小人(コロル)族の氏族長の名は、ポレックといった。
本人は生年さえももう定かに覚えてはいないようなのだが、世話をする族人の語るところでは150歳は確実に過ぎている氏族一の長老であるという。
ポレック老は、カイのことを何度も『調停の神』と呼んだ。
「…その『ちょうていの神』というのはなんだ」
「あなた様はこの谷におわす尊き神のうつし身なのでありましょう?」
「何でそう簡単に決め付ける」
「昔に何度も拝謁させていただいておるからでございます。老いぼれは一度失礼を犯して罰を与えられたこともございますゆえ、あの苦しい痛みを身体が覚えている限りけっして忘れるようなことはございませぬ」
「……痛めつけられたのか」
ポレック老は何度も眼差しを交わしているというのに、目をほとんど開けていない。老人がすでにめしいていることにカイは気付いた。
そして良く見れば、老人の両目を横断するように古傷が残っている。
「…もしかして、罰ってその目のことか」
「無断で谷にさ迷いこみ、尊き神の墓所をあばいた罰でございます。命を取られなかっただけでも慈悲を与えられたのだと両親には泣いて説教されましたが……もうそれもずいぶんと昔の話でございます」
めしいたポレック老は、「若気の至りだった」となんでもないように言うのだが、いまこのときもちゃんとカイの眼差しを見返して、受け答えしている。
よくよく目を凝らすと、ポレック老の目の周りに、うっすらと『隈取り』が現れていることに気付く。
失った視力を加護の力で補っているのだ。
氏族の長が『加護持ち』であることは、ある意味当たり前であった。そしてその『加護』で著しく強化されていただろう若かりし頃のポレックを、前の谷の主はいともたやすく屈服させ、その大切な目を罰の名のもとに躊躇なく切り刻んだ。その恐ろしく苛烈なありようは、蜥蜴人(ラガート)のゴレさんの言いようとも符合する。
「日の光を映す目を失った代わりに、わたしは自然のすべてが持つ霊力の光を見て取ることができるようになりました。…それはあなた様が持つ空の光を濾し取ったような青い霊光も例外ではございません」
「…オレは、青いのか」
「生き物がまとう色は種類も多くございますが、青という色はなかなかございません。白と黒の狭間に現れるという『青』は、古くから聖貴色とも申します」
カイに与えられた『加護』は、増幅した霊力となって全身から滲み出しているという。そうか、霊力には色があるのか。
しかし『白』と『黒』の中間は『灰色』なんじゃなかろうかと思う。そんな取るに足らない疑問を振り払いつつ、カイは『本題』へと話を戻し、端的に思ったことを口にした。
「オレが『ちょうていの神』かどうかは知らない。おまえたちの問題は、おまえたちで解決しろ」
みもふたもないとはこのことである。
ポレック老ばかりか、平伏していた族人たちまでもが驚き慌てふためいた。
「お、お待ちくだされ!」
「オレは谷に行く。ついてくるな」
「神様! 谷の神様!」
「見捨てないでぇ!」
捨てるも何も、拾った覚えもないことである。
昔から捧げものをしていたといわれても、カイは何も受け取ってはいないし、『先代』とはいっさいの係わり合いも持ってはいない。
小人(コロル)族たちは人族の言葉になぜか堪能のようだ。族人たちも人族の言葉で訴えかけてくる。
「アルゥエをおささげしたのに!」
「アルゥエをかえせッ」
そんな捧げものはいらないから、勝手に持って帰ればいい。
カイがすげなくそう言うと、小人(コロル)族たちは声にならない悲鳴を上げた。『加護持ち』である氏族長が、若かりし頃に勝手に入っただけで目をえぐられた恐ろしい谷である。勝手に持っていけと言われても、彼らはそもそも入っていくだけの勇気も持ち合わせてはいなかった。
まあカイのほうとしても、よく分からない他人に入られたくはなかったので、最低限の骨は折ってやることにする。
「…分かった、オレが持ってきてやる」
そう言って、カイは慣れた様子で谷の断崖を軽やかに下っていく。
カイがまるで『物』かなにかのように気軽に応じたので、小人(コロル)族たちは怒るよりも前に混乱してしまって、とりとめもないことを叫び合っている。
まさか谷に『人』とか突き落としたりしてないよな?
