわ。先程ゼマティス家に到着した頃かと思います。」

「ほう、魔女の息子か。あそこの長男は近衛騎士だったか。三男は何をしておる。」

「そんなこと私の口からは言えませんわ。どうせ呼べとおっしゃるのでしょう? ご自身で確認されてはいかがですか? カースが来るかどうかは知りませんが。」

「ならば知恵を出せ。この男をここへ呼べるようにな。儂が望んで叶えられなかったことなど、そうはないぞ?」

「私の手紙をゼマティス家に届けておけばいいでしょう。それで明日の昼前には来てくれるかと。ちなみにカースは魔境産ペイチの実が大好物ですわ。」

「ふふ、怖気付かずに一人で来たなら食わせてやろうぞ。さて、有意義な時間であった。まあゆっくりして行け。」

「お言葉に甘えさせていただきます。」

王都内での権勢はアジャーニ家に劣るが、戦争をするならアレクサンドル家に分がある。

体は痩せ細り、魔力も衰えた。それでも欲深く力強い目を持つアルノルフにはそれが我慢ならなかった。成り上がりのアジャーニ家などに王都内の権勢で上回られて。このままでは武力でも自分達を超える日も遠くない。アルノルフは自分が生きている間にどうにかするべく立ち回っていた。

そんな時、大昔に袂を分かった分家の小娘がご機嫌伺いに尋ねてきた。伯爵家と揉めているのは知っていたので手に余り仲裁でも頼みに来たのかと思えば。本当にただのご機嫌伺いだったようだ。小娘にしては過分な土産まで用意しているとは。

話の種を蒔いてみれば、魔女の三男ときた。魔女の娘が王都で暴れているのは小耳に挟んでいる。しかしこの三男については情報がない。そもそもクタナツやフランティアの情報などよほどの大物の動向でもなければ入っては来ない。例えばヤコビニ派の動乱のように。

気になるのはアドリアン夫妻の信を得ているという発言だが、甚だ疑わしい。クタナツのような危険な街で伊達に騎士長をしているわけではないのだ。そんな者がどうしてそこらの小僧を信頼しようか。

明日の昼前か……どのようにもてなしてくれようか。少しは楽しめるとよいが。