気付かぬ振りをしつつも、カイも半分は疑いだしている。まさか下に『死体』が転がってるとかマジで止めてくれ。
小人(コロル)族たちのいた場所の直下へと降りていき、カイは夜陰に沈んだ谷底の景色を見回した。
せめて湖水のあるところで落としてくれれば助かったのに、ここはふつうに硬い土の地面が広がっている。木々の梢がクッションになるなんて奇跡などあるかなしかの、落ちたらまず助からない状況だった。
なんとなくもう心のどこかで覚悟しつつ付近を捜して、カイは崖の直下にある岩場の影に、白いものを見つけた。闇のなかでもそれはよく見える、白い素足だった。
(…たのむ、せめて形だけでも(・・・・・)まともであってくれ)
切実な祈りともにカイは岩場を回りこみ、そうっと顔を覗かせた。
じわじわと白い素足の持ち主の全身を視界に入れていき……想像したほどの惨事でないことに胸をなでおろしたのも束の間、いきなり起き上がった『死人』と目が合ってしまって、思わず尻餅をついて転んでしまった。
「…***……**」
血まみれの少女が、そこにいた。
小人(コロル)族の価値観的に、見目良い少女というのが生贄とするための絶対の条件であったのか。結果的には種族的に身長が足らなすぎて、まだ大人にもなりきっていないカイから見ても、それは少女ではなく『幼女』でしかなかったのだけれども……額から大量の血を滴らせた少女が死人帰りよろしくふらふら立ち上がろうとして、腰砕けに倒れ伏してもなおしぶとくあがく姿は……股間がひゅんと縮こまってしまうような相当にひどい絵面だった。
呆然としたのはわずかの間のことだった、
すぐに少女が『壊れかけている』危険な状態であることだけは理解した。
『アルゥエ』という名の少女は、お腹の辺りに縄を結わえ付けられており、おそらくは最初はそれを命綱に崖を下ろされていたところ、途中で縄が切れたかなにかして転落したのだろう。周囲に落ちている中途半端な長さの縄がそれを物語っていた。
(治癒魔法…!)
まさか魔法を自分以外に使うことになろうとは、思ってもみなかった。
漠然と振るっても効果を発揮しない『治癒魔法』なので、目視した傷口を個別に対応していく。
そうして骨折を何箇所か……背骨が折れていた箇所も応急処置で仮止めし、そのなかを通っているという『しんけい』というやつを整える。
そうした処置が終るころには、苦痛が和らいだのだろう少女の顔から険しさが抜けて、そのぼんやりとしたまなざしが上で処置を続けているカイの姿を捉えた。
「…**」
「動くな。まだ骨がついてない」
身じろぎしようとする少女をたしなめて、カイは精神を集中した。
その顔に表れた隈取りを見て、少女ははらはらと涙をこぼし始めた。
「小人(コロル)族…***、*****……おお、お、おすくいください」
カイに言葉が通じていないと察して、少女の言葉が人族のそれに合わせられる。やはり小人(コロル)族は人族の言葉にかなり通じているようだ。
そういえば小人(コロル)族の美しい手工芸品を、ときおり辺土周りの行商人が売り歩いていることがある。ポレック老もそうだったが、人族とどこかで交流し、その言葉を身につける機会があるのかもしれなかった。
「小人(コロル)族、お救いください」
「いやだ。めんどくさい」
「アルゥエ、足りない? それなら…」
「おまえたちはオレに死人を差し出して、喜ぶとでも思ったのか」
「………分かりません」
力を集中して、背骨だけはしっかりと癒着させる。ここが折れると命を落さなくてもまっとうな生活が出来なくなることをカイは経験から知っていた。足や手が動かなくなって、人の世話がなくては生きていけなくなる仲間たちを何人も見た。喰っていくだけでかつかつの貧しい村で、働かず食べるだけの存在がいつまでも許容されるわけもなく、そうなってしまった者は誰か身を犠牲にしてでもと保護を訴え出てくれない限り、回復の見込みが立たなくなった段階で形だけ僧院に入れられ、『断捨離』修行と称して入滅させられる。
カイにはいまそれを治癒するすべがあるのだから。そのような生き地獄に少女を無為に落とすことはしない。
「…立てるか」
カイの問いに、少女は手指を確かめるように動かしたあと、身をひねりながら身体を起こした。
痛みがなくなっていることに驚いたように、少女はカイのほうを見た。ほとんど生気のなかった顔に朱が差し染める。
カイに手を貸され、立ち上がったあとは、ただもうひたすらにカイばかりを見ている。治癒魔法という奇跡を体現したカイに、彼女はただただ憧憬の眼差しを送り続ける。
「さあ、群れに帰れ」
「……アルゥエ、返す?」
「返す」
「お救い、ダメ?」
「うん、そう」
「………」
その瞬間だった。
ひしっとしがみつかれた。
「…帰れ」
「アルゥエ、いらない、価値ない!」
ぼろぼろと涙をこぼし出した少女は、本当に子供のようにカイの足に必至になってしがみついてくる。身長差で少女の顔が当たるお腹の辺りが、涙と鼻水でじわーっと嫌な感じに湿ってくる。
「アルゥエ、ささげもの! いらない、死ぬ!」
「…おい」
「…あっ、返して!」
突然懐の合わせに隠していたナイフを手に、ひと息に喉を突こうとした少女。それを横合いからひょいっとつまみ上げ、取り上げるカイ。
そうしてナイフを返せと盛んに抗議してくる少女を荷物のように肩に担ぎ上げ、カイは断崖を登り始めた。
肩を噛まれたが、痛痒も感じない。
さっさとこれを返品して、小屋作りを始めたい。カイの頭はすでに前回放置したままの材木をどのように加工しようか、どうやって設置しようかという算段に完全に向けられていた。
朝までの時間が限られているカイにとって、なんとも痛過ぎるタイムロスであった